第一話 赤い蛇は嫁になりたそうな目でこっちを見ている②

 怜生れおが厨房に立つ間、他の面子は居間でくつろいでいた。


 さんはソファーに寝転び、ペンシル型の端末が投影した画面で服飾雑誌を読んでいる。

 りんは姉の隣に腰掛けて、お揃いの携帯端末で交流アプリを操作していた。


「チャンネル変えていい?」「いいよー」


 燦が手を伸ばしたのは、球状画面を宙に投射していた幻術触媒だ。


『しゃーっ!』

「うわっと、なに花蓮かれん? アンタこの恋愛ドラマ見てたの?」

 チャンネルを変えようとした燦を、机の上でとぐろを巻いていた花蓮が威嚇した。

「おませな侶魔りょまですね」


 ドラマに夢中な蛇を見て、燐がくすくすと笑う。


「そういえば、あまり気にしてこなかったけど、花蓮って昔からこうだよね?」

「こうって?」

「ほら、侶魔って魔術師との契約期間で、言葉を覚えたり、人に化けたりするでしょ?」

『左様じゃ』


 燦と燐が言葉を交わすと、カボチャが頷いた。


『人間界を含む複数の異界は〈天変地異〉に襲われ、我ら妖魔界の住人は環境変動による絶滅を逃れるべく、〈箱舟〉に乗ってこの世に舞い降りた』


 世界を一変させた出来事を、カボチャの老紳士は昔話のように語り出す。


『そして一部の妖魔ようまが、地球環境に適応するため、人間に姿を変えて地球に移り住んだ。これが、お主ら妖精人種たちの起こりじゃ』


 燦と燐は、その妖精人種だった。

 第一世代ではない怜生は、生まれながら人間なのでピンとこないが。


『一方、全ての妖魔が都合よく人間に化けられるわけでもない。そうした妖魔が人間界へ適応するために行うのが、人間または妖精人との契約じゃ』


 妖魔たちにとって、地球は異世界の大地だ。


 人間界に来てすぐ人間へ化けられた『最初の妖精人種』たちが希少なのであり、大抵の妖魔たちは、単体では地球に適応できない。


 それでは絶滅寸前の状態から脱しえない。これを解決するのが『契約』だ。


『これら契約した妖魔を〈侶魔〉と呼ぶ』


 カボチャ男爵やカブ老婆、ドラマ視聴中の花蓮が、その侶魔だった。


『侶魔は契約することで人間界でも活動可能となる。そして契約者から人間の霊質を体得することで、人と同質の知恵を育み、最終的には妖精人に生まれ変わることも叶う。そうした侶魔を預かる代わりに、侶魔から魔力を与えられたのが魔術師じゃ』


