思いもよらぬ行動は、時として人を動かす力となる
7月25日 日曜日 PM0:50
盆踊り大会。またの名称を、サマーフェスティバル。
サマフェスの愛称で市内外に親しまれているこの夏の風物詩は、午前9時頃、開催の合図で打ち上がる花火とブラスバンド部の壮大な演奏によって開幕する。開催式に参加する必要はなく、朝永中学の事情で勝手にはじまり、毎年予想以上の盛り上がりを見せたあと、花火打ち上げ終了と共に終わりを告げる。
雲ひとつとして見当たらない日本晴れの空に、乾いた破裂音が鳴り響く。今日ばかりはセミの鳴き声よりも、方々から集まった人々が生じさせる喧騒のほうが際立っている。
「カーッ、相変わらずスッゲー人ゴミだなぁ。さーて、16年分の鬱積を何で晴らしてやろっか、あーワクワクが止まンねえ」
無数の露店が連なる町道の人ごみの中で翔子がそう言った。
目的地に無事たどり着けるかも危うく感じる人の群れは、少し離れた県道にまで達する勢いで複雑な列を形成しており、地元テレビ局のカメラが、アナウンサーらしき女性の実況と辺りの様子を収め、遥か頭上ではヘリコプターが飛び回っている。
押し合いへし合いのなか翔子を守るように密着しながら、やっとの思いで校門までたどり着くと、今度は、各種様々な出し物を提供する浴衣姿の生徒たちやボランティア、プロモーションのために参加したスーツ姿の人たちの熱烈な宣伝の嵐を浴びる事となる。
あらゆる情報がいっぺんに頭の中に押し込まれるので、わけのわからない言語へと変換される感覚に陥る。人の波よりも言葉の波に殺されるのかと思う。案内係であるはずの警備員の姿がちらほら見受けられるがまるで意味をなしていない。この人ゴミに対してまるで派遣数が足りていないのだ。
厳めしい校是が書かれた石碑と観葉樹の間を通り頭上を見上げると、協賛企業名が書かれた赤色の提灯の群れが、網の目のように張り巡らされていて、それらは、この先に見える過剰装飾された巨大櫓へと収束していた。
翔子が歩きながら、汗ばんだ体に張り付こうとする制服に空気を送りこんでいる。櫓前に命からがらたどり着いたのは、家を出てから40分も経過した後のことだった。
結局、朝早く地元の人たちと出た父さんたちとは合わなかったが、ほどなくして、人数分のチョコバナナを携えたポッキーたちと合流できた。午後1時からはじまる玉響のピアノ独奏会に合わせて待ち合わせをしていたのだ。
翔子はさっそく彼から奪ったバナナを口にくわえ、
「よほ、栗ホーはろうひひゃ?」
「は? ああ……準備に時間が掛かるから先に行っといてくれってあいつの妹が言ってた」
「ふーん。……お、いよいよはじまるみてえだぜ」
独奏会に相応しい薄い桃色のドレスを纏った玉響が、華やかに飾られた舞台の上に登場すると、場内の喧騒がぴたりとやみ、深い一礼と共に割れんばかりの拍手喝采が捲き起こった。
幼少の頃から研鑽を積んだ彼女の腕前は、毎年数々のコンクールで金賞を受賞する折り紙つきだ。きっとその手の業界の方々も見にきているはずだ。
ピアノの調べが、しめやかにはじまりを告げた。
この位置からだと盤上の動きは見ることはできないが、鍵盤を覆い尽くすように広げられた腕と足元のペダルを駆使する姿を見ていると、盤上で指を滑らかに動かしながら音を紡いでいる様子が目に浮かんでくる。コンクールとはまた違った雰囲気の中での演奏で、彼女はいったい何を思いながら鍵盤を弾くのだろう。僕らと同じように、ひとりでも多くの人に聴き入ってもらいたいと願いを込めているのだろうか。
やがて、様々な楽曲を集結させたメドレーのような構成を弾き終わり、彼女が立ち上がって深々と礼をする。
大歓声が巻き起こる。
彼女の名前入りのはっぴを着た親衛隊が、櫓の最前列を占領し先導して快哉を飛ばしていた。
独奏会がこれで終わると思いきや、玉響は、ひまわりがあてらわれたマイクを手に取り、
「最後に、一曲だけ」
神妙な面持ちで告げたその一言に場内が静まり返る。僅かに染まった桃色の表情を観衆に向け、
「今から演奏する曲は、私が小学6年生のころ、ピアノの練習が上手くいかず行き詰ってやめようと思っていたときに……あ、ある方が音楽室で「演奏ってこんなに楽しいものなんだよ」って……私を勇気付けるために贈ってくれた曲です」
小6、音楽室、みんなの前。
彼女がこぼした台詞をきっかけに、いくつもの言葉の断片が頭の中で呼び覚まされ、ひとつのある可能性について結びつこうとしていた。
