第2話 罪人の子
翌日、マルロは昨日サタンに言われたことがずっと引っかかっていたものの、サタンの言うことに耳を貸してはいけないと自分に言い聞かせては、そのことについて考えまいとしていた。
しかし結局は考え込むことを止められず、その日の夕食時も考え事をしながら、虚ろな顔で食事をしていた。
「マルロくん、どうしたの? 何か考え事?」
いつもと違う様子のマルロを
マルロははっとした様子で叔母を見――そこで、同じ食卓にいつもいるはずのラルフの姿がないことに気が付いた。
「あれ? 今日ラルフは……いないの?」
「ラルフは今日、友達の家にお呼ばれしていてね……ご飯は向こうのお宅で食べて帰るそうよ。それよりマルロくん、今日はどうかしたの? 様子がおかしいけれど……」
マルロにとっては叔母にタイミングよく尋ねられたことと、無関係のラルフがここに居ないこと――悩みを言いやすい環境が二つ整ったことで、今日一日ずっと気にしていたことがするりと口から滑り出した。
「叔母さん。僕って、家の外に出ちゃいけないの……?」
カチャン!
叔母の持っていたフォークが手から滑り落ちる。
その大きな音を聞いてビクッとしたマルロが叔母を見ると、叔母は今まで見たことが無いほど目を丸く見開き、口を開けたままマルロを見つめている。一方の叔父は口を真一文字に結び、眉間にシワを寄せて探るような目でマルロを見ている。
「な、なぜ? そんなこと……ないわよ? ただ、外は……まだ子どものマルロくんには危険だから、無理には出ない方がいいのは確かだけれど……」
叔母は、いつもよりも早口でそう答える。
「じゃあ、僕…………」
マルロは急いで外に出たい理由を探した。外に出たら行きたい場所――――それを思いついたマルロはパッと顔を輝かせる。
「港に行ってみたい。一度、海とか船とか見てみたいんだ」
マルロはそう言った後で、自然と滑り落ちる言葉に自分でも驚いた。確かに、家を出たらまず行ってみたい場所が港だった。港で自由に航海する船や水平線を見て、海の向こうにあるまだ見ぬ地へ思いを馳せたかったからだ。
一方、叔母はそれを聞いてなぜか少し安心した様子であった。
「なんだ、そうだったのね。マルロくん、海が好きなのね」
「しかし、今日は夕方から少し霧が出ている……。こんな日は、幽霊船が来るかもしれないからやめておいた方がいい」
そう言う叔父は、マルロを見ながら何やら考えている様子で腕組みをしている。
「幽霊船……」
マルロはその言葉を聞いて、顔を青くした。
幽霊船は、この街にたまにやってくる神出鬼没の大型帆船で、船には人間の海賊ではなく、幽霊が乗っていると噂されている。実際幽霊船の被害にあった人の中には、幽霊を見たという証言もあるそうだ。
「べ、別に今日じゃなくてもいいよ? もう夜だし……。あ、明日の昼間とかは……どうかな?」
マルロは慌ててそう言った。それを聞いた叔母は腕組みをして黙っている叔父の方をちらりと見た後、再びマルロの方を見て口を開く。
「でもね、マルロくん。港だって、海賊が来るかもしれないし……意外と危ない場所なのよ? そもそも港に限らず、家の外はいろいろ物騒なの。だからマルロくんには、なるべく安全な家の中にいてもらえた方が――――」
「母さん、マルロには……あのことは話しておくべきだと思う」
叔父が叔母の話を遮って言う。叔母はそれを聞いて叔父の方を見る。
「でも、あなた……」
「話しておかない方が、危険なこともある。それに、いつかは話さなければいけない話だ……そうだろう?」
叔父が叔母の方を向いてそう言うと、叔母は戸惑っている様子ではあったが――叔父の顔を見、ため息をついて言った。
「……あなたに任せるわ」
叔父はそれを聞いて頷くと、マルロの方に向き直る。
「マルロ、聞いてほしい話がある。さっき、外に出てはいけないのかと聞いたな? そのことについて一つ、話さなくてはならないことがある。……聞いてくれるね?」
