第一話 赤い蛇は嫁になりたそうな目でこっちを見ている④

 ――図書館を脱出した人影は、大魔学院の敷地を走る。


 目指すのは、学院の近くを流れる川だ。


 赤枝宮あかしみやは、荒川低地と呼ばれる東京の東部を埋め立てて造られた街だ。その地下には、複雑な水路が張り巡らされている。潜水の魔術があれば、追っ手は撒きやすい。


 その脱出路を前にして、人影は急停止――直後、前方にオレンジ色の火球が炸裂する。


『カッカーッカッカッカッカッカ!』


 老爺の哄笑が川辺に響いた。


『グッドイブニングボンソワー、グーテンナハトこんばんはぁ! 血に飢えた少年少女の巣窟にようこそニンジャガール! このジャック・オ・ランタン男爵がお相手致そう!』


 喋るカボチャが、深夜の川辺に燃えていた。


 人影が目にしたその姿は――例えるならば、巨大な『剣玉』だった。

 長柄のハンマーの先端で、バスケットボールほどのカボチャが燃えている。


「おうちのお手伝いもやってみるもんねー。当たりは逃したけど大当たり来たみたい♪」


 火球の剣玉を手にそう語るのは、もちろん鬼柳きりゅうさんだ。

 ジャケットに袖を通し、ホットパンツから脚を覗かせて、外灯の上に立っている。


 面食らってか、人影は動きを止めていた。


 そこに今度は、青い火球の雨が降り注ぐ。


『カカカカカカカカッ!!』


 人影から見て背後の外灯から、今度は老婆の笑声が浴びせられた。


『バカだねぇブァカだねぇブァッカだねぇ! あんな目立つ登場したんだ囮に決まってるだろうさね! カカカカカカカカッ!』


 カブの老婆が、カボチャ男爵と同様の火球剣玉となって、口から火を噴いていた。


「こらウィル、あまり人に向かってバカと連呼してはいけません。人様を傷つけるのなら口より先に手を動かしなさいっていつも言ってるでしょう?」


 カブを銃器として使ったのは、もちろん鬼柳りんだ。

 黒い鍔広の尖がり帽子にケープとワンピースという、ハロウィンの『魔女』を思わせる姿で、外灯の上に立っている。


 こうした風体も伊達や酔狂ではない。


 これは侶魔りょまの力を引き出す憑依の一形態で、侶魔が『服』に化けて憑依しているのだ。


「「おっと」」


 燦と燐の顔面に飛来物。火球の雨に打たれた人影が反撃で放った、氷柱だ。

 これを、双方の手元にあるカボチャとカブが噛んで止める。


「油断してるわけないじゃん」

「魔術触媒なしに氷柱ですか、水に由来する侶魔なんですね」


 燦が得意げに笑い、燐は相手の魔術を分析する。


 氷柱を投擲した人影は、火球を浴びたせいか透明化が解け、姿を晒していた。


 現代的な忍者といった印象の、黒服だった。


 全身を覆う薄手のボディスーツ、首には隠形魔術の触媒であろう帯が巻かれている。

 顔には氷の仮面――いや、海月くらげに似た生き物が、顔に張り付いている。

 察するにあの仮面が、あの魔術師の侶魔なのだろう。


 女性と思われる細身の体からは、鋭いプロの気配が零れ出ている。


「まーぶっちゃけ、アンタが何で図書館に忍び込んでたとかどうでもいいのよ」

「ついでに言うと、五体満足であるかどうかも、どうでもいいですね♪」


 燦と燐は、武器化したカボチャとカブを、黒服の魔術師に向けた。


「「というわけで」」


 二人は子供のような笑顔で、しかし目だけを凶悪に光らせる。


「アタシらのお小遣いのために」「女の人生終わるくらい焼けてくださいね♪」


 かくして――格闘戦でも銃撃戦でもなく、魔術戦の幕が開かれた。


 黒服が、両手に水流を生み出し、氷の刃を作り出す。

 雪の花を模した刃は巨大な手裏剣となり、黒服の手が中央の取っ手を握る。


「いくよージャック!」

『カカカカ! いっちょ燃やしちゃるか!』


