第七章 四つの力

どこまでも青く

 7月19日 月曜日 AM11:30


 一学期最後の全体朝礼が終わり、一学期最後の授業が終わり、そして一学期最後の試練ともいえるHRにて、山のような宿題となぜか5の多い通知表を渡され、チャイムが鳴っても終わらない田中の話を、委員長の鈴木がクラス全員の無言の圧力に屈し、泣き泣きながらそれに終止符を打った。


 快哉が叫ばれる。

 待ちに待った夏休みがやってきた瞬間だ。


 夏休みに入ってからの一週間、生徒たちの行動は、部活をする者とサマフェスに参加する者に分けられる。


 少数ではあるがそれ以外の生徒も祭りの準備係りとして参加することになるので、校内は、夏休みといえど開催日まで人波が絶えず流動し、教室内が生徒と地元ボランティアの手によって、喫茶店、お化け屋敷、展示室、映画館など、企画に応じた装飾を施されていく。

 校庭の装飾はさらに大掛かりで、教師、地元OB、協賛企業らの手によって、巨大櫓、宣伝用バルーン、打ち上げ花火用の装置、音響設備などが設置されていく予定である。


 露店などは敷地内外に問わず立ち並び、開催を待たずに営業をスタートさせるところもあるので、準備期間中にもかかわらずたくさんの人々が祭り前の雰囲気を味わおうと様子見に訪れる。宣伝費用をかけなくても当日たくさんの人で賑わうのは、そうした人たちによって広がる口コミ効果の賜物だ。


 まるで村おこしと言っても差し支えないこの大会は、朝永中学の学生たちだけのものではなく、町民、ひいては朝永市にとってのお祭りという要素が大きく、大手協賛企業によるプロモーションや、地元メディアによる取材や放映までもが決まっており、そんじょそこらの盆踊り大会とは一線を画している。つまりそのような中で催し物をするということは、何をするにしてもかなりの注目を集めることを意味し、俺たちのバンドがこの盆踊りに賭けるのも、そうした意味合いが強いのである。


 その俺たちは(細かく言えば翔たちだが)軽音楽部としてサマフェスのグランドフィナーレを飾る。これは軽音部だけに許された伝統なのだが、今年は一年がメンバー不足によって欠場するので、自分たちに与えられた時間は伸ばされ、期待はかなりのものになる。しかし、何をするにしても許可を取らなければならないのは、学校行事として行われるがゆえ、とはいうものの、肝心の顧問はブラバン兼任の名ばかりのユーレイ顧問で、俺たちの活動はほったらかしの状態だ。校内活動に限定されていることをいい事に、部費が絡む裁決を下すときにしか顔を出さないので、サマフェスでこんなことをする、と言えば大抵が通るようになっており、これから開催日までの間は好きなように活動できるのである。


 サマーフェステバルIN朝永中学まで、今日を合わせてあと7日。


 今日はこれから出演に向けての話し合いをする予定だが、その前に、翔の復帰についてみんなに筋を通さねばならなかった。


 ポッキーとの一件を一緒に謝罪し、メンバーとの絆を修復させるのが復帰への第一歩。


 翔と昨日のうちにそのことについて散々話し合い、覚悟は決めている。メンバーたち、そしてマネージャーの萌には、終業式が終わったあと旧校舎に集合するように伝えてあった。


「ヨウみんな、待たせちまったな。恒例の田中の話がまた長げーこと長げーこと、てか俺勝手にコンビ組まされてっけど大丈夫かな……オイ、なにしてンだ、オメーも入ってこいよ」


 教室の前で立ちつくしていた翔は、俺の言葉に背中を押される形で、遠慮気味な歩調で教室へと入ってきた。


 みんなの顔に動揺が走った。特にポッキーの驚きようは尋常ではなく、椅子にしていたアンプから腰を上げ、強い視線で翔を睨みつける。


 みんなには翔を連れてくることは言ってなかった。なぜならポッキーはボイコットする可能性が高かったし、みんなにもかえってヘンに意識させてしまうと思ったのであえてそうしたのだ。


「ミーティング前にワリィんだが、ちょっと先に言っておきてーことが……!」


 驚いたことに、翔が俺の紹介を待たず、ゆっくりとした足取りでポッキーに近づいていく。計画では一緒に頭を下げる予定だったのだが、いざ本番になって思い直したのだろうか、やがて彼の前で立ち止まり、目線を合わすが、すぐに逸らして下を向く。他の者はその様子を黙って見届けている。翔は暫く下を向いたままでいたが、恐る恐る面を上げ、


「ポッキー、この前は、その……ごめ、」


 そこでポッキーが、有無も言わさぬ拳で翔の顔面を殴りつけた。


 翔が部費で買い揃えたアンプやマイクスタンドを蹴散らし、窓際に積み上げられていた机の壁に背中から激突した。並べ立てられていた木の机や椅子が、仰向けになって倒れた翔の上に容赦なく崩れ落ちた。


