いくぜ野郎ども、伝説の幕開けだ!

 PM7:55


 目線を上にあげ不適な笑みを浮かべる翔子が、僕らの思考を遮断するかのように言葉を並べ立てる。


「萌がジョニーBグッドを弾いたのがずっと心に引っかかっててよ。ひょっとしてコイツ結構ロックが好きなんじゃねえのかなーって。だってよ、ペンタとかブルースのスケールをあんだけ器用に弾きこなすンだぜ? 元々あの曲はジャジーだからピアノとの相性もいンだが、あんなハイリスキーなアドリブ生まれてこの方みたことねえ。そこンとこどーなんだよ萌?」


 玉響が言った。


「むしろ超絶好き」


 その言葉にみんなが驚愕の目で玉響を見る。


「やっぱそうだと思ったぜ。どうせオメーのことだから、俺たちの曲も耳コピして家でこっそり弾いてたんだろ、違うか?」


 彼女の推理に玉響は無言でコクリと頷き、


「自分の技術に行き詰まりを感じてたあの頃、本気でピアノをやめようと思ってた。けど、あの曲を楽しそうに演奏する彼の姿を間近で見たのがきっかけで、私の世界は変わった。音楽観がガラッと変わって、今までどおりクラッシックを弾くにしても技術の幅がすごく増えて、これまで以上にピアノのことが好きになれた。……あの曲を弾いてくれた彼のおかげで、私は変われたの」


 浴衣に合わせた、髪を後ろにねじり上げ髪留めで挟みこんだアップスタイル。鼻息を荒くして翔子に訴えている姿がとてもかわいらしく感じた。


 そこでタマゴッチが、


「思ったんだけど、それってブラックヘッドのことだよね」


 彼女が一瞬にして茹蛸になる。


 ポッキーが栗ボーに「え、そうなの?」と言うと、栗ボーは額に手を当て「貴様はいつまでもそうやって時代に取り残されていろ」とやれやれ顔で彼をこきおろす。


「それにしてもすごかったよね萌ちゃん。あんな大勢の前でブラックヘッドに告――」


 いつの間にか詰め寄っていた翔子が彼の口を押さえ、


「オメーは俺の計画を台無しにする気か! 告白はこいつの仕事なんだよ、なあ翔」


 赤くなったと思う。


 玉響を見ると、すでに昏倒しかけたところをポッキーたちに支えられている。翔子が天然であることを思い知らされ僕は言葉をなくした。


「とにかくこいつの腕はそんじょそこらの代モンじゃねえ、金箔のついたヴィンテージもんの折り紙付きヨ。それに場数や場慣れはオメーラの域を超えている」


 そこでポッキーが遠慮がちに手を上げ、


「それはわかるけどよ、今まで四人で頑張ってきたっていうプライドもあるし、萌ッチには悪いけど、俺は賛成し難いっていうか、その」


「その気持ちはわかる。だがそれと同時にオメーラが行き詰っていることも俺は知っている」


 ポッキーの言うことも一理あると思う。けれど彼女の言うとおり、言葉では言い表せないような閉塞感を感じていたのはたしかだ。これまで培ってきた技術に頼りっきりになってしまっていて、新しい発見がなかったように思える。それは彼らとて同じことだろう。無言がそれを証明している。


「萌がたった今答えを言ったよな。そう、オメーラには刺激が足りてねンだ。色んな音楽を聴くのもアリかもしンねえが、そうじゃねえ」


 翔子は暑苦しそうに髪をかき上げ、


「こいつのステージ見てどう思った? 俺は知ってるぜ、言ってやろーか? 演りたくて体中の血が騒いだンだろ、違うか?」


 まったくもってその通りだった。テレビで好きなアーティストを見て、無性に弾きたくなるのと同じだった。


「いーか、テクの進歩ってのはなぁ、練習だけじゃどうーにもならねえ。生の感動を直接肌で感じねえ限り、伸びねえモンなんだヨ」


 彼女は人差し指を頭に突きたて、バンと言って弾き、


「ステージに上がってこいつの傍でソレを体感しろ。そうすりゃオメーラはもっと伸びる。萌は不完全燃焼を起こしちまったオメーラの血に火をつける起爆剤みてーなモンよ」


 いつものことだが、彼女の話を聞いているだけで、自然と力が湧いてくる。僕と同じ、みんなの返事も決まっていた。


「フン、どーやら満場一致のようだぜ萌、やれるな」


「はい!」


「ヨシ、そうとわかればもう時間がねえ、てッ、とっくに過ぎてンじゃねーか! オラもたもたしねーで急いで会場に向かうぞオメーラ。栗ボー、一年に言って部室から急いでショルキーと俺用にギターを持ってこさせろ。それとPAに理由説明してシンセ用のチャンネル用意させろ」


