第二話 奥様は魔物④

 史紀しきが用意してくれた一室で、怜生れおは仮眠を取ることになった。


 上質な内装を楽しむ余裕もなく、怜生はソファーに倒れ込んで、煤けた溜息を吐く。


「怜生さーん? 大丈夫ですか?」

「大丈夫じゃねぇよ、人生で一番大丈夫じゃねぇよ……」


 人目がなくなったことで、怜生の口から抑え込んでいたストレスが流れ出す。


「どうなってんだよ訳わかんねぇよ、俺ちょっと前までどこにでもいる平凡な高校生してたんだぞ? それがなんで首を切り飛ばされた挙句に怪物の嫁さんもらってんだよ……」

「そ、そんなに落ち込まなくても、ほら、王ですよ王様! 一躍大出世ですよ!?」

「知らねえよ王とか龍とか誰も頼んでねえよ、こんなボンクラを掴まえてどんな冒険活劇作る気なんだよ、どこぞの妄想逞しい中学二年生にでもさせときゃあいいだろ……」


 怜生は亡者のような顔色のまま、ぶつくさと言葉を垂れ流していった。


「だ、駄目だこの人……私がしっかりしないと!」


 一方で花蓮かれんは、早くも夫への母性らしきものに目覚めていた。


「つうかお前、同じ部屋でいいのか?」


 やがて嘆くのにも疲れた怜生は、彼女へ顔を向ける。


「結婚した日に別の部屋で寝る夫婦がどこに居ますか! というかいままでずっと一緒に暮らしてたじゃないですか!」

「まあ確かにそうなんだが……いまはほら、お前も色々違うだろ?」


 上半身だけならレディになったわけなので、怜生はその点を伝えてみる。


「それはつまり~、この魅惑の曲線が気になって仕方ないってことですか~?」

「見てくれはいいけど、指一本も触れられないんじゃな……」


 花蓮は服の胸元や裾を軽く引っ張って誘惑したが、こうして怜生が片手を伸ばしても、幽体には触れられず、煙のようにすり抜ける。


「それでしたら――」


 花蓮はそう言うと、火に似た発光で自分を包む。

 スカートの裾から伸びた両足がくっ付き、人魚の如く鱗に覆われて蛇となる。


「ほーら、これならお触りオーケーなぴっちぴちのヘビ少女ですよ~?」

「ねーよ。自分で蛇っつってる時点で自覚あんだろお前。あと蛇と美少女かけてヘビ少女とか言っても別に上手くねえよ。だから巻き付くなって!」


 確かに胸板にすり寄る顔立ちは類稀な美少女だし、体に押しつぶされる乳房も豊艶で、腰の括れも非常に魅惑的だが、そこから下が有鱗類では難易度が高すぎだ。


「というか流石に疲れた……今日はもう寝るから、ベッドはお前が使え」

「いえいえ、私は姿を消せますから必要ないですよ?」


 と、花蓮は手を振る。


「そうか、霊体化すればいいんだったな」

「はい。でも使っていいと仰るなら、今夜は二人で壊れるほど使いましょう!」

「ゴミ箱で寝てろ!」


 裁判になったら負けそうな暴言と共に、怜生はようやく解いた花蓮を宙に投げ捨てた。


「そんなぁ、せめて腕枕くらいしてくれても……」

「いや、だってお前と寝たら、翌朝には丸呑みにされてそうだし」

「そこまでしません! 先っぽだけですから!」

「何がどう先っぽだけなのか説明してみろ! もといやっぱりせんでいい!」


 寝台に侵入してこようとする花蓮の顔を押し返し、怜生は真剣に顔を青くする。


「くすん、お疲れのようですし、今日は仕方ないですよね……」

「ああ、悪いな、そうしてくれ」


 引き下がってくれた花蓮に詫びて、怜生は服も着替えずベッドに入る。

 すると、花蓮は怜生に背を向けるなり、目を潤ませながら指を組んだ。


「そう! たとえ私が明るく振る舞っている裏で不安な気持ちを抱えていたとしても! 怜生さんに甘えることなんてほんの少しもあってはならないのです! ……チラッ」


 聞こえよがしに独白した花蓮が、擬音を付けて振り返る。


「たとえこの胸が張り裂けそうな心地であっても、夫の負担にならぬようグッと堪える!それが怜生さんの望む妻の姿ならば私は! うぅぅ、ぐすん、しくしく……チラッ」


 自己陶酔した演説から泣き真似を繰り広げ、また振り返る。

 そして怜生の反応がないのを見ると、ぷくーっと頬を膨らませた。


(あーそういえば、蛇の頃からこういうおマセな構ってちゃんだったなーこいつ)


 こうして人の姿にはなったが、中身は怜生の知る花蓮のままだった。


 蛇の頃はそれが可愛らしくもあったが、こうして人型になり喋り出すと、面倒くささを否定できない。顔が美少女であることも、半蛇の容貌とあいまって残念さを際立たせる。


「花蓮」

「なんですか!? 今更なに言っても私は部屋の隅っこで一人寂しくとぐろを巻いて夜を泣き明かすんですからね!」

「笑えないくらいホラーだから止めてくれ。あとちょっと真面目な話をするから聞け」


 怜生がベッドの上で胡坐あぐらを掻くと、花蓮は拗ねた顔をしつつも向き合う。


 それを確認してから、怜生は改まって口を開いた。


「ありがとう」


 軽く頭を下げた怜生に、花蓮は「え?」と虚を衝かれた。


「色々なことが立て続けに起きて言い忘れてた。本当は一番に言わなきゃいけなかった。お前は、俺の命を救ってくれたんだ。俺が生きてるのは、お前のおかげだ」


 そう、龍神だ何だと言う前に、怜生にとって花蓮は恩人なのだ。


「だからってわけじゃないが、俺はこれからもお前を大事な相棒として扱う。婚姻とかはまだ何とも言えないけど……誰が何と言おうと、俺はお前を疫病神だなんて思わない」


 恥を忍んで真剣に見据える怜生に、花蓮は目を瞬いていた。


「だからまあ……これからも、頼む」


 流石に照れくささが限界を超えて、怜生は目を逸らしながら、最後にそう言い切った。


「怜生、さん……!」


 やがて花蓮は、非常に可愛らしいものを見たように震え始める。


「抱いてーっ!」

「抱かねぇよ!」


 両手を伸ばして飛び込んできた花蓮の顔に、怜生は枕を投げつけるのだった。

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