――いや、だって、そんなはずは……
場内はざわめきはじめるも、彼女が次に放つ言葉を待ち望んでいた。
「でも実は、直接贈ってもらったというのは私の勝手な思い込みで、実際はひとりの観客として聞いただけ……そ、その方は、この会場のどこかで私の演奏を聴いてくれてるかもしれません!」
玉響はそう言って、観客をひとりひとり舐めるように眺め……
目が合った。
彼女は観衆に気遣ったつもりなのか、すぐに視線をそらした。そして、決意を改めるようにして面をあげ、
「そ、その方にあらためてこの場でお礼と、その時にくれた勇気を、お返ししたいと思います!」
と言って椅子に座り、深呼吸を繰り返して息を整える。
ざわつく親衛隊の連中が「俺たちを差し置いて萌ちゃんにそういうことをするやつがいたのか……絶対殺す!」と目から炎を出して怒り狂っていた。
準備を終え、前を向き、そして鍵盤を叩きつけるかのような前傾姿勢で最初のフレーズを弾いた。
「こ、この曲……」
そのフレーズで曲名を理解した観客たちが手拍子とって踊り始める。周りがそれに触発され、手拍子が瞬く間に連鎖していった。
何を弾けばいいのか迷った挙句に選んだ、父さんがロックンロールといえばこの曲だと一番最初に教えてくれたあの名曲だ。
チャックベリーのジョニーBグッド。
勇気を贈っただなんてとんでもない。あの曲は、クラスの連中に強引に引き立てられ、嫌々ながらに弾いたのだ。しかし、白状すればやぶさかではなかった。練習の成果を人前で試せる絶好の機会とさえ思った。人に認めてもらえるのただ一点だけで学校の備品である白黒のYAMAHAのストラトを握っただけなのに、軽はずみで弾いたあの曲が、ひとの琴線に触れていたなんて思いもよらなかった。
心があったかくなっていくのを感じて、ほんの少しだけ目頭が熱くなる。
音楽をやってて本当によかったと思える瞬間だった。
曲を知っている人たちが、軽快な旋律に合わせて歌っている。その反応を感じた玉響の表情に自然な笑みがこぼれ、曲に乗り、からだ全体を使って喜びを表現していた。
ピアノソロはもう圧倒的で、彼女の独創性を感じさせるものだった。色んなジャンルの曲を聴かないと、このような音は生まれない。僕たちにはわかる。ポッキーやタマゴッチの目を見れば一目瞭然で、彼女の絶技に見とれるばかりか、今にも舞台に上がりだしてしまいそうな意気込みを醸し出している。
「おいおい完全にフラグが立っちまったな、えーこのとっつあん小僧」
「……ふらぐって、なに?」
「フン、あと数年もすりゃ知ることになる。にしても己の鈍感さ加減にいよいよ嫌気が差してきたぜ。あークソ」
「16年目にしてようやく気づいたのか……」
「アン、なんか言ったかー?」
「べ、別にっ」
そして大盛り上がりのなか演奏が終わると、櫓上に現れた灰色の背広を着たどこかの偉いさん風のおじさんから、色とりどりの花束が手渡された。彼女はそれを嬉しそうに抱きかかえながら、観客に向けて小さく手を振りながら舞台袖の階段を下り、関係者以外立ち入り禁止の天幕の中に引き下がっていった。
彼女と入れ替わるかたちで撤収部隊が櫓の装飾やピアノを下ろす作業に取り掛かり、三年生の女生徒会長、前髪ぱっつんおかっぱつり目の居敷岳高子さんが観衆の熱気を冷ましてなるものかといった気配りで、次の演目の繋ぎを果たしている。
僕たちは演奏が終わってくつろいでいる玉響に会うため、動こうともしない人だかりをかき分けながら関係者用の天幕を目指した。
広々とした白い天幕の中は、慌しく準備に取り掛かっている人が目まぐるしく行き交っており、大小様々な道具類で溢れ返っていた。玉響は、ペットボトルのお茶を片手に扇風機の前で涼んでいる。
「萌、お疲れさん。さっきの演奏最高だったぞ」
彼女の周りをみんなで取り囲み、それぞれが労いの言葉を贈った。お礼の言葉を口にしながら、彼女が僕の反応を気にするような素振りをみせている。しかし僕はそれよりも気になることがあった。
「た、玉響その格好……」
演奏が終わってまだ10分と経っていないのにいつの間に着替えたのか、彼女は、胸元がばっちりと開いた妖艶なメイド姿になっていた。
玉響は上目遣いに僕を見て、
「あ、あの、翔くん。私、上手く、弾けたかな……」
「ああ、その……よかったと思うよ。うん」
翔子にすかさず頭を叩かれ、
