第9話 悪い知らせ

「僕はマルロ。君とははじめまして……ではないんだよね。声は聞いてたわけだし」


 マルロは恐る恐るサタンに声をかける。サタンはじっとマルロを見ていたが、やがて口を開く。


「それだけじゃねぇぜ? お前とは、昔――と言っても悪魔の俺様にとっちゃあ最近のことだが、赤ん坊の頃にも……お前を見たことがある」

 マルロは目を丸くする。

「本当に、僕よりも長生きなんだね。それより……気になってたんだけど、君はどうして僕に喋りかけたりするの?」


 サタンは何を言おうか思案しているようだったが、やがて口を開く。


「お前の父親と俺はな――――ちょいと因縁があんだよ。だから息子のお前も、俺とは無関係って訳じゃねぇってことだ」


 サタンはそう言うが、マルロに話しかける詳しい理由については教えてくれないようで、そこまで言うと黙り込み、探るようにじろりとマルロを見ている。

 マルロも同じくサタンを見ていたが――――ふと、こないだのサタンとの会話を思い出す。


「まぁいいか。この前も言ったけど、君の言葉のおかげで僕はこの船に来ることができたわけだし。本当に感謝してるよ。ありが――」

「うるせぇ! お前のために言ったんじゃねぇよ‼」

 サタンはマルロが礼を述べようとするのを遮り、顔を怒りで歪ませ、吐き捨てるように言い放つ。


「……だが……ここから先の話を聞いても、お前がまだそんなことを言ってられるかどうかは、なかなか見ものだな」

 サタンはそう言うと少し気を持ち直したようで、ニヤリと笑う。マルロはそんなサタンの様子を見て尋ねる。

「僕に用事って……もしかして、僕に何か話があるの?」

「ああ。いい知らせを持ってきたんだ。あんまりいい知らせなもんだから、いつもみてーにお前の脳内に喋りかけるだけなんじゃつまんねぇし、直接俺様の口からお前に言いたくなってな。ま、悪魔の俺様にとってのいい知らせだから、お前にとってはその逆……てことはわかるよな?」

 マルロはそれを聞くと嫌な予感がし、何を言われても気持ちを保てるようにと――覚悟を決めた後、尋ねる。

「何なの? 悪魔の君がわざわざ来るほどの知らせって……」


 サタンは今までで一番いやらしい笑みを浮かべると、ベッドから降りてマルロに近づき――――耳元でそっと囁く。


「お前の叔父さんとやらの一家だがな――――――皆、死んだぞ」

「え…………」


 マルロはそれを聞いて、目を見開き――――その言葉の意味がわかった瞬間、その顔がみるみる青ざめてゆく。


 サタンはしばらくそんなマルロの様子を満足気に眺めた後、パチンと指を鳴らす。空中に、マルロも叔父の家で見たことのある南大陸の新聞が突然現れ、パサリと床に落ちる。


「そこに書かれてあるが……お前の叔父一家の住んでた家が真夜中、火事で丸焼けになったらしい。詳しいことは書かれちゃいねぇが――――間違いなく、お前が家から逃げ出したのが原因だ」

「え…………⁉」

 マルロは目を見開いたまま、サタンを見る。


「お前は知らねぇんだろうが……お前の父親の罪は、お前が思っている以上に重罪でな。本来、一族皆殺しにされるレベルなんだよ。そこを叔父一家は、お前を育てつつ監視する役目を背負うことで免れ、ギルドで儲けてる人だってこともあって恩赦があり、金を払えば普通の暮らしができるように取り計らわれてんだ。しかし…………」

 サタンはニヤついた顔のままマルロを眺める。

「お前が逃げ出したことで、叔父一家のお前を監視する役目が失敗した。その後どうなったのか知ったこっちゃねぇが……お前を逃がしたことへの怒りのあまり、それを許さない誰かさんに燃やされたのか――――それかお前の逃亡を知って、こうなった以上もう助からないと思って家に火を放ち……一家で心中でもしたんじゃねぇか?」


 マルロはショックのあまり頭が真っ白になっていたが――――――サタンの言葉を聞いて、どちらも考えられると思った。

 マルロの監視に時折叔父の家に来ていたキツネ目のスーツの男は独特の――なんとも恐ろしい雰囲気を醸し出していたため、怒らせようものなら何をするかわからない。それに、叔父たちが自殺するというのも――周りの目を常に気にしていて、心配性の叔父さんと叔母さんの性格を考えると、あり得ると思ったのだ。きっと、これ以上罪人の親族だということで、生き恥をさらしたくないと思ったのではないか……。


