そんなことはさせないさ

 入り組んだ建物の壁は破られて、竜脈制御室までまっすぐの道が出来ていた。


 ローザとリリィを引き連れて走ると、空気の変化を感じる。異質な瘴気が奥から流れ出ていた。建物の壁や床が黒カビに侵されたように変色している。


 リリィが口元を手で覆う。初めて汚染領域に踏み入ったのであれば、その違和感に気分が悪くなるのも仕方の無いことだ。


「これは……まさか汚染が始まっていますの?」


 首だけ振り返って俺は頷いた。


「本来なら巣が根付いてからなんだが……ともかく先を急ぐぞ」


 汚染領域内では、魔導士は魔法力の自然回復が出来なくなる。汚染濃度は軽微だが、放っておけば確実に広がるだろう。


 首都に巣が根付けば人類は滅びかねない。


 先程から異形種の襲来は途切れたままだ。静かな不安を払拭するようにひた走り、俺たちは研究棟の心臓部にたどり着いた。


 広いホールは数百人を収容する学園の講堂ほどもあった。すり鉢状の部屋の中心に巨大な純白の柱が建つ。


 竜脈から魔法力を吸い上げる中央炉だ。その柱に寄生するように、紫色の結晶が半ば同化するような形で融合していた。


 魔晶石は結晶核へと成長を遂げ、この地に根を張るつもりらしい。

 柱の前に男の姿があった。その肌は青白く変色し、瘴気の渦巻く金色の瞳が爛々と輝く。


 先ほどまで心臓の位置にあった魔晶石は消えていたが、身体の端々にその欠片のような結晶体が貼り付いていた。


 男は――バスティアン・ホープは人であることをを捨てつつあるのだろう。


「彼らの目を通して見せてもらいましたよカイさん。三百人議会がマジックロッドを封印したのも解ります……貴方は強すぎる」


 口元を緩ませるバスティアンに俺は黒獣を突きつけた。


「時間稼ぎに付き合う義理はないな」


 一呼吸のうちに炎矢を十六回放つ。と、結晶核が光輝いて、虚空にソルジャーアン

ト型が無数に“発生”した。俺の炎矢はバスティアンの手前で、蟻の群に飲まれて爆ぜる。


 バスティアンは嗤う。


「いきなり攻撃とはずいぶんな仕打ちです。が、カイさんがそうしたくなる気持ちも解ります。私の方から貴方を排除しようとしたのですから。ですが、それは愚かなことでした。私も反省しました。ここはどうでしょう。共に手を携えて世界に変革をもたらしませんか? 人を超えた力を持つ者同士、仲良くしようではありませんか」


 言葉に魔法力を込めた古代魔法を織り交ぜて、バスティアンは続けた。


「そうだ、貴方を人間の王にしてあげましょう。人類を導くとは言いましたが、私はこんな姿に変わってしまいましたしね」


 開いた手のひらに視線を落としてバスティアンは自嘲気味に呟いた。青白い肌に金色の瞳は、異形の相貌だ。


「ですから分担しようじゃありませんか。血統のみを誇り、無能にも関わらず人々に抑圧を強いる三百人議会という支配者を打倒するのが、カイさんのような大戦を生き抜いた英雄ならば、民心もきっと味方に付くでしょう。私が影から異形種を統べて、時折、辺境の村の一つ二つを滅ぼす程度の小さな脅威を示します。それを王となった貴方が率いる正義の軍が蹴散らす。民衆は熱狂し、王をあがめ崇拝し、真に力ある者による統治が成される。素晴らしいことです」


 ご高説たわごとの間、俺は雷槍や風刃といった攻撃魔法をバスティアンめがけて撃ち続ける。


 その都度、結晶核から発生する異形種が身を挺してバスティアンを守った。


「せめて返事くらいしてくれてもいいではないですか? だいたい、私を倒してどうするというのです? 機密保管庫の禁を破った貴方はたとえ首都を……いえ、世界を救ったとしても極刑は免れませんよ? それに貴方の背後に隠れている彼女はどうなるのです? 普通の人間からすれば、異形種を身体に宿した化け物ですよ」


 重い空気を背中側から感じた。いくらローザ本人が気丈に振る舞ってみせても、彼女の問題を解決する術はまだ無い。


「私や貴方やローザさんは、今の世界では存在することすら許されないんです。なら世界を変えれば良いじゃないですか?」


 異形種が汚染領域を広げるように……か。

 背後からリリィが吠えた。


「ローザを化け物呼ばわりすることは、わたくしが許しませんわ!」


 ローザはなにも口にしない。バスティアンの言うことがまるきりデタラメでもないと、思っているんだろう。


 村を惨劇が襲ってからずっと、ローザは孤独の淵の底にいた。


 俺は黙々と牽制のため魔法を撃ち続ける。その全てが生まれ出る異形種によって防がれようとも構わずに。


 背を向けたままローザに告げる。


「世界が認めようが認めなかろうが、そんなことは関係ない」


 震えた声が背後から響いた。


「ねえカイ……あたしね……この場所が……心地よいの。汚染されているっていうけど、懐かしく感じて……やっぱり……もう人間じゃ……だけど……独りは……嫌なの……」


 声はだんだんと近づいて、すぐ後ろにローザを感じた。こうしてお前の方から歩み寄ってくれたんなら、答えは出たようなものだ。


「お前は人間だ」


「けど……あたしもあいつみたいになるかもしれない……」


「そんなことはさせないさ」


 ローザが俺の背中にぎゅっと抱きついた。


「そばにいても……いい?」


「ああ。だからもう、悲しむことなんてなにもない。つらいなら頼ってくれ。ローザは独りじゃない。お前の居場所は“ここ”にある。何度でも言おう。お前は俺の生徒だ」


 ほんの数秒を作るため、俺は黒の第七界層――雷帝を構築し、即座にぶっ放す。のたうつ雷撃にバスティアンも異形種も釘付けにした。


 そのまま振り返ると、俺はローザを抱きしめる。


 彼女の頭をそっと胸に押しつけた。俺の心臓の音を聴かせるように。


 少女の頬を熱いものが伝い落ちた。


「えへへ……手間の掛かる生徒で……ごめんね」


「お前が不安になった時は何度でも、いくらでも、際限なくどこまでもどこにいようとも、こうして引き留めるさ」


「なんかカイって……先生みたいね」


「バカを言うな。俺は最初からおまえたち二人の教士だ」


 腕の中でローザは小さく頷いた。そして、リリィはといえばずっとバスティアンの動きを警戒している。


 雷帝が止むと注意喚起するようにリリィは告げた。


「あら、ちょっと妬けてしまいますわ。けど、今日だけはローザにカイ先生を譲ってあげますわね。さあ……仕上げと参りましょう?」


 ローザは顔をあげて、俺の腕の中からそっと離れるとリリィの元に戻り並び立つ。


「明日からは、また競争ね」


「ええ、望むところですわ」

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