第32話 シルクとシオン

 ルシアナは扉が閉まったのを見届けた後、杖でシルクとマルロをこつんこつんと小突く。すると、二人の姿が見えるようになる。二人が机の下から出てきたところで、ルシアナはシルクに向かって言う。

「シルク、あれほど声を出すなと言ったではないか」

 シルクがバツの悪そうな顔をする。

「ごめんなさい、つい…」

「まあよい。…タチアナは大丈夫じゃよ。あやつは自分でも言っておった通り、わしの孫ゆえになかなかの魔法の使い手じゃ。心配なかろう。それに、わしよりもよっぽど世渡り上手じゃからの…。将来有望な人材だと、なんだかんだ学院長やその上の人物にも可愛がられておる。それゆえか、世渡り下手でこちらに色々と迷惑をかけてくるビスコのことは、どうも許せぬみたいでな…。マルロや、おまえさんの父親について色々失礼なことを言っておったかもしれんが、許しておくれ」

「うん、大丈夫だよ。父さんが迷惑かけたなら、タチアナ先生が怒るのも無理ないし…」

 マルロは頷いてそう言うが、その隣に来たヘルはまだ根に持っているようで、ぼそりと小声で呟く。

「あの女、我らの尊敬する船長に対して好き放題言っておった…どうも好かぬ」

「…お師匠さまがこんなに根に持ってるの、珍しいや」

 いつの間に隣に来ていたのか、マルロのすぐ隣からムーの声が聞こえてきて…マルロにだけ聞こえるようにそう耳打ちする。

「さて、おぬしらの帰り道の件じゃが…どうしようかのう。先程脅しておいたとはいえ、この部屋を出れば何をされるかわからぬからな。この塔の螺旋階段を使うと待ち伏せされておる恐れがあるが…」

「それなら大丈夫。この部屋にいる死霊たちは皆姿を消せるから、先回りして人がいないか見てもらうわ。それにその中でもヘルは…死神なんだけど、人の魂を刈ることができるから。誰かが待ち伏せていたら何とかしてもらうつもり。ね、ヘル」

 シルクがそう言うと、ヘルが姿を消したままそれに答える。

「ああ…なるべく命は取らぬようにしておるが、相手の動きを止めることならば、可能だ」

「なんと、そんなこともできるのかえ。死神か…そんな死霊までおるのか…」

 ルシアナは驚いた様子で話を聞いた後、軽く頭を振る。

「師といえども奴のやることはわからぬものじゃ。…マルロや、せっかくここまで訪ねてくれたにも関わらず、ビスコの作り出した霧やおまえさんの魔力の放出の件…明確な答えが出せずにすまんかったな」

「ううん、大丈夫。父さんの話、いっぱい聞けて嬉しかったよ」

 マルロがそう答えるのを聞いて、ルシアナは優しく微笑む。

わしも、生きているうちにおぬしに会えてよかったぞ。今後ここに来ることは難しいのじゃろうが…いずれまた会えると嬉しいよ。マルロ…それにシルクも」

「ええ、お師匠さまも…お元気で」

 シルクがそう言う横で、マルロはもう一つ聞いておきたいことを思い出し、はっとする。

「そうだ!あの、最後に一つだけ聞いておきたいんだけど、僕の父さんが今どこにいるかとか…父さんの行きそうな場所に…心当たりとかないかな?」

 ルシアナはそれを聞いて少し考えこんだ後、口を開く。

「ううむ、奴の行きそうな場所はわからぬが…しばらくの間姿を見せていないとなると…そうじゃ、が見つかるとされている場所については心当たりがあるな。あそこやもしれぬ」

「え、どこ!?」

 マルロがそれを聞いて思わず身を乗り出す。

「…ノースの村じゃ。一般的には知られておらぬが、北大陸の広大な森林の中にあるノースの村は…不思議なことに外界とは時の流れる速さが違うという昔の言い伝えがあってな。なんでもその中にいる間は、外界では時がほとんど経たぬそうじゃ。それがまことだとするならば、ノースの村にビスコがいる間、外の時間はあまり進まぬとすれば…もしかすると現在、奴がノースの村の中にいる可能性があるやもしれぬ、という訳じゃ」