「なあなあ、お前、今どんな気持ちなんだ? 教えてくれよ」

 放心状態のマルロを見て、サタンはニヤニヤが止まらない様子で尋ねる。


「……それくらいにしなよ。さもないと……スケルトン部隊を連れてきてやる。それに………一流の死神の、お師匠さまを呼ぶぞ」


 扉の外からムーの声が聞こえてくるが――――その声は、かすかに怒りに震えているようだった。マルロはその声を聞いてようやく我に返る。


「チッ……邪魔が入ったな」

 サタンは扉の方を見、舌打ちしながらそう言うと、くるりと向きを変え、マルロを一瞥いちべつする。


「じゃあな。またいつか邪魔するぜ」


 サタンは指をパチンと鳴らし、その場からパッと姿を消す。すると、それと同時に船長室の扉がガチャリと開く。


「……やっと開いた! マルロ、大丈夫⁉」

「うん……僕は、大丈夫だけど……。でも…………っ」


 マルロが泣きそうな顔をしているのを見て、ムーはマルロの元に駆け寄り、ベッドに座るよう仕草で促す。マルロがベッドに腰かけると、その背中をさすりながらマルロに優しく声をかける。


「あいつ、意地悪なヤツだよな。悪魔ってヤツは、時に残酷なくらいに悪戯いたずら好きだから気をつけなよ。それに……あいつの言うこと全部、に受ける必要はないよ? 悪魔なんて、嘘つくことが当たり前なヤツらばっかりなんだもの」


 マルロは頷いたものの、サタンの言っていることが全て的外れだとは思えなかった。少なくとも、叔父一家の皆が死んでしまったということは、新聞に書かれてあるとおり――――真実のようだ。


「僕……今日はもう寝るよ。それと……さっきのことは誰にも言わないで。この船の皆に心配かけたくないし……」


 マルロは優しいムーの言葉さえも今は聞きたくない、一人になりたいと思った。それに、また他の船員に何か聞かれるのも嫌だったため――――そう言うとムーに力なく笑いかける。


 ムーはまだ心配そうな表情でマルロを見ているが、こくりと頷く。


「マルロがそう言うなら……わかったよ。おやすみ、マルロ」


 ムーはそう言うと、ふよふよと浮遊して部屋から出ていき、扉をそっと閉めた。




 その夜、マルロはベッドに入ってからもずっと、叔父一家のことを考えていた。


(大罪人の子どもの僕だけが、親の分の罪を償う必要があるんだと思ってて、まさか、叔父さんたちまでお金を払ったり僕を育てることで償っていたなんて……思いもしなかった。その考えの浅さのせいで、僕の行動が……叔父さんたちを死なせてしまったんだ)


 マルロは涙をこぼし、これまでの日々のことを考える。そして、叔父一家には仮にも世話になっていたことを思い出し、それなのに僕は彼らを――――といった思考を何度も何度も繰り返していた。




 結局マルロはそのまま寝付けず、気が付けば朝になり――――甲板から船内へと船員たちが入ってくる音が、上の階から聞こえてくる。


(……もう朝なんだ。甲板に行かなきゃ)


 マルロは寝間着から普段着ている服に着替えようとして――――ふと、父親の残したコートを見る。


(……一族皆殺しの大罪って……父さんは、一体何をしたんだろう)


「マルロぼっちゃん、起きてますかい?」


 コンコンとノックの音が聞こえた後、ゾンビのサムの声がする。その慣れ親しんだ声を聞くと、マルロは思わず涙がこぼれそうになる。

 いっそサムにだけは昨日のことを打ち明けようか――――とも一瞬考えるが、首を横に振り、扉の向こうのサムに向かって言う。


「うん、今から甲板に行くね。あの……ちょっと今食欲がないから、朝ご飯は食べないって、ミールに言っといてくれるかな」

「へえ。わかりやしたが……大丈夫なんですかい?」

 サムの心配そうな様子の声を聞き、今部屋に入ってこられると自分の顔に涙の跡がついているのがバレそうでまずい、と思ったマルロは、元気めの声を何とか絞り出す。

「うん! お腹減ってないだけだから! 大丈夫だよ!」

「なら、ミールに言っておきやすね。お昼は用意させて置いときやすから、食べに来てくだせぇね」

 サムはそう言い、やがて船室の階段を上がっていく音がする。それを確認すると、マルロは溜息をつく。

(今はこの顔だし、なるべく誰にも会いたくないから朝ご飯は抜こう。それで、皆が船室に入ってくるまで待って――――もうちょっと時間が経ってから、甲板に行こう。それから先は…………海を見ながら、考え事でもしよう……)



