過去に戻る方法
PM9:05
自宅を出てたどり着いたのは、歳天満宮という八幡造りの神社。菅原道真を主神として祭る歴史深いこの神社は、俺の気が置けない唯一の空間であり、事あるごとにいつも足を運んでいる場所だ。
石造りの鳥居をくぐり抜け、石畳が敷き詰められた参道の中央で、ふと足を止める。
誰もいない境内に響き渡る虫の声。参拝客のために残された神秘的な拝殿の灯り。境内の神聖な空気が火照った身と心を冷ましてくれる。額から滴り落ちる汗を拭いながら、杉のフレーム越しに夜空を見上げた。
「あー、やっぱここが一等落ち着けるよな」
中途半端な田舎町のせいで満天とはいかないが、ぽつぽつとした光の中に一際輝く星が見える。ここからあの
「ひょっとすると、この宇宙のどこかに誰か住んでいて、俺と同じように、あの星を眺めてたりするヤツとかいンのかな……」
――エヴェレットの解釈だと、多元宇宙は存在する。
ドクが教えてくれた量子力学の解釈のひとつ。波動関数は収縮せず、すべての状態は重ねあっており、その分だけ世界が存在するという理論。
「もしそんな世界があンなら、あの星に行ける俺が並行に存在してて、そしてそいつは多分俺とは違って、人生謳歌してたりするんだろうなー。カーッ、たくやってらンねえぜ」
参道を進み、拝殿に上がる手前の石造りの階段に腰を下ろした。程なくして心が落ち着いてきた頃に、何の罪もないお袋にすげなくあたった事を後悔する。
「完全に八つ当たりだ。いい年コイてほんっとに情けねえな俺は。いつからこんなクズ野郎に成り下がっちまったンだ……」
冷静に考えてみれば会社も親も悪くない。悪いのは、未来の選択肢を誤り続けた俺自身。
「やっぱあン頃だろうなぁ、人生狂ったの……ク、こうなっちまったのも、全部あの先公が発端だ」
中学一年の時の担任、
『夢みたいな夢をみてないで勉強でもしろ』
ギタリストになる夢をクラス全員の前で否定され、笑われたあの事件。俺はあの一言で人前でギターを弾けなくなってしまい、中二のときに仲間の説得を無視して軽音部を辞めた。その結果、当時片思いしていた
そのせいで勉強はおろか何も手につかず、馬鹿な高校に進学してしまい、周りの影響のせいであっという間にグレて親父とケンカして、気づいた頃にはもう何もかもが手遅れの状態だった。人生の転換期に選択を誤らなければ、今頃俺は、こんな人生を歩まずに済んだのかもしれない。
「ハァ、人生やり直すことができたらな……」
そんなことができたら迷わずあの頃に戻る。
人生の転換期。中学二年の夏。
「過去に戻ることができたら間違いなくあの頃に戻って後悔の元をことごとく断つ! そしたら
――ッ!
