第二話 奥様は魔物⑤
幻影魔術による通信は、かつてSF作品に描かれた仮想空間を実現した。
視覚や聴覚だけでなく、触覚・味覚・嗅覚の情報も伝達可能な幻影空間は、もう現実と大差がない。
「このような時間に応対していただき感謝いたします、〈大図書館の主〉
「構わないよ、こちらも話したいことがあった――〈水葬の王〉
史紀と同じ〈王〉の一人――水に関連する魔術の開祖とされる男だった。
首脳会談に使われるような趣の部屋は幻術で描かれたものだ。向き合う二人も、実際の体はそれぞれの執務室にある。
「用件は他でもない、昨晩、〈大図書館〉近辺、
鳴海の、深海のような圧を感じる黒い瞳が史紀を窺う。
「これは耳が早い。こちらも同じ魔力を観測したが、遠く離れたそちらの結社からも?」
史紀は、さも意外そうに確認する。
「当社の魔術師が偶然近くにいたため上がってきた報告だ。もしも〈大図書館〉で魔術戦など起きていたなら、私も盟約に従い、そちらが保管する秘法を守らねばならない」
鳴海は淀みなくそう答えた。
「迅速な対処をありがたく思う。察しの通り、当図書館に昨晩侵入者が現れた。侵入者は追跡した警備の魔術師と交戦、大規模魔術はその最中に起きた。術式の詳細は不明だが、恐らく侵入者の手によるものだろう」
「術式が不明……〈大図書館〉でも把握していない術式が用いられたということか?」
「既存術式のハイブリッドか、強大な力を持った侶魔の生態魔術と考えられる」
鳴海が追及した大規模魔術とは、怜生と花蓮の生み出したあの巨大樹だ。
対して史紀は二人の名前を出さず、仮面の魔術師を容疑者に仕立てた。
(侵入者が私の部下だと分かっていて、その返事か……狸ジジイめ)
鳴海は口に出さず、史紀の性悪さを呪った。
よって史紀の返答が口から出まかせであることも分かる。だが『そんなはずはない』と追及すれば、エージェントを忍び込ませた罪を自白するに等しい。
「そこでだ――先ほど話したいことがあったと言ったが、この侵入者の追跡に、鳴海卿の力をお借りしたい。私が見た限りだと、水と氷の魔術を多用していた。水系魔術の開祖に名を連ねる〈
この依頼には、鳴海も仏頂面に苦笑いするような動きを見せた。
侵入者の正体を知った上での依頼は、皮肉でもあり牽制でもある。
追及しない代わりに追及されないという暗黙の取引を、史紀は鳴海に要求していた。
「……引き受けよう、詳細な資料を送っていただきたい」
史紀はその場で資料を送付した。
内容には目を通すまでもない。仮面の魔術師が鳴海の部下であることを物語る情報と、鳴海が聞きたがっていた大規模魔術について『それっぽい嘘八百』が列挙されている。
「……確かに受け取った」
鳴海がこれに対してどのような『報告』をするかは自由だ。
ありもしない犯人像を伝えて迷宮入りを望むのか、無関係な人間を犯人に仕立て上げて事件解決とするのか、或いは侵入させた部下を切り捨てるのか。
いずれにせよ、いまこの場で、鳴海が史紀の隠し事を追及するのは難しい。
史紀は基本的に温厚な初老の紳士だが、こういう交渉の場では性格の悪い御仁だった。
「一文字卿」
鳴海は会談の締めとして口を開く。
「件の正体不明な大規模魔術――内容によっては世の秩序を揺るがすものと察せられる。下手人をこちらが発見した場合、私の方で処理させてもらって構わないだろうか?」
「いいや、そのときは生きたまま引き渡してくれたまえ。術式と背後関係を調べたい」
史紀の返答で、鳴海は確信した。その使い手は史紀が匿っていると。
「承知した。よい一日を――先生」
よい一日を――と、史紀が同じ言葉を返して、鳴海は通信を切る。
幻影魔術が解かれ、周囲の景色が執務室に戻る。
「君の失態を追及する暇はなくなったようだ」
鳴海の視線の先では、氷の仮面を付けた魔術師が、片膝と片手をついていた。
仮面で顔は窺えないが、指を握り込む姿から、己を責めていることが察せられた。
鳴海は黒服から目を離して、執務机の通信機に手を触れる。
「各地の支社から、今日中に集められる兵を全て集めろ」
その命令を聞いた仮面の魔術師が、小さく肩を震わせた。
兵とは、警備員という名目で支社に配置されている、攻性魔術の使い手だ。
それを集めるということは――〈王〉が戦争を決意したということだった。
◆
(結局、腕枕で妥協する羽目になっちまった……)
ベッドの中で、
「ふしゅ~、しゅるるる~」
二の腕には
掛け布団の中では、横たわった花蓮の胸が脇腹に触れていたり、蛇の下半身が片足へと絡みついていたりと、見事に安眠を妨げてくれていた。
(そりゃまあ、蛇だった頃から、よく布団に潜り込んできてたけどよ……)
契約者に甘えてベッドに潜り込む侶魔は多い。花蓮もそういう性格の侶魔だった。
(神霊、龍神、〈王〉……ったく、どうしろってんだよ……)
先ほどは強がってみせたが、やはり先行きの不安に悪態を吐きたくなる。
魔術師の端くれである怜生は、〈王〉の称号がどのような重責を伴うかを理解していた。
いまでも、油断すれば体が震えて、叫びたくなり、このまま消えてなくなりたいという逃避の念に駆られる。恐らく、今後生きている限り、それが続くだろう。
「怜生さ~ん」
花蓮の声で我に返る。目を向けてみると、どうやら寝言のようだった。
「泣かないで……私が、いますからね~」
子供をあやすような口調の寝言に、怜生は目を瞬いて、ふと思い出す。
泣き虫だった子供の頃も、いや大きくなった最近でも、怜生が心細くなると、花蓮は機敏に察して、励ますように身を寄せてくれる侶魔だった。
(……やっぱ、なんも変わってねえわ。こいつ)
毒気を抜かれた怜生は、小さく笑って目を閉じ、いつしか眠りに落ちていく。
翌朝、自分が頭から丸呑みにされて目覚めることを、怜生はまだ知らない。
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