 それが、魔術師と侶魔の間で結ばれる契約だ。

 つまり魔術師といったら、侶魔を連れている人間か妖精人を指す。


『故に、坊主が幼い頃に母から受け継いだ花蓮殿も、いずれ人語を解し、人に化けよう』

『ブァカだね話が長いんだよ!』


 カブの老婆が杖で小突くように、カボチャ男爵の話はいつも長い。


「にしては遅くない? 普通、十年も侶魔やってたら言葉くらい喋れるでしょ?」


 燦が疑問を覚えたのはそこだ。


「花蓮は寿命が長い種類の妖魔で、成長が緩やかなんだとさ。気長に待つさ」


 話を聞いていた怜生が台所から答えると、燦と燐が目を向ける。


「とか言って気にしてるくせに」

「同級生の侶魔がどんどん成長していくのに、おじさまの侶魔はこの通りですからね」

「駄目な子ほど可愛いもんさ」


 図星ではあったものの、怜生はそう言って料理に戻る。

 どうやら、花蓮がドラマの感想を口にできる日は、もう少し先になるようだった。


「お? 来たか」


 そのとき、部屋の呼び鈴が鳴らされた。燦と燐が応対に出る。


「こんばんはー、ご馳走になりに来たよー」


 黒髪を肩口まで伸ばした素朴な日本人の少女、小沼地こぬまち氷魚ひおがやってきた。


「いらっしゃーいヒオ♪」「どうぞ、上がってください」


 氷魚は同級生である燦と燐に出迎えられ、廊下から厨房へと顔を出す。


「うわっ、本当に怜生先輩が料理してる……」

「何が『うわ』だ、デザート三倍にして太らすぞ?」


 今日のゲストは彼女――数年ぶりに再会した、怜生たちの幼馴染だった。


「んじゃ、色々遅れたが、氷魚とまた会えたことと、その快復を祝って――乾杯」


 かんぱーい♪ と、食卓に並んだ料理の上で、怜生・燦・燐・氷魚のグラスが鳴る。


「これ全部、怜生先輩が?」

「料理できる男はモテるって迷信を真に受けた時期が、お兄さんにもあったのさ」


 驚く氷魚に言うと、隣から燦が肘で小突く。


「とかいいつつ、おじさんってば下拵えから気合い入れちゃって」

「言っちゃ駄目だよお姉ちゃん。ヒオちゃんにいいとこ見せようとしてるんだから」

「まあ否定はしねぇよ」


 からかう燦と燐に、怜生は余裕を装って答える。


「病気の治療で引っ越しちまった幼馴染が、元気な姿で戻ってきてくれたんだ。気合いの一つくらい入れたくなるさ」

「そんな、覚えていてくれただけでも充分だったのに……」


 照れ臭そうに笑った氷魚は、かつて心臓を患っていた。

 治療のためには遠方の病院に入らねばならず、小学生の頃に引っ越してしまったのだ。


 そして半月前、大魔学院に入学してきた氷魚と怜生たちが再会した運びである。


 今日の夕食は、そんな氷魚との旧交を温めるためのものだった。


『きゅい!』


 と、宙を泳いだ花蓮が、怜生の横髪を噛んで引っ張り、料理を催促する。

 怜生は食卓にあった侶魔用の料理から、専用の串で小さな卵を取り、口に運んでやる。


「侶魔用の幽体料理まで作れるんだ……」

「専用の食材と器具を揃えれば、そう難しいもんじゃないからな」


 氷魚を感心させた幽体料理とは、例えるなら幽霊のように霊的な素材の料理だ。

 カボチャとカブも、一見サラダに見える幽体料理のプチトマトを口に放り込んでいる。


「氷魚の侶魔はいいのか?」

「私の侶魔、魔力が足りなくて実体化できないんです」


 怜生の問いに、氷魚はそう答えた。


 花蓮たち侶魔は、魔力で疑似的な肉体を形成している。

 妖魔の本体は血肉より霊にあるため、肉体がなくても生存には困らないのだが、大抵の侶魔なら実体化が可能だ。氷魚の侶魔には、そのための魔力が足りないという。


「もしかして氷魚は、魔力製の人工臓器を移植したのか?」

「あ、正解です。怜生先輩、詳しいですね?」

「これでも有機魔術が専攻だからな」


 有機、つまり医療や農水産といった『生き物』を扱う魔術だ。


 そんな怜生と氷魚の会話に、燦と燐が小首を傾げる。


「臓器移植がどうかしたの?」

「それで魔力が足りなくなるんですか?」

「私の心臓、有機魔術で作った人工臓器を移植してるの。機能を維持するためには魔力をそっちに使い続けなきゃならないから、他の魔術を使ってる余裕なくて……」


 氷魚の説明に、怜生の言葉が続いた。


「高度な医療魔術は患者に魔力を要求するからな。魔術師でないと享受できなかったり、できても魔術師としてハンデを残したりすることが多い。まあ、命が一番だけどな」


 医療魔術師を志望する怜生は、氷魚を救った技術について端的に語った。


 なんでもできるように聞こえる魔術にも、やはり限界と制約がある。


 呪文を唱えれば万病が癒えるような都合のいい魔術は、未だ「不可能」とされている。


「おかげでこうして皆と会えたけど、すっかり見違えてびっくりしちゃった」


 話題に硬さを感じたのか、氷魚はそう言って怜生たちを見回した。


「中身はそんなに変わってねぇさ。この姉妹は相変わらず凶暴だ」

「それ言ったらおじさんだって泣き虫のままじゃん!」

「まったくです。ヒオちゃんが来る前だって――」


 燦に続いて燐が暴露しようとしたので、怜生はすかさず言葉を挟む。


「ちなみにデザートは秋の味覚を使ったスフレなんだが」

「昔と変わらず頼もしくて素敵なおじさまです♪」


 あっさり態度を翻した燐に、氷魚は笑みを零す。


 失い掛けた命を取り戻した彼女は、料理以外のものも噛み締めているようだった。





「怜生先輩、手伝わせてもらってもいいですか?」


