俺に同意を求めるな

「ふふふ……はははは……あーっはっはっは! バカですねカイさん。構わず私に魔法を使っていればよかったものを……とはいえ、そうさせないよう暗示をかけていたんですけどね」


 ピストンを押し込んで黒い液体を自分に注入すると、空になった注射器を投げ捨ててバスティアンは笑い続ける。


 アオイが驚いたようにバスティアンに迫る。


「な、なんで……先生駄目だよ! まだ抗体は未完成なんだ! そんなものを打ち込んだら……人間じゃなくなる!」


「そうです。その通りですアオイ。ついに私は人間を超えた存在になるんですよ。祝福です。福音です。ああ、なんてすがすがしい気持ちでしょう。最年少主任研究員として、王立研に迎え入れられて以来の高揚感ですね」


 バスティアンはゆっくりと、細めていた目を開く。


 その瞳は金色に燃えていた。


 さらに、手にした魔晶石をバスティアンは自身の心臓にあてがい、押しつけた。


 それは肉も骨もないかのように、ずぶずぶとバスティアンの身体に埋まってゆく。魔晶石がバスティアンの肉体に融合すると、焼けるように服が燃え落ち、研究者らしからぬ、鍛え抜かれた胸板が露わになった。


 心臓と一体となった強大な魔法力の供給源の脈動に、バスティアンは吠えた。


「素晴らしいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」


 心臓に重なるように、半分ほどまで埋まった魔晶石が男の胸に露出した状態だ。弱点をさらけ出しているとも言えるが、問題はあれが“どのようなきっかけで爆発する”かもしれない、危