第一話 赤い蛇は嫁になりたそうな目でこっちを見ている③

 日没後――空にはいつものように、赤色や青色といった複数の月が輝く。


 天変地異と共に現れた衛星だと聞くが、それが無かった時代を怜生は知らない。


 大魔学院の敷地が、そうした夜空の下で静まり返っている。

 小中高大・各種専門学校の校舎が立ち並び、昼なら生徒の雑談が鳴り止まぬ学び舎だ。


『飽きた。探知触媒の反応待ってるだけとか暇すぎ』


 高等部校舎の屋上で、怜生れおさんの不満を聞いていた。


 幻術通信での声だ。燦とりんの担当は、ここから離れた中等部校舎の屋上だった。


「退屈するだけで時給もらえるなら結構なことだろ」


 そう返す怜生の手元にも、燦の言う探知魔術の触媒がある。

 地球儀に似た機器で、魔石や魔術師から魔力を供給されれば、後は自動で仕事をする。


 魔術を使うのに呪文や儀式は必要ない。術式を記録した触媒に魔力を通せばいいのだ。


「一応、窓を割るための凶器は持ってるはずだ。舐めて怪我すんなよ」


 怜生が一応釘を刺すと、燦の生返事に、燐の声が続く。


『おじさま、犯人が常設の警報を誤魔化せたのは、やっぱり侶魔りょまの能力でしょうか?』


 怜生は「だろうな」と返しつつ、夜食のおにぎりを開封する。


「純粋な技で監視を抜けられるような奴が窓だけ割るのも妙な話だ。犯人は学院の生徒か教員で、侶魔に姿を隠すような生態魔術があるんだろうよ」


 妖魔には、生態魔術と呼ばれる能力がある。

 要は、狐狸が葉っぱを札束に見せたり茶釜に化けて踊ったりするようなものだ。


 魔術師は市販の触媒で汎用魔術を操る他、侶魔の能力という一芸も併せ持つ。


『多くの侶魔は童子ほどの知恵しか持たず、魔術師は親のようなものじゃ』


 カボチャ男爵が、容貌に見合わぬ知的な声音で語る。


『魔術師に命じられれば、侶魔はそれが悪事かどうかも考えず、己が力を奮うであろう』

『ブァカだね! 魔術師の風上にも置けやしないよ!』


 カブの老婆も、まだ見ぬ犯人を非難した。


 怜生が目を配ると、花蓮かれんが首に巻き付いたまま眠りこけている。


 物心ついたときから人生を共にしてきたこの小さな蛇は、怜生にとって家族も同然だ。魔術師にとって、侶魔とはそういうものだ。

 悪事に使うなど言語道断。怜生も魔術師の端くれとして、犯人への義憤を禁じ得ない。


 そんな怜生の手元で、探知触媒が、音を出さずに赤く明滅した。


「俺が当たりか」


 ◆


 怜生が犯人を取り押さえに向かった頃、別の場所。


 大魔学院の図書館で、時計の針が静かに日付を変えていた。


 その時計の下を、魔術で不可視化した人影が、秒針より静かに進む。

 幾つかの扉を不正に開錠した人影は、特に厳重な警備を抜けて、その先を覗き込んだ。


「こんばんは」


 背後から声を掛けられて、人影の呼吸が止まった。


「閉館時間はとうに過ぎておりますが、急ぎ必要な書籍でも?」


 振り返ると、司書のような装束を着た初老の男性がいる。

 中肉中背で、柔和な顔立ちに灰色の髪を撫でつけた紳士だ。


 人影は透明化しているのだが、彼に見えていることは、もはや疑いようがない。


「つまらぬ茶番だ」


 高圧的な女性の声が、司書の言葉を切る。


 一拍おいて、声の主が中空に姿を現した。


 ――異形の美女だ。


 芸者のように白い肌と端正な顔立ち。装いは、アオザイに似た白黒の振袖。


 服の生地は布ではなく『紙』であり、縫い目は意味知れぬ記号の文字列だった。

 脚線を強調する薄手のズボンは、膝から下に大量の色紙を提げており、足が見えない。


 いや、どういうことかこの美女、


 頭部は印字機タイプライターだった。


 機械になったカミキリムシを思わせる印字機だ。長い触角めいた筆を生やし、目元では鍵盤が小気味よく音を立てる。そういう被り物なのか、体の一部なのかも分からない。


 極めつけに、紙の髪。


 頭部から背中に広がる白髪は、よく見れば、幾条もの紙が折り重なって伸びている。


 それらの異形を言葉にするなら、半人半紙。

 人とそれ以外が混ぜられた、異形なのに美しく、壮麗だが奇異な、魔の容貌だった。


