第46話 父の家

「さあ、お入り」


 扉を開いたマルクスに促され、父親の家の中に入ったマルロは、ハッと息を呑む。その家の中の様子は、どこか見覚えがあるような気がしたからだ。


(この家……! なんとなく、懐かしいような……)


 しかし、その家の中はあかりがついておらず、そして、玄関から入ってすぐのリビングのある部屋には……人がいる気配はなかった。


 皆が家に入った後、家の周りに誰もいないことを確認し、慎重に鍵を閉めるマルクスに、マルロはずっと気になっていたこと……聞くのを躊躇ためらっていたことを恐る恐る尋ねる。

「ねえ、父さんは……この家にはいないの?」

「…………」

 マルクスはマルロの問いにはすぐには答えず、黙っている。

 その様子を見て、マルロは話を続ける。

「でもこの家に僕らを連れてきたってことは、父さんについての話をする以外にも、きっと何か理由があるんでしょ……?」

 マルクスは口を真一文字に結んでマルロを見ていたが、やがて口を開く。

「それは……君には、これからはこの家で暮らしてもらおうと思っているからだ」

「ど、どういうこと?」

 マルロは驚いたようにマルクスを見る。サムが即座に口を挟む。

「そう言われるってことは、やはりシルバ船長がここにおられるんですかい?」

「…………」

 マルクスは無言のまま、ゆっくりと首を横に振る。


「……父さん、ここにはいないんだ……」

 肩を落としてそう呟くマルロに、マルクスは今度は言葉で答える。

「ああ……。僕にも今、君のお父さんがどこにいるのかは……残念ながらわからない」

 それを聞いたマルロは落胆する。マルクスはそんなマルロの様子をどこか悲し気な表情で見て、頭を下げる。

「……すまない。本当は昔……君の父さんに、ここに残るよう説得しようとしたのだが、君を連れて出て行ってしまったからね……。ここは身を隠すにはどこよりも最適といえる場所だから、追っ手から逃れることが可能だっただろう。そうしていれば、君は今頃父さんと離れることなく、ここでずっと一緒に暮らすこともできただろうに……」

 マルクスは少し顔を歪める。それから、真剣な表情でマルロを見る。

「そして君も……追っ手から身を隠す必要があるんだ。だからこの、君の父さんの家だった場所で、これからは暮らしてもらいたい」

「ぼ、僕も追われてはいるけどさ。でも、父さんがここにいないのなら、僕たち、父さんを探しに行かなきゃ……」

 そう言うマルロにマルクスはきっぱりと言い放つ。

「駄目だ。君のことを狙っている者がいるんだ。君の父さんよりも、マルロくん、、身を隠すべきなんだ」

「僕こそが……?」

 マルロは首を傾げる。

「僕、確かに……罪人の父さんの息子として、サウスの街で罪を償っててそこから逃げ出してきたから、今追われてるかもしれないけど……。でも、それは父さんだって一緒で……」

「……そうじゃないんだ。君のことを狙っているのは……

「に、人間だけじゃないって……?」

 マルロは、自分のことを狙っているのは、父親を捕まえた人たち、そしてサウスの街でマルロを監視していた、キツネのような細い目をした黒いスーツの男……いずれも人間だと思っていたため、マルクスの言葉を聞いて目を見開く。


 マルクスはそんなマルロをじっと見つめた後、ゆっくりと口を開く。

「君は……に、狙われているはずだ。……君の父さんはそう言っていた。心当たりはないかい?」

「え……? 悪魔……?」

 マルロのそばにいる姿を消したムーがハッと息を呑み、マルロの服のそでをくいくいっと引っ張るのを感じると、マルロは心当たりがあることを思い出す。

(あ、もしかして、サタンのこと……? でも、サタンは僕に意地悪なことを言うだけで、危害を加えるようなことは何もしなかったけどなぁ)

 マルロはサタンに会ったことを口に出そうとするが、ふと近くにサムがいることに気がつく。そしてサムや船員たちには心配をかけないようにと、サタンに会ったことは伏せていることを思い出し……そのことは言及せず、そのままマルクスの話に耳を傾けることにする。


「君の父親は、昔……魔の海域の中で、……と言っていた」

「あ、悪魔と、契約……?」

 マルロはそれを聞いてさらに目を大きく見開く。

「願いを叶えてもらう見返りに、自分の一番大切なものを一つ差し出す契約だそうだ。当時差し出せるような大切なものを持っていなかった君の父親は、将来できる子どもを引き換えに、一つの願いを叶えてもらったらしい」

「じゃあ、父さんは僕のことを……その、悪魔に差し出すつもりなの……?」

 マルクスは首を横に振る。

「そうじゃない。君の父さんは、その当時は子どもを作るつもりはなかったようだ。だからその申し出に頷いたのだろう。しかし、ノースの村に来て、君の母さん……マリアと出会ってしまった」

 マルクスはそう言った後、マルロに微笑む。

「君の父さんは村の外で君の母さん……僕の姉さんと出会って、姉さんをさらっていったんだよ」

「さ、さらう⁉」

 マルロはそれを聞いて思わず大きな声をあげる。マルクスは頷き、話を続ける。

「まあ、君の父さんは海賊だから驚くことじゃないが……よっぽど姉さんのことが気に入ったんだろうね」

「……そうなんだ、父さんが……」

「その時は、姉さんが海賊船長の君の父さんに一方的にさらわれた訳だけども……まあ、それをきっかけに二人は仲良くなって、夫婦になるんだけどね」

 そう言ってマルクスはマルロに笑いかける。

「そして、そのまま姉さんを自分の船に連れて行くつもりだったんだろうけど……姉さんは生まれつき体が弱くてね、ノースの村……いや、精霊の山から離れると体調が悪化してしまうんだ。だから村から離れるにつれて、すぐ姉さんの体の具合が悪くなってね……。結局君の父さんはさらった姉さんを連れて、一旦ノースの村に戻ってきた」

