第二話 奥様は魔物②
「大丈夫かね?」
「ええ。今更のようですが、ご迷惑をお掛けしました」
病室での宣告からしばらく経って、
服も〈大図書館〉が提供してくれたシャツとスラックスに着替えていた。
「それに、
花蓮に会わせて欲しい――時間を置いて、怜生が頼んだのはそれだ。
考えるべきことは多々あったが、まずは長年の相棒が無事か否かを確かめたかった。
かくして到着したのは、分厚く巨大な白い隔壁の前だ。
組み合わさっていた数枚の壁が上下左右に展開していくと、縦横ともに五〇メートル、高さ三〇メートルはありそうな、広大な白い空間が視界に現れる。
「……どこだ?」
入ってみると、無人だった。
あの目立つ緋色の半人半蛇を、この白い空間で見逃すのは難しい。
そんな怜生を――真上から降りてきた赤い大蛇が、頭から呑み込んで連れ去った。
「怜生さ~ん♪」
花蓮が、上空から、怜生を尻尾で掴み上げていた。
驚いたことに尾の先が口を開いて、怜生の頭部を呑み込み、胴体を咥えている。
「よかったー元気そうで! 怜生さんに何かあったらと思うと私もう気が気じゃなくて!」
花蓮はたいそう心配していたようだが、怜生はいま人生最高に気が気ではない。
蛇身の表面に苦悶する彼の顔が薄く浮かんでおり、花蓮はそれを抱き締め頬擦りする。
「あ、そうだこの服! 見てくださいよー、実は自分で作ってみたんです!」
花蓮は、フリルエプロンにも似た薄手の衣装を着ていた。
露出が多く、人間の女性なら扇情的だったろうが、彼女の場合大胆に露出しているのは捕食中の大蛇であった。その口内に頭を呑み込まれて足を暴れさせる怜生には当然見えておらず、くぐもった悲鳴以外の感想は口にできていない。
「意外とイメージだけで作れるものですね。まあ、怜生さんに裸で屋外連れ回されるのもそれはそれで刺激的だったんですけどー」
花蓮が頬を染める間に、怜生の手足が力を失い虚空に垂れ下がった。
「私の体でも着れて、怜生さんが興奮しそうな服となると、冬に向けてタートルネックの縦縞セーターとか、勇気を出して台所で裸エプロンとか? やだもう怜生さんってば! お台所で料理以外のものを作ろうなんて!」
花蓮が身悶えた拍子に骨の折れる音が鳴り、すぐ下で人体の落下音が響く。
「とりあえず子供は野球リーグを作れるくらい――あら怜生さん? お体はどちらに?」
そして花蓮が顔を向けると、尾の先に怜生の姿が見当たらない。
花蓮が尾の口を意識すると、食い千切られた怜生の頭が半分だけ吐き出された。
「あわわわすみません! まだ力加減が上手くできなくて!」
怜生の首を抱えた花蓮が、落下していた怜生の体へと急降下する。
蛇女が食い千切った人間の首を抱えて急降下してくる姿に、流石の史紀も青ざめた。
「えっと、多分こうすれば……」
花蓮は地面に落ちた怜生の体に、首の断面を合わせた。
すると接合部から火のような光が生じ、首と胴を溶接するように癒着させていく。
「あ、逆でした」
ゴキュン! と、音を立てて首が半回転された。
改めて首と胴体が繋ぎ直されると、怜生が無言で起き上がる。
「いきなりなにしやがんだお前はぁぁぁ!」
「ひゃううう、ひゅいまひぇん!」
怜生は花蓮の頬を左右に抓り、花蓮は涙目で顔を伸ばされた。
「つーか首が! 俺の首が!?」
そして今更ながら、自分の首が外れたり繋がったりした現実に、怜生は戦慄する。
「ふむ、『縫合』ではなく『受肉』とは、これはいよいよ……」
史紀はそう感心するが、怜生は二度目となる斬首体験に汗が止まらない。
「ふふーん、凄いでしょう。怜生さんを救いたいという私の愛が、新たなる力をピカッと開眼させたのです! 原理はなんなのかさっぱり分かりませんけど!」
得意気に笑った花蓮は、後ろから怜生の首を抱き、下半身の尾を絡ませる。
