第36話 侵入者
「おじさん、誰?」
マルロは目を見開いて男に問いかける。男はそれを聞いて呆れたように言う。
「若者をつかまえておじさんとは何だよ。お兄さんだろ? ほら、やり直しだやり直し」
マルロはしげしげと男を見る。確かに顔を見ると意外と若く、体も比較的細身でよく見ると若者のようだが――身に着けているマントが擦り切れていて、どこかくたびれた印象に見えた。
マルロは渋々言い直す。
「お兄さん、誰? どうしてこんなところにいるの?」
男は満足気に頷き、ようやく答えてくれる。
「俺はただの旅人だよ。さっき攻めてきた海賊の奴らがいただろ? その海賊どもに捕まってたところを、さっきの乱闘騒ぎに乗じて……隙を見てこっちの船に逃げ出してきたんだ。でも逃げた先がまさかこんな、幽霊船だとは思わなくてな……」
男はそう言うとぶるっと体を震わせ、恐ろし気な表情で周囲を見渡すと、かがんでマルロに小声で耳打ちする。
「俺、幽霊とか、そういうのが大の苦手なんだ。だからさ、次陸地に着いたらすぐに船から下りるから……それまでちょっと、幽霊どもにはバレないようにボウズが俺のこと
「ええっ⁉
驚いたように目を見開くマルロに対し、男は目をつむり、懇願するように手をすり合わせる。
「頼むよ。幽霊どもが見ず知らずの男を船に乗せてくれるかわからねぇし、変に怪しまれるかもしれねぇから……」
マルロは男の言葉に流されず、食い下がる。
「それなら僕だって、おじ……お兄さんのこと怪しいと思ってるし、そんな人を勝手に乗せたらダメってことになるよ。みんなに黙って
マルロがそう提案しても、男は首を横に振る。
「でもよぉ。俺、幽霊なんか一目みたら、恐ろしくて卒倒しちまうだろうから、そうなりゃろくに話し合いもできねぇし……できれば奴らとは顔を合わせたくないんだ」
マルロは不平不満ばかり言う男に口を
「もう、そんなの知らないよ。じゃあここから泳いで……どこか陸まで自力で行けばいいじゃないか」
男はそれを聞いて、絶望的な表情を見せる。
「こんな海のど真ん中に俺を置いてく気かよ?
マルロはそれを聞いて首をかしげる。
「え、お兄さんカナヅチって名前なの? 変わってるね」
「違ぇよ。泳げないって言ってんだ! カナヅチは水の中に入れたら沈むだろ?」
なんだか、この人苦手なものが多いな……とマルロは思いつつ、まぁ無理に船から追い出して見殺しにしたことになるのも嫌だし、かといって幽霊たちに会わせて倒れられても面倒だしな、と考えマルロは渋々頷く。
「わかったよ……。じゃあ、皆には黙っておくから、幽霊たちがあまり来ない場所……僕の部屋に行こう。あんまり出歩いたりしないで大人しくしててね」
「ああ、助かるぜ」
男はにんまりと笑みを見せる。そしてふと思いついたように尋ねる。
「ちなみに、この船の次の行き先はどこなんだ?」
「えーと、とりあえず北大陸の……ノースの村に向かってるよ」
マルロがそう言うと、男は満足気に頷く。
「お、いいじゃねぇか。次の仕事を探すにはぴったりだな」
マルロはその言葉を聞いて、辺境と言われるノースの村に仕事があるなんて、この人は一体何の仕事をしているのだろうと首をひねる。
……ぐおー。
何やら変な音がして、マルロが音のした方を見ると、男が腹に手を当てていた。どうやら男の腹の音が鳴ったようである。
「おっと。……その、すまねぇが、ちょっとばかり飯を恵んでくれねぇかな。海賊どもに捕まってたもんだから、ろくに食事が取れてなくてな……」
マルロはそれを聞いてこの人注文が多いな……と思いため息をつくも、そういう事情なら仕方ないかと頷く。
「いいけど……さっきの騒ぎでまだ幽霊たち起きてるかもしれないから、もうちょっと時間が経ってから……船の皆が寝るのを待ってから、食堂に行こう」
「恩に着るぜ。じゃ、それまではここで時間を
男はそう言うや否や、よっこらしょと甲板に座り、海を眺めてたそがれる。
そんな男の様子を見て、幽霊が苦手な割には幽霊船で随分くつろいでるなぁとマルロは不思議に思う。
しばらくして、マルロが船員たちが皆寝静まったのを確認した後、二人は忍び足で食堂に移動する。
マルロは食堂で人間の食べられそうなものを見繕い、男に食事を提供する。そして男の横に座って自分も昼食を取りつつ、食事を勢いよく掻っ込む男の食事の様子を目を丸くして見ている。
男は出されたものを全て平らげると、ようやく手を止めて満足気に言う。
「ふう。久々にまともな飯が食えたぜ。海賊どもに捕まる前も、ろくに食えてなかったからな」
マルロはそれを聞いて首を傾げる。