 マルロは船員たちの多くが船内に入ったタイミングを見計らって、甲板へとやってくる。霧を船内に閉じ込めるため、甲板に続く扉はすでに閉まっていた。

 マルロは船のヘリにもたれかかって座り、船の周りに残った霧が、海風によって自然に晴れるのを待つ。


「また会ったな、少年」


 声をかけられたマルロはギクリとするが、その声の主がハイロであることに気が付くと――――なぜだか少しだけホッとする自分がいた。もしかしたら、船員ではない部外者のハイロになら、弱みを見せてもいいと思えたのかもしれない。


「ハイロさん……」


 声をかけてきたハイロは、マルロの泣きらした顔を見ると少し驚いた様子だったが――何も言わず、隣に腰を下ろす。


 そのまましばらく二人でその場にたたずんでいたが――――――霧が風で流れ、やがて海や空が見えるようになってきたところで、ようやくハイロが声をかける。


「……何かあったのか? 少年」


 マルロは、しばらく黙っていたが――――ハイロには打ち明けようという気持ちになっていたのだろうか、ポツリとこぼしてしまう。

「僕のやったことで…………人を殺してしまったみたいなんだ」

「……人を、殺した?」

 ハイロは表情を変えないまま、マルロの方を見る。

「僕、大罪人の息子で…………本当は外に出ちゃいけなかったんだ。でもずっと僕を育ててくれてる人に、迷惑ばかりかけてるのが申し訳なくて、良かれと思って家出して……ここに辿り着いた。でも、僕が逃げ出したことは、その人たちにとっても悪いことだったみたいで、そのせいで、その人たちが死んだって知って……」

 マルロは淡々と話していたが、そこで声を震わせる。

「……僕のせいだ。僕が逃げ出したりしたから……っ」


「……で、少年は、逃げ出したことを……後悔しているのか?」


 その言葉を聞いたマルロは、驚いた様子でハイロを見る。何か、自分を責める言葉か、慰める言葉が返ってくるかと思いきや、思ってもないことを聞かれたからだ。


 そして、その言葉について考えた後――――口を開く。


「僕自身は……ここに来られてよかったって、今までずっと思ってた。でも僕のせいで、お世話になった人たちが死んだと思うと……わからないんだ。もしかしたら、来るべきじゃなかったのかもしれない…………」


 ハイロはしばらく黙っていたが、やがて口を開く。

「少年は、自分が逃げることで、その死んだ人たちに及ぼす影響を知らなかったんだろ? それを知っていて、それでも自分のために逃げ出したのとは訳が違う。それに少年がそれを知らなかったのは、少年に対していろいろと内緒にしていたその人たちにも問題があるんじゃないか? そのせいで、少年はその人たちに及ぼす影響についてまで考えることがができなかったんだ。少年だけのせいじゃあない」

「……でも……」


 ハイロの言っていることは正しいようにも思えたが、マルロはそれでも、自分のせいで叔父一家の皆を死なせてしまったことについては、どうしても吹っ切れずにいた。


 そんなマルロの様子を見て、ハイロは視線を落とし――――まるで自分に言い聞かせるように、うつむいた状態でポツリと言う。


「…………人に迷惑かけねぇように、良かれと思った結果がこうなったんだろ。そんな風に、自分の思った通りにいかないことなんか…………生きてると、ザラにあるぜ」


 マルロはその言葉を聞いてハッとし、ハイロを見る。ハイロはマルロを横目でちらりと見た後、再び視線を甲板に戻し、話を続ける。

「だからって考えることを放棄していい訳じゃあねぇが……考えたところで、必ずしも正しい答えを選べる訳じゃねぇなら……迷った時は、正しい方法だとか、最善の策ばっか考えねぇで、自分の心が赴く方――やりたいこと、直感でいいと思う方を選べばいいんじゃねぇかと、俺は思うね。……廃人状態の俺にそう言われたところで、説得力はねぇだろうがな」

 ハイロはそう言ってつばの広い帽子を少し下げ、顔を隠す。


 マルロは、ハイロの言葉を聞いて――――――少しだけ、心が晴れたような気がした。


(……みんなが、正しい判断ができるわけじゃないんだ。今回、誤った判断で人を死なせてしまったのは反省しなきゃいけないけど……それをずっとくよくよしてたって前に進めない。それに、僕は世界を見たいって……心の赴く方に向かって行動したから、幽霊船の皆と出会えた今があるんだ――――)


「ううん。いろいろ言ってくれたおかげで、僕……ちょっぴり元気出たよ。ありがとう、ハイロのおじさん」


 ハイロは帽子を少しだけ上にあげて再びマルロを見――――かすかにニヤッと笑うと、一言呟く。


「……頑張って生きろよ、少年」


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