「いや……確かに凄いんだが……つーかなんで絡みついてんだよお前」
「なんでって、いつもこうしてるじゃないですか」
青ざめる怜生に、花蓮はキョトンとした顔をする。
どうやら花蓮は、小さな蛇だった頃と同じ感覚でいるらしい。
「そりゃあ、昨日までは小さい蛇だったからな。いまはほら、色々その、あれだろ?」
怜生は上半身のことか下半身のことか明言しなかったが、花蓮は前者と解釈した。
「んもー、怜生さんってば照れちゃって可愛いんですから♪」
「いや待てガチで放せ締まりすぎ肋骨折れる口から内臓出るぐぇっ!?」
怜生を揶揄する花蓮の尾が、腹を引き締めて危険な音を鳴らしていた。
「でしたら――」
怜生を放した花蓮が身を捻ると、火のような光が、腰から尻尾までを過ぎっていく。
光の消えた花蓮の下半身は、染みも曇りもない女性の両足へと変貌していた。
「じゃーん、これならいいですよね♪」
「おお……ちゃんと全身が人になってるじゃないか」
人間の姿になった花蓮が、浮遊して怜生の背中に寄り添う。
外見が半人半蛇でなくなったおかげで、怜生も幾分か落ち着きを取り戻した。
しかし、よく見れば人型となった花蓮は半透明で、幽霊のように質感がない。
「触れないってことは、幽体なんだな」
「幽体っていうんですか? こういうの」
いわゆる幽体離脱の幽体で、目には見えるが実体はない。
ちなみに、目に見える非実体が『幽体』、目に見えない非実体が『霊体』だ。
「色々試してみたんですけど、実体化するとどうしても足が蛇になっちゃうんです。かと言ってこっちだとお触りできないこのジレンマ! 人魚姫の魔女さんはどこですか!」
どうやら怜生が気絶している間に、花蓮も色々と試行錯誤をしていたらしい。
「人化が進んだようだが、実体化するとなると、竜の側面が現れてしまうのだろう」
観察していた史紀が、そこで推察する。
そこで初めて、花蓮が「この人だれ?」という顔を史紀へ向けた。
「失礼。私は
花蓮の無礼を咎めようとした怜生を気にするなと制して、史紀は名乗る。
「お話ですか? まあ怜生さんがいいと仰るなら。駄目というなら話せません」
「丸投げだな」
「古人曰く、女は男の三歩後ろを這いずるものですから!」
「それただの怪談だからな? 大和撫子と見せかけた悪霊の類だからな?」
妻を気取っている花蓮に、呆れる怜生。
その様子を見て、史紀が安心したように口を開く。
「ふむ、どうやら目立った害意や危険性はないようだ。なら、場所を変えても――」
「夫よ、少し待て」
半人半紙の女神・
「みぎゃー! なんですかこのタイプライター星人は!? どこの魔界の怪物ですか!?」
花蓮の悲鳴に怜生は慌てるが、詩乃の反応は予想を外れた。
「お初にお目通り叶います、いと高く深き方よ」
詩乃は頭を下げた。
浮遊していた体を床に降ろし、片膝をついていた。
「私は〈天に書き留める者〉が化身、下界の通り名を詩乃と申します――他の者が働いた無礼の数々、全ては野に生まれた無知ゆえのこと。どうかご寛恕を頂きたく」
まるで貴族が王侯にそうするような、畏敬の念を尽くす言葉だった。
出会って間もない怜生ですら、気位の高そうな詩乃がそうすることに驚く。
「ええと……くるしゅーないですよ?」
花蓮すら当惑する低姿勢に最も驚いていたのは、夫である史紀であった。
「詩乃さん、君が頭を垂れるということは……」
「もしやとは思っていた。彼の肉体を修復した現象を見て確証を得た」
これまでのやり取りを見ていた詩乃は、こう続ける。
「このお方は、龍神――我らが故郷の創世神、〈生み出された方々〉の化身だ」
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