閃いた次の瞬間、ジーパンのポケットからスマホを取り出した。
〝過去に戻る方法〟
パッと思いついた後ろ向きな言葉だが、誰もが一度は憧れる言葉のはず。文字通りの方法があるとしたらこの箱の中だ。検索結果のトップに躍り出たサイトをすかさずタップする。
スレタイ
“人生マジでやり直したい5秒前。過去に戻る方法知ってるやついたらあげてけ”
「ブッフウウウウウッて、さっそく俺みたいなやつがいやがった。レス数523に話題度もそこそこか、カーッ、やっぱ頼みは3チャンだぜ。どれどれ」
『白神陀の術』
『>2 やりかたkwsk』
『本術は仏滅を迎える日に行う。部屋の四隅に蝋燭を立てて火を点け、準備が整えば部屋の中央に正座で座り、戻りたい年月と日にちを書いた赤い蝋燭を用意して、2時22分22秒丁度に火を点け目を閉じ呼吸を止めて待つ』
「オイオイ、呪文より真実味があるんじゃねーのかコレ? しまった、最初にこれ見ときゃよかったな……」
つらつらとその方法に纏わるやり取りが続いた。
『最後に、この術に成功して過去に戻ったとき、自分の存在意義を試される大事件に3回巻き込まれることになる。それを回避しなければ未来に戻ることができない』
「やたら詳しいじゃねーか、こいつ経験者かな。でも俺にはちょっとハードルたけーかな」
と感心しつつ、再び液晶画面をなぞっていく。
『リスク高いけどやってみるわ。とにかく戻りてー』
『帰ってきたら報告よろ』
『戻れないって分ってるのに、戻れる気がするんだよねー』
『もっと簡単に戻る方法ないの? TPDDとか持ってない?』
『小5辺りに戻って絶対真面目に勉強する』
議論はまだまだ続いていた。個々の情報を持ち寄り、体験談を語るといった展開で大いに盛り上がっている。
『夢からタイムリープする方法があるらしい』
『滝に打たれながら過去に戻りたいって強く念じるとかどう? 極限状態になると人間て思わぬ力とか発揮するじゃん』
『理論上は光りよりも早く動くことができれば過去に戻れるって話を聞いたことがある』
『今の記憶を残したまま戻ることできる?』
『過去に戻るってことはこの世の全ての物理的変化を元に戻すってことだ。自分の記憶だけそのままなんて都合がよすぎる』
『今の記憶を所持しつつ同じ世界線の過去の俺に戻りたいんだ』
『禿同。違う世界線では違う自分がすでに存在しているので無意味』
一通り読み終えて、ため息をつく。
「なんつーか、チョット違うな。もっとこう……」
実際、それらの内容を読んで心が躍ったし、過去に行って戻ってきたやつの体験談はリアリティに富んだものばかりだった。しかし、どれも矛盾が多かった。否定派がそこを突き、肯定派は論破されそうになると消え、決定的な証拠を提示せずにうやむやにして終わらすパターンがほとんどだったのだ。
「ハハ、ちょっとマジになりすぎたかな」
よくよく考えてみると、そんな都合のいい方法なんてあるわけがない。しかし、みんなの本音とも読み取れる書き込みを読んでるうちに、ひとつだけ気づかされたことがある。
人生をまだ、あきらめていない。
詭弁かも知れないが「過去に戻って人生をやり直したい」という言葉は後ろ向きであると同時に、前を向くための言葉でもある。
何もかも満たされてる人間からすれば、甘えとか、都合がいいとか、もっと努力しろとか言われるのかもしれないが、しかし、そのような考え方をする人間の
と、そこまで考えた途端、なぜか笑いが込み上げてきた。
「て、ニートの俺が言っても説得力ねぇか……うっし! もう考えるのはヤメだ。明日から気合い入れて次の仕事でも探すか」
腰を上げ、帰ろうとしたところで突然、地中で何かが炸裂したような轟音が響いた。少し遅れて辺りが縦に揺れはじめ、震動が右肩上がりに上昇していく。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……
「うおっ、何だ、地震か!?」
あまりの激しさに、拝殿に奉納されていた天井絵が次から次へと落下し、石灯籠の傘が落ちて粉々に砕け、灯された明かりがすべて消え失せ、辺りが闇に包まれる。
「オイオイオイ、こりゃ相当ヤベえぞ」
暗がりに目が慣れはじめたその時だった。参道の中央に、ぽつねんとした小さな光源が現れた。
――ッ!?