「母さん、病気だったの……?」

「病気というか、ちょっと特殊な体質でね。実は、我々の一族は、この精霊の山に住む精霊を遠い先祖に持つ一族で……その子孫は、ごく稀に先祖返りをして、精霊の血を濃く受け継ぐ者が生まれる。それが……姉さんだった」

 マルクスはそう言って、山のどこかにいる精霊の姿を探すかのように窓の外をふいと見る。

「精霊の血が濃いと、高い魔力が備わっていたり、時の流れの影響を受けないといった不思議な力を持っていたりする場合があるのだが、その代わりに、体が繊細で人間よりも弱かったりして……特に、この精霊の山から離れては生きられない体質なんだ」

「そうなんだ、母さんが……」

 マルロは今まで何も知らなかった自分の母親の話に、深く聞き入っている。

「そんな特殊な体質の姉さんと一緒になるには、ここで暮らすしかなかった。だから二人は一旦、精霊の山の頂上付近にある……この家に住むことにした。君の父さんは海賊の船長で、外に待たせている船員たちもいたんだろうけど……山の頂上付近のこの場所は時の流れが特に速くて、ここにいる間、ノースの村の外の世界では時間がほとんど経たないから……とりあえずそれを利用したんだ」

 マルクスはそう言うと、まっすぐにマルロを見る。

「そして、そこで幾年か暮らすうちに……君が生まれた」

「じゃあ、僕はここで生まれて、父さんと母さんと、ここで暮らしてたんだ……」

 マルロの言葉に、マルクスはゆっくりと頷く。

「その通りだよ」

「……あの時、あっしらは船長がすぐ帰ってきたように感じたんですが……それは時の流れの違いの影響で、実は船長は、何年もここで暮らしていたとは……。あっしらは、何も知りやせんでした……」

 マルロの隣で話を聞いていたサムは、驚いたように小声で呟いている。


「君の父さんは生まれた子供……マルロ君が悪魔に狙われることを危惧きぐし、そして山から離れられない姉さん……君の母さんのこともあり、この山に隠れ住んで二人を守りながら生きようとしていた。でも……君を産んで少ししてから、姉さんは体調を崩して、死んでしまった」

「…………母さんが……」

「……それからすぐに君の父親は、君を連れてここを出ていってしまった。僕が止めるもの聞かず、君が悪魔に狙われていることを知っていながら……それでも出て行ったんだ」

「父さん……母さんがいなくなってショックだったのかな。それとも、船長だから、船のみんなや海が恋しくなったのかな……」

 マルロが父親の心境を想像してそう呟くと、マルクスはそれに対して答える。

「それはもちろんあっただろうけど、君の父さんはね……君に海を見せたい、森の外の世界を見ずにここで一生を過ごして死ぬよりは、危ない目にあってでも外で生きる方がマシだとか言っていたよ。……樹海の外の世界を知らない僕は、それは子どもの命よりも優先することなのか、なんて思ってしまったけどね」

「…………」

 マルロはそれを聞いて、息子の身を危険にさらす覚悟で森を出た父親の選択を怨むよりは、どこか感謝する思いがした。

(この家でずっと暮らしていれば、海に出て世界を見たり冒険することもできなかったはず……それじゃあきっと、あの頃の……サウスの街の家から一生出られない生活とそれほど変わらない。何よりも、幽霊船の皆にはきっと会えなかっただろうし……。その代わりに今、父さんには会えずじまいなんだとしても、父さんのその選択は……きっと間違ってはいなかったんじゃないかな……)


「でも君の父さんは、この山を出てから君の問題をどうするかについては、ちゃんと考えていたようだよ。確か、君を狙う悪魔の手の届かない場所……そこを目指すと言っていたな」

 マルロはマルクスの言葉を聞いて、顔を上げる。

「そんなところあるの? 一体どこなんだろう……」

「私は詳しい場所は聞いていないが、君の父さんが目指していた場所に、心当たりはないかい?」

 マルロはそれを聞いて、一つの場所を思い出し、ハッとする。

「……イースの都だ……」

 マルロはそう呟くと、マルクスを見る。

「父さんはそこを目的に航海してたって、幽霊船の皆に聞いたよ……!」

「……そうか。ならば、彼は今もそこを目指している可能性があるのかもしれないな。ノースの村やこの山に来れば、君と父さんが悪魔に見つからず再会できる可能性はあると思うのだが、それでも君の父さんは森を出て行ってから……今まで帰っては来なかった。それなら、もう君の父さんはここには戻らず、一足先に行っている可能性があるんじゃないかな。イースの都で、君と再会するために……」

「…………」

(父さんがたった一人でイースの都に……? 幽霊船もないのに、行けるのかな?)

 マルロは隣にいるサムをちらりと見る。サムも同様のことを考えているようで、本当だろうかといぶかしむ表情をしている。

 しかしマルロは父親が監獄から見事に逃げおおせたことをふと思い出し、考えを改める。

(でも父さんは、何かすごい魔法の力とか持ってて……本当にイースの都に行くことができて、そこで僕らのことを待ってるのかもしれない……)


 マルロはそう考えた後……決意の表情を見せると、マルクスに向けて言う。


「……その可能性が少しでもあるんだったら……マルクスおじさん、僕……この家で悪魔から隠れ住んでる暇なんてないんだ。僕もう行かなきゃ。父さんに会いに、イースの都へ……!」



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