「よかったじゃねーだろ! そこはその姿を見て一発で惚れました、だろーが!」
みんなが笑うなか慌てて取り繕おうとするが、勘違いした玉響が倒れそうになってポッキーとタマゴッチに支えられている。
そこで翔子が得意げな顔で、
「オメーラには言ってなかったが、萌はこれから俺が考案したメイド喫茶でご奉仕に向かう」
「はあ?」
翔子が以前メイド喫茶のなんたるかを説明してくれたことを思い出す。
客はご主人様と呼ばれて手厚く迎えられ、単なるコーヒーが、うめえ棒が100本も買える値段で提供され、銘打った品物を注文すると喜ばれるどころか逆に怒りだし、四つんばいにさせられてお尻を叩かれるという怪しげなお店。
玉響の豊満な胸元だけをいつまでも見続け、その格好になっている意味をいつまでも理解しようとしないポッキーたちに、翔子が概ねそのような説明を付け足した。
いったい誰がお尻を叩かれて喜ぶというのか。つくづく人間という生き物は愚かだと思い知らされる。
「君、バカじゃないの?」
「バカってこたーねえだろ。俺の計算だとこれで萌の人気が一気に高まる。そしたらオメー萌がどんどん遠くに行っちまうかもしれねーぞ? さて、超絶レア星7アフロディーテ排出ガチャ確率アップ課金待ったなしときた、さあどーする?」
玉響は、どういうことをするのか理解しているのだろうか。確実に翔子に洗脳されていると思う。翔子によって未来を大きく変えられた人物は玉響をおいて他にないだろう。
「ヨシ、時間だ萌! とっとと行ってオメーの力を存分に発揮してこい。俺たちはあとから行く」
「ああ、玉響ちょっと待って……翔子ッ! なんで君はそんな勝手なことばっかするの! 過去を改変するのは危険だって先生にあれほど口すっぱく、」
「いーじゃねーか、未来に帰る前にひと儲けしたってよー。それにそろそろそんな店が出てくる時期だ。見切り発射ぐれえで未来が変わるかっつーの。なあポッキー」
「よくわかんねえけど、未来の格好した女子がたくさんいるってことなら大賛成だ。おっとこうしちゃいられない」
とポッキーが手鏡を取り出してセットの乱れを確認する。
呆れた。本気で解散を考えるのはこんなときだと真剣に思う。
「お尻ペンペンとか萌え萌えパワー注入とか絶対にダメだからね! それにそんなことしても、おつけの実ほどの儲けもないに決まってんだから!」
そこで反抗すると思いきや、翔子はしょんぼりと下を向き、
「お、俺はただ……オメーとの思い出作りの資金を稼ごうと思ってただけなのに」
え……
「いつも言ってたよな、俺とあんなことやこんなことしたい、て……」
あんなことやこんなこと。
涙目からの上目遣いという悩殺コンボは、彼女の魅力を200パーセント以上引き出す最強の必殺技だった。どこでそんなことを覚えてきたのか。
「それでも、ダメぽ……?」
全身を雷に打たれたような衝撃が走り抜ける。
いつの間に、女らしさに磨きを掛けたのだろう。くりんとしたおぼこい目と両手を顎につけた仕草がめちゃくちゃかわいすぎる。しかしそのことよりも増して、翔子が僕が言っていたことをちゃんと考えてくれたことに感動した。
未来が変わってしまうことなんてもはやどうでもよかった。
「そ、そっか……そういうことなら仕方ないね」
「この気の変わり様、お前ぜんぜん成長してねえな」
ポッキーに、言葉のナイフで突き刺される。
「う、うるさいな、これは仕方ないことなんだ。未来は……そ、そのうち僕がなんとかするよ。そういうことだから……玉響、がんばって」
「か、翔くんがそう言ってくれるなら私がんばる!」
玉響が快活に返事をしたあと、翔子がコロリと態度を変え、
「クックック、いよーし、これでお代官さまのお墨付きをもらったも同然だ」
と悪そうな笑みを浮かべながら玉響に、
「萌、とうとうオメーの名の由来を示す時がきた……ミッションスタートだ! ぽわぽわきゅんきゅん萌えパワー注入で客のサイフから根こそぎ札束を奪って俺ンとこに持ってこいッ! ククク、これで俺は一夜にして億万長者だぐわーはっはっはっは」
「はい!」
笑いをばら撒く翔子の姿に天幕中の視線が集まる。
先ほど翔子が繰り出した演技が小芝居だと見抜いたのは、天幕を出てツーサイドアップの髪を棚引かせながら走り去る玉響の後姿を見たあとのことだった。
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