魔の海域編

南北海域の境界

第49話 悪夢

「ねえ、みんな……どこにいるの?」


 幽霊船の甲板には、一面に濃く霧が立ち込めている。そんな視界の悪い中を、マルロはふらふらとした足どりで歩いていた。


(なんでこんなに黒い霧が……いつもの生命いのちの壺の紫色の霧とは色も違うし。この黒い霧のせいで周りの景色どころか、甲板の様子すらよく見えないけど……ここは一体どの辺りなんだろう。それに、みんなはどこに行っちゃったんだろう)


 なぜか船の中に誰の姿も見当たらないことに気が付いたマルロは、どこか心細い思いで甲板に出てきたのだった。


「……あっ!」


 こつんと足元に何かが当たり、マルロはつまずくが、なんとか転けないように足を踏ん張る。

 視界の悪い中そのぶつかったものの正体を確認しようと、その場でしゃがんでそれに手に触れ凝視すると――どうやら頭蓋骨ずがいこつのようだった。そしてすぐ近くには、二本の角のついたかぶと――スカルがいつもかぶっているかぶとが落ちていた。


(あれ、スカル……こんなとこで寝ちゃったのかな? とりあえず一旦起きてもらうためには、甲板に生命いのちの壺の霧を出さないと……)


 そう思ったマルロはきびすを返し、船室に繋がる扉を開けに行こうとするが――――今まで気づいていなかった違和感にようやく気づいて、ぴたりと足を止める。

 船室へと繋がる扉は既に開いていたが――いつも船内に絶えず充満しているはずの紫色の霧は、甲板上にも船内にも、一切見当たらなかったのだ。


「…………え?」


 マルロが驚きのあまりその場で固まったまま、呆然と船室の扉を見ていると――――後ろからドサッと何かが倒れる音が聞こえる。


 マルロは振り返り、再び甲板を見る。すると、濃い霧の隙間から――――シルクが床に倒れているのが見えた。


「シ……シルク!」


 マルロは倒れているシルクに駆け寄り、体を起こそうとする。その時、シルクのいつも着ている紫色のローブに触れたマルロはドキリとする。

 どろりとした生温かい感触がして――――自分の手を見ると、血がべっとりとついていた。


「え、シルク……一体……」

「マ……ルロ…………」

 シルクは震える指で左方向の海を指さす。

「…………の……壺……が…………」


 シルクはそう言い残して、ぐったりと動かなくなった。


「シルク……シルク‼ 一体何が……っ」

 マルロは大声をあげながらシルクの体を揺さぶるが、シルクはもう、一向に動く気配がなかった。

「そ、そうだ……シルクは壺がどうとか言って……」


 マルロは涙目になりながらも立ち上がり、船のへりまで駆けていくと、へりから身を乗り出して、シルクの指さした方の海を見る。


 すると――――大きく割れた群青色の見慣れた壺と、その破片が、海の上に浮いているのが見えた。


「あれって……生命いのち……の……壺……?」

 マルロは顔面蒼白になりながら、ゆっくりと振り返り、幽霊船の甲板を見渡す。


 謎の黒い霧は徐々に消えてゆき、そこに見えてきたのは――――甲板のそこいらに落ちている無数の人骨。そして空中をあてもなく漂っている無数の人魂――――そしてマルロの足元には、金色の髪がほんの少しだけ残った、腐臭を放つどす黒い色をした人間の死体が一つ――――今や自由に動くことも喋ることもできず、ただの人骨や人魂、死体と化した、船員たちのなれの果てだった。


 マルロはその光景に絶望し、大声をあげる。


「う……うわあああああああああああああああ‼」



 マルロは汗びっしょりで飛び起きる。

 そこは船長室のベッドの上で――――辺りは静かで真っ暗で、誰の姿もなかった。


「……夢……?」


 マルロはすっかり熱を持った自分の顔を触る。その額には、汗で前髪がべっとりと張り付いていた。


(それとも……外に出たらさっきの光景が……)

 マルロはその可能性を考えると思わず身震いするが、同時に船のいつもとは少し違った様子にも気が付く。

(でも船は、海の上を進んでる時みたいに、揺れてない……。そうだ、まだ樹海の上を飛んで北の海域に向けて戻っているところで、ここは海の上じゃないはずなんだ)


