壊れる友情

 7月14日 水曜日 PM12:30


 試験の考査科目がすべて終わり、禿頭どじょう髭の担任田中のひとり芝居のようなホームルームも終わって、ようやく放課後が訪れた。


 活気のある喧騒のなか、さっそく帰途へつく者もいれば、午後からの部活動に嘆く者、前後の席でテストの答え合わせをする者など。俺は先ほど、仲のいい男女4人組からテスト終了の打ち上げにカラオケでもどうかと誘われたのだが、用事があると断った。


 残念そうにする彼らには悪いが俺にはやるべき事がたくさんある。未来に帰るための時空転移装置を作る手伝いもそうだし、翔をサマフェスに出演させるのもそうだし、萌えの気持ちを翔に向けさせねばならない。そして新たな問題として、親父と翔の仲を取り持つこともしなければならなくなった。数日前まではどうやって翔のトラウマを克服させるかを考えるだけでよかったのが、親父とケンカしたのが原因でさらにモチベーションが下がり、出場させることがより困難な状況になってしまった。サマフェス開催まで、今日を合わせて残り11日。どうにか出場するようにもっていかないと、俺のようにトラウマを引きずったまま未来へと進んでしまう。


 今日の予定は、午後3時に旧校舎に集合して、練習して、5時からドクを手伝うといった内容だ。幸い昨日から翔の様子がへんで、家にひとりでいるのを嫌がるだろうから、誘えば渋々ながらもついて来るはず、と俺はみているのだが、ドクの手伝いは行くとしてもバンドの練習となるとどうなのか……。


 とにかくここで考えてても何もはじまらない、と椅子を引きずり腰を上げ、翔と家に帰ろうとしたところ、教室の入口から俺を呼ぶ声が聞こえた。


「姉御」


 振り返るまでもなくポッキーと分かる。栗ボーとたまごっちは教室から出ていく生徒の邪魔にならないよう彼の後ろに控えている。遠慮して入ってこない様子だったので手招きして呼んでやると、翔があからさまに嫌な顔をした。中に入ってきた彼らもなんとなくそれに感づいて気まずそうにするが、とりわけポッキーだけはどこか決意じみた表情をしていた。


「おう、今日3時からだったよな」


 意図していなかった彼らの訪問をきっかけに、さりげなく今日の予定をすり込ませる。


 栗ボーとたまごっちがテストの出来具合を聞いてきたのを他所に、ポッキーがうつむいて座っている翔の元に行き、つっけんどんにこう言った。


「ブラックヘッド、お前も来るんだろ?」


 いきなりのことだったで俺も翔も戸惑いを覚える。栗ボーたちも驚いているということは、彼個人の意思で行動したという表れだ。多少感情が先立っているが、翔のことを友達だと思っているからこそ、こういった歯に衣着せぬ言葉が出せるのだろう。


 翔がその言葉に顔を上げ、


「……僕は、今それどころじゃ、」


「その言葉は聞き飽きたぜ? もう本格的に練習始めねえと間に合わねえ事くらいお前もよく知ってるだろ?」


「だから僕には深い事情があって、」


「フン、深い事情ね、じゃあ聞いてやるから言ってみろよ」


「い、言いたくない。これは僕だけの問題だから」


 再びうつむく翔。ポッキーはその姿を見かね、顔をしかめてため息をつき、


「俺たちじゃ話する気にもならないってか。前から思ってたんだけどさ、お前、俺たちのこと見下してるだろ」


「別に見下してなんか、」


「いーや見下してるね。その顔だよ。その顔がむかつくんだよ。自分ではどうにもならない事でグズグズ悩んで一年もバンドほったらかしやがって……お前仮にもこのバンドのリーダー張ってんだろ? この状況なんとも思わねえのかよ!」


 刺々しい雰囲気が一気に教室内に伝播し、残っていた連中の視線が彼らに向けられる。


 ――まずい、こういう展開は予想だにしなかった。止めないと、


「ポッキー、オメーもストレス溜まってンだな。実はあれから家の事情抱えちまってよ、翔も往生してたとこなんだ」


「家の事情? フン、なんだそんなことか」


 それは、いま翔に最も言ってはならない言葉だった。


 どんな事情も分からないポッキーにその程度と思われても仕方がないとは思う。だが、ガラス細工のような翔の心は些細で、軽んじられたと他人を拒絶し、不甲斐ない自分を勝手に妄想して自分を自分で傷つけてしまう。しまった、その事を彼らに最初に言っておくべきだったか。