光り輝くその球体は、現れた当初はテニスボールほどの小さなものだったが、徐々に膨らみはじめると共に光の強度を増し、辺りが真昼のように白じんでいく。
「何なんだよアレは? なんであんなモンが急に……」
謎の球体はマンホールほどの大きさになったところで肥大化が止まり、光源の影響範囲ともいえる光が俺の足先に触れた瞬間、まるで何者かに足を引っ掛けられたかのように転倒させられ、体が得体の知れない力によって球体に引き寄せられていった。
「クッソ、一体なにがどうなってやがる!」
打ちつけた後頭部を押さえる暇などなく、やっとのことでうつ伏せになり、石畳の継ぎ目に爪を引っ掛け謎の力に抵抗した。しかし、球体の予想を超える力に抵抗ままならず引きずられていき、あれよと言う間に彼我の距離手前約2メートルとなった。
「ダメだ、このままじゃ……お、オイ、俺のTシャツに何しやがる!」
そこでまた別の意味不明な力が加わり、あれよという間にTシャツが引き裂かれ、光源の外に向かって飛ばされてしまった。そして同時に俺は、光源の影響範囲の外で、驚愕的な現象を目の当たりにした。
落下で損壊した瓦や柱の木片が宙に浮いていた。まるでそこだけ時間が止まったように浮いているのだ。
「この範囲一帯の物理法則がまるでデタラメじゃねぇか! これも全部あの球ッコロのせいだってのか!」
光源の威力が増大し、引き寄せる力が更に増した。あらん限りの力をもってそれに抵抗した。何本かの割れた爪の先から血が流れ、石畳に赤い花を散らせた。
そしてついに、地球では観測し得ぬその力が、俺の穴あきジーンズを不純物に指定した。
「クッ、ここでストリップさせて、ビックリするほどユートピアって踊らせようって気かこのヘンタイ野郎! 何が何でも踊ってやんねーかンな!」
頑丈な布がビリビリと音を立て引き裂かれていった。初任給で買ったCショックが、履き潰された白黒のコンバースが、五足千円のシモムラの黒い靴下までもが我が身より引き剥がされ、そして半分以上裂かれたジーンズのポケットから、ハンカチが飛び出そうとしていた。
咄嗟に掴み取った。
「させるかあッ!」
その行為と引き換えに、剥ぎ取られたジーンズが光源の外に向かって飛ばされていった。とうとう生まれたままの姿にされてしまった。今や謎の球体に抗うのは片腕だけとなってしまった。
「全部オメーの思惑通りに事が運ぶかっての。ヘッ、ザマーミロってンだ……」
このハンカチは中学の頃お袋が誕生日にくれた代物だ。赤い糸で俺のイニシャルが縫ってある、世界でたったひとつの白いハンカチだ。所々ほつれが目立ち、生地もベージュがかって古くなっているが、お守り代わりとしてずっと持ち歩いてきた。これさえあれば、あとはどうなってもかまわない。
石畳の継ぎ目に食い込ませた右手の中指と人差し指の爪に、ヒビが入った。もうこれ以上はもたないだろう。
「チッ、どんな目に遭おうが、これだけは絶対ッ、」
爪が真っ二つに割れた瞬間、死を覚悟してハンカチを胸にかき抱いた。
「渡して、たまるかああああッ!」
体が光球の中へと吸い込まれる。
――お袋、元気でな。
もはや抗おうとせず、引き寄せる力のままに身を委ねた。
ある程度時間が経過したあと、意識がまだ自分の中に残っていることに気づいた。ゆっくりと目を開けてみた。そこには、衝撃的な空間が広がっていた。
「何だよ、ここ……」
一点の曇りもない白だけに支配された絶世界が、目の前に広がっていたのだ。耳鳴りがするくらいの無音状態に、不思議と心が穏やかになっていく。
「ひょっとして、これが死後の世界ってやつか? つまりここは賽の河原ってか?」
平衡感覚は失われていたが、相変わらずどこかに引き寄せられているということだけは認識できた。が、上に向かっているのか、落下しているのかは説明できない。
そこで俺は、なぜかあの本の155ページ目に記されていたある呪文のことを、ふと思い出した。
「ヘッ、なんだ唱えろってか? いーぜ、やってやろうじゃねえか、やられっぱなしも癪だかンなぁ」
多分、今ここでそれを唱えても意味のないことだ。けれど、このような在り得ない世界が存在する様を見せられてもなお――
「俺は大人でいられねえってンだ! おい閻魔! 今から三途の川渡ってそっち行っから首を洗って待ってやがれ! リーテ・ラトバリタ・ウルス・アリアロス・バル・ネトリールぅぅぅ――……」
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