 外灯から飛び降りた燦は、ハンマーを振りかぶった。

 カボチャがハンマーから分離。その間には赤く熱せられた鎖が伸びている。


「バッター燦ちゃん振り被ってぇ、打ったぁぁぁぁぁ!」


 着地した燦が鉄槌を横なぎに振るうと、前に落ちてきていたカボチャを打つ。

 鉄槌とカボチャの間で爆発が起き、バッティングされたカボチャが黒服へ放たれた。


 カボチャは黒服に体当たりすると爆炎を生み出し、オレンジ色の炎で包み込む。


『やったか!』

「バカ! それフラグ!」


 鎖が収縮して引き戻されたカボチャを、燦が黙らせる。


「敵を攻撃した後にその台詞を使うと」

『決まって生きてんだよねぇ』


 燐とカブの老婆が受け継いで言うと、炎が吹き散らされた。

 中から現れた黒服は、周囲に水流を旋回させている。水で爆風と炎を防いだらしい。


「ほーら見なさい」

「フラグ回収ですね」

『このバカボチャが!』

『いやこれ儂のせいか!?』


 漫才を演じる間にも、今度は燐が砲撃する。


 柄の先で口を開いたカブが、青い火球を機関銃マシンガンの如く吐き出した。

 黒服は両手の氷刃を盾にして、燐の銃撃を防ぎ、迫ってきた燦の鉄槌を受け止める。


「硬っ」『ならば迂回するまで!』


 燦のハンマーから再びカボチャが分離、宙を舞って大口を開く。


 野獣となって牙を立てに来た鬼火を、黒服は潜り抜ける。カボチャは音を立てて虚空を噛み、炎と火の粉を激しく散らした。噛まれれば内部の炎で大火傷だろう。


 黒服は傍に居る燦ではなく、銃撃する燐へと迫った。


 氷刃を構えて接近してくる黒服に対し、燐は回避を選ぶ。

 燐がカブを下に向けると、その口から推進の炎が吐き出された。


「離脱!」『重いねぇ!』「うっさいです!」


 燐がハンマーに足を掛けると、鉄槌がロケットのように飛翔する。

 そのまま燐が柄を水平にして跨れば、もはや箒で空を飛ぶ魔女の姿だ。


 燐を逃した黒服は、その場で回転、背後から来ていた燦へ、両手の氷刃を投擲する。


「うわっと」『はぐっ!』


 燐は身を屈めて避け、カボチャは噛んで受け止める。

 その間に黒服は巨大な雪の花を作り出し、両手で頭上に掲げた。


「ふぁいあーっ!」『カカカカカカカッ!』


 空で逆さまになった燐の銃撃を防ぐためだ。


 氷の傘で火の雨を免れた黒服に、燦がカボチャをバッティング。

 黒服は雪の花を降ろして地面に突き立て、防壁にしてカボチャの突撃を阻んだ。


「結構強くないっ!?」『仮にもプロというところかっ!』


 後退した燦に、黒服は新たな雪の花を投げ付ける。

 投擲された雪の花が途中で自壊、鋭い破片の散弾となり、燦を襲った。


「ウィル、熱放射!」『カァッ!!』


 後退する姉と入れ替わる形で、着地した燐がカブを構える。

 カブから吐き出された熱波が、氷の散弾を蒸発させていく。


「どうしよう燐ちゃん、私ちょっとスイッチ入りそう……!」

「まあまあ、ぶっちゃけ増援来るまで足止めすればいいんだし焦らなくとも」


 獰猛に笑う燦に対して、燐は冷静に状況の有利を指摘した。

 事実、もう少し待てば燈の部下が到着する。時間は燦と燐の味方だ。


 だが、だからこそ――窮地の者が全身全霊を賭すことを、二人は恐れるべきだった。


「「っ!?」」


 黒服の気配が変化するのを、燦と燐は野性の勘で察知した。


 双子の予感を肯定するように、黒服の全身から、青紫色の魔力光がほとばしる。


「ちょっと、なによその魔力……」「お姉ちゃん、これまずいかも……」


 魔力光を猛らせた黒服が、片手を上げる。


 その動作に合わせて、黒服が背にした川面から、多数の氷刃が音もなく凝結した。

 川の水位を減らして生まれた刃は、透明な風車の大群となって、背景を覆い隠す。


