第一話 赤い蛇は嫁になりたそうな目でこっちを見ている

第一話 赤い蛇は嫁になりたそうな目でこっちを見ている①

 残暑の熱気が多少は過ごしやすくなった、九月中旬の午後四時ごろ。


「さあ、ここは妖精人自治区・赤枝宮あかしみやです。ご覧ください! こうして道を歩くだけでもあちらこちらに侶魔りょまを連れた魔術師の姿を見掛けることができます!」


 街の一角で、異国のTV局が撮影をしていた。


 褐色の肌の女子アナウンサーが示した先には、魔石建材の煌びやかな建物が並び、上空を渡る光線道路を魚型飛行船が往来するという、赤枝宮の景色がある。


「かつてここは東京都江東区と呼ばれる地域でしたが、海面上昇によって一時は海の底に沈んでいました。魔術の時代が幕を開けると、水没地域は妖精人自治区として再建され、江東区は日本と赤枝宮の、ひいては人間界と妖魔界の玄関口に生まれ変わったのです」


 女子アナが街の歴史を語る。この後はスタジオにクイズでも出すのだろうか。


「いまも妖魔界から妖精人が移住してきている赤枝宮、魔術経済を牽引する〈王〉たちが支社を置いたこの街で、人々はどんな暮らしを送っているのでしょうか? 早速、取材を始めてみましょう」


 そうして、撮影班は町の喧騒に加わっていく。


 ここは妖精人自治区・赤枝宮――妖魔界の者たちが移り住む、魔法技術テクノマギアの都市である。


 そんな赤枝宮の大型食料品店に、鬼柳きりゅう怜生れおの姿があった。


 少し癖のある赤毛を伸ばした精悍な顔立ちは、眉間に不機嫌そうな皺を作っている。

 地顔だ。当人にその気がなくとも虫の居所が悪そうに見える部類の強面だった。

 多少鍛えられた体格は、赤枝宮大魔学院の制服に袖を通しており、その襟元から、


『きゅい♪』


 イルカとも小鳥ともつかぬ鳴き声とともに、赤い蛇が顔を覗かせていた。

 宝石のような緋色の鱗に包まれた、六〇センチ前後の蛇だ。

 花蓮かれんという、怜生の侶魔りょまだった。


 強面男が首に蛇を巻いている姿は、趣味の悪いマフィアのようでもある。


 その面相でレジの店員に冷や汗を掻かせた怜生は、買い物袋を手に店を出た。


『次のニュースです。〈ミズチ〉代表・鳴海なるみ滝徳たきのり氏が、〈大図書館〉代表・一文字いちもんじ史紀しき氏と交渉を行うため、赤枝宮に到着しました』


 移動中、怜生は耳のカフス型触媒で、幻影魔術による報道を聞いていた。


『鳴海氏は魔術開発のため、術式の禁呪指定解除を求める予定ですが、一文字氏は解禁するには法整備が不十分という従来の姿勢を変えておらず、難しい交渉が予想されます』


 怜生は経済ニュースを聞きながら、上江東かみこうとう区の住宅街を歩く。


 人間界と妖魔界が結ばれ、科学と魔法は手を取り合った。


 異界の物理法則を解明した技術、魔法技術テクノマギア――略称・魔術が、現代文明の柱だ。

 伝導魔術で姿を消した電線や電柱、航空魔術で自家用車のように普及した飛行船、幻影魔術が虚空に描く立体映像、杖を持った保安魔術師に、町を往来する亜人や妖魔――


 旧時代の人間からすれば荒唐無稽で、現代人からすればそれが当たり前。


 そういう時代に、鬼柳怜生はいま、十代半ばの高校生として生きている。


 買い物袋を手に帰る先はマンションの一室、二年ほど前から居候している義姉の家だ。


 いつものように、夕飯の献立を考えながら部屋の扉を開くと――


「「鬼柳怜生さん!! 童貞十七歳のお誕生日っ、おっめでとーう!!」」


 姪っ子たちが、怜生に向けてパーティクラッカーを鳴らしていた。


 双子の姉妹で、怜生から見れば歳の離れた義姉の娘だ。


 橙色の髪を頭の左右で結った、少し派手な装いの子が、姉のさん

 青い髪をうなじで左右に分けた、一見して清楚な子が、妹のりん


 二人により、玄関で顔にカラーテープを絡められた怜生は、口の端を震わせて、


「じゃかましいわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 怒鳴り散らすと、燦と燐は「きゃー♪」と悲鳴を上げながら転がる。


