第31話 学院長との対峙

 マルロとシルクが机の下で息を潜めていると、部屋の向こうからコン、コンとノックの音が聞こえてくる。


 ルシアナは杖先を扉に向ける。すると、扉についている大きな南京錠がひとりでに動くのが見えて、ガチャリと鍵がかけられる。

 そして扉の向こうから、施錠されている扉を開けようとするガチャガチャという音がした後、舌打ちとともに苛立ったような男の声が聞こえてくる。


「ルシアナ女史、ここを開けてください。丁寧にノックをした客人の目の前で鍵をかけるなど、無礼千万ですぞ」


 ルシアナは無言のまま、つーんとしたすまし顔をしている。それをタチアナは呆れた様子で見る。

「ちょっと、おばあちゃん、まだ要件も聞いてないんだし、ここは無理に逆らわない方がいいんじゃ……」


「開けないということは、四大陸の代表者とも言える……あのお方を敵に回すおつもりですかな?」


 やがて再び扉の向こうから声が聞こえてくる。ルシアナは大きく溜息をつく。

「今おまえさんの相手をするのも面倒じゃが…………あやつと揉めるのも後々面倒か。仕方がないのう」


 ルシアナは再び机に立てかけた杖を手に取り、杖先を扉に向ける。すると南京錠が外れると同時に部屋の扉がガチャリと開く。


 深緑色のローブを着た男を先頭に、同じく魔法使いの着るようなローブを着ている大人たち――――この学園の教師と思われる数名の人物が扉から現れる。


「学院長、何か用かな? 今、古い魔導書の解読で忙しいのじゃが……」

 深緑色のローブの男――学院長が、ルシアナを睨みつける。

「しらばっくれないでください。この部屋にはおそらく『銀の瞳』の息子と、以前処刑されたネクロマンサーの娘がいるのでしょう? ある生徒から報告を受けましてね。タチアナくんが教室から出て行ったのをいぶかしげに思った生徒の一人が、君たちの様子を廊下で見ていたようですぞ」

 学院長は、タチアナの方を見る。

「タチアナくん。生徒をほっぽり出して授業を抜けるものだから、生徒たちが心配していたよ。生徒から話を聞いて、事情は把握しているが……。そうそう、君が連れだした例の生徒は、一体どこにやったんだね?」

「それは…………」

 タチアナが口ごもっていると、ルシアナが代わりに答える。

「タチアナは、おまえさんのところにその生徒を連れて行くつもりだったようじゃが……わしが無理やり、それを引き止めたんじゃよ」

「……あなたが? その生徒の証言によると、あなたは廊下にいなかったはずだ」

 学院長は探るような目でじろりとルシアナを見る。

「まあいい……。じゃあ、その生徒のことはどうしたんです?」

 ルシアナはそれを聞いて首をかしげる。

「さあてな? とっくに学院を出て行ったんじゃあないかね?」

「……本当ですか? この塔に唯一ある螺旋階段ではすれ違いませんでしたが。それに、それが真実だとすると、あなたは……『銀の瞳』の息子を逃がしたというのですか? それならば、やはりあなたは『銀の瞳』の師とも言える人物なのでは……」

「はて……何のことやら。奴も一応この学園の生徒だったからな、顔は知っているとはいえ…………弟子にとった覚えはないよ」

 ルシアナは素知らぬ顔でそう言ってのける。

「あくまで知らぬふりを通すというのですね? 息子についても、先程出て行ったと言ったが……有り得ない。子ども二人がここにいることはわかっているんだ。さしずめこの部屋のどこかに姿を隠しているのでしょう。……我々が今から捜索しても、問題ないですよね?」

 学院長はそう言うや否や、ずかずかとルシアナの部屋に足を踏み入れる。


「それ以上近づくでない」


 ルシアナは険しい表情でぴしゃりとそう言い放ち、杖を振り上げる。

 学院長の前に突然見えない壁が現れ、学院長は勢いよく額を打ちつけよろめき、数歩後ろに下がる。


「この部屋は……わしの領域じゃ。貴重な魔導書もたくさんある。おまえさんなんぞに土足で踏み入れられたくはないわ」

 学院長は、赤くなった額をさすりながらルシアナを睨みつける。

「な……何を! この私、学院長に向かってその言い草は…………。ここの魔導書だって、元は学院のものなのですぞ!」

「いいや、違うね。この部屋にあるものは全部、わしが学院長だった頃に自分で集めたものさ。おまえさんたちに譲る気はないわ」


 学院長は顔を真っ赤にさせ、怒りに満ちた表情で呟く。

「……年上だからと敬ってやっておったら、つけ上がりおって……。今だに時代遅れの杖など使っている老いぼれのくせに……」

 ルシアナは机に立て掛けてある杖に触れ、愛おしそうに眺める。

「杖は、老人が体を支えるための必需品じゃろう? 持っていて何が悪い。魔法に使うのも、単なる昔からのクセじゃよ……これがないと魔法が使えぬ訳でも無いわ」

 ルシアナは杖から目を離し再び学院長を見ると、鼻で笑う。

「それより、おまえさんこそ何か勘違いをしておるのではないか? わしが学院長を退しりぞいたのは、おまえさんの後ろについている奴らが怖いからでも、おまえさんのことを認めたからでもない。これ以上政治絡みの面倒なことに巻き込まれたくないからじゃ。ただでさえ老い先短いというに、残りの人生……そんなつまらぬことに時間を取られるわけにはいかぬのでな」

