僕を知ってる謎の美少女

「ただいまぁ~」


 家に着くと、すぐさま自室のある二階へと向かった。

 部屋の前に立ち、恐る恐る扉をノックしてみる。が、返事はない。まだ寝ているらしい。小声で失礼しますとつぶやきながらそっとドアを開ける。


 当然のごとく中は暗かった。

 手探りで蛍光灯の紐を手繰り寄せて引っ張ると、点灯管がまたたき部屋の中があっという間に光で満たされる。軽い眩暈めまいを覚えながら二段ベッドの下を見ると、彼女は静かな寝息を立てながら眠っていた。


「まだ眠ってる……」


 昨日の朝、この家に全裸で現れ「俺はお前だ」と意味のわからないことを必死に訴え、洗面所の中で昏倒してしまった謎の美少女。

 彼女の生まれたての姿が脳裏をかすめる。


「女の人の裸を生で見るなんて、小学生の頃ママとお風呂に入った時以来だ。胸大きかったなぁ……ぐふふ。うわ、ヘンなこと想像しちゃった」


「ん……ンン……」


「わ、起きた? ……なんだ寝言か」


 現時刻は午後6時。それにしてもよく眠る子だと思う。もう丸二日寝ているようなものだ。このまま起きないつもりだろうか。

 ベッドの手すりに顔を預けるように置いて座り、彼女の寝顔を見つめる。


「ちょっとだけ、ママに似てる気がする……」


 長くて綺麗な黒髪。白くなめらかな素肌。

 部屋にいるあいだ勉強もしないでずっと見てるけど、ほんとに美人だと思う。しかし上には上がいるもので、そんじょそこらの女子よりは段違いなのは認めるけど、学校中の男子を虜にしてる麗しの天使、玉響たまゆらもえには及ばない。好みの問題かもしれないけれど、やはり僕の中で断然一位は玉響をおいて他にいない。


「ひょっとして玉響がいなければ君に一目惚れしてたかも。フフ、ありえない話だけどね」


「んん~……お、お袋か?」


 どうやら今度こそお目覚めのようだ。少し緊張する。だらしなく開かれた口元から今にも涎が垂れてきそうだ。彼女が、母親と勘違いしたまま僕に喋り続ける。


「なんかヒデー夢見ちまったゼ……。お袋も親父も若ンだ。そんでもってチンチクリンの俺がいてさぁ。こともあろうに、そいつが女になった俺の裸をAV女優でもみるような盛った目で見てくンだぜ……へへへ」


 思わずムッときて、


「僕は盛ってなんかないやい! ……あ」


 彼女がその一言で反射的に目を開き、やがて、視線をこちらに向け、まばたきもせずジッと見つめてくる。そこで、いきなり上半身を起こし、二段ベッドの天井に苛烈に頭をぶつけた。


「イテテテ……」


 彼女はおでこをさすりながら「チックッショー。なんでこんな所に天井があンだよ」と、警戒しながら今度はゆっくりと体を起こした。そして、なぜか睨みつけるように僕を見て舌を鳴らし、


「オメーがいるってことは、ありゃ夢じゃなかったってことか……。オイ、下の名前もういっぺん言ってみろ」


 見た目よりも少し大人びた声はクリアなハスキーボイス。バンドのボーカルをさせたら栄える声だ。


「あの、さっきすごい音したけど、頭大丈夫?」


 彼女は殊更に目力を強め、


「寝起きでイライラさせンじゃねーよ、とっとと名前言え、つってンだろが」


 上から目線の物言いに一瞬気圧されるが、自分が男であることを思い出し、強めの口調で答える。


「か、翔だよ。それがどうかしたの?」


「チッ、やっぱそうか。なんかメンドくせー事になってンな……夢じゃねえってことは、つまりここは過去ってことか? なんでだ? そうだ、オイ今いつだ? 何年の何月何日?」


