16年後の光

 PM9:30


「みんな持ったか? いくぞ、せーの、乾杯ッ!」


 かんぱーい。


 翔子の音頭に続き、高らかに上げた紙コップどうしをぶつけ合う。

 サマフェスを最高潮に盛り上げることを託された僕らは、演目中止が危ぶまれるも期待を上回る成果を残し、大盛況でこの夏最高潮に盛り上がるイベントに幕を下ろすことができた。


 関係者用の天幕のなかは、今、僕たち以外は誰もいない。


 なぜかと言うと、翔子がみんなで達成会をしようと、お世話になった人たちに声をかけて回ったのだが、彼らは気を遣ったのか、地元ボランティアの方々や一年生部員、無理な注文とさまざまなアクシデントに大奮闘してくれたPAの人が、片付けがあると言って天幕から足早に出払ってしまったのだ。なので、誰かが差し入れで持ってきたお菓子や、屋台売りの焼き鳥やたこ焼きなどをかき集め、折りたたみ式の長机の上に乱雑にひろげて、仲間うちで盛り上がることにした。


 みんなが互いの労をねぎらうなか、僕は反省の句を述べた。


「結局一曲しか弾けなかったけど、みんなほんとごめん」


 すかさず翔子が、


「ま、結果オーライってことでいいじゃねえか」


 と、何事も問題なかったかのようにフォローを入れてくれる。ポッキーが焼き鳥を頬張りながら悔しがり、


「チッ、あれにはさすがの俺もまいったぜ。みんなお前を見てたもんなあ」


「そうかな……」


 サビの終りざまに入れた翔子の煽りを入れた紹介が脳裏によみがえる。


 ――オメーラ! 耳をかっぽじってよく聴けッ、こいつが俺たちのバンドのクレイジーギター、翔だ!


 そこで前に出て、魂を込めたチョーキングから始まるソロを観客に向かって披露する。オリジナルを忠実に再現したメロディラインに客が大いに沸き立ち、エアギターで応えてくれる人まで現れる。みんなで翔子を間から挟み込むと、更に大きな歓声が上がる。みんなの汗が、とびきりの笑顔が、スポットライトの光でより一層の煌きを放っていた。


 タマゴッチが失った質量を取り戻すべく、焼きそばを頬張りながら言った。


「うん。存在感抜群だったよ。けど、あの曲を土壇場で選曲した萌ちゃんのセンスには驚かされたよ」


「ああ、あれにはマジでビビッた。やるじゃねえか萌」


 玉響が、みんなの拍手に顔を真っ赤にして照れている。


 曲の最後はフェードアウトさせると共に場内がブラックアウト。ピンライトに点された玉響が、サビの部分をアレンジした美しい電子音を、余韻たっぷりに響かせたあと、低い音からやさしく音階を上げ、曲を終わらせる。


 感動の拍手歓声が巻き起こった。

 五番目の力が加わったからこそ、生まれた感動だった。この曲を弾くために僕は生まれてきたのだと、そう思えるくらいの最高の選曲だった。


 暗闇の中で僕らに向けられるアンコールの声。


 ――さーて、二時間目回ってからの社長出勤に先公どもはカンカンだ。演ンならあと一曲だ。それならドクのお父っつぁんも、息子のダチに免じて校長の顔を利かす、つー寸法が通るって仕組みヨ。どうすンだオメーラ、演るか?


 と翔子は言ったが、答えはもちろん決まっていた。演るのはもちろん、オリジナル。でも僕は残念なことに、演奏できなかった。


「栗ボー、ラストいい声出てたよ」


 栗ボーが明後日の方角を向いて照れを隠しながら、


「たまには、格下の貴様らに褒められるのも、悪くない」


 アンコールの声が鳴り止まぬなか、翔子が栗ボーを舞台上に呼びつけてマイクを渡し、


 ――オメーの出番だ、シメはビシッとキメな。


 あまりの唐突さにみんな驚いて心配したが、当の本人は、是が非でも歌うといった顔で、首に巻きつけたマフラーを勢いよく剥ぎ取る。あの時の栗ボーの目は決意で燃えており、体調の悪さなど微塵も感じなかった。

 

 翔子は、僕にギターを渡せと言い、


 ――こっからは、オメーと萌は観客だ。


 ――え、なんで? もう弾けるよ?