「時の流れが違う…そんなことあるんだ…」

 マルロは驚いた様子でその話を聞いている。ノースの村は森林に囲まれた秘境の村で、そこはしんとした静かな場所で神秘的な雰囲気をしているそうで、一度行ってみたい場所ではあったが…知られていないというルシアナの言葉の通り、時の流れる速さの違いについてはマルロの読んだ本には書かれていなかった。

「…と、もう用がなければそろそろ行った方がよい。この塔に魔法を使える人手を数多く集められては、死神がいるとはいえ厄介じゃろう。今のうちにこの学院…そしてウエスの街からも、できるだけ早く逃げ出すのじゃ」

「わかった」

 マルロが頷くと、後ろから…しばらくの間静かだった幽霊の声が聞こえてくる。

「じゃ、シルクの言う通り、俺たち幽霊が先に行って見張りを担当するからな。ヘルは人間に見つかった時に頼むぜ」

「心得た。…ムー、おぬしはまだ人間相手に鎌は振るうな。先程の廊下でのことは…緊急時ゆえとがめぬが」

「わかりました、お師匠さま」

 ムーの声がマルロの隣から聞こえてくる。

「じゃ、行きましょ。大師匠さま、また会う日まで…どうかお元気で」

 シルクがルシアナに別れの挨拶をするのを聞いて、マルロもそれに続くように言う。

「あ、いろいろ教えてくれて、ありがとうございました!ええと…大師匠さま」

 マルロは、ルシアナが自分の父親の師匠であることを思い出してそう呼ぶと(マルロはシルクと違い親から死霊術を習っていないため、厳密に言うと間違った呼び方なのだが)、ルシアナは目を見開いてマルロを見た後、にっこりと微笑む。

「ああ。可愛い子供たちや、二人の旅路に…幸多からんことを」

 ルシアナは最後に、部屋を出て行く二人の後ろ姿に向けて杖を優しく振り…キラキラとしたようなものを撒くように何やらまじないをかけた。



 一行いっこうはルシアナの部屋を出て、塔の螺旋階段を降りてゆく。俺たちに掴まれば運んでやるぜ、という幽霊の申し出を、シルクが「空飛んでると…幽霊がいるとか何か勘づかれるかもしれないから」と言って断ったため、マルロとシルクは急な階段を自分の足で駆け降りることにした。

 階段の途中で誰かに出くわすことはなかったが、そろそろ一番下までたどり着きそうなところで、偵察のために先に行っていた幽霊が戻ってきて、囁く。

「下に待ち伏せてる魔法使い連中がいるぜ。霧が見られると何か勘づかれてまずいかもしれねぇから、早々に戻ってきたが…俺たちゃ武器がないから何もできねぇし、ヘル…頼めるか?」

「ああ、我が先に行って対処しよう」

 ヘルは頷いてそう言うと、皆を追い越して先に行く。

「ヘル、魔法使い相手に大丈夫かな」

 マルロが不安そうに言うと、横にいたムーが答える。

「お師匠さまなら大丈夫だよ。それにマルロ、僕らが不死身だってこと忘れたの?」

「そっか…そうだよね」

 マルロがそう言うと、早々にヘルが戻ってくる。その手の中には、刈ってきた魂が三つ揃っていた。

「もう大丈夫だ。くぞ」

 マルロがヘルの仕事の速さに目を丸くしつつ残りの階段を降りると、ようやく階段の終わりが見えてくる。そして長かった塔の階段から学院の中心とも言える建物に辿り着く。そこには、先程学院長とともに来ていた三人の教師と思われる魔法使いが、床に突っ伏しているのが見えた。