「ちょっと待ってお姉ちゃん! いま台本確認したら明らかに余計な単語があったよ!?」

「大丈夫っ、きっと間違いないから! おじさん顔に似合わずそういうのチキンだし!」

「確かにそうだけど失礼だよ! お祝いなんだから無理してでも褒めないと!」


 燦が親指を立てると、燐が失言を重ねた。


「まあなんにせよ、おじさんおめでとー♪ びっくりした? 泣いちゃった? 同年代の姪っ子から童貞記録更新をお祝いされて涙腺に来ちゃった? きゃー可愛いー♪」

「だから駄目だよそんな煽るようなお祝いしちゃ! というか仮に経験なくても普通だよ高校生だもん! まだおじさまの青春は始まったばかりだもん!」

「そうだ! おじさんの青春はこれからだーっ! ――ご愛読ありがとうございました。鬼柳先生の次回作にご期待ください」

「そんな単行本一巻で打ち切られたような青春じゃなくて!」

「社会の荒波も中年太りも老後の心配もこれからだーっ!」

「誕生日くらい明るい未来を見せてあげようよ! いまはともかく前向きに生きていけば九十九歳で一発逆転あるかもしれないじゃない!」


 毒々しい漫才を見せつけられた怜生は、笑顔に青筋を追加する。


「うんうん、俺の姪御さん今日もいい性格してんなー。ちょっとそこに正座しような?」

「やだなーおじさん冗談だってばー。ほら燐ちゃん」

「はい! どうぞおじさま、可愛い姪っ子の手作りケーキです」

「おお、なんて醜悪な紫色の粘液、そして目に沁みる刺激臭! 材料なんなのかさっぱり分からねぇが毒物だってことは分かる!」

「ちゃんと蝋燭も用意してありますよ?」

「いや燐、そういう問題じゃない。あとそれ蝋燭じゃないからな? お線香だからな!? 正体不明のバイオテロケーキにお線香の灰をぼとぼと落として何をお祝いする気だ!?」


