第1話 姿見えざる声

 商工業で有名なサウスの街に住む、赤毛で銀色シルバーの瞳の少年、マルロは引っ込み思案で本が大好きな少年であった。マルロの両親は、物心ついた頃には既にいなかった。そのため、幼い頃から父親の弟…マルロにとっては叔父の家に引き取られ、従兄弟のラルフとともに育てられてきた。

 叔父はこの街で三つの指に入るほどの有名な商人ギルドの親方で、それなりに富を得ている地位のはずではあるが、中流階級の住宅街…縦に長く横幅の狭い三階建ての家屋が横並びにずらりと立っているレンガ通りに小さな家を構えていた。叔父も叔母もその家のように、派手に着飾ったりせず簡素な服装で、人柄も高慢なところがなくやや控えめで静かな人柄で、穏やかに日々の生活を過ごしているような一家であった。

 従兄弟のラルフはマルロとは対照的に活発な性格の少年で、よく外へ遊びに行っていた。一方のマルロは毎日家に引きこもり、大好きな本に没頭していた。

 マルロは引っ込み思案ではあるものの好奇心は旺盛で、サウスの街の外の世界への憧れを常に抱いていた。マルロは毎日、一番のお気に入りの一冊である、世界の様々な地域を紹介する地理の本に付属している世界地図(毎日見ているためボロボロになっていた)を眺めつつ、

(早く大人になってこの街から出ていきたいなぁ)

…なんてことを家から一歩も出ずに夢見ていた。

 そんなマルロも、一定の年齢になれば町の学校に通わなければならないことを知っていた。実際、一つ歳上の従兄弟のラルフも去年から学校に通い始め、学校でたくさんの友達を作っていた。しかしマルロは学校に行かなければならないことがたまらなく嫌だった。たまにラルフが家の前で友達と遊んでいるのを家の中から眺めているが、皆ではしゃいでいる様子を見ると、ギャーギャーとうるさく暴れまわっていて…まるで自分とは別の生き物のようだった。おまけに、家の窓からラルフたちの遊ぶ様子をじっと見ていると、ラルフの友達に何見てんだと言われて石を投げられたこともあった。それが未だにトラウマとなっていて、マルロは家の外に出ることや外の人たちと関わることにとてつもない抵抗を感じているのだった。

 そのため同年代の子供がたくさんいる学校というものに、とても自分は馴染めそうに思えなかった。しかし学校に行くべき日は刻一刻と近づいていて、マルロももう来月には学校に行くために家の外に出ざるを得ない状況に陥っていた。

 それにここ最近になって、マルロを悩ませているものがもう一つ増えた。それは突然自分だけに聞こえてくるようになった、姿の見えない謎の声の存在だった。

「お前は、ここにいるべきでは…無い」

 謎の声は夜になると決まって、低く唸るような非常に聞き取りづらい声でマルロにそう語りかけてきた。一度、試しにこちらから勇気を振り絞ってその声に対して話しかけてみたことがあったが、声はその話しかけには応じなかった。毎夜一方的に向こうからそのように語り掛けてくるのだ。

(これはきっと悪魔サタンの声だ。聞いちゃいけないんだ)

 少年は恐ろし気なその声質から、いつか本で読んだ恐ろしいサタンの存在を連想してそう思い込み、毎夜怖くてぶるぶる震えながらも呼びかけに対して無視を続けていた。

 そんなある日、マルロは叔父と叔母から呼び出された。そして告げられた言葉に驚いた。なんと、マルロは特別に、学校に行かなくてもよいと言うのだ。

「マルロくんは内気なところがあるし、周りの子供にいじめられるといけないからね。マルロくんは本が大好きだから、学校に行かなくてもお家の中で自分でお勉強できるわよ」

 叔母はそう言ってマルロににっこりと微笑んだ。学校に行きたくなくてたまらなかったマルロはそれを聞いて顔を輝かせ、嬉しそうにうんうんと何度もうなずいた。

(毎日サタンの言うことを聞かないように頑張ったからかな、神様は僕を見捨ててなかったんだ!)

 マルロはそう思い、欲しかった言葉をくれた叔母の笑顔を女神の微笑みのようだと思いながら見ていた。

 しかしその日の夜、またサタンの声が聞こえてきた。いつものように現在の居場所を否定される文言を言われるかと思いきや、タイムリーに、今日聞いた叔母たちの発言について言及してきた。

「なぜおまえの叔父と叔母があのような事を言うのか…わからぬのか」

 いつもと違うサタンの言葉に驚いたマルロは、相手がサタンだという(思い込んでいる)ことを忘れて思わず尋ねた。

「え…どういうこと?」

 すると、単なる偶然なのかもしれないが、こちらの言うことに答えたかのようなタイミングで再びサタンの声が聞こえた。

「お前を家から出さぬようにする為だ。お前はこの家に来てから今まで家から一切出たことが無いであろう?れをお前は不思議には思わぬのか」

「……!」

 そう言われて思い返すと、確かにマルロはこの家に来てから一度も家の外に出たことがなかった。しかしマルロはまだ子供であるし、叔父は毎日ギルドの仕事のため外で忙しくしているし、一方で叔母は家事を切り盛りしていて家の中にいることが多い。そのため、自分を連れて外に行くなんてことはなくてもおかしくはないのではないか、とマルロは思った。第一自分が家の外に出ることを望んでいないのだから、家から出たことがないというのも当然と言えるのではないか…。

マルロはそのように判断して、不思議に思わなかった件を口に出そうとするが、その前にサタンの声が再び聞こえてきた。

「お前は、心の奥底ではこの家の外へと出たがっている…そうであろう?」

「そ、そんなことないよ!家の外は怖いし、自分から出たいなんてことは…」

 マルロはそれを聞いて否定するが、その時、ふと頭の中に毎日見ている世界地図が浮かんで思わず口をつぐんだ。

(確かに…この街を出て、いつか世界を旅してみたいんだった。でもそれは、今じゃなくて大人になって…家の外が怖くなくなってからのことだし…)

「一度、叔父と叔母に言ってみろ。外に出てみたいと…な」

 サタンはそう言い放つと、その日はもうマルロに対して語りかけてくることはなかった。

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