第6話
四限目の終わりを告げるチャイムが鳴ったと同時に教室内は活気を取り戻していく。
所々から「疲れたー」や「早く購買に行こうぜ」など、クラスメイトの明るい声が教室内を駆け巡り、唯一の楽しみとも言える時間が幕を開けた。仲の良い者同士で席をくっつけ楽しそうに昼食をとる彼女らとは違い、俺は自分の机に上半身をべたーと預けながら深いため息を一つ吐き出す。いつもなら即座に弁当箱を開け空腹を満たすところなのだが、今日は朝からまったくと言って良いほど食欲が湧かない。
ーーその原因は他でもない。
ミラ達に預けた美鈴の事が気になって、何も喉を通らないのだ。
「はぁ......あいつら本当に大丈夫かな?」
目の前の空席に向かって、俺は胸の内を吐き出した。
一応家を出る前に再度美鈴の世話の仕方を教え、メモまで残してきたから大丈夫だとは思うが、それにしても依然として心を取り巻くモヤモヤは消えてはくれない。
まだ、昨日のミラの不可思議な行動が忘れられないのだ。
俺はぐっと目を閉じ、昨日の騒動を思い出す。
なぜミラはいきなり自分の指を包丁で刺したんだ?あんな事をすれば、ケガをする事くらい分かっているはずなのに......。そんな疑問が昨日からずっと頭を離れないのだ。
「あっ、あの......」
うーん。あの状況でなぜ包丁を手に取る必要がある?好奇心からか?いや、それなら俺に「コレハナニ?」って聞けばいいだけの話だ。
「いっ、......
質問しなかったって事は、あれが何か知っててあんな行動をとったって事だよな。もしそうだとしたら......うーん。余計に訳が分からんぞ。
「いっ、いい九君てばー!!!」
「うわあぁー!」
瞑想中、急に横から大声を出された俺は、驚きのあまり勢い良く飛び起きた。
「ひっー!ごめんなさい、ごめんなさい!」
俺のオーバーリアクションに驚いたのか、声をかけてきた女生徒が、その場から逃げ出そうときびすを返す。俺は思わず立ち上がってその子の手を強く掴んだ。
「わっ、悪りー!驚かせちまって!何もしないからちょっと待って!」
その言葉に安堵したのか、彼女はばたつかせていた手を静かに下ろし、恐る恐るこちらを振り返った。
「ほっ、ほんと?」
「!!?」
その子の顔を見るなり俺は固まった。
鎖骨にかかる程度に切り揃えられたワンレンヘアーが、振り向き様にふわりと揺れる。
その健康的な黒髪から放たれるシャンプーの香りは、彼女の名字と同じくフローラルな香りで、たちまち俺を花畑へと誘った。愛嬌のある少し垂れた目に涙を浮かべ、上目遣いで見上げるこの仕草に、どれだけの男子が心を奪われた事だろうか。
そう、この是が非でも守ってあげたいと思わせる美少女こそ、俺の心のオアシスであり学年のマドンナでもある、花澤 舞さんその人なのだ。
俺は慌てて花澤さんの手を離し、平常心を装いながら話しかける。
「どっ、どうしたの?俺に何か用?」
ちっがーう!そんな冷たい態度を取ってどうする!
今まで俺を避けていた花澤さんがせっかく話しかけてくれたんだ。
もっとこう、優しく、愛想良くにだなーーと、心の中で一人芝居をしていると、花澤さんがスカートの裾を掴み何やらモジモジとし始めた。
「あっ、あのね。その、大丈夫だった?」
「え?何が?」
「えっと、その......あの日、八雲君と一緒にプリン山に行ってたんでしょ?その時、隕石が落ちてきたんだよね?」
「隕石?......あっ、あぁー」
そう言えばプリン山の件は、隕石が落下したって事になってるんだったな......。
俺は昨日見たニュースの内容を思い出す。当初マスコミは、プリン山の話で持ち切りだった。
まぁ、無理も無い。こんな辺鄙な場所に突然隕石が降ってきたのだ。街の人間を始め、多くの人の目がプリン山に集まっていた。
だが、問題はここからだ。
なぜか昨晩、政府が緊急の記者会見を開き、現地調査を行っていた自衛隊員が頂上に出来たクレーターの中から隕石を発見したと発表しだしたのだ。
それもご丁寧な事に、偽の証拠写真まで用意して、一気にこの件の終息を図った。
当然事の真相を知っている俺達は驚愕した。なぜなら、政府の対応がまさに、隠蔽工作と呼ばれるものだったからだ。その証拠に、隕石が落下したというビッグニュースにも関わらず、昨日の公式発表以来テレビも新聞もプリン山の事を一切取り上げなくなっていた。
政府がどこまで知っているかは分からないが、おそらく今回の件がUFO事件だという事は薄々気づいているはずだ。じゃないとあんな風に証拠写真を捏造し、報道規制なんてかける必要はないのだから。
今頃政府はあのクレーターを作り出した原因を血眼になって探しているはずだ。
現に街には自衛隊が常に巡回し、住民のケアと称してこの街をずっと監視している。
一応カクタスに確認し『証拠は何一つ残していない』というお墨付きをもらったが、それでも不安は残る。もし俺と織春があの日プリン山に行っていた事をこれ以上誰かに知られたら、確実にミラ達に危険が及ぶだろう。それだけは絶対に避けなければならない。
そう思い立った俺は、周りの視線がこちらに集まっていない事を確認した後、小さな声で花澤さんに問いかけた。
「あのさ、その事なんだけど、誰かに話したりした?」
「ううん。誰にも言ってないよ」
花澤さんは急に声を潜めた俺に戸惑いながらも首を横に振る。
「よかった......。じゃあ、この件は俺達三人だけの秘密にしてくれないか?」