「燐ちゃん!」「ウィル、全速離脱!」


 燦と燐は瞬時に逃走を選んだ。


 燐がカブを後ろに向けて鉄槌に跨り、燦がその背後に乗ると、カブが爆発的なアフターファイアを吐き出す。一瞬の滞空を経て、魔女の箒が発進する。


 夜の学院風景に、青白い推進光が放たれると、氷刃の群がそれを追った。


「ちょっと待ってマジ謝るからSTGシューティングゲームみたいな弾幕止めー!」

「お姉ちゃんいいから撃墜して! ガチで絶体絶命だから!」


 氷刃は追尾機能まであるのか、軌道を変えながら姉妹を追う。


 燐は全速力で飛翔し、燦は後ろ手にカボチャを振り回して氷刃を撃墜する。


 だが、撃ちもらした一枚の氷刃が眼前の路上に刺さり、燐が箒の先端を引っ掻けた。

 姿勢が崩れた二人は墜落、慣性に流されて地面を転がる。


 地面に靴底を滑らせた双子が振り返ると、いまだ百枚近い氷刃が迫っていた。


「……よくて腕一本、かなぁ」

「治らなかったら私のあげる」


 一秒もない猶予に、燦と燐は笑顔すら交わし、最後の抵抗を試みようとする。


「バカ言うんじゃねぇよ」


 そこに――鬼柳きりゅう怜生れおが割り込んだ。


 唖然とした燦と燐に目もくれず、怜生は氷刃を睨む。


 怜生のすべきことは一つ、迫る百枚の氷刃を全て防ぎ、燦と燐を存命させること。

 そのために、怜生は体内触媒に花蓮の魔力を走らせて、手中に赤い種を作り出す。

 種は発光と共に急成長、二叉の穂先を持つ槍に変化して、怜生の両手が柄を握る。


「っっっ!!」


 怜生の闘気と、重ねてきた修練の全てが、槍撃の嵐を生み出した。

 次々と飛来する氷の刃を、穂先と石突の連打で弾き、払い、砕く。しかし――


(あ、こりゃ防ぎきれんわ……)


 神経伝達物質の増加でスローになった世界で、怜生は悟った。


(最低でも致命傷が一つか二つ……)


 燦と燐を守ろうとしなければそれは防げたが、鬼柳怜生にそれはできない。


 死ぬのは怖いことだからだ。


 自分でも、自分以外であっても、人が死ぬのは等しく恐ろしいことだからだ。


 即ち――鬼柳怜生とは、そういう男なのだった。


(なら、!)


 怜生は即断して、魔力の過剰運用を開始した。


(負荷も後遺症も無視だ! 俺の手足、眼、魔術師としての将来、全部くれてやる!)


 最優先は、自分と燦と燐の命、それ以外は守り切れない。


(命以外を全部つぎ込んで、ここで命三つ拾えればいい!)


 直後、氷刃の鉄砲水に、赤い槍の嵐が抗った。


 無理な補強で全身の皮膚や筋肉がブチブチと千切れるが知ったことか、槍の反動で指が折れたがそれがどうした、腱が切れて動かない腕は念力で動かせ、槍が間に合わない刃は肘や膝をぶち込め、胸や腹に刺さったものは医者に任せろ、片目に破片が突き刺さったが男は我慢だ。終わった後は動けずともよい、燦と燐が無事なら病院に運んでくれる。


 残る問題は一つ――そう、一つだけ。


 いま顎の下を通り抜けた最後の刃だけは、防ぎきれなかったということだけだ。



 



 意地悪く笑う三日月が見えて、上下が逆さまの景色が見えて、地面が見えて、燦と燐が見えた。正面が見えて夜空が見えて姪っ子が見えてはいもう一周。地面に額から落下おお痛い。転げる視界に倒れているのは、奇遇にも自分と同じ格好の、首のない体だった。


 断頭台ギロチンに処された人間は僅かな間だけ意識を保つという話を、なぜかいま思い出す。


「「――おじさんさま!!」」


 視界が暗転する直前、燦と燐の声を聞く。



 二人は無事だったのだという安堵感が、怜生の意識を眠らせていった。

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