 記憶をなくしてどこかの病院から脱走中、なのだろうか。だとすると意味不明なこれらの言動も裸だったことにも説明がつく。


「今は、1999年、7月8日だよ」


 すると彼女は「きゅーじゅーきゅーねんだとー!?」と奇声を上げて、ふたたび天井に激しく頭をぶつけた。この子は天然だと思う。


 彼女は「だからなんでここに天井があんだチクショー」と二段ベッドの天井に悪態をつき、そのまま左手で指折り数えながら独りごちる。


「13、14、15……チッ、中二の頃まで遡ってやがる。まてよ、コイツがいるってことは過去に来たってことか? うーわマジか。……ん、あれ? たしかあの晩6日だったよな、てこたー着いたのが翌朝で……俺丸2日寝てたのかッ!?」


「え? 僕に言ったの?」


「オメーしかいねえだろうが!」


「そ、そうだよ。細かく言うと一日半だけどね。てゆかさ、君さっきから驚いてばかりだよね」


「テメー、ナメた口利いてンと、ぶっ殺すぞ」


 昨日は気が動転してたから気にも留めなかったけど、この子、美少女のくせにめちゃくちゃ口が悪い。まるで恋人の嫌な部分を見て幻滅するような気分だ。

 彼女はまた一転、再び頭を抱えて悩みだし、


「七夕に過去の自分に会うとか冗談にもほどがあンぞ。あん時過去に戻りてえとか思っちまったのが仇になったのか……あ、思い出した。あの球ッコロだ! アイツに引きずり込まれちまったせいでこんな目に遭ってンだ! クッソ今度見つけたらタダじゃおかねえ……しかも若気の至りでついあんな呪文まで口走っちまった。ひょっとしてあれがトドメに? けどあの呪文ルーラ系じゃなかったよな……」


 青くなったり赤くなったり、なんだかひとり芝居を見ているようで、気を抜けば吹き出しそうになってしまう。それはそうと彼女の一方的な独白の中に、僕の琴線に触れる事柄があった。


「ねぇ、今言ったのドラネコクエストの呪文?」


「はあ? だからなんだってンだ。いや待てよ、あの呪文が発動したってことは俺も晴れて魔法が使えるように――」


「君もドラクエ好きなんだね! 僕も大ファンなんだよ。来年発売予定のセブンがもう待ち遠しくて仕方が、」


「イチイチ口はさんでくンじゃねえ! 本気でヤキ入れンぞ」


「うう……せっかく共通の趣味だと思って話題づくりしてるのに酷いよ」


 見ず知らずの女の子になんでそこまで言われなければならないのか。美少女はみなこういうものなのだろうか。ひょっとして玉響も……


「わかンねえ。てかなんでまた俺は女になってンだ……」


 彼女はそう言いながら、自分の手足を不思議そうに眺めたり、パジャマの中を見て胸がでかいと驚いている。昨日から気になっている事を聞いてみた。


「あの……君は一体誰なの?」


 そこで彼女は僕に向き直り、あたかもそう答えるのが当然のような冷ややかな目つきでこう言った。


「俺はお前だ」


 昨日と同じ言葉だ。どう返していいのか分からない。


 彼女はベッドから乗り出すように大人びた顔を僕に近づけ、


「フン、にわかに信じ難てぇ話だが、俺は未来からきたお前だ。何でこーなったのかは説明できねーが、どーいう訳か過去にタイムスリップしやがったンだ」


 昨日未明、精神病棟から全裸で脱走した少女の行方がいまだ判明しておらず、新たに警察官50名を動員しての捜索が今朝開始されました。警察は現場周辺住民の目撃情報などから、支離滅裂な言動を吐きながら北上したとみており、警察庁は明日未明までに発見できない場合、自衛隊を派遣する方針を固めました。


「あの、正直に答えて。どこの病院から抜け出してきたの?」


「はあ? ワケわかんねーこと言ってンじゃねえ。俺の話が信じられねーのかよ?」


「じゃあ訊くけど、僕は男なのになんで君は女の子なの?」


 彼女は痛い所を突かれたらしく、髪の毛を無造作にかきむしり、


「ンなこと俺が知るかッ! とにかくここに着いたら女になってたんだ。嘘じゃねえー! 今から16年後の未来からやってきた、時生翔齢30歳の独身ヒキニー……あっと、これはオメーには関係ねーな。ま、追々分かることよ、遠い未来でな」