 PM8:15


 旧校舎を出てグランドに向かうと、必要最低限の明かりだけを残して辺りは闇に包まれていた。場内には未来的なSEが流れている。期待に満ち溢れたざわめきが方々から聞こえる。


 月明かりと人が放つ光をたよりにグランド中に広がった人ごみをかきわけながら、関係者用の天幕に潜り込む。翔子に飛ばされた諸々の指示を汗まみれになってこなした後、僕らは円陣を組んだ。


「紆余曲折あったが、ようやくここまでくることができたな」


 たった一週間だったけれど、苦しかった練習の日々。擦り切れた指に貼った絆創膏を何度貼り替えたことか。翔子の練習は厳しさを超えたものだったけれど、それでも楽しかった。みんなが思い思いの顔をする中、ポッキーが照れくさそうに涙を拭っていた。


「まー、土壇場でメンバーが欠けることにも見舞われたが、こうして新しい風が加わって、俺たちのバンドは今だかつてねえ力を発揮できる条件が整った。という意味ではオメーの絞殺モンの不祥事は不幸中の幸いだったと言える」


 みんなが笑い、ポッキーが冗談で「もう帰ってこなくていいからな」と言うと、栗ボーが真剣に落ち込み、それを見た翔子が、


「ハッ、バカヤロー真に受けンじゃねえ。俺にとってはこれが最後の夜だ。萌を正式なメンバーに迎えるかどうかはオメーラがこの後考えろ」


「そんな最後って……こんな時に寂しいこと言うなよ姉御」


「いつまでも甘えンじゃねえ! いーか、オメーラを仕切ンのもボーカルとして出演すンのもあくまで臨時的にすぎねー。これからはオメーラが、強い結束で結ばれたオメーラがこのバンドを盛り上げていく。狙った夢を叶えるためにな」


 翔子がひとりひとりを順に見て、指で鼻をはじき、


「安心しろ、この舞台でオメーラに残せるモンは残していく。翔、過剰なアドリブで客を置いてけぼりにすンなよ。ポッキー、どんと構えて弾け。タマゴッチ、青春を叩きつけンだぞ。萌、未知なるパワーを期待してンぜ。それと栗ボー、俺の動きを見てパフォーマンスと煽り方をしっかり勉強しろよな。いーな、みんな」


「はい!」


 周りで聞いていた関係者からまばらな拍手が送られる。


 そこでポッキーが、


「姉御、そういや俺たちのバンド名ってまだ決めてなかったよな」


「カーッ、そーいや、やることありすぎて肝心なこと忘れてたな」


 去年はそれで大いに揉め、結局先輩たちに、朝中ロックバンドズという何の捻りもない名前に決められてしまったことを思い出す。

 いまだかつて決まったことのないバンド名。一回決めてしまえばずっと変えてはいけない気がするので、みんな慎重になってあれやこれやと案を出すけれど、みんなが揃って納得するような名前をついに見つけることができなかった。


 そこでタマゴッチが、


「シャコタンズでいいんじゃない?」


 みんながキョトンとした顔で彼を見る。


「だってこのバンドは一夜限りだし、シャコタンにとってもそうでしょ? 強引だったのは否めないけれど、結果的に彼女の周りにみんなが集まって、ブラックヘッドが復帰して、萌ちゃんが加わって。あの意見がバラバラだったバンドがひとつになることができたんだよ。すごいと思わない? だから敬意とお礼を表してってことでさ、どう?」