「ここからは、人通りの少ない道をあたしが案内するわ。この学院のことはよく知ってるから…」

 シルクがそう言うので、一行いっこうはシルクについて行く。シルクは皆の前に出て偵察している幽霊も追い越すくらいの速足で、どんどん歩いてゆく。

「すでに学院の端まで来てるから、そんなに人に見つかるような場所は通らずに外に出られるはず。それに万が一誰かに見つかっても、スカーフ巻いたあたしとアンタ…ただの子供二人に普通、生徒は注目なんてしないだろうし、ちょうどあたしたちを探してる人に見つからない限りは問題ないわ。待ち伏せてた人もヘルが対処してくれたし、増援もしばらく来ないだろうから、ここからはそんなに警戒しなくても大丈夫なはず………」

 シルクはそう言いながら廊下の角を曲がる。マルロもそれに続いて曲がると、先程まで速足で歩いていたはずのシルクが…角を曲がったところでぴたりと立ち止まっていたため、もう少しでぶつかりそうになる。

「シルク、どうしたの?一体何が…」

 マルロは不思議に思い、立ち止まったままのシルクにそう尋ねた後、シルクの目線の先にいる人物を見て…シルクと同様に絶句する。二人の前には…シオンが行く手を塞ぐように立っていた。

「…やっぱりな。帰る時はここを通ると思ったよ。おまえ、人通りの少ない場所が好きで、毎日この道を通って家に帰ってたもんな」

「…! なんでアンタがここに……っ」

 シルクは驚いた様子で目を見開き、顔を青くしてシオンを見ていたが…やがていつもの愛想のない無表情の顔に戻ると、シオンに向けて言ってのける。

「っていうか、なんでそんなこといつまでも覚えてんのよ。気持ち悪い」

「気持ち悪いって、おまえなぁ…!」

 シオンはその言葉を聞いて激昂した様子だったが…横にいるマルロを見ると冷静になって口をつぐみ、マルロのことをあごで指して言う。

「そーいやおまえ、男できたのかよ。さっき見たぞ、廊下でそいつと手を繋いでるところ」

「…えっ?」

 マルロは思わず声を漏らすと、シルクと手なんて繋いだっけと思い返し…そういえばタチアナに拘束された後、廊下でシルクが手を差し伸べてくれたのでその手を取って、一緒に歩いたことを思い出す。そして、それをシオンに見られていたのかと思うと…マルロは突然その事実が恥ずかしくなってしまって顔を赤らめる。

 一方のシルクはその言葉を聞いても全く感情が揺さぶられていないようで、冷静な様子で口を開く。

「…アンタがなんでここにいるのか、ようやくわかった。今の学院長が言ってた、廊下の一件を見てた生徒って…アンタだったんだ。こそこそ盗み聞きして密告するなんて、相変わらず趣味悪いわね」

 シルクはそう言った後、眉をひそめて不快そうにシオンを見る。

「それに、男できたのかって聞いたけど…アンタ、まだあたしのことそういう目で見てたわけ?」

 シオンはそれを聞いて顔を真っ赤にする。

「なっ…そんなわけないだろっ!誰が未だに…死霊術なんか使う気味の悪いヤツのこと…っ!」

 シオンはそう言ってしばらくシルクを睨みつけた後…少し落ち着いて息をついたところで、静かに言う。

「おまえ、思い上がりにも程があるよ。ちょっと見た目がいいからって…。それに、相変わらずの態度だな…反省してないのか?」

 シオンは少し意地悪な笑みを見せる。

「俺と仲良くしとけば、おまえの親…死んだりしなかったのに。おまえが俺のこと…拒否したりするからいけないんだ」

 シルクはそれを聞いても動じる様子はなかったが、しばらく黙り込み…やがて口を開いてぽつりと言う。

「…そもそも、それ以前に…同じ紫系統のオーラを持ってて偶然隣の席だったからって…はじめにアンタなんかとつるんでたことについては反省してるわ。あたしの母さんのこと、アンタに話したりしなければ、母さん…捕まったりしなかったもの。だから、アンタなんかと一時いっときでも仲良くしてたことは一生後悔するでしょうね」

