第一章⑥
六回の表、マシュー&山郷バッテリーはこの試合初のピンチを迎えていた。
ツーアウトながらランナーは二、三塁。相手バッターは第一打席にヒットを打っている五番打者。スコアは一対〇で、ここまでのマシューの投球内容は五回三分の二を投げて被安打一、四死球は三つ――内一つは敬遠――出している。単打でも一打逆転となり得る場面である、
ほぼナックルしか投げない故の弊害、とも言うべきだろう。三巡目に入って目が慣れたということか。それと同時に、マシューのスタミナが尽きてきたために、変化球の精度が落ちてきているのだ。投手交代はその枠を担った者――この試合であれば大名寺がその権利を保有している。もう変えてもいい頃合いだろう。だが、何事にも巡り合わせというものがある。裏の攻撃で打者として九番が打席に立つ。そこで彼女としてはマシューに代打を出したいのだ。もしここでピッチャーを代えるとなると、その投手は一人投げただけで交代するか、もしくは打者として一打席立つのか、その二つしか選択肢がなくなってしまう。大名寺からしてみれば、マシューに比する投手があと一人しかいない以上、無闇に交代させる訳にもいかないのである。
一度マウンドに駆け寄って口頭で作戦を練っても良かったが、気休めにしかならないだろうから止めた。そも、捕手とは投手を導く者。ならば、それを体現してやるこそが何よりの献身だろうと。
陽目は一度山郷から意識を乖離させ、ウインドウのアイテム欄から一枚のカードを選び出した。それを手元へ出現させると人差し指と中指で挟んで、告げる。
「――山郷。『アクティブスキル』発動――――」
刹那、そのカードに鮮やかな光が宿る。
「――――【導き手の矜持】!」
再び山郷へとダイブし、視点をマシューへと向けると何やらオーラらしきものを纏っていた。――これがスキルの効果である。
レア以上の選手カードには必ず一つスキルが付与されている。山郷のスキル名は【導き手の矜持】と言い、『そのイニング中、自動で自チームの投手の能力を一段階アップさせる』というものだ。その結果、どうやら持久力が上がり『D-→D』となっていた。彼には効果の薄い球速でなくて良かったと安堵する。
Sレアともなると、二つ以上スキルを持っていたりどれも強力なものであることが多い。ならば全イニング使えばいいじゃないか、と思われがちだが、スキルを発動するためのスキルカードは一回限りの使い捨てであり、買い直せばまた使用できるのだがそのスキル自体も一試合に一度まで、などの制限が課せられていることがある。何より、毎度毎度使っていては、試合に勝って賞金を手に入れても赤字でした、なんて間抜けな結果に陥ってしまっては元も子もない。
とまれ、マシューのスタミナが増したことで、この打者くらいは普段の投球ができるはずだ。裏を返せば、この打者で終われなければ状況は不利になり得るということだけれど。
マシューはこちらに感謝するようにヒラッと手を振り、導き手のサインを覗き込むようにして待つ。三塁まで進まれている場合、落ちる球は投げづらいとされている。何故なら、ワンバウンドしてあらぬ方向へと弾み逸らしてしまう恐れがあるからだ。投手は投げにくく、捕手には要求しづらいボール。
そのボール――ナックルを、陽目は躊躇なく要求してみせる。
(後ろへ逸らさない練習は幾度も繰り返してきた。それに、マシューの直球じゃあ投げても打たれるのがオチ。なら、リスクがあってもいっそ開き直って投げさせる方が得策だ)
捕手の弱気は投手へと伝染してしまう。不遜になれとは言わないが、堂々と迷いなくリードすることで「大したことはない」と言外に告げてやるのだ。ピンチでも普段通りしてやれば、充分に抑えられるのだと。
一球目。やはりナックルのサインを出した陽目に対して大きく頷くマシュー。テイクバックの小さなフォームから、押し出すようにして投じられたボールは若干の回転を伴ってグラグラと揺れる。カーブに近い軌道を描いたそれを見送る打者。判定はストライクだった。
二球目。これも同じくナックルを要求する。低く、とジェスチャーをしてから構える。浮いたらただの絶好球になってしまうからだ。マシューも頷き、セットポジションで投げた。今度はボールの上っ面を擦り、左後ろへ転がりファールとなる。これでカウント〇‐二。
そして三球目。現代野球だと一球外すことがセオリーだとされている。理由はいくつかあって、『バッターの意識やタイミングを外す』ことだったり『ピッチャー有利のカウントで打たれたくない』といったものまである。陽目も、通常の投手であれば前者を重んじて一球外すことが多い。けれど、今の投手はナックルボーラーだ。打たれにくい分、ストライクに入らないこともままある。低めに投げるように指示を出して、それで外れたら目付けができたと切り替えるし、入ったら入ったで良しと考える。奇を衒って産休勝負、加えて直球など愚の骨頂だ。ナックルの制球さえ間違えなければ高確率で打ち取れるのだから。
その三球目、入りの高さは真ん中ベルト付近だった。バッターも余裕を持って待ち受けている。ホームベースまで残り半分まで迫ると、不意にボールがグラリ、と風の煽りを受けて揺れ始めるように見える。さすがに十球近く見ていると目が慣れるのだろう、打者も動揺した素振りを露とも見せない。
そしていよいよ打者がバットを振り始めた矢先に、そのボールは重力に従って落下を開始する。右打者から見て、内に食い込んでくるシンカーのような軌道を通るそれは、内角低めギリギリに落ちようとしている。ストライクか、ボールか。その微妙な境界が、確かに打者のバットを曇らせた。迷いを滲ませたバットで捉え切れるはずもなく、詰まった打球をショートが堅実に裁き、マシューは六回無失点でマウンドを降りたのだった。
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