 最後にお茶を濁すところが実に怪しい。絶対嘘だと思う。


「完全に僕をからかってるよね? バカにしないでよ!」


「嘘じゃねえつってンだろーが! それはともかくオメーのそのナヨナヨした女口調はどーにかなンねえのか? なんかオメー見てっとイーッてくンだよな。つーか俺こんなべしゃり方だったかなァ……客観的に聞くと我ながらキモすぎンぜ」 


「僕は気持ち悪くないよ! そこまで言うなら、未来から来た証拠を見せてよッ」


「クッ、ガキのクセにナマ言いやがってえ……チッ、まぁ物的証拠はねーが、そこまで言うなら教えてやるよ。俺が俺である証拠ってヤツをなぁ」


 彼女はそう言って、狙った獲物を取り逃がさんとばかりの笑みを浮かべ、僕に証拠とやらを語りはじめる。


「俺たちの過去に共通する話だ。まずお前は犬嫌いだ。なぜかと言うと保育園の時に近所の買い犬に右足を噛まれてトラウマになったからだ。んでその左肘の傷。小6の頃、ダチん家帰り無灯火でチャリ転がしてバチが当たって骨折した手術痕だ」


 と一旦区切り、パジャマを腕捲りして左肘を見せてくる。すかさず同じように腕を捲り、その傷跡と照合した。寸分の狂いもなく僕のと同じだ。


 そんなバカな……


「まだあンぞ。オメーの初恋の女は玉響萌。小5の時同じ飼育委員に選ばれ、一緒にうさぎの世話をしているうちになんとなく好きという感情が芽生えたのが原因だ。で中1の時、毎年夏休みに開催されるサマフェスの晩、当時お前が所属していた軽音部の演奏のあと玉響に告白しようとするが、あのにっくき鳴神なるがみのヤローに邪魔されたのが原因で告白するチャンスを失った。しかもそれがきっかけでアイツにイジメられるときた。さらにその後、クラスのホームルームで「自分の夢は何か?」というアンケートを真剣に答えたら、クソ担任に笑われもっと現実を見ろってみんなの前で言われたのがショックで人前でギターを弾けなくなった。小学ン頃、親から買ってもらった赤のグレコギターでコツコツ研鑽してきたのにも関わらずギタリストになる夢を捨てちまった理由がそれだ。チッ、思い出すだけでムカムカすンぜ。どーだ?」


 当たっている。どうやって調べたのだろう。


 細かくいえば随所に若干の違いはあれど、限りなくパーフェクトに近い情報の正確さだ。こんな情報を、昨日会ったばかりの正体不明の女の子が知ってるなんて絶対にあり得ない。


 ――本当に未来から来た僕なの?


 僕が二の句を継げずにいると、彼女が薄緑色のパジャマの襟首を下げ、


「フン、この左胸の真上にあるホクロよく見ろ。身体検査のたンびにビーチクが三つあるってバカにされてただろ? バンドメンバーにもブラックヘッドっつーあだ名を付けられたもんなァヘヘヘ。どーだ、これで信じる気になったか……ん? うわああっテメー俺の胸勝手に見ンじゃねえ!」


「わっ、あの、ごめんなさい!」


 咄嗟に顔を下げて謝罪する。


 ――いや冷静に考えてみると、これって僕のせいなの?


 彼女は谷間を隠しながら「女になったことだけは説明できねンだが」と最も謎の部分を残して話を終える。


 この自分の過去とは思えない話を聞いてひとつ思ったことがある。この子には、根拠のない説得力のようなものがある。彼女が語っているときのひたむきさ、眼差し、そして言葉遣い、どれをとっても嘘を言っているようには思えなかった。もしも、僕の人生の中でたった一度だけ不思議なことが起こるとしたら、多分、この状況をおいて他にはないだろう。