「こいつ…」

 シオンはシルクを憎しみのこもった目で睨みつける。

「きっと後悔するぞ、俺を敵にまわしたこと…。例えば今だって、俺が大声で叫んだら人が集まってくるかもしれないぞ?それでもいいのか?」

「…ヘル、やっちゃって」

 シルクはそれを聞いて…シオンが次に何か言いだす前にと、急いで言う。するとすぐさまヒュッという風を切る音がしたかと思うと、シオンがその場で気を失ったようになる。マルロはそのままではシオンが倒れて顔面を思いっきり床に打ちつけそうなのに気づいて、倒れてきたシオンの体を慌てて手で受け止める。

「ありがと、ヘル。せいせいしたわ」

 シルクはスッキリした様子でそう言った後、シオンの体を受け止めた後でそっと床に寝かせているマルロを見て眉をひそめる。

「アンタ、そんなヤツのことなんて放っておきなさいよ。アンタだってさっき、教室でそいつに嫌なこと言われてたでしょ?」

「そ、そうだけどさ…」

 マルロがもごもごと言うと、シルクが小さく溜息をつく。

「ホント、お人好しなんだから。あたしは、こいつのことはちょっと許せないから…こんなヤツに今取った魂…返さなくてもいいって思ってるくらいなんだけど」

「…だが、死神の掟として、まだ死ぬ予定でない魂を勝手に処分することは許されぬ行為であるからな。持ち主に返さぬとすれば、このまま持っていくことになるが…幽霊船まで持って帰るとあの霧があるからな。船でこの魂が間違って幽霊にでもなったらどうする気だ」

 ヘルの言葉を聞いて、シルクは思いっきり顔をしかめる。

「確かに…それは嫌かもね。幽霊のあいつと船で一緒に暮らすなんて…考えただけでも最悪。じゃ、帰るまでにはどこか適当な場所に捨てて帰りましょ」

「ああ。それが最善だと思う」

 ヘルがシルクの言葉に頷く。マルロはシルクがシオンのことを尋常でないくらいに毛嫌いする態度に先程から驚いていたが…ようやくそれを口にする。

「…ねえシルク。話を聞いてる感じだと、初めはシオンと仲良くしてたんだよね?一体何があったの?」

 マルロが気になっていたことを恐る恐る尋ねると、シルクは意外にもあっさりと答えてくれる。

「ああ、あいつとは、初めはクラスメートとしてまあ普通に話してたんだけど、ある日…あいつから好きだって告白されて。でもあたしにはそんな気なかったから断ったら、ころっと態度変えて…それからはものすごく敵対心を持たれてね。死霊術が禁忌になってからは、あいつに前に話してしまってた内容…母さんが死霊術やってることもバラされた。ホント器の小さい男。もう二度と会いたくないわ」

 シルクは汚らわしいものでも見るかのように、床に倒れているシオンを見下ろす。

(あの優等生でクラスの人気者みたいなシオンが、シルクのことを…?シルクって綺麗な顔してるとはいえ、いつも無表情で愛想なんて全くないのに…案外モテるんだなぁ)

 マルロが口をぽかんと開けてシルクを見ていると、シルクがマルロの視線に気づいた様子で言う。

「…何ぼさっとしてるの?こんなとこでぐずぐずしてないで、こいつはここに放っておいて早く行きましょ」

「ああうん、わかった」

 マルロは慌ててそう言うが、シルクはもう待てない様子で、マルロの返事を待たずに腕をむんずと掴み、マルロを引っ張りながら再び速足で移動する。すると、やがて前方に外の光が小さく見えてくる。

「ほら、もうちょっと行ったら外に出られるから…そっから先はもう人目を気にする必要もないし、さっさと飛んで帰りましょ。ね、また空飛ぶのお願いできる?」

「ああ、もちろんさ」

「いっくらでも任せな!」

 幽霊たちがそう言うのを聞いて、シルクは少しほっとした様子でマルロに言う。

「学院から脱出したら…やっと幽霊船に戻れるわね。早くアイリーンに会いたいわ」

 マルロはそれを聞いて、そうだ、いろいろあったけどようやく幽霊船に帰れるんだと思い…その喜びを噛み締める。

「うん、早く帰ろう、僕らの幽霊船へ!」

 そう言って幽霊船で待っている皆の姿を思い浮かべたマルロの顔からは…自然と柔らかな笑みがこぼれた。

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