マルロは不安そうな顔で頷いた。すると叔父も頷き、話を続ける。
「お前は……いや、お前の父さんは、罪人なんだ。これがどういうことか、わかるかい?」
マルロはそれを聞いて、前に読んだ法律の本を思い出す。
「確か、罪人の子どもは……親の分まで罰を受けなきゃならない場合がある……んだよね?」
「そうだ。さすがマルロ、賢い子だ」
叔父は頷き、話を続ける。
「マルロの場合は、外に出ることを禁じられているんだ。それを認めることで、マルロは殺されずに済んで……今、ここで生きていることを許されているんだよ。だから、外に出るとその約束を破ることになってしまう……。もし外に出て、逃げようとしたとでも思われたりしたら、今度こそ死刑になりかねないからね」
「そ、そんな……。そんなに、僕の……僕のお父さんは、悪いことをしたの?」
マルロは青ざめた顔でそう言うと、叔父は少しの間黙ってから――――ゆっくりと頷いた。
「……そうだ」
マルロの頭の中は、色々なことを考えすぎてぐるぐると回っていた。
(僕の父さんは悪い人だったんだ……そして僕はそのせいで、一生家の中に居なきゃならない……。家の外には出たくないから、それはそれでいいのかな……。でもこれからずっと……? 大人になっても……? それじゃあ……)
マルロはそこであることに気付き、さらに絶望する。
(一生この街から出られない……ってこと? 地図には、他にも行ってみたい場所が……いっぱいあるのに……)
「あんまり突然の話で嘘だと思うかもしれないけど、残念ながら本当のことなんだ。そうだな……。よく、黒いスーツを着た男の人が訪ねてくるだろう? あの人は、マルロのことを監視して、ちゃんと家にいるか確認している人なんだよ」
マルロは叔父の言葉を聞いて、よく訪ねてくる男の人を思い出す。カッチリとした黒いスーツに黒い鞄を持っているその
そして――――叔父がその男に大金を渡していた光景も、同時に思い出す。
「叔父さん……確か、その人に……お金渡してたよね? それも、僕の関係で……?」
叔父はそれを聞いて、初めて動揺した素振りを見せる。
「……見ていたのか」
叔父は苦々しい顔で言うと、話を続ける。
「……そうだ。マルロを見逃してもらうのに、今でも……たまにお金を払っているんだよ。でも、それはお前が気にすることじゃない」
「なんで……なんで叔父さんたちがそんなことを?僕なんかのために……」
「何言ってるの、マルロくん。お金に比べたら、あなたの命の方が大事でしょ?」
叔母が素早く口を挟んで言う。マルロはそれを聞いて感動し――――たわけではなく、なぜだか妙な違和感を感じた。
マルロは日頃から、自分は他人に迷惑をかけながら育ててもらっているという意識を持っていたため、叔父や叔母、そして
そのため、今、叔母の言った言葉と、叔母の表情が合っていないように感じたのだ。叔母の表情は――マルロを心配するよりも、何か別のことを心配して焦っているように見えた。
(本当に、お金をわざわざ僕のために払っているのかな……。実の息子でもない僕のために、そこまでする理由なんてないはずなのに――――)
「ただいまー」
ラルフが家に帰ってきて、マルロたちが食事をしている居間に入ってくる。叔父と叔母がはっとした様子で同時にラルフを見る。
「なんか、外は霧が濃くなってきたよ。今日、例の奴ら出るのかな……って、みんなどうしたの?」
ラルフはきょとんとした様子で叔父と叔母、そしてマルロを見る。
「どうしたって……何でもないわよ? さあさあ、ラルフは早く手を洗ってそれから……あ、そういえば、今日はどうだったの――――」
叔母はラルフを急き立てるように居間から廊下へと追い出し、自分も一緒に部屋から出て行った。マルロには、それがまるでラルフをマルロから引き離そうとしているかのように見えた。
「とにかく、決して家の外に出てはいけないよ。わかったね、マルロ」