「僕はそれでもいいと思うな……はは、てかそれお礼なの?」


 みんなが僕に続いて、


「私もそれがいい!」


「フ、俺様が出場していればそんなネーミングはまずありえん。が、今宵限りということであれば限定的に許しを与えよう」


「ま、姉御には世話になったしな。俺も賛成だ」


 みんながそれに賛同すると、翔子が頭をかきむしり、


「たくダッセー名前付けやがって。ま、おかげでいい思い出になりそうだわ」


 と言って手を前に突き出す。みんながそれに応え手を乗せる。


「いくぜ野郎ども、伝説の幕開けだ! 客の頭ん中に感動を刻みつけろ! 朝中創立以来の一等ぶっ飛んだビート叩きこんでやれ! なんたって10万人だ、ぶっちぎりでサイコーの夜にすっぞオメーラ! 行くぜシャコタンズ!」


 翔子の掛け声に合わせて、みんなで雄叫びを掛け合ったあと、関係者から激励の拍手を受けながら、天幕を後にする。


 真っ暗な舞台の上に駆け上がると、待ちわびていた客が、僕らの影に反応して歓声を上げはじめる。モニターや舞台を這い回るケーブルに足を取られないようそれぞれの持ち場についた。

 会場は、見渡す限りの人で埋め尽くされていた。校舎の窓にも屋上にも無数の人影がうごめいている。


 ……すごい。去年を遥かに凌駕している。


 テレビで見た超満員の野外ライブ。その映像と重なったそのとき、


 ドクンッ――


 突然ナニかが、せり上がってくるのを感じた。


 僕らの登場に合わせてSEがフェードアウトすると、客の声援がはじまりを予感したように鳴り潜んでいく。


 心臓が、早鐘を叩きはじめた。


“ON THE WING WITH BROKEN HEART”


 最初の曲目のSEボイスが挿入されると同時に、翔子が天に向かって拳を突き立てる。


 歓声。


 ドクンッ――


 そこで僕は思い知しらされる。


 不安と緊張が入り混じった荒波が、平常という名の丘に押し寄せてくる。


 ――やっぱり、無理だ。


 寒くないのに体が震る。重力がまったく感じられない。狭窄を起こし、暗闇が歪んで見える。

 弦を抑える手に、ピックをつまんだ指先に、まったく力が行き渡らない。


“ON THE WING WITH BROKEN HEART”


 あの時受けた黒い感情が蘇り、温かいはずの声援が頭の中で否定的なものへと変換されていく。


「お前なんかがギター弾けるのかよ。どうせヘタクソにきまっている」


「ちょっとギターができるからって調子に乗ってるんじゃないの?」


「この程度でプロになれるわけないじゃん」


 闇の中で光る会場の目が、批判的に僕を見ている気がしてならない。


 怖い。


 すべての観客に、否定されている。


 妄想だとわかっていても、滝のように流れ出した汗と同じように、自己否定する負の感情が溢れだして止まらない。

 ただの今まであった、練習に裏づけされた自信が音もなく崩れ落ちていく。

 自己嫌悪。

 昔からそうだった。僕は、これを止める術を知らない。


 乗り越えたと思っていたのに、なんでいつも僕はこうなんだろう。


“ON THE WING WITH BROKEN HEART”


 赤と青のスポットがともる。


 演出用のスモークが光の屈折によってメンバーたちを陽炎のように浮かび上がらせ、静かに消える。


「しょ、翔子……」


 片腕を突き上げたまま翔子が後ろを振り返り、


「アア? なんだよこんな時に」


 声が震える。


「ぼ、僕、やっぱり……無理だよ」


 タマゴッチがビートを刻みはじめたと共に大歓声が巻き起こる。


「はあ? てもうはじまンぞ!」


「無理なんだ! だって手が震えて止まらないよ、どうしよう」


「アーッ、面倒かけやがって! とにかく俺が弾っからオメーは弾くフリだけしろッ。この曲が終わるまでになんとかするンだぞ、いーな!」


 翔子は見捨てるようなセリフを吐いたあと翻り、ギターを弾く体勢をとる。


「そ、そんな……」


 それぞれの楽器のフレーズが挿入される。


 まばゆいスポットライトが一気に解放される。


 嵐のような歓声が巻き起こる。

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