 萌は両手で口を押さえて息を呑み、たまごっちたちが慌てて翔の元へ駆け出そうとするが、


「来ないで! ……こ、これは、僕が解決しなきゃならない、問題なんだ」


 俺は、翔の言葉に静止してしまった彼らの肩を叩き、黙って見届ける意味を込めて無言で首を振った。


 翔の言うとおり、これはコイツ自身の問題だ。ここで俺や仲間に頼ったら、また負い目を作る結果になってしまう。俺のアドバイスを反故にして独断で行動したのは、その意味を翔がしっかりと理解しているからだ。


 翔が、自分の上に散らかった椅子を払いのけ、ゆっくりと上半身を起こて口から滴る血を拭った。ポッキーは苛立たし気に翔を見下ろし、スプレーでキンキンに固めた自分の逆髪のごとく、刺々しい言葉を吐き捨てるようにこう言った。


「あんな啖呵まで切っといてただの一言で済まそうってのか? 相変わらずムカツク野郎だぜ……。俺たちが必死になって練習してたときお前は何してたんだよ? 俺たちが必死になって説得してた裏で、誰にも相談せずくよくよ独りよがって、それに甘えて拗ねてただけだろうが!」


 ポッキーの言い分は非の打ち所がない正論だ。リーダー不在の中、バンドを存続させた彼の功績は大きく、言葉に芯があって重い。


 しかし翔は、辛辣な言葉と鋭い視線を受けてもなお怯まず、対抗するように睨みつけながら彼の話を聞いている。


 これをどう乗り越えるかによって、翔の未来が決まる。


 俺はもう、翔の行動には最低限しか口出ししないと決めていた。目の前の出来事を、翔が選択した未来をただ見守るだけだ。


「なんだその目は? どーした、文句があるなら言ってみろよ。ハ、言えるわけねえよな。一年も腐った女みてえに内に閉じこもってたやつが、思ったことを口にするなんてできっこねえ。そうだ、この際だから言ってやるよ、俺はずっと前からお前がリーダーってことが気に食わなかった。自然とそうなっちまったもんは仕方ねえが、それももう終わりだ。復帰なんか絶対に認めるか!」


 翔が傷を負った背中を押さえながらゆっくりと立ち上がる。そして、再びポッキーに近づいていき、


 いきなり殴り返した。


 防御も取れぬまま顔面を殴打されたポッキーが反対側の机の壁に激しく突っ込み、教室中に騒音を撒き散らした。ポッキーは机の下敷きになってぐったりとしている。


「これでおあいこだ」


 翔は興奮を抑えるように深呼吸を繰り返し、


「みんなには悪いと思っている。けど、僕は、許しを乞うために謝りに来たんじゃない。これまでの自分とみんなにケジメをつけるために、僕は来た……」


 口から垂れてきた血を拭い、


「僕に許されることは償うこと。……だから、僕はギターで罪を償う。勝手だって思われるかもしれないけど、今は弾きたくて弾きたくて仕方がない。人の前で弾けるかどうかまだ不安だけど……でも決めたんだ! またみんなとバンドやるって、なにがなんでも絶対バンドやるって、ギターを弾くって決心した――だから、このバンドのギターは俺なんだッ!」


 翔の、未来を見据える視線の先には、一抹の迷いも感じられなかった。昨日まで子供だと思っていたのに、いつの間にか大人になっている。


 俺の知っている翔はもういないようだ。少し寂しい気もするけれど、それは、俺が望んだことだ。これでいい。時間は関係なく、きっかけさえ掴めれば、人はここまで成長するのだと、たった今コイツがそれを証明してくれた。


 萌が感涙にむせびながら手を叩き、他のメンバーたちもそれにならった。


 俺は、心が震えて止まらなかった。


「ヘッ、ダイヤモンドの魂ってやつがようやく入ってきたじゃねえか。よく覚えとけ、それがロックだ!」


 翔にそう言ってやると、こちらを見てぐっと親指を突き立ててきた。それはいらねンだっつーの、と突っ込んでやった。


 そして翔が、ポッキーの上に乗っかった机や椅子を取り払い、手を差し伸べる。


「ポッキー、長い間、心配かけてごめん。失った信頼は、これからギターで取り戻す。それに俺たちまだ……友達だろ?」


 翔はそう言ってぎこちない笑顔を彼に向けた。ポッキーは仰向けに倒れたまま、


「……ふん、勝手にしろ。ただし、今度わがまま言ったら、今度こそ絶交だからな」


 と言って、翔が差し伸べる手を握った。


「ありがとうポッキー!」


「だ、だからまだ認めてねえって言ったろ」


 翔が勢いよく彼の手を引っ張って起こし、抱きついて喜びを表した。ポッキーは口では離れろと言ってはいるが、顔は口ほどにモノを言う状態だ。それを見ていた他の仲間たちが彼らの周りに集まり、みんなにも迷惑をかけたね、と翔は今にも泣きだしそうな表情をぐっと堪えながら謝っている。萌が泣きながら笑い、栗ボーが「フ、今回の影の功労者を差し置いて友情ごっこか? ったく世話の焼ける」と鼻をすすり、タマゴッチが「ねえねえ、リーダーは誰がやるの?」と言ったところで、みんなの騒ぎが鳴りを潜めた。


