第二話 奥様は魔物③

 詩乃しのは腰の本から、意味知れぬ記号を翼のように散らした。


 室内に散らばった記号は空間に張り付き、一定量を超えたところで景色を変える。


「妖魔界の歴史を記した『精霊口伝神代禄せいれいくでんかみよろく』の『創世遡及史そせいそきゅうし』はこう語る」


 怜生れおたちの周囲は暗闇に一変していた。

 暗転した世界に、詩乃の言葉が響くと、新たな光景が描き出される。



 「当初の世は、ことばにして表されないものに満ちていた。

  そこに命が発芽して、やがて智慧ちえを覚え、世に彼我の区別を得た。

  智慧は動くことを知り、これが脈となり、この脈は龍となられた。

  龍は身を固めて土と肉を生み、身を広げて水と波を生み、

  身を伸ばし火と木々を生み、身を飛ばして空と星を生み出された。

  これら命から龍までを、今日より

 〈生み出された方々〉と畏敬をって称す――」



 暗闇に光が灯り、波紋と分枝を重ねて天地が創造される光景が描かれた。


「……いまのは?」


 天地開闢の幻視が過ぎ去り、怜生の意識が元の空間に戻る。


「過去と記録を司る女神である詩乃さんの力だ」


 史紀が端的に説明した。どうやら詩乃は、智慧の神に分類される神様らしい。


「この創世神〈生み出された方々〉は、創世の後も妖魔界の理を数多く司っておられる。そしてその権能に応じて異なる神名で呼ばれる」


 頭の印字機タイプライターを鳴らしながら、詩乃は改めて花蓮を見る。


「この方が持つ神名は〈命を運ばれる方〉――三千世界の全てから死者の命を吸い込み、新たな命として送り出すという、生命の神だ」


 怜生と花蓮かれんは、そんな詩乃の宣言を聞いて、顔を見合わせた。


「ええと……つまり私は、結構偉い女神様だということですね!」


 えっへんと胸を張っている花蓮を見て、怜生が疑わしげに尋ねる。


「その……それは、具体的に、何ができるものなんでしょうか?」

「生命の起源を司る神格だ。命に関することなら大概叶うだろう」

「例えば鬼柳きりゅうくんが蘇生された現場には、このような植物があった」


 詩乃の返答に続いて、史紀しきが映像に出したのは、ガラスケースに包まれた樹の枝だ。


「この樹は花蓮さんの生態魔術によって作り出されたものだが、現在外部から魔力供給を受けていない。これがどういうことか分かるかね?」


 史紀の言葉を耳にした怜生は、しばらく経ってから目を丸くした。


「それってなにか凄いんですか?」

「バカかお前は!」


 花蓮の間抜けな発言に、怜生が思わず言うと、花蓮は小さく震え出す。


「れ、怜生さんに罵られた……!?」

「ああ、ごめん。そうだよな、お前が知らないのも当然――」

「もっと!」

「変態か!?」


 夫婦漫才を演じる二人に、史紀が微苦笑しつつ説明する。


「魔術にも、できないことはたくさんある。例えば、魔力のみによって本物の物質を作り出すこと。簡単に言うと、何もないところから金銀財宝を作って大儲けしたり、ご馳走を作ってお腹を満たしたりすることはできない。魔力が尽きればすぐに消えてしまう」


 そう、魔術で作られた疑似物質は、魔術が使われている間しか存在できないのだ。


「だが、君たちは魔力のみから本物の物体を作り出した、この意味が分かるかね?」


 史紀が確認すると、花蓮は小首を傾げて、


「夜の十二時になってもドレスが消えない?」

「――っ、はっはっはっはっはっは!」


 花蓮の答えに、魔術の権威である史紀は、額を押さえながら痛快そうな笑声を上げた。


「いや失礼、だが確かに、そういうおとぎ話でもありえない芸当を可能にする力だ」


 史紀は息を吐いて言うが、怜生は笑えない。


 究極、呪文を唱えて杖を振ったら欲しいものが何でも出てくる――そんな力だ。


「君たちが作り出したあの巨大樹は、既に生命活動を終えて自壊していたが、その残骸は残っていたし、回収して分析することもできた」


 史紀は怜生が気絶している間、その回収と分析を命じていたようだ。

 また、大騒ぎにならないよう、魔術を使って事態を隠蔽してくれたという。


「当然ながら、単なる植物ではない。動物性の体組織や、燃料利用可能な樹液に、更には鉱物まで含んでいる。妖魔としての霊体活動も観測されたので、魔力の供給も可能だ」


 目を剥いた怜生の横で、花蓮が疑問符を灯している。


「もしこの現象が魔術化されたとすれば、この樹木を中心とした資源プラントが作られ、燃料・鉱物・食料・魔力を得られるかもしれない。敢えて俗な言葉を選ぶなら『金のなる木』だね」