「え、カナヅチのお兄さん、何で捕まる前にも何も食べてないの? 捕まる前なら自由の身だったんじゃないの?」
「カナヅチのお兄さんって……また妙な名前をつけられたもんだな」
男は苦々しい顔をしてそう言った後、何を言おうか少しの間考え、ようやく口を開く。
「それは……俺の仕事はちょいと特殊でな。他の誰にもできない、唯一無二のものなんだ。だから、自分の仕事の価値を上げるためには頼まれてもなかなか首を縦には振らず、安請け合いせずにいたら……なかなか仕事ができなくて、金がない現状になっちまってるって訳だ」
それを聞いたマルロは、将来的に儲けるためとはいえ、今貧乏でご飯も食べられないのなら本末転倒じゃないのかな……と男を横目で見て思う。
その時、誰かが食堂に近づく足音がして、マルロはドキリとする。
「なんだ? 幽霊か?」
男がマルロにそう囁き、机の下に隠れる態勢に入りながら、不安げに扉の方を見る。マルロは首を横に振る。
「足音がするから違うよ。この足音、人間の誰かだと思うんだけど……」
男は驚いた様子でマルロを見る。
「お前以外にも人間がいるのか。ま、俺は隠れた方が良さそうだな。いちいち他のやつに説明すんのも面倒だろ?」
そう言って男は食堂内の、木箱の積まれた場所の後ろに隠れる。
それはいいんだけど、それならこの机の上にある大量の食べ終えた皿については何と説明すれば――とマルロが考えていると、食堂の扉を開けて、シルク(あれから二度寝したらしく、またもや眠そうな様子である)が入ってくる。
「おふぁよう」
シルクはマルロに気がつくと、あくびをしながら涙目で言う。
「お、おはよう……って、もうお昼だけど。ご飯食べるの?」
マルロは机の上にたくさん並んだ皿を、自分の体でできるだけ隠しつつ、恐る恐るシルクに尋ねる。
「いい。今は喉乾いただけだから……もうちょっと後で食べる」
シルクはたいしてこちらも見ず、水を汲んでガラスのコップに入れ、その場で飲み干すと、すぐに自分の部屋へ戻っていく。
シルクが何も気づかぬ様子なのを見てマルロがほっと胸を撫で下ろしていると、男が木箱の裏から出てきてマルロに声をかける。
「なんだぁ? あの子……お前の仲間なのか? 女の子だってのに、幽霊船なんかに平気で乗ってるとは……ずいぶん変わった奴だな」
「うん、僕もそう思う」
マルロがそう答えると、男はお前が言うか、といった目でマルロを見る。確かにそうだなと思ったマルロは笑って男に言う。
「じゃあ……あの子が次にここにご飯食べに来る前に、僕の部屋に行こう。これからはご飯持ってきてあげるから、そこで過ごしてもらうよ」
「ああ、わかったよ」
男が素直にそう答えるのを聞いたマルロは、そういえばこの机の上の食べ終えたお皿も、昼のうちに全部片付けないと料理長のミールやコックの幽霊たちにバレるな、と今さらながらに気が付き、男が来たことで色々と仕事が増えたことにため息をつく。
それからマルロは自分の部屋に男を招き入れ、幽霊たち、そして人間のシルクやハイロにも見つからないように、なるべくそこにいるように指示した。男は幽霊たちに見つかりたくはないからか、大人しくマルロの言う通りに従った。
男の寝床は寝袋を用意してマルロの部屋に置いてやると、俺をベッドに寝かせろ等と文句を言われるかなと思いきや、男は素直に「ありがたいぜ」と受け入れた。
その様子を見ると、もしかしてお金がなくて宿にもろくに泊まれていなかったのかな、とマルロは思った。
それから数日の間――――運よく船員たちに気づかれることなく、男はマルロの部屋の片隅で過ごした。
もしかしたらムーが部屋に遊びに来るかもしれないというのが気がかりだったが、そう考えてムーとはなるべく部屋の外で遊ぶようにしていたからか、ムーがマルロの部屋にやってくることもなかった。
その間に何かあったことと言えば――――幽霊が一人いなくなったと船員たちの間で騒ぎになっていたことだった。原因がわからずマルロも皆と一緒に首をひねったが、結局は――――冒険に満足してついに成仏したのだろうか、という結論に至った。
まさか幽霊が大の苦手の男がそれに関わるはずもないと思ったマルロは、男が船に来たことが原因だ――とは考えなかった。
そうして、男が船にやってきてから数日後の夕方のこと、前方にようやく北大陸が見えてくる。
マルロは甲板からそれを見つけると、シルクやハイロも含め誰も甲板にいないのを見計らってから「北大陸が見えたから、来て!」と真っ先に男を呼びに行く。
「おおっ、本当だな! だが、ノースの村はまだ先じゃねぇのか? なるべくノースの村に近いとこで下ろしてくれるとありがたいんだが……」
