南の海域

第5話 生命の壺

 マルロは幽霊たちに促され、幽霊船の船室のドアの前に立つ。


 船室のドアは元々開いていて、船内から紫色の霧が出ているようであった。そのため船内にも霧がたちこめており、常に視界が悪い状態であった。

 おまけに船内はひんやりとしていて、あちこち蜘蛛の巣と埃だらけでかび臭く――――時折腐臭のような匂いもし、マルロは思わず顔をしかめる。


 それを見た幽霊たちは笑って言う。

「すまんね、人間のシルバJr.にとってはちょっとばかり匂うだろう」

「でもこればっかりは、慣れてもらうっきゃないね」

「なにしろ、船員の一部が死体なもんだから……中にはゾンビだっているしね」


 マルロはそれを聞いて思わず青ざめるが――皆が自分を温かく(船内は寒々しかったが)迎え入れてくれることはありがたいことこの上ないし、それに――――清潔で温かい場所であっても、内心では恐らく煙たがられていたサウスの街での暮らしよりはいいのかもしれない、と思い直し、頷いて言う。

「……大丈夫、きっと慣れるよ。父さんも、ここで皆と上手くやっていけてたんでしょ?」


 それを聞いた幽霊たちは息を呑み、口々にマルロを賞賛する。

「なかなか肝が据わってんな、ボウズ」

「さすがはあの、シルバ船長の息子さんだ!」

「きっと、将来は親父さんみてぇな立派な船長になるぞ!」

 マルロはこんなに口をそろえて褒めちぎられたことがなかったので戸惑い、顔を赤くする。


「しっかし……匂うのは仕方ないとしても、人間が住むためにはちったぁ綺麗にしなけりゃならんな」

「こんなにあちこち埃だらけじゃ、俺たちの大事なシルバJr.が病気になっちまう」

「今こそ剣を、箒やモップや雑巾に持ち替える時……だな!」


 そう言うや否や、幽霊たちはマルロの横をぴゅーっと飛んでゆき――――掃除道具を取りに行くため、船室の奥へと入っていく。


 一人残されたマルロの後ろからスケルトンの隊長、スカルが笑いながらやってくる。

「はっはー、掃除は幽霊どもに任せよう。あいつらは俺たちと違って宙に浮けるからな、雑巾でも持たせりゃ天井までピッカピカにしてくれるぜ。てなわけで、こっから先は俺様が船内を案内する役目を引き受けるとするか」

 スカルはそう言って、マルロの肩に手(というか骨)を置き、船室の奥へ繋がる階段へ誘う。


「食堂だとか、倉庫だとか……いろいろ細かい場所については、まあおいおい覚えるとして……シルバJr.にいっちばん先に見せたい部屋があるんだ。付いてきな」

 スカルはにんまりと笑うと(マルロにはそう見えた)、階段をどんどん降りてゆく。


 そうして一番下の階に行きつくと、立派な扉の前で足を止める。


「ここが、船長が見つかるまではお前さんの部屋になる予定の……船長室だ。ここは船の一番奥で……臭っせぇ匂いを発してる船員どもの居場所からも遠いから、匂いの問題も心配なく快適に過ごせるはずだぜ」


 スカルはそう言うと、船長室の重厚感のある扉を開く。

 扉が開いたが、暗くて中がよく見えないために何の感想も発していないマルロを、スカルはいぶかしげに見た後、ハッとした様子でぽんと手(骨)を打つ。コツンと乾いた音がする。

「そうだ、明かりをともさねぇとな! 俺たち船員は暗さには慣れてるもんだから、すっかり忘れてたぜ。これからはシルバJr.のために、部屋のところどころに灯りを置いておかねぇと」


 スカルは、部屋の真ん中に置いてあるランプに、そばに置いてあったマッチをすって灯りをともす。


「うわぁ……!」

 マルロは明るくなった部屋を見て息を呑む。


 船長室は、他の部屋とは違って暖かみのある色合いで――木でできた茶色の壁に床、そして床の上には真っ赤な色で縁が金色の絨毯が敷かれている。

 部屋の家具には真っ赤なふかふかの布団が敷いてある金縁のベッドに、同じく真っ赤な色のふかふかとした背もたれがついているレトロな感じの椅子が一つ、その前にはランプとマッチを置いてある横長の丸い木の机、また壁際にはコートと帽子を掛けると思われる木製のコート掛けの他、焦げ茶色の木でできた立派な書斎机も置かれていて、机の上には羊皮紙とインク、羽ペン、写真立てが置かれている。


 そして壁には船の操舵輪の形の装飾と、立派な海賊剣が飾ってある他、大きな大きな海図が――――この世界全体の世界地図があった。


(この世界地図……僕の持ってる地図より大きくて……すごいや!)