 バンドのリーダー。

 先頭を切って方向性を決定付ける、バンドにとって必要不可欠な存在。


 俺はてっきりポッキーが名乗り上げるものだとばかり思っていたが、彼はうつむいたまま他の誰かの反応を待っている様子だ。翔はもちろん、他のみんなも同じだ。


 そこで少し間が開いたあと、翔がこう言った。


「ひとつ提案なんだけど……、翔子にしてもらうってのは、どうかな?」


「――なにいッ?」


 と、その発言に全員が度肝を抜かれるが、やがて俺以外のみんなが、そういう手があったか、と理解の色を示しはじめる。俺は自然とまとまりつつある空気に取り残された気分になり、


「ヘイヘイヘイちょっと待てよ、なんで俺がそんなことしなけりゃならねンだ!」


 するとポッキーが、


「俺も姉御なら異存ないぜ。今まで翔がいない時に練習に付き合ってくれたし、必死で俺たちをまとめようとしてくれたもんな。みんなもそう思うだろ?」


 翔が痛いところを突かれ、申し訳ありませんでした、と小さくなる。そこで栗ボーが、


「フ、今回ばかりはこの俺様も賛成の意を示してやる。だがひとつ忠告しておいてやるが、頭を張るのはそう簡単ではない、ナメてると火傷する……いて」


「16年前に経験済みだっつーの」


 俺の威圧に気圧された栗ボーが翔の後ろに逃げ込む。


 タマゴッチ、それに萌までが、


「シャコタンなら大丈夫だよ。僕らのバンドをいい方向に導いてくれそう」


「わ、私も賛成!」


 メンバーたちが揃って期待の目を俺に向けてくる。


「オメーにまでその名を轟かせていたのか。て、ガキのお守りをまだ俺にさせる気かヨ……」


 とは言ってみるものの、導いてほしい、という言葉に心が揺れる。


 事実、これは俺が変えようとしたのではなく、彼らが選択した未来だ。くしくも望んでいた方向へと、風向きが変わろうとしている。


 俺に限られた時間はあと僅か。


 みんなの風見鶏になってやるのも悪くない、と思いはじめてきた。


「翔子、ダメ……?」


 翔が小動物のていで上目遣いに駄目押ししてくる。


「チッ、たく、やりゃーいンだろやりゃー。けど先に言っとくが、俺に頭張らせようってンならそれなりの覚悟ってモンが必要だ。俺の指導はめっちゃくちゃスパルタだぞ? オメーラそれでもいいッてのかよ、アン?」


 みんなを値踏みするように睨みつける。しかし彼らは怯えるどころか、逆にかかってこいと言わんばかりの気概を俺に伝えてきた。


 久々に熱いものがこみあげてきた。

 俺にとっては、これが最後の夏休みとなる。残された時間を使って、こいつらを導いてやろう。


 どこまでも青い、こいつらを。


「言っとくけど俺は出場はしねぇからな、あくまで監督としてオメーラの面倒をみる。泣き言抜かすンじゃねーぞ、わかったかッ?」


 はじめて聞いたまとまりのある返事は、窓の外から聞こえてくる喧騒をかき消すほどの、芯のこもった力強いものだった。


 これでバンドがひとつにまとまった。俺の過去ではまとまることがなかった四つの力が、まとまってくれた。


 安定した癒しをみんなに提供し、和ましてくれるたまごっちは重力。時にリーダーを差し置いて突っ走ろうとするが、誰よりも仲間意識が強く、みんなを引きつける力があるポッキーは強い力。時折へんなことを言ってはみんなを呆れさせナルシズムに浸るムードメーカーの栗ボーは弱い力。おとなしながらも混沌としたバンドをまとめ、顔に似合わず激しいサウンドを生み出す翔はもちろん電磁気力だ。


 超大統一理論の完成も、そう遠くないのかもしれない。


 容赦なくギラギラと照りつける太陽。澄んだ空気分子が反射して鮮やかな青に染まる空。山を飲み込まんとしてそびえる真っ白な入道雲。そしてセミの鳴き声。


 あの頃は永遠だった夏休み。

 どこまでも続くと思っていた青春の輝きの中に、俺はいる。

 取り戻せなかった青春を、今、取り戻そう。

 過去で止まってしまった時間を、今、動かしてみよう。


 どこまでも続く熱い夏を、どこまでも続く青い夏を。

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