 マルロは夢の内容が現実ではないことを悟ってひと安心する一方で、心の奥底では胸騒ぎが抑えきれないでいる。

(でも、あんな夢を見るなんて……なんだか嫌な予感がする。もしかしてさっきのって、予知夢とかいうのだったりするのかな……)

 マルロは不安な気持ちを無くそうとするかのように、勢いよくかぶりを振る。

(いや、ノースの村でツリーが成仏しちゃって、船のみんなも成仏する可能性があるのかもしれないって思って……まだその動揺が残ってるせいで、みんなが動かなくなる夢を見たってだけなのかもしれない)

 マルロはなんとか冷静さを取り戻し一息つくと、顔を上げ、部屋の天井を見る。

(……とりあえず喉が渇いたし、上の階の様子も気になるから……ちょっと食堂に行ってこよう)

 そう思ったマルロはベッドから出ると、手持ちのランプを手に取り立ち上がる。



 マルロが水を飲もうとして食堂に赴くと、皆がわいわいと話をしているようで、いつも通りの船員たちの賑やかな声が聞こえてきた。


 マルロは先程の悪夢とはまるで違うその様子にホッとしつつ、扉を開けようとしてドアノブに手をかける。


「船長がイースの都にいるってシルバJr.の話、どう思うよ?」


 その声に、マルロは扉を開けようとする手をぴたりと止める。


「うーん、本当なのかねぇ」

「おいお前、あのシルバJr.が嘘ついたって言うのか?」

「そんなこた言ってねぇよ。だが、ノースの村で仕入れてきた情報が間違いだって可能性はあるだろ?」

(………………)

 マルロは船員たちの話している内容が気になり、食堂には入らずに扉の隙間から聞き耳を立てることにする。

(みんな……父さんがイースの都にいるって話、疑ってるのかな。確かに僕がみんなにそれを伝えた時、すごく驚いてたみたいだったけど…………)


 幽霊船に戻り、シルバ船長の行き先を皆に伝えたところ、船員たちは驚きのあまり――だろうか、しばらくの間絶句していたようだった。


 マルロはその反応が気になりつつも、ひと通り話し終えると気が緩んだのか、その場ですぐに眠ってしまい――――そこから船長室のベッドに運ばれ、先程の悪夢を見て、現在に至るのだった。


「だが、アイリーンが船長の行き先を再び水晶で確認してくれたところ、イースの都と思われるものが見えたそうだ」

 ヘルのものと思われる低く渋い声が聞こえた後、女性の声――アイリーンの澄んだ声が聞こえてくる。

「ええ。わたくしが水晶で見たものは……眩しい金色こんじきの背景に、黒い人影……でした。でも、その人影が誰のものかはわからなかったのですが……」

「背景が金色ってことは……黄金の都って言われてる、イースの都かもしんねぇな!」

 続いて、幽霊か誰かの興奮した様子の声が聞こえてくる。

「けれど、以前水晶に映っていたものを、ノースの村で実際に見てきたのですが……その正体はマルロのお父さまではなく、叔父さまだったの。だからわたくしの占いは、大して当てにならないのかもしれません……」

 アイリーンのその言葉を聞いて、慌てて付け加えるサムの声がする。

「でも、そのマルロぼっちゃんの叔父のマルクスさんこそが、船長の行き先を教えてくれたんですし。アイリーンさんの占いが船長の行き先を示すというのは、あながち間違いとも言い切れないんじゃねぇでしょうか」