「にわかに信じ難い話だけれど、全部君の言う通りだったよ。だから、信じることにしてみる」


 その言葉を聞いて彼女が安堵のため息を漏らす。


「でもさー、過去に何の用事があってきたの?」


 本日二つ目の疑問に、彼女は再び窮し、悩み抜いた末にこう言った。


「事故っつーか、意図的にここに来たんじゃ……そうだ、ドクだったらこの説明つかねー事象に納得のいく答えを見い出せるかもしれねえ! 翔、ドクに会わせてくれ」


「ど、ドクって誰?」


「あーこン時はまだそんな呼び方してなかったか。トリセンだよ。あやしーモンばっか作って大学追ン出された物理バカ、鳥野とりの流二りゅうじ先生様のことだ」


「先生のことか。なんでドクなの?」


「フン、この時代のアイツは研究バカの単なるやさぐれ教師だが、未来のあいつは誰もが敬う物理学者様だ。ドクター博士でドク。ま、俺が勝手につけたあだ名だ」


 先生のことまで知っている。未来人という真実味がさらに増した。


「でも、どうやって会いに行くの? 君もご存知の通り、先生、授業以外は大体離れの旧校舎にいるんだ。休日に会いに行くにしても一応校内だし、勝手に部外者入れたら僕の内申に響い――」


 彼女は僕の言い分を最後まで聞かず、美少女とは思えない仕草で布団を叩きバカ笑いをぶちまけた。


「ブワハハハッ。オメー俺のクセに中々トンチの利いたギャグ持ってンじゃねーか。バカが内申とか気にしてンじゃ――痛ッ」


 ぶってやった。


 こっちが真剣に考えているのに馬鹿にしたからだ。もちろん軽く。それも子犬の甘噛み程度に軽くだ。その証拠に、ぺちという軽い音しかしなかったし、右手に毛ほどの衝撃も感じない。


「僕のこと貶した罰だよ。次バカって言ったら左の頬もブツよ。わかった?」


 彼女が右の頬に手をあて、長くて綺麗な黒髪を下に垂らして震えている。反省して泣いているのだろうか。いくら未来の僕とはいえ、今はか弱い女の子。いきすぎた自分の行動に反省しつつ、謝ろうとするが、


「て、テんメェー……俺様に手え出すとはいい度胸してンじゃねーかァ!」


 と怒りに声を震わせながら顔を上げ「んな気風があンなら鳴神如きにビビってンじゃねー!」と言ってベッドから躍り出て僕の頭にヘッドロックをかけた。


「苦じ、ちょ、放して、って胸が、胸が当たってる、」


 結果的に言えば僕の胸になるのだけれど、女子と密着したときに感じる柔らかい感触と甘い匂いはたとえ難いものがあった。


「ウルセー! 減るモンじゃねぇからいンだよこの変態小僧!」


「さっき隠したじゃないかー」


「それとこれとは別なンだよ! そーだ、罰としてテメーの大好きなドラクエのネタバレしてやるヨ。俺のいた2015年の未来じゃシリーズもとうとう10作目を超えて、来年には11作目が出るンだぜ?」


「ネタバレって未来の言葉? ダメ、言わないで!」


「まだあるぜ、オメーが楽しみにしてる7作目だがなあ、ニャンテンドー以外のゲーム機のために開発された初のナンバリングタイトルになる。ついでに言っとくと、ピーステは今4まで出ているガハハッ」


「これ以上僕の夢を壊さないでーッ!」


 兄弟喧嘩のように彼女とドタバタやってると、


「あら、あなたたち。随分と仲良くなったのね」


「ママ、見てないでこの子止めてよ」


 もがけばもがくほど首をきつく絞められる。苦しくてとても息が出来ない。けど背中に当たる二つの柔らかい感触が気持ちよくて、ずっとこのままでいたい気もした。本気で殺されるのかもしれない。


「テメー、お袋のことまだママって呼んでンのか、このマザコンが!」


「母さん、僕本気で殺される。助けなくていいの?」


「はいはい、それくらいにしなさい二人とも。晩御飯できたから早く下りて来なさい」


 とだけ言ってサッサと二階から下りてしまった。


 玉響が天使なら、彼女は差し詰め、グレて不良になった堕天使だ。もう頭を何回小突かれたのかわからない。でもこういうのって、なんだかすごく楽しい。


 兄弟みたいで、すごく楽しい。


 未来の僕だと断言する口さがない黒髪の美少女。話を聞く限りでは、元は男だと言ってるけれど、近い将来、僕も女になってグレるということなのだうか。


 それだけはご免こうむりたいと、首を絞められながらそう思うのである。

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