 ――最後は俺が演る。オメーに託したいものがあるンだ。


 と言って、僕たちは舞台から下ろされる。

 迷惑をかけた僕に反論できる筋はないが残念だった。しかし、それにはすぐに応じた。なぜなら、翔子が演奏する姿を見たいと思ったし、他のメンバーの演奏を客観的に見ることで、勉強ができると思ったからだ。


 ――貴様らよく聞け! これが我らのとこしえのアンセム。explosion limit!


 栗ボーの一言で曲がはじまり、ドライブを利かせたギターの単音と共に規則正しいドラムが繰り出される。そして、いったんブレイクを挟み、変調したドラムの上にギターのメロディとベースが加わり、場内に軽快なサウンドが響く。


 僕らが初めて作った曲だ。でも――、


 ひとつひとつの楽器の音に耳をそばだててみると、さまざまなアレンジが加わっていることに気づく。総じて言うならば、洋楽パンクのような爽快さを感じさせる曲に仕上がっている。僕がまだぐずっていた頃に、練習してアレンジを加え、新しい曲へと生まれ変わらせていたのだ。


「あの曲だけなんで練習しないんだろって思ってたんだ」


 翔子は鼻でせせら笑い、


「オメーがいねえ時にあの曲でちょっと遊んでてな、未来の音色をふんだんに取り入れて完成させてやったのサ」


 歌詞は大幅に変更されており、聞く者を鼓舞するような内容に心が震え、思わず目頭が熱くなった。文句のつけようがないほど完璧に仕上がっている。


 演奏する彼らを見て僕は決意を新たにした。このバンド仲間たちと共に夢を掴み取る。託したいと言った意味、ちゃんと伝わったよ、翔子。


 そして僕たちは、これからはじまる夏の計画を立てはじめた。が、さっそく海かプールかで揉めた。

 バーベキューは南部川の上流か江崎高原でするかでも揉め、花火ひとつにしても、時間帯、場所、日取りに齟齬が生じ、予定を決めるのに難航を極めた。しかしながら、なぜか湯川ランドに行くのはすんなり決まった。理由は、近いし割りと人気があるから。と、なんともまあ味気のない田舎の中学生なら誰でもたどり着きそうな単純な答えに、苦笑をもらさざるを得なかった。


 そこで外から笛のような音が鳴り、続いて二発の爆発音が聞こえる。祭りのグランドフィナーレを飾る大花火だ。


 PM10:00


「お、はじまったな。姉御、俺たちも見に行こうぜ」


 外に出ると、辺りの人たちがこぞって、花火で彩られる夜空を見上げていた。校舎の屋上から打ち出され、花が開くたびに歓声が巻き起こる。その光に照らしだされる皆の表情に喜びが満ち溢れている。