「………………」


 その後しばらくの間、皆は黙っていたようだが、一人の幽霊らしき声が口火を切り、議論が再開される。


「しっかし、イースの都に船長がいるかもしれないっつったって……途中には魔の海域がある。辿り着くのはものすごく困難なところだぞ」

「とにかく簡単に行ける場所じゃねぇし、本当に船長がいるかもわからねぇのに行くってのは、なかなかのリスクがあるんじゃねーのか?」

「そもそも船長は、本当にイースの都に行ってんのか……?」

「そーだよ、あのシルバ船長とはいえ、たった一人で魔の海域を越えられるのかよ」

「だが船長は、我らとこの船のことをシルバJr.に残し……自分は別の幽霊船を魔の海域で手に入れて、それを使ってイースの都に辿り着いた可能性も、あるのやもしれぬ」


 そんなこんなで議論がなされている中で、幽霊の一人がぽつりと呟く。


「……あの海域に、またのか……」


 その声に、皆はしんと静まり返る。その後、スカルのものと思われる声がする。


「……だが……とは違って、俺たちは不死身だ。この体なら……なんとかなるんじゃねぇか?」


 その声に応えるように、やがてちらほらと声が聞こえてくる。


「……確かにそうだな」

ってのが、なんとも皮肉な話だけどな」

「でも、マルロぼっちゃんやシルクさんたちは、人間でやんすが……」

「だーいじょうぶだよ。二人のことは船の皆で取り囲んで、になってでも守ってやればなんとかなるさ」

「おいおいスカル、お前が言うならだろ?」

「体に肉がかろうじてあるのは、この船じゃサムくらいだからな」

「……そろそろゴーストバスターも追いついて来るやもしれぬ。このままノースの村のあたりにとどまるわけにもいかぬゆえ、行ってみるのも手だと思う。奴も、魔の海域までは追ってはこれまい」

「イースの都って確か、シルバ船長やシルバJr.が行きたがってた場所だしな」

「船長のシルバJr.が行きたいってんなら、俺たちゃそれに従うまでだぜ!」

「それに俺たちだって行きたいぜ。ワインの泉があるって話、聞いただろ?」

「そうだ、ワイン飲み放題だった!」

「それに、黄金の都って話だが……どんなお宝が待ってやがるのか、ワクワクするぜ!」

「ちなみに、魔の海域ってどうやって行くんだ?」

「……北の海域と南の海域の境界線上をずっと行けば、魔の海域に繋がる入口があるそうだ」

「よーし、そうと決まったなら早く行こうぜ!」

「シルバJr.が起きたら、また、出航の音頭をとってもらわねぇとな!」


 初めは不安気だった船員たちが、次第に前向きになる様子を扉の隙間から感じたマルロは安堵すると、その場から音をたてないようにそっと離れる。


(みんなは、イースの都行きに前向きになってくれたみたいだ。だから、僕だって……怖い夢を見たくらいで怖気づいてちゃいけない。父さんに会うまでは、皆を率いる船長にならないといけないんだから)


 マルロは顔を上げてそう決意すると、水を飲まずに、自分の部屋に戻っていく。




 その後、船はようやく北の海域まで戻ってきて、船を運んでくれた樹海の幽霊たちとは、そこで別れを告げることになった(砂漠の遺跡の時と同様、樹海の幽霊たちの多くは地縛霊だったため、樹海から離れるわけにはいかないようだった)。


「じゃあ、ここからはまた海の上を航海して……まずは途中にある魔の海域を、みんなで力を合わせてなんとか乗り越えよう! イースの都目指して、出航ーー‼」

「おおーーーっ‼」


 船員たちに促されてマルロが出航の合図をすると、船員たちは魔の海域に対しての不安を口にすることもなく、元気よくそれに応えてくれた。




 そうして再び海の上を行くことになった幽霊船は、数日航海を続けた後、目指していた、北と南の海域の境界の海に辿り着く。


 そして、その夜のこと――――。


「なんだ? あれは」


 何かを発見した様子の幽霊が、船員の皆を船の後方に集める。

 まだ起きていたマルロやシルクも皆と一緒に船の後方を見据えると、小船が一艘いっそう、こちらに近づいているのが見えた。


 月明かりに照らされ、その小船の上には一つの人影が浮かび上がり――――三日月形の影が二つ、くっきりと見えているそのシルエットに、マルロはハッとする。


(あの三日月の形……知ってる……前に、見たことがある。頭のてっぺんで結んだ長い髪と、肩にかけているの形――――)


「…………奴だ」


 隣にいたヘルがぼそりと呟くと、大鎌の持ち手を両手でぐっと握り――――死神の黒いローブをひるがえしながら皆の方を振り返り、大声で言う。


「ゴーストバスターが来るぞ! 総員、ただちに迎え撃つ準備をしろ!」


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