「ここは我が神殿、たとえその庭の端であろうと許しなく踏み荒らせば神罰あるのみだ。素性なぞ、その後に残った頭から読み取ればよかろう」


 半人半紙は、瞳ではなく梵字めいた記号を灯す眼で、侵入者を見据える。


 その口振りは、まるで自分が神殿に祀られるものであるかのようだった。


「無聊の慰めが欲しかったところでもある」


 緩やかに広がる紙の髪、その中央で冷笑する紙の神、薄い唇が神託を告げる。


「卿、世にも奇妙な死体で私を笑かせ」


 人影の返答は蒸気と爆風だった。

 人影が投擲した、投げナイフ型の使い捨て触媒による、水蒸気爆発だ。


「至近距離からの水蒸気爆発とは酷いね――紙が傷む。濡れた本はもう本じゃない」


 白煙が吹き消されると、司書が無傷で立っている。


「こちらのカミも案じてほしいものだな、我が夫」


 横では、半人半紙が人影を捉えていた。

 伸びた紙の髪が数枚、人影に突き刺さり、貫通している。


 全て急所を貫いていたが、傷から噴き出たのは赤い血ではなく、透明な水飛沫。

 人影は色と輪郭を失い、水となって床に落ちると、蒸発して消える。水の分身だ。


「愚かな。逃げて飼い主を知られるくらいなら自決すべきだろうに」


 半人半紙が振り返ると、分身を囮にした人影が、地上へと逃げていく。


「どこかの結社の若者が、功を焦ったのだろうね。なら、追跡も若い人に任せよう」


 司書は子供の悪戯を見たような顔で、図書館の奥へと去る。


 見逃された人影は図書館を飛び出し、学院の敷地内を走る。



 そんな逃亡者の姿を――とある双子の姉妹が、偶然にも目撃していた。


 ◆


義姉ねえさん、怜生だ。現行犯でとっつかまえた)


 高等部の中庭で、怜生は窓を割ろうとしていた犯人を組み伏せていた。

 中学生ほどの華奢な少年が悄然としており、横にスパナが転がっている。


「いいストレス解消になっただろうが、こうなった以上は諦めろ」


 真面目そうに見える少年に言う。動機についてはさっぱり興味がない。


 少年の肩にはカメレオンのような侶魔がいた。見た目通りの能力で契約者の姿を隠していたが、熱探知に引っ掛かったのだ。いまは花蓮に威嚇されて震えている。


『怜生くん、いま〈大図書館〉に侵入者が現れたそうよ。侵入者は地上に逃走、こちらに封鎖と捜索の依頼が来たところなんだけど……』


 間を置いて届いた燈の言葉に、怜生は目を剥いた。


『幸か不幸か、燦と燐の近くを通ったみたいで――』

「おいアンタ! そいつを頼んだ!」


 燈の言葉を最後まで聞かず、怜生は高等部の中庭から駆け出した。


 やってきていた警備員に少年を預け、怜生は燦と燐が居た方へ走る。


「花蓮、来い!」


 呼ぶと、花蓮が襟首から宙へと舞い上がる。


 すると、花蓮は赤い光となって、怜生の体内に吸い込まれた。


 ――魔術師は、侶魔から魔力を供給されて、魔術を行使する。


 この際、多くの力を供給させるには、魔術師と侶魔が密接に繋がらなければならない。


 故に魔術師は、必要に応じて侶魔を自分の体に『憑依』させるのだ。

 怜生の体内、花蓮を憑依させた心臓部から、血管のような魔力光が全身に広がる。


(体内触媒から術式を起動――形成、強化筋肉!)


 怜生は体内触媒を介して自分に魔術を掛けた。


 有機魔術で体内に高性能の筋線維を織り込むと、全身が一回り膨れ上がる。


 花蓮が妖魔として持つ生態魔術は『生命力』だ。それは怜生の学ぶ有機魔術と噛み合うことで、彼の肉体をアメコミヒーローのような超人に作り変える。


 無尽蔵の体力と、単純明快な馬鹿力――それが、鬼柳怜生が持つ魔術師としての力だ。


(あのバカ姉妹なら、絶対に侵入者を見逃さずに喧嘩を売る……っ!)


 狩猟動物の速度で、敷地内の壁を飛び越えながら、怜生は冷や汗を流す。


(でも、禁呪指定術式まで保管されている〈大図書館〉に忍び込もうなんて考える輩が、単なるコソ泥で済むわけがねぇ。プロだ! 下手に絡んだら殺しに来る!)


 先の少年など比較にならない、目撃しただけで殺されかねない相手だった。


(最悪の事態になる前に、首根っこ掴んで連れ戻すしかない!)

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