叔父は険しい表情でマルロにそう言った。その表情から――――叔父はマルロのことを心配するよりは、むしろ疎ましく思っているように感じた。
「……うん」
マルロはその様子を見てどうにも居たたまれなくなり、夕食の残りも食べきらないまま、そそくさとその場から立ち去った。
夜、マルロは自分のベッドに入り、今日の叔父と叔母の話について再び考えていた。
(そりゃあ、僕は実の子どもじゃないし、罪人の子どもだから、叔父さんと叔母さんからしたら迷惑な存在だよね……それは当然のことだと思うしわかる気がする。でも、それなら僕のことなんて放っておけばいいのに、なんでわざわざ育てたり、お金まで渡して守ろうとするんだろう……)
マルロは寝返りをうちながらその理由を考えるものの、答えを見つけることができず、再び仰向けになって部屋の天井を見つめた。
(でも、一つ、今まで不思議に思ってたことが分かった気がする。たぶん、僕のことで大金をあの人……どこかの役人かな? あの黒いスーツの人に渡したりしてるから、叔父さんはギルドの親方でお金持ちのはずなのに、派手な暮らしもせずに、こんな普通の住宅街でひっそりと住んでるんだ。僕や僕の父親のことも知られたくないだろうから、目立たないようにしてるのかもしれないし……。本当は、贅沢な暮らしとかしたいかもしれないのに……。叔母さんとか、実は綺麗なものとか結構好きだし……)
マルロはそう思うと、叔父と叔母、そしてラルフに対して非常に申し訳ない感情が押し寄せてきた。
叔父と叔母は自分のことを愛してくれているかはわからないし、きっと迷惑だと思われている。ラルフだって、一緒に遊ぶことはあっても仲良しかどうかはわからない。前にラルフの友達に石を投げられた時は、友達と一緒にマルロのことを笑っていたりもした。
そうだとしても、いじめることもなく、あからさまな嫌な態度もせず、ここまで何不自由なく自分のことを育ててくれたり、自分と一緒に暮らしてくれた人たち――――。
そして――――どうしても、こう考えてしまうのだった。
(なんで、生きてるんだろう、僕は……。皆に迷惑かけてまで……。それに、これから一生外にも出られないのに、何のために……生きるんだろう)
そう思うと、涙が次から次へと流れて止まらなくなった。
ひとしきり泣きじゃくって涙も枯れた頃、マルロはふとあることに気が付いた。
(そういえば……今日はサタンの声、聞こえないな)
そして同時に、サタンの言っていた言葉を思い出す。
(ここにいるべきじゃないって……本当そうだよね。あの声の言う通りだ……)
昨日までは聞きたくないと思っていたサタンの声だったが、今日は何かヒントになることを言ってくれるのではないかと、マルロはサタンの声が聞こえるのを寝ずに待つことにした。
しかし、今日に限っては、待てども待てどもサタンの言葉は聞こえてこなかった。
(サタンの言うことは聞いちゃいけない……。でも……もしかしたら、あの声は、サタンの声なんかじゃなくて、叔父さんとか……ここの家の誰かの心の中の声なのかもしれない……。うん、きっと、そうだったんだ……)
そう感じたマルロは、もうこれ以上この家に居ることに耐えられなくなった。
そして突然起き上がり、決意する。
(今すぐ、ここを出ていこう。そうすれば、叔父さんと叔母さん、ラルフは、僕のことなんか気にせずに、自由に暮らせるはずだ。それに――――)
マルロはベッドから出ると、いつも読んでいるお気に入りの地理の本を手に取り、本に付属している地図を広げる。
(僕だって、一生この街から出られないのは――――嫌だ)
マルロは本を閉じて大きめのバッグに詰めると、急いで荷造りに取り掛かる。
罪人の父親の事やこれからの事――いろいろな事を考えながら荷造りに熱中するマルロは、街を覆いだした霧と、外から聞こえるカンカンカンカンという、けたたましい警鐘の音にも全く気が付かずにいた―――――。
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