 深海生物の死骸が腐ったような物体を差し出され、怜生は身を引いた。


 十七本の線香を手にした燐に代わり、燦が箱を出す。


「はい、こっちは私からプレゼント。いつか必要になるといいね♪」

「わー綺麗にラッピングされた避妊具だー。いままでの人生で最低のプレゼントだよ!」

「あ、ちょっと捨てないでよ! お店の人に包んでもらうの恥ずかしかったのに!」

「お前その店二度と行くな! むしろよく包んでくれたな店員さんも!」


 大人のアイテムをゴミ箱に投げつけた後、怜生は燦と燐を見る。


「それと、言うべきかどうか迷ったけど……」


 ん? と声を揃えて首を傾げる双子に、怜生は続きを口にした。


「俺の誕生日……明日だよ」

「「うん、知ってる♪」」


 怜生は無言で、燦と燐の頭に拳骨を落とす。


「「おじさんさまがぶったーっ!!」」


 姪っ子たちは頭を押さえて、子供のように泣き喚くのだった。



 数分後――怜生はといえば、居間のソファーに倒れ込み、すっかり不貞腐れていた。


「もー、おじさーん、そんな拗ねないでよー、ご飯作ってよー」

「そうですよおじさま、ちょっとしたお茶目じゃないですかー」


 ソファーにふて寝する怜生に、燦と燐が覗き込んで声を掛ける。


「あー、気にすんな。帰宅してからものの五分で繊細な男心傷だらけにされんのも慣れたもんさー。今日はちょっと学校でな……」


 前半に恨みを込めつつ言うと、燦と燐が「学校で?」と続きを促す。


「帰りに生活指導の先生に捕まってな。姪御さんの素行について釘を刺されたんだが」

「おおっと、そういえば学校に忘れ物が――」


 背を向けた燦の頭部を、怜生はアイアンクローで掴む。


「逃がすかこの悪ガキども! 入学から一月足らずでブラックリスト入りしやがって! 連座で俺にまで悪い噂が立ってんじゃねぇか!」


 五指を燦の頭に埋め込んで、怜生は彼女らの素行を追及し始めた。


「まあまあおじさま落ち着いて。それより、噂ってどんな内容ですか?」


 頭を掴み上げられて悲鳴を上げる燦の横から、燐が慌てもせずに問う。


「どんなも何も……先生が脂汗掻きながら説教した相手は、いつでも鬼柳家の兵隊を呼び出して人を沈められるマフィアの若頭だった。ったく、うちはただの警備会社だっての」


 そう聞くと、燐はショックを受けたように口元へ手を添える。


「そんな、酷いです! せっかく流したのに尾ひれが付いてないじゃないですか!」

「お前か! 俺の風評を極悪人にしたてようとしたのは!」


 もう片方の手で燐の頭を掴み、姉妹揃って猫のように持ち上げる。


「いやーでもおじさん、一つ言っていい?」


 燦がけろりとした顔でこう続ける。


「私らが噂流すまでもなく、おじさんの評判ってそんな感じだったよ?」


 怜生の両手から力が抜けて、姉妹の足が床についた。


「そうか、やっぱそうか……ちきしょうなんでだよ、俺なんにも悪いことしてねぇだろ? 毎日蚤の心臓に鞭打って頑張ってる俺に何の恨みがあるってんだよ……」


 両手と膝をついた怜生が、情けない声で嘆き始めた。

 そんな怜生に、燐がしゃがんで視線を合わせる。


「大丈夫ですおじさま、噂を信じてるのはおじさまのことよく知らない人たちだけです。ご友人は一人も騙されてませんから」

「そ、そうなのか?」

「ええ、流石に存在しない人は騙せません♪」


 追い打ちを掛ける燐の言葉で、怜生が真っ白になった。


「ちょっと燐ちゃん! そこおじさんも気にしてるとこだから! あまり落ち込ませるとお夕飯の味が悪くなるでしょ!」

「おっと、それは困ります。落ち込んでるおじさまが可愛くて、つい」


 燐はそう言って怜生の頭を撫でる。花蓮も対抗してか、尾で怜生の頭を叩く。

 燦はその様子を見て、溜息を吐きながら肩を竦める。


「武侠の魔術師一家・鬼柳家の三男坊で、槍を振らせれば全国級、不愛想な一匹狼気質が一部の男子からアニキと人気な今日この頃――そんな赤枝宮大魔学院のこわーいお兄さんが、実はこーんなヘタレちゃんだなんて誰も思ってないでしょうねー」


 それが、鬼柳怜生という少年の評判と、それとはかけ離れた実態だった。


『あー、歪な一家団欒に水を差すようで恐縮じゃが……』


 渋い老爺の声が、遠慮がちに注目を集めた。

 声の主は、燦の隣に現れた、カボチャ頭の小人だ。


 ハロウィンの飾りのような目鼻を持つ十五センチほどの小人で、頭にシルクハットを乗せタキシードに袖を通し、太い葉巻を口に咥えた――カボチャだった。


 燦の侶魔で、名をジャック・オ・ランタン男爵という。


『坊主、今日の晩餐は客を呼んでおるのではなかったか?』

『ブァカだね! いつまでメソメソしてるつもりだい!』


 カボチャに続いて現れたのは、カブの小人だった。

 頭部はやはりハロウィン風のカブで、口から出るのは神経質そうな老婆の声。


 カブの中では青白い火が燃えており、鍔広の尖がり帽子を頭に乗せている。首から下はてるてる坊主のような黒いローブ。袖から出た両手が骨のステッキを握っていた。


 こちらは燐の侶魔で、ウィル・オ・ウィスプ夫人という。


「ああ、そうだったな」


 鬼火たちの指摘で、怜生は重要な予定を思い出す。


「すぐに作るから、二人は適当に掃除しといてくれ」


 今日の夕食は、友人を招いてのホームパーティだった。

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