第21話「母に捧げる唄」

 ~方(かた)と、いう職業がある。今は、不適切という事で、ほとんど使われない言い方かと思う。


 牛方(うまかた)、馬方(うしかた)という職業がある。昔話によく出てくる仕事だ。昔、牛や馬を屠殺(とさつ)し、その肉や骨、皮を加工した職業の人たち。血や油にまみれ、その仕事は重労働である。


 土方(どかた)という職業がある。その昔、開発工事に伴い、文字通り土を運んだり、穴を掘ったりする肉体労働者をそう呼んだ。土だけでなく、重油や、産業廃棄物にまみれ、身体を張り、命がけの現場も多い。今でも呼ぶが、正式ではない。


◇◇◇


 ずっと昔。子どもの頃、なぜ母はこんなに汚いのかと、思い悩んだ時期があった。そして悩みは、いつしか否定、無関心へとつながっていった。


「おら、さぼってねえで、とっとと働け!チンポも身体も、生きてるうちに使え!!」


 母は、いつも小汚く土と汗にまみれた、荒くれの男たちに、汚い言葉で言い放っていた。仕事で欠けた前歯……そして事故で短くなった小指。その何もかもが小学時代の僕にとって、そんな母の姿を見るのが、とにかく嫌で仕方なかった。


 母は土方女(どかたおんな)だったからだ。

 

 ある日、授業参観があった。僕は、学校からのお便りを、母に隠していた。そして参観日当日……


「お前んちの、母ちゃんがきてるぞ!」


 僕は、ゾクッとした。どうやって知ったのか!?僕は、見たくないものを確かめるため、いやいや振り向いた。友達の、綺麗なお母さん達が沢山並ぶ中、一人みすぼらしい姿があった。


 母だった。


 それでも母の着ている服は、我が家では一番良い服だった。鼻の奥がツーンとなった。胸が苦しくなった。僕は、なぜか無性に悲しくなった。


 その日の夜……


「なぜ、来たんだ!?」


「汚い服で来るな!!」


 と、母をなじった。


 僕は貧乏とかは、どうでもよかった。なんと言えばよいのか……愚かさが出ている。あの、みすぼらしい感じが……涙が出るほど……たまらなく……嫌だったのだ。


 結局母が、授業参観に来たのは、あの一回だけだった。そして小学校の卒業式、中学、高校の卒業式と、来る事はなかった。


 そうそう僕は、早く働きたがっていた。しかし大学は母の、たっての希望だった。僕は母の稼いだ金と、自分で昼間働いた金で、夜間高校で学びながら大学に入った。


「土方の息子が大学~!?」


 時々会う、母の職場の仲間に言われた。


「早く働いて、母ちゃんを楽にしてやれ」


 とも言われた。


 僕は奨学金をもらい、大学を無事に卒業して、そこそこの企業に就職した。給与は、母の稼ぐ金の倍だった。我が家の家計は一気に楽になった。


 しかし、母は働く事を止めなかった。


「金は腐るもんじゃねえ。少しでもあれば、なにかしら役に立つ!」


 と、言って働いていた。

 

 その頃、僕は付き合っていた人がいた。でも、僕は母を紹介出来ずにいた。しかし、そのうち彼女に、ご両親を紹介され、結婚のお願いをされた。


その時、僕は彼女に、僕が母へ持っている気持ちについて、話す決心をした。


「僕は、貧しさはどうでもよかったんだ。心が貧しかったのが嫌だった」


 そう、僕が言うと彼女は……


「お母さんには、きっと理由があったんじゃない?」


 と、言った。


「えっ?」


 僕は、彼女の言葉に今までにない、驚きを感じていた。


 母の?


 理由!?


「なぜ、そんな事を思ったんだい?」


「女で生きて行くのは、大変な事があるのよ」


「……?」


「女であれば、簡単に稼ぐ方法はあるわ。……でもしなかったのは?」


「……」


「とはいえ、手に職の無い女が、それなりに稼ぐには……その日の日銭を稼ぐには……」


 僕はハッとした。母のあの姿を。荒くれの男共に混じり、相手取って生き抜くに為には……


 彼女に話して良かったと思った。


 その後、僕は母に尋ねると……


「おれは、学がねえし、手に職っていっても飲み込み悪りいから。でも、身体だけは頑丈だったんだあ……まあ、指挟さんじまったけどなあ」


 十数年ぶりの母と子の会話だった。


 そうそう、たった一度だけ……たった一度だけ母の晴れ姿を見ることが出来た。僕の結婚式でだ。

 

 初めて見た、母の晴れ姿。こんなに母は綺麗だったのかと思った。母の欠けた前歯は綺麗になり。今までの、間抜けな感じはなくなっていた。キリリとした表情は、涙が出るくらい……


 誰の前に立っても、恥ずかしくなかった。

 

 いや、僕は涙を流していた。ずっとあった胸のつかえが取れたのと同時に、母の姿を見て、恥ずかしかったのは自分の方だと、気付いたのだった。


 そう心が貧しかったのは、僕の方だったと気付いたのだ。

 

 僕の中に歌が聞こえてくる。単純作業、地固めのための巨大な重しを、大勢で引き綱で引っぱり落とす。そのときの掛け声歌だ。


「トオちゃんのためなら、エンヤこ~ら。カアちゃんのためなら、エンヤこ~らしょっと……」


 僕のなかに、土方の歌が聞こえてくるのだった。


「もひとつおまけに







 エンヤこ~らっ!」


おしまい


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