「気に行ってくれたか? シルバJr.。この部屋は、船長がいなくなってから、俺がコートと帽子を拝借するくらいしか人の出入りがねぇから、埃があることを除けば、割と綺麗だとは思うが……」


 スカルはそう言ってマルロの様子を伺う。マルロは海図を放心状態で見ていたが、その言葉に気づいてスカルの方に顔を向け、頬を紅潮させ無言のまま頷く。スカルは再びニヤリと笑う。

「だろうと思ったぜ。特に海図がお気に召したようだな。シルバ船長も、この海図が好きで……よく俺たちに海図を指し示しながらあれこれ語ってくれたもんだ。やっぱり……血は争えないな」


(父さんも……この世界地図が好きだったんだ)

 マルロはそれを聞いて――――自分の記憶にない父親の姿に思いを馳せる。


「そうだ、書斎机に写真立てがあるだろ。そこに、船長とボウズが写ってる写真があるはずだ」


 スカルは書斎机に向かい、写真立てを手に取ると、マルロに見せる。

 写真の中には――――自分とよく似た色の赤髪、銀色の瞳の男が赤ん坊を抱いていて、その男は、今自分が身につけている海賊帽やコートを身にまとっていた。

 自分とは違いサイズがピッタリのためなかなか様になっていて、海賊の船長といった風貌で――――格好良かった。


「これが、僕の父さん……?」

「そうだ。写真見ても思い出せないか? まあ無理もねぇか……。あん時シルバJr.は一歳になったくらいだった気がするしな」

 スカルはそう言うと、船長室を見渡し、壁に掛かっている剣を指さす。

「シルバ船長の残したものとしては……その帽子とコートの他、そこにあるシルバ船長の海賊剣がある。写真でも腰につけてるヤツだ。ま、剣を扱うにはシルバJr.にはまだ早いかもしれんが、扱えるようになったら使うといい」

 マルロは頷いたが――武器で戦うような自分を想像できず、しばらくはそこに掛けてあるままになりそうだなと思った。


「あともう一つ――――船長が俺たちに残してくれた、この幽霊船の要とも言える、大事な大事な物がある。それも、この部屋の近くの……船のいっちばん奥にある。最後にそこだけ案内させてくれ」

 スカルはそう言って船長室のランプを手に持ち、マルロに向かって手招きする。



 二人は船長室から出る。この階の廊下に立ち込めている紫色の霧は甲板よりも濃く、ランプがあっても視界が悪くスカルを見失いそうになる。


「ここだぜ、シルバJr.」


 ランプの光とスカルの声を頼りに、マルロはなんとかスカルのいる場所までたどり着く。スカルの前には……群青色の大きな壺が置かれ、その中から紫色の霧が溢れ出していた。

(辺りに立ち込めてる霧は、この壺から出てたのか……! だから、この船の一番奥は、一番霧が濃くなってるのか)

 マルロがそう思っていると、スカルは神妙な面持ちで(マルロにはそう見えた)壺をじっと見ていたが――――ようやく口を開く。


「この壺は『生命いのちの壺』といってな……シルバ船長が俺たちに残してくれたものだ。ここから無限に溢れ出る霧は、幽霊どもや俺たちスケルトン含め、この幽霊船の船員たち全員を動かす原動力となっている」

 スカルはそう言って、壺から出ている霧を骨の指にまとわせる。

「例えば幽霊なんかは……普通は成仏できなかった死者の魂に過ぎず、何かに触れられるわけでもねぇ浮遊するだけの存在のはずだが、この霧のおかげでこの船の幽霊どもは、物を持ったり、飲食したりすることもできるヤツらになってんだ。俺たちスケルトンだってそうだ。元々はただの人骨――骨に過ぎないはずが、自分の意思や感情を持って動き回ることができてるのもその霧のおかげだ」

「……だから、この霧を撒くために、船室の扉を開けっ放しにしてたんだね?」

 マルロがそう言うと、スカルは骸骨の奥にある目を見開いてマルロを見た後、頷く。

「その通り。なかなか賢いな、ボウズ。この霧をまき散らして広げることで、船の外に出たり……街に繰り出したりもできる。サウスの街が霧で覆われるのも、街中に移動できるようにするためだ」

 スカルはそう言うと、壺の中に入っている杓子を取り出す。

「この霧は無限に湧き出るといっても……広げられる範囲は無限とは言えねぇ。というか実際はできるのかもしれんが、広げるには時間もかかるからな……そんなに広範囲に撒いたことはねぇ。だから、手っ取り早い方法で船から離れた陸地に俺たち船員を連れて行くには、これを使うんだ」

 スカルはそう言って、生命いのちの壺の隣にいくつか置いてある小さな壺を手に取る。

「この小壺に、生命いのちの壺から霧を杓子ですくって幽霊と一緒に入れとけば、持ち歩くこともできる。ただし、小壺ひとつでせいぜい幽霊一体か、スケルトン一体分程度の効力だし……あんまり役には立たんが、覚えておくといい」


 スカルは杓子を壺の中に戻し、マルロの右肩に左手――の骨を置く。

「この壺は、この幽霊船の命、俺たちの生命そのものだ。だから……幽霊船が攻め込まれでもしたときは、この船は捨てても構わねぇが、この壺だけはなんとしてでも守ってくれ。それが俺たち全員の願いでもあり、シルバJr.の船長としての務めだ。そこんとこ、よーく理解しといてくれよな」

「……わかった」


 マルロはそう言いながらも、この船の皆の生命が、自分の手にかかっていて――船長としてのその責任感を負うことになったという事実に気がつき、気の引き締まる思いがする。


 緊張した面持ちのマルロを見、スカルはニヤッと笑う。

「ま、そんなことにならねぇように、船室の守りは固めるつもりだがな。俺たちゃ既に死んでて……今や不死身の体なんだし、そう簡単に人間どもにしてやられることはねぇよ」

 スカルはそう言うとマルロの肩から手を離し、右手に持っていた灯りをマルロに預ける。


「さ、深刻な話はこれくらいにしといて、掃除が終わったらシルバJr.の歓迎会だ! ボウズは自分の住処すみかになる船長室で荷物を整理したりだとか……適当にくつろいでおいてくれ」


 スカルはそう言いながら、マルロに背を向けて手を振り、階段の方へと去ってゆく。


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