甲板で、次第に近づいてきた北大陸を眺める男にそう言われたマルロは、あいかわらず注文が多いなと思い口を
「陸に下ろせば十分でしょ? これ以上お兄さんのこと隠し通せるかわかんないし、早めに船から下りた方がいいよ」
「ま、それもそうか」
男はそれを聞いて諦めたように肩をすくめる。
「じゃ、決まりだね」
マルロはようやく男を
「海坊主たち、ちょっと……一旦前に見えてる北大陸に、寄ってもいいかな?」
マルロは早めに男を船から下ろしたいため、皆が起きてくる前のこの夕方の時間帯に、他の皆には言わずこっそりと上陸することに決める。
海坊主たちは少し不思議そうな顔をしていたが、素直に頷いた。
やがて北大陸の南端に辿り着き船を停めると、マルロは早速男に別れを告げる。
「じゃ、元気でね、カナヅチのお兄さん。早く仕事見つけてちゃんとご飯食べてね」
男はそれを聞いて苦々しげに笑う。
「ったく、こんなちっこいガキに心配されるとはな……。大丈夫だよ。こう見えても一つ、でっかい仕事のアテがあるんだ」
「そうなの? じゃあいいけどさ」
マルロは本当かな、と
その時、後ろから船室の扉が開かれる音がする。
「どうした? シルバJr.。船を停めたようだが……ここから上陸するのか?」
ヘルが船が停まったことに気づいたのか――――夕方の、いつもよりも早めの時間にも関わらず甲板にやって来ていた。
マルロはまずい、と思い顔を青くする。
「あっ、ヘル……」
ヘルと男が鉢合わせる。船員たちの中でも特に恐ろし気な見た目をしているヘルを見て、男が気絶してしまうのでは、とハラハラしたマルロだったが――――驚いたことに、明らかに動揺した様子を見せたのは――ヘルの方であった。
「……! おぬしは…………っ!」
一方の男は、幽霊が苦手と言っていたにも関わらず、なぜだか余裕の表情でヘルを見ると、ニヤリと笑う。
「よお。久しぶりだな、死神さん」
「……ゴーストバスター…………」
ヘルは動揺した様子でそう呟く。
(ゴースト……バスター?)
マルロは不思議そうにヘルを見る。
「おっと、まだお前らに手出しはしねぇぞ? 正式に依頼を受けてないんでね」
「……そうは言うが、幽霊が一人消えたのは…………おそらく、おぬしの仕業であろう?」
「ええっ⁉」
マルロはその言葉を聞いて、驚いてヘルを見る。
「ああ、あれはバッタリ出くわしちまったもんだから…………仕方なく、だよ」
男がニヤリと笑ってそう言ってのけるのを聞いて、マルロはさらに驚いた様子で今度は男の方を見る。
「そして、依頼を受けた後にでも……再びここにやってくるのだろう。ならば……他の船員たちのいない今、ここで……おぬしをやっておく」
ヘルはそう宣言すると、骸骨の奥にある目をぎらりと銀色に光らせる。しかし、船内から出る霧がまだ十分に広がっていないため――――その場から男に向かって行けずにいる。
「やれやれ、今お前らを退治したところで、金にはならねぇんだ……。相手したくはないって言ってるだろ?」
男はそう言いながらも、手に持っている木の棒に
その布がはらりと取れて見えたのは――――――三日月状に曲がった、大きな漆黒の鋭い
マルロはそれを見てハッとする。
(この人の荷物、人間に変装した時のヘルと一緒だ……。棒に括り付けてある荷物に見せかけて、この人も…………実は大鎌を隠し持っていたんだ)
ヘルのものと形は非常によく似ているが、ヘルの銀色の
「お前が戦闘態勢なもんだから、仕方なく俺もこいつを構えたが…………お互いここで戦うのは割りに合わねぇぞ? またの機会にしないか?」
「……………………」
ヘルは無言で男の持つ大鎌をじっと見据える。
「確かに今回は、この船の位置をある程度把握するために来たとはいえ……今度俺がまたお前たちの船を見つけてここに戻って来られるかはわからねぇだろ? それに、依頼を受けられない可能性だってあるんだしな。ま、俺としてはそうあって欲しくはないんだが」
ヘルは緊張した面持ちだったが、ふ、と溜息をつくと、無言でスッと大鎌を下ろす。
「交渉成立だな」
男はニヤリと笑うと、大鎌の刃を布で覆い、先ほどのように棒に括り付けた荷物に見せる形に戻す。
そして立ち上がると大鎌を肩に掛け、船の
「また今度会える日を楽しみにしてるぜ、死神さん。それに……ボウズもな」
ゴーストバスターの男は、最後にマルロに笑いかけてそう言うと、「じゃあな」と手を振りながら船を
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