「秘密?」
「あぁ。もしこの事が知られれば、マスコミとか色んな奴が俺の家におしかけて来るかもしれないだろ?俺あんまり人と話すの得意じゃないし、それに、家の前で騒がれでもしたらうちの母ちゃん絶対キレると思うんだよ」
「そっ、そうだね。九君のお母さん怒ったら恐いもんね」
「え?」
「なっ、なんでもない、なんでもない!うん、分かったよ!絶対誰にも言わない」
そう言って花澤さんは、ブンブンと勢い良く頭を縦に振った。
「ありがとう、助かるよ」
「ううん、気にしないで。あっ、そうだ!例の件はどうだったの?」
「ん?例の件って?」
「え?あの日、プリン山に幽霊さん探しに行ってったんだよね?」
「!!?」
そうだった......。ばたばたしていてすっかり忘れていたが、俺は彼女にレポートを提出しなくちゃならなかったんだ。
花澤さんは期待の眼差しをこちらに向け、静かに俺の回答を待つ。
「いっ、いや、それがさ......」
「どうしたの?もしかして......いなかったの?」
そうこぼした後、花澤さんの顔が徐々に暗くなる。
どうする?幽霊を探しに出かけたはいいが、宇宙人とばったり遭遇し、挙げ句の果てにそいつとの間に子どもまで出来てしまいましたなんて口が裂けても言えないぞ。
でもここで、幽霊がいなかったなんて言えば、花澤さんはショックを受けるに決まってる。これ以上彼女のこんな悲しそうな顔なんて見たくないのに......。
悩みに悩んだ末、俺はある選択を実行に移す事にした。
「いっ、いやー、それがさ!いたんだよ!山頂でブラブラしてたら、木々の間から急に白い服を来た女の人が出てきてさ、慌てて織春と逃げ出したんだ!あの時、幽霊が現れてくれなかったら俺達今頃、どうなっていた事やら......」
「へぇーそーなんだー!幽霊さんが九君達を助けてくれたんだねー!すごーい!」
「うっ、うん。ほんとラッキーだったよ......」
花澤さんは興奮のあまり両手をブンブンと上下に振り、キラキラとした瞳で俺を見つめた。
なんだこの罪悪感は......。好きな人に嘘をつくと、こんなバッドステータスが追加されるのか?
「じゃあ今度、その幽霊さんにお礼言いに行って来るよ」
「え?何で?」
「だって、九君を助けてくれたんだもん。感謝してもしきれないよー」
そう言って花澤さんは、くるっと回って俺に背を向けた。
「それに、幽霊さんのおかげで九君といっぱいお話できたし......」
「え?」
「ううん、何でもない。じゃあ私、お昼ご飯食べてくるね。九君もちゃんと食べなきゃダメだよー」
そう言って花澤さんは、鞄を手に取り隣の教室へと駆けて行った。
俺は彼女の後ろ姿を見送りながら、これが本当に現実なのかどうか、それを確かめるため頬を強くつねる。憧れの花澤さんとあんなにも話ができるなんて、夢でも見てるに違いないと思ったからだ。
だが、つねった頬はじんじんと痛み、これが現実だという事をひしひしと教えてくれた。
「何やってんだ?お前」
「うわぁ!」
自己分析中、急に背後から話しかけられた俺は、慌てて後ろを振り返る。
するとフルーツオレをチューチューと吸いながら、訝しげな表情で俺を見つめる織春がすぐ後ろに立っていた。織春は購買に行って来たのか、もう片方の手には紙袋がしっかりと握られている。
「驚かすなよ!てか、いつからそこにいたんだ?」
「ん?いつって、花澤がお前に声をかけた所くらいかな?」
「最初からじゃねーか!なぜ声をかけん!」
「当たり前だろ?誰が好き好んで親友の邪魔をする。それより夜真十、どうしたんだお前?花澤と普通に喋れてたぞ」
「え?......そっ、そういえば」
織春のその言葉に、先ほどまでの自分の行動を思い返す。
確かに緊張していたとはいえ、普段とあまり変わらない顔や口調で話せていた気がする。
なぜあんなにも自然と彼女と会話ができたのか、いくら考えてみても答えは一向に浮かんではこなかった。
ーーただ。
ただ一つだけ可能性があるとすれば、それはやはりミラが原因だろう。
ミラと出会い、ここ数日非現実的な生活を送ることでいつのまにか度胸がついたのかもしれない。
もしそれが本当なら、少しはあいつに感謝しないとな......。
そんな事をふと考えていると、急に織春が俺の肩に手を回し顔を近づけてきた。
「まぁ、いいや。それよりちょっといいか?大事な話があるんだ」
織春はそのまま人気の無い廊下の隅まで俺を連れて行くと、辺りに誰もいない事を確認してから真剣な顔をこちらに向けた。
「さっき隣のクラスの奴から聞いたんだが、どうやらあの事件について調べてる奴がいるみたいなんだ」
「それって、自衛隊の他にって事か?」
「あぁ。なんでも黒いスーツを着たブロンドへアーの少女が、あの事件についてあれこれ街の人に聞いて回ってるそうなんだ。田中と福田も昨日そいつに声をかけられたらしい」
「黒いスーツを着たブロンドヘアーの少女?一体、誰なんだ?」
織春は静かに首を横に振る。
「分からない。でも用心するに越したことはない。夜真十、気をつけろよ」
「あっ、あぁ......」
この時の俺はまだ、これから自分の身に何が起こるかなんてまったく想像できていなかった。
まさかこの後、あんな事になるなんて......。
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