 食後――怜生が食器を洗っていると、氷魚がそう申し出た。


「いいのか?」

「ご馳走になるだけだと落ち着かなくて。あと燦と燐がやたらゲーム強くて……」


 燦と燐を見ると、友人をほったらかしにして格闘ゲームに興じていた。


「じゃあ悪いけど、細かい食器を棚にしまってくれ」


 頷いた氷魚は、食器洗浄機が乾燥させた食器を手に取る。怜生は加熱器を掃除する。


「あの二人、学校じゃどうだ? 迷惑かけてるだろ?」

「あはは、コメントは控えさせていただきます。でも、二人ともお友達は多いですよ?」

「そうか。毒はあるが、味方にしとくと役に立つはずだ。何かしでかしたら言ってくれ」


 燦と燐の性格をよく知る二人は、断片的な言葉で通じ合う。


「心配性な叔父さんですね?」


 姪っ子を気に掛ける怜生に、氷魚が微笑んだ。


「あんまり学校でおじさんとか呼ぶなよ? 留年を疑われる」

「そういえば、昔は二人も先輩のこと『兄さん』『兄様』って呼んでたような……」

「なんか萌えキャラみたいで嫌なんだとさ。まあ、養父の孫娘だから叔父には違いない。つーか氷魚こそ、昔みたいに『怜生くん』って呼んでもいいんだぞ?」

「一応先輩ですし、それに、すっかり大人っぽくなっちゃいましたから……」


 氷魚が怜生の顔を見上げて、少し緊張したように言うと、


『しゃーっ!』

「きゃっ!?」


 怜生の襟元から花蓮が顔を出して、氷魚を威嚇した。


「こら花蓮、なんだ急に」

「あはは、ヤキモチ焼かれちゃったみたいですね」


 花蓮の首を掴んで引っ込めると、氷魚が慌て気味に笑った。


「話は変わるが、選択科目は決めたのか? 一年はそろそろ決める時期だろ」


 浮ついた空気を誤魔化すように、怜生は真面目な質問をする。


 大魔学院は九月開講で、燦や燐や氷魚が入学してから半月ほど経つ。


「はい、呪医学にしました」

「それなら俺も履修した。やっぱり、自分の体のことがあってか?」

「ええ、それもあります。あと……」


 氷魚はどこか神妙な顔付きになる。


「治療に当たってお世話になった人がいるんです。将来、その人を手伝えたらなって」


 氷魚の表情は照れ臭そうで、その恩人への憧れらしきものが感じられた。


 と、そこで怜生のカフス型触媒が着信を報せる。氷魚に断って、通信魔術を起動した。


『はぁい♪ 怜生くん』

「義姉さんか」


 脳裏に響いた陽気な声は、怜生の義姉にして燦と燐の母、鬼柳きりゅうあかりのものだった。


「どうした? 夕飯ならいらないっていうから材料使っちまったぞ?」

『それはそれで残念だけどね。実は、ちょっとお仕事を手伝ってもらいたいの。燦と燐はいるかしら? いたら二人にも繋いでくれる?』


 怜生は幻術通信から意識を離して、居間へ声を掛ける。


「二人とも、義姉さんから通話だ。部屋の回線に繋ぐぞ」


 燦と燐に言って、怜生は幻術の回線を変更する。

 受信機が家の通話機に変更され、居間の中空に『音声通信』と画面が現れた。


「なぁにお母さん。私いま燐ちゃんにマウントでボコられて気が立ってんだけど?」

「ゲームの話だよ!? あたかも私が家庭内暴力でも振るったみたいに!」

『仲良しでいいわね。今日はその拳を貸してほしいのよ』

「え? なになにカチコミ!? もーそれなら先に言ってよー、どこに行くの?」

「お姉ちゃんそんな遊園地に行くみたいな……」


 恋人からデートに誘われたような顔をする燦に、燐が呆れ顔になる。


『誤解されるようなこと言うんじゃありません。ごく普通の警備会社のお仕事よ』

「どこぞの紛争地でテロリスト相手にヒャッハーしてる警備会社が『普通』ねぇ?」


 母のお叱りにそう返す燦を見て、氷魚が怜生に顔を向けた。


「あの、先輩のご実家って……」

「義姉さんの部署は本当に普通の警備だよ。学院の警備もうちの担当だったはずだ」


 怜生は誤解を防ぐことに努めたが、氷魚は冷や汗を掻いていた。


『そうそう、その学院警備の方でちょっと人手が要るの』

「穏やかじゃないな。詳しく聞かせてくれ」


 生徒として聞き逃せず、怜生は説明を求めた。


「――要するに、校舎の窓ガラス叩き割る阿呆がいるから見張っててくれってことか?」


 説明された内容は、想像を下回るものだった。


「どんだけザル警備なのよ、うちの学院」

『失礼ね、外から侵入を許すほど手抜きはしてないわ。ただ、敷地内の学生寮や教員寮に犯人がいた場合はちょっと勝手が違うのよね』


 燦の失笑に対して、燈は厄介そうな犯人像を挙げた。


『大魔学院って広いでしょう? しかも、いまは赤枝宮で〈王〉の会談があるじゃない? 本社がそっちを預かってて、こっちの部署からも何人か出張中なの。人手不足なの』


 そういえばニュースで聞いたなと、怜生は思い出す。


『怜生くんたちなら下手な警備員より腕も立つでしょ? お願いだから手伝って~。相場通りの時給も出すし、もし現行犯で捕まえたら新鮮なお肉にしていいから!』

「いや、ガキの悪戯だろうし説教と弁償で許してやれよ……」

「「りまーす♪」」

「ほら見ろうちの悪ガキがすっかりその気だ! ああ分かったよ俺もやるよ!」


 燦と燐から犯人を守るため、怜生も立候補せざるをえなかった。


「悪いな氷魚、そういうわけだから、送っていくよ」

「あ、うん……三人とも、気を付けてね?」


 無理をしたような笑みを浮かべる氷魚が、今後も友人でいてくれることを切に願った。

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