第08話 思い出の温もり

(どうするんだよ!!今から母さんが来るのに、この状況をどう説明したらいいんだ!!)


 アティラを押し倒してしまった仁を偶然、仁兄じんにいと呼ぶ仁の弟【可】が目撃し、それを早速二人の母と呼ぶ者に報告をする。

 押し倒されたアティラも理由が全く違えど、ある意味仁と同じぐらいに動揺していた。

 何故動揺しているのかも解からず、頭の中もごちゃごちゃになっていた。

 しかし、状況は、一歩たりとも変わっておらず、近づいてくる恐怖を仁が感じながら着実に怒ろうとしている。


「熊さん、私どうしてしまったのだろうか?身体が、少しばかり熱い気がします」


 その発言を聞いた仁――と背後に現れた一人の影。

 ドシャーン、と拳骨が頭部の頂点に直撃、その反動で仁は体勢を崩し、後ろへと下がる。


「なーにやってんだ、この馬鹿息子が!!」


 現れたのは、まだ若いとも言える年齢の女性。

 長い黒髪は綺麗に手入れされ、透き通る程の艶やかな肌ときりっとしたツリ眼を持っていたその女性は、どうやら仁の母親らしい。

 年齢で考えるとおよそ三十代は超えているが、全然衰えが見られない容姿を保っていた。


「ねぇ、貴方あんた大丈夫?あの馬鹿息子に何もされてないかい?」


 心配そうにアティラに声を掛けるが、アティラの頭の中では、先の感覚に集中し過ぎて、ボーッと惚けた顔になっていた。

 そんな状態の彼女を見て、仁の母は、炎が背景に見える程怒りが膨れ上がり、歩く音さえとんとんではなく、ドンドンと響いていた。


「ジーイーンー、貴方あんた、警察沙汰になるような事はしてないよね~」


 母の発音とは裏腹に、彼女は笑顔で仁に近づく。

 それが逆に怖さを引き立てていたのだが……


(ヒィィィーー!!)


 仁が長年経験し尽くした事だったからこそ、その恐ろしさを誰よりも理解している。


「ご、誤解なんだ母さん」

「何が誤解なんだ、仁……女の子をベッドに押し倒して惚けさせて、どのような誤解をしているというの?!」


 相変わらずの笑みで迫る仁の母。

 そこで、割って入ったアティラは、母に説明を試みる。


「熊さんを苛めないで下さい。彼は、私を助けた恩人なんです。決して悪気がなくてあなような事をしていた訳ではありません」


 必死で言葉を選びながら一生懸命仁を庇うアティラの姿を仁の母は、その怒りが少しずつ落ち着き始める。


 事情説明は、約一時間まで続き、仁の母の表情もすっかりと普通の笑顔に戻っていた。

 そして、アティラに向き直り、改めて挨拶をする。


「さっきは、お見苦しい所をお見せしてすみません。仁の母の熊野明日香あすかと申します」


 熊さんが一人でいない事をアティラは安堵をしながら、どこか悲しい顔で二人を見詰め合う。

 姿が全員違うけど、同じように自分と接している人達を見て、ここでなら自分が何者なのかが理解できるのではないのかと感じ始めていた。

 手や足、体付きは、オトコとオンナでは、違うが元を辿れば同じ存在なのだと頭に思い描いていた。

 しかし、この親子二人を見ていたら、自分だけが異質なのではと不安が再び立ち上る。


(このどうぶつ達も、私の世界の動物なかま達と同じなんだ)


 生存の為に相手を見つけて、子をし、次へと受け継ぐ。

 その必要性がない自分は、やっぱり同じ気持ちになってはいけないのだろうか?

 それだけが頭の中を彷徨っていた。

 夢のような体験をさせてくれた仁に対して、後ろめたさを感じ始めたアティラは、不意に涙を流し始めた。

 ――涙を見せない、と決めた筈なのに。

 それなのに止まらない、自制が利かない。

 ただ涙は、滝のように流れ、床を水浸しにしてしまう。

 両手で顔を塞いでも全ての涙を受け止める訳もなく、指と指の間から溢れ出る。


 言い争っていた親子も仲直りをし、真っ先に仁がアティラの異変に気づいた。


「アティラさん、何があったのですか?母が怖すぎましたか?」


 半分母への嫌味でアティラに尋ねるがアティラは、左右に首を振る。


「じゃあ、この馬鹿息子のバカさ加減にうんざりしてしまったとか?」


 対抗する母――明日香、に対してもアティラは、横に頭を振る。


「いいえ、違うんです。何故か、お二人を見ていたら、急に胸の奥からぎゅ―ッと締め付けるような痛みが走って……」


 言葉を言い切れず、アティラは、両手を胸に当てる。

 彼女の言葉をしっかりと受け止め、明日香は、アティラの意表をついて抱きしめる。


「――えっ!」


 涙腺に残る数滴の涙が抱き締められた瞬間飛び散り、アティラは、驚くばかりの表情を浮かべる。

 何故、仁の母が自分を抱き締めるのか?

 この行為は、家族でするもので、部外者である自分が何故このように抱き締められているのでしょうか?

 この疑問を抱えながら思考が停止する。

 この気持ちは何だろう?

 暖かく、とてもやさしい感触。

 さっきまで不安と恐怖が満ちていた心の氷をあっさりと溶かしていくこの温もりは何だろう?


(この感情を、私はどうやって呼んでいたのだろうか?この温もりをどうやって呼んでいたのだろうか?……)


 そう、この感覚は、あの世界でいつも私を包んでいた感覚――幸せだ!

 アティラは、初めて大泣きを体験するのだった――

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