 ――いや、それじゃだめだ。


 ポッキーにとってもそれは同じことで、彼は一年もの間ほったらかしにされたバンドを曲りなりにもまとめてきたプライドがある。彼の抱えている事情も知らないくせに、これ以上翔だけを特別扱いするのはいたずらに彼を傷つけてしまうことになりかねない。


 翔は親父のときと同じように激昂し、椅子を跳ね飛ばす勢いで立ち上がり、


「僕の気持ちも知らないで適当なこと言わないでよ!」


 ポッキーは思いもよらなかったその反応に一瞬だけ怯むが、同じように睨み返し、


「適当も何も俺から見ればそれくらいのことだ! 俺たちになんの相談もせず勝手に塞ぎこんで悲劇のヒーロー気取りやがって。いま一番大事なのはライブのことだろ? 我慢してお前を待ってる俺たちほったらかしてハンパなことしてんじゃねえ!」


 ポッキーが言ったことは正論だ。

 彼は今、最も注力しなければならないことをしっかりと理解している。責任感の強い彼のことだ、バンドの要であるギターが抜けた事を誰よりも責任に感じているに違いない。


「ぼ、僕が誰に相談しようと勝手じゃないか!」


「お前それでも友達かよッ!」


 ぶち切れたポッキーが机越しに翔の胸倉を引き寄せる。翔も同じように胸倉を掴み返し、殴り合いがはじまろうとしたところで、栗ボーとたまごっちが必死になって二人を背中から押さえ込む。騒然とする教室内に残っていた連中も唖然としてこの状況を見ている。もはや翔たちの目には親の仇にしか映っておらず、鎖に繋がれた猛犬のように前のめりになり、怒りを漲らせ互いを恨み殺すような言葉を応酬させた。栗ボーとタマゴッチも、落ち着け、やめろと、彼らの恨み節を覆いかぶすように負けじと声を張り上げる。クラスの連中が、おい誰か呼んだほうがいいんじゃないかとざわめきはじめた。


「いい加減にしろ!」


 二人の間に入り、押しのけるようにして無理やり引き離した。タマゴッチは翔を、栗ボーは身長が足りないので誰かの机に乗りながらポッキーを後ろから羽交い絞めにして、彼らが最悪の行動をとらぬよう、必死になって押さえ込んだ。


 二人はそれでも取っ組み合いをはじめようと身を乗り出そうとするが、やがて動きを止めて椅子に座り、肩で息を整えながら落ち着こうとした。もう手を離しても大丈夫と感じ取った栗ボーたちはその場にへたり込み、額の汗を拭いながら細長いため息をついた。


 俺は事なきを得たとみて、クラスの連中に口止めしてから教室から出てもらった。椅子に座ってうなだれているポッキーのところまで戻り、翔の代わりに詫びを入れ、3時には俺ひとりでいくと告げ、彼らにも先に教室を出てもらうことにした。


 彼ら三人組が教室を出ようとしたところ、ポッキーがやおら振り返り、


「一年考えて直らないならこれから先もずっとそのまんまだ。一生考え続けてあとで後悔してもしらねえからな!」


「僕がどうしようと関係ないだろ!」


「関係ないってどの口が言ってんだ!」


 最後に収まりのつなかなかった感情を爆発させたポッキーが、翔の買い言葉に再び食い掛かろうとするが、二人に止められながらあえなく教室を出ていく。


 俺のときはこんな風にならなかったが、ポッキーの言葉が自分に向けられていたような気がして、あの頃の彼は当時こんな風に考えていたのかと思うと胸が痛む。当時犯した大罪が今でも俺を苦しめている。俺は、彼らを無下にした十字架を一生背負って生きていかなければならないのだろうか……


 ――違う、そうじゃない。


 俺は未来に帰って彼らに謝罪する。許してもらえないかもしれないが、謝ることで過去にケリをつけ、前に進む。だから翔が言われたことで俺がいちいち傷つくのはよそう。今は翔にどう立ち直ってもらうかを模索することに、頭を悩ませるときだ。


 静寂に包まれた昼下がり、窓から差し込む太陽の光が教室に斜めの影を作り、きれいなコントラストを生みだしている。廊下を通り過ぎる生徒たちの会話は聞こえど、ふたりぼっちの教室は依然として静かで、何も言わずいたずらに時間だけが過ぎていく。


 翔が静かに嗚咽を漏らしはじめる。俺は無言で翔の肩に手を置いた。


 アブラゼミの声が聞こえる。

 窓から入りこむ生ぬるい風がそっとカーテンを揺らした。

 彼らの青い夏は、まだ、はじまったばかりだ。

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