 その中でただひとり、僕だけは、煌びやかな夜空にはまったく興味がなく、隣の美少女が気になっていた。

 嬉しそうに眺めるさまがとてもかわいい。彼女の瞳に映る花火のほうが、本物よりも綺麗に思えた。


「お、どした?」


 翔子がそれに気づいて僕を見る。顔が赤くなるのを抑えるように、ポケットに押し込めていた指輪ケースを握りしめる。


「あ、いや……」


 他のみんなは、クラスの友人たちと合流して、少し離れた場所で夜空を見上げていた。翔子が僕に言った。


「おっと忘れるとこだった。翔、絶好のチャンスだ。いけ、萌に告ってこい」


 玉響も仲のよい女友達と一緒に、夜空に舞い散る極彩色の花びらを眺めている。


 ――フラれよう。


 不意に自分が言った言葉を思い出し、決意を改める。


 玉響にではなく、翔子に告白する。


 翔子が調子に乗って肩を押す力を強めてくる。身を反転してそれを止めようとすると、彼女が勢い余って僕の胸になだれ込んできた。


 幸運なことに、自然と抱きしめる形となってしまう。


「っと、ワリィ」


 翔子特有の香りが鼻孔をくすぐる。柔らかい温もりを感じる。上目づかいに僕を窺う仕草はまさに天使そのものだ。


 ようやく天使を捕まえることができた。


 腹が決まった。


「今から言うことを、真剣に聞いてほしい」


 翔子はそれに答えず、抱きしめられたまま僕を見ている。


「前から思ってたんだけど……いや、正確には出会ってから。もちろんそれに気づいたのは少し経ってからだけど。玉響は、天使じゃなかったみたいだ」


 翔子の表情が曇りを帯びはじめる。


「ま、待て、オメえ……、一体、なにが言いてンだ……」


 高鳴る心臓の音が聞こえているのではないかと心配した。


「天使はずっと近くにいたんだ。寝ても覚めてもずっと僕の側にいてくれた。天使はね、目の前にいる、君だった」


 見開かれた翔子の目に花火が映る。


「ぼ、僕は……君のことがずっと、す、す、好――」


 僕が言おうとしている事を理解したのか、彼女は暴れて僕を突き放し、


「なにわけのわからねえことゴチャゴチャ抜かしてンだ。お、オメー忘れたのかよ、男どうしの契り果たすって約束したじゃねえか!」


 証拠が得体の知れないものを見る目で僕を見る。息遣いがとても荒い。僕は意地になる。結果なんてどうでもいい。この想いを伝えたい。


「忘れてない。でも今は玉響には告白しない。僕は本当の気持ちに気づいてしまったんだ。もう自分に嘘はつけないよ。だから、この想いを君に、」


「黙れ、それ以上言うンじゃねえ! 俺は未来のテメーで男だ! ふざけるのもいい加減にしやがれッ!」


「ふざけてなんかない! 僕はそれでも君が、」


「ウルセー! オメーの目の前にいるのは16年後の光だ、この世に存在しちゃいけねえ幻なンだよ!」


 そんなことはわかりきっている。僕は言葉では通じないと思い、強く握りしめていた指輪ケース取り出し、彼女の目の前で開けてみせた。


「これ……君に似合うと思って、買ったんだ」


 翔子が無情にそれを払い落とす。 


「黙れ、つってンだろうが……ッ」


 僕らの叫び声は、花火の大きな音や、泣き叫ぶ子供の声や、周りのざわめきにかき消され、誰一人として気づく者はいなかった。


 夜空が花火で煌めいたその時、翔子の右手が、色を失うようにして一瞬だけ消えた。


 ――またあの時の……

 

 彼女は僕の視線でそれに気づき、自分の手を確かめるように見つめる。その事象がさらに僕を追い立てる。そこで先生の言っていたエントロピー増大の話が脳裏をかすめる。この世界が終わってしまう前に、翔子が消えてしまう前に、この想いだけはどうしても伝えなければならない。


「……き、なんだよ……僕は君のことが、」




「かえる」




 無数の爆発音が夜空に鳴り響く。

 星屑が瞬くように舞い落ちてくる演出に、一際大きな拍手が沸き起こる。光の明滅の狭間で、彼女は静かに泣いていた。


 言葉の意味を理解したくない一心で、聞いてはいけない事を聞いてしまう。


「どこに、帰るの」


 言ってしまったあと、すぐに後悔した。

 最後の最後まで、僕は大馬鹿やろうだ。


 翔子は冷たくこう言った。





「オメーのいねえ世界だ」





 翔子が踵を返し、どこかに向かって走っていく。その背中は、あっという間に人ごみに飲まれて消えた。


 誰かが目の前を通りすぎたあと、下を見ると、踏みにじられて砂まみれになった指輪が、輝きを失い地面に転がっていた。


 空は、本物の星がどこにあるのかも見分けがつかないほど、美しく輝いていた。

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