 学院長はそれを聞いて目を見開くが、ルシアナは涼しい顔で話を続ける。

「それゆえ、おまえさんが学院長になったからといって……大人しく従う気はさらさらない。わしの魔道研究を邪魔するというのなら、なおさらじゃ。第一、おまえさん、儂に魔術でかなうとでも思っておるのか? それとも、その……『四大陸の代表』とやらに後ろ盾になってもらっておるから何も怖くないと?」

 学院長はそれを聞いて唇を噛み締める。ルシアナはにやりと笑みを浮かべ、何か考えるようにあごに手を置く。

わしに逆らうのであれば、そうさな……手始めに、この学院を浮かべている大岩を……今ここで、街の上に落としてみせようか? あれはわしらが学院を作った時に、この学院の魔道の知識が外部に漏れにくくするために浮かべたものでな。当事者でもあるわしの手にかかれば、それくらい造作もないことよ」


 マルロはそれを聞いてぞっとする。横にいたシルクが「大師匠さまがそんなことするはずない……単なる脅しよ」とマルロにだけ聞こえるように小声で呟く。


 学院長もルシアナの言葉を聞いて、さっと青ざめる。

「な……何を言ってるんだ! そんなことをしたら、この学院もただでは済まない! それに、岩の下にあるウエスの街に一体どれほどの犠牲者が……っ」

 ルシアナはそれを聞いて鼻をならす。

わしゃそんなことよりも、どれだけ多くの魔術を紐解いて後世に残すか……そっちの方に興味があるんでね。それに、大岩が街に落ちたとならば、この責任は学院長のおまえさんにも及ぶんじゃないかね? 学院の大岩をウエスの街に落としたわしに対し、目の前で見ていることしかできなかったとあらば、そのおまえさんの後ろ盾の……あの男が許すわけもなかろう?」


 学院長は呆然とその場で立ち尽くしていたが――――突然地面に突っ伏し、勢いよく土下座をする。

「わ、わかった……言う通りにするから! もうやめてくれ! ウエスの街には、私の家族もいるんだ……! それだけじゃない、この学院の生徒たちの家族だって……」

「……それは生徒思いなことじゃな。おまえさんも、欲さえ出さなければ、わしよりもまともな教師だったのかもしれぬな」

 ルシアナはそう言って苦笑いをした後、話を続ける。

「学院でおまえさんが何をしようと、引退した身ゆえ干渉はせぬがのう……この部屋からは、さっさと出て行ってもらおうか」


 学院長はそれを聞いて大人しく頷き、扉の方へ向かうが――――くるりと振り返り、タチアナに向けて言う。

「タチアナくん、君はこちらに来……今回のことを説明する義務がある。わかっているね?」

 タチアナはそれを聞いて、既に覚悟ができていたようで――顔を引き締め、ゆっくりと頷く。

「ええ……もちろんですわ、学院長」

 タチアナがそう言うと、マルロの横にいたシルクが――――思わず声を出してしまう。


「先生、行っちゃダメ! 何をされるかわかったもんじゃないわ!」


 学院長はそれを聞いて目を丸くし、きょろきょろと辺りを見渡した後、何か言いたげにルシアナを見るが――――先程脅されたからだろうか、何も言わずに大人しくしている。


 それを聞いてタチアナは微笑む。

「あら? 誰の声だか知らないけれど……大丈夫よ。私……何も悪いことしてないもの。私は祖母とは違って命令通り、マルロくんを学院長に引き渡すつもりだったし。ここに連れてこられたのだって、脅されて仕方なく来たんだから」

 タチアナはそう言った後、ルシアナの方をちらりと見る。

「それに……私だって、大魔術師――ルシアナの孫だもの。いざとなったら自分の身くらいは守れるのよ?」

 学院長はそれを聞いて、タチアナに視線を移し――――少し強ばった表情になる。タチアナはその視線に気づいていないふりをしながら、学院長に声をかける。

「じゃ、行きましょうか? 学院長。ああ、そういえば私のクラスの授業は……」

「……代わりの教師を手配した。そちらに関しては、問題ない」

「ああ、そうですか。生徒たちには悪いことをしてしまいましたわ。後で謝らなくては」


 タチアナは何事もなかったかのように涼しい顔で学院長と会話をしながら、部屋の扉に手をかけ、部屋にいる皆に向けて軽く目配せをした後、ゆっくりと扉を閉める。


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