 怜生は学生の身ながら事の重大さを察して、絶句する。


「怜生さん? すごい汗ですけど大丈夫ですか?」

「ああいや、とりあえずお前の能力が、かなり何でもありなことはハッキリしたんだが」


 事の重大さを強引に忘れて、怜生は別の疑問を口にした。


「それがどうして、俺の『妻』だなんてことに?」

「なにって、怜生さんと私だからですよ?」

「いやそこできょとんとされても、俺の背筋が寒くなるだけなんだが……」


 気合いの入ったストーカーに遭遇した気分で、怜生は顔色を悪くする。


「魔術師が結ぶ契約には複数の種類がある」


 怜生の疑問には史紀が応じた。


「一般的な魔術師と侶魔を結ぶのが『同胞契約』、〈王〉と眷属が結ぶ『主従契約』、そして最も強固なのが、両者を魂から結合させる、〈王〉と神霊の『婚姻契約』だ」


 史紀に続いて、詩乃が語る。


「この場合の『婚姻』は、人が行う社会的な結合ではなく、呪術的な魂の一体化を指す。我ら神霊はそうした概念的なものに強く影響を受けるため、例外なく夫を愛している」


 愛を語った詩乃の声音は淡白だった。


「いまでこそ倦怠期のようだが、詩乃さんにも初々しい時期が――」


 史紀が懐かしもうとすると、詩乃の髪が一部ハリセンと化して頭部を襲った。


「なんにせよ、花蓮様が卿との関係を伴侶と見なすのは、事実に対し正確な認識なのだ」


 戸籍とは別の領域で、怜生と花蓮は夫婦なのだと、詩乃は断言した。


「それは……間違いないんですか? 主従契約の方とかではなく?」


 あくまでも『婚姻』だと断言されて戸惑う怜生に、花蓮が焦りだす。


「そ、そんな、私と怜生さんが主従だなんて……!」

「ああ悪い、そんなつもりで言ったわけじゃなくて――」

「でも怜生さんが望むなら! 私も怜生さんを犬と呼びます!」

「そんなつもりで言ったわけでもないからな? お行儀よくしてような?」


 はーい、と冗談を引っ込める花蓮だった。


「ちなみにその婚姻契約に、離婚届の発行は?」

「自分の体が誰の力で生き永らえたと思っている? つまり、卿ら人間の言葉に倣うなら『死が二人を分かつまで』だ」


 詩乃の返答は即ち、契約を切れば命が保証されないということだ。


「殊更に重く捉えることはない。お互いにとって最もよい関係を構築していけばいい」


 史紀は若い男女を見守る目で助言する。


「そして最後に一つ、大事なことを覚えておいてほしい」


 まだ何かあるのかと、怜生は精神力の限界を感じながら背筋を正す。


「いま君の体は、龍神と結ばれたことにより、その膨大な魔力とも繋がっている。もし、これを不用意に使おうとすれば、強大すぎる魔力が何を起こすか分からない」


 史紀に指摘されて、怜生は映像で見せられたあの巨樹を思い出した。

 怜生が意図して作ったものではないし、花蓮とてそうだが……だからこそ危険なのだ。その気がなくとも同じ現象を起こすかもしれないのだから。


「故に、しばらく君は魔術を使ってはならない。いまは安定していても、ひとたび魔力を用いようとすれば、龍神の膨大な魔力が堰を切って溢れ出すだろう」

「それで、この封印用触媒を?」


 怜生は片腕を上げて、手首の輪を示す。


「我々に君を拘束する権限はないので、外そうと思えば外せるようになっているが……」

「わかりました。安全が確認されるまで、魔術は使いません」

「協力に感謝する――さて、取り急ぎ伝えるべきことは伝えたが、質問はあるかね?」


 生徒に質問を求める講師のように、史紀が問う。


「なら……これはちょっと失礼な質問かもしれませんが」


 せっかくなので、怜生は気になっていたことを口にする。


「神霊というのはその、必ずこういう姿をしているものなんでしょうか?」


 色気とは違う意味で目のやり場に困る女神たちの容姿を、ここで問う。

 なぜこうも、中途半端に人とそうでないものが混ざり合った、異形なのかと。


「人ならぬ神が、人の形をしていないことは奇妙かね?」


 史紀の問い返しで、怜生が返答に窮すると、詩乃が失笑する。


「我ら神霊の化身は、妖魔界と人間界を結ぶもの。従ってその姿は、妖魔の相と人の相を併せ持つ。記録を司る私は『紙』や『文字』、龍神である花蓮様は『蛇』――」


 胸元に軽く手を添えた詩乃は、異形の身をまったく恥じない。


「人型に寄せたり、或いはもっと化け物らしくなったりすることもできるが、基本的にはその間を取るのが我らだ。いわば、この半人半魔の形態こそ、人間界と妖魔界の間に立つ我らには自然な形なのだ」


 そう断言されると、怜生も言葉に詰まる。


「あ、あの、怜生さん……」


 そこで花蓮が、遠慮がちに怜生の袖を引く。


「わ、私、頑張りますから! こんな体ですけど、怜生さんを幸せにしますから!」


 彼女の必死な表情に、怜生は自分の愚かさを悟った。


 花蓮とて、望んで龍神や半人半蛇になったわけではないのだ。

 むしろ、そういう姿で人の世に放り込まれて、いま最も不安なのは彼女ではないか。


「怜生さんの嫌いなところがあったら私ちゃんと直しますからっ、怜生さんを!」

「鬼嫁か!? 一歩も譲らないで夫を矯正する構えなのか!?」


 図太い性格をしている花蓮には、要らぬ心配だったようだ。


「さて、流石に時間も遅い。鬼柳くんにも落ち着いて考える時間が必要だろう」


 史紀が切り上げる言葉を口にしたことで、怜生は今更ながら時間を意識した。


「あっ、申し訳ありません。考えてみればこんな夜中まで」

「構わないさ。職務に限らず、個人的な興味も尽きないことだ。今日は〈大図書館〉に部屋を用意しよう。お二人とも、いまはゆっくり休むといい」


 怜生が礼を言うと、史紀はこうも付け足す。


「ご両親についてのことも含め、話の続きは明日にしよう」


 やや慎重な声音で言及した史紀を見て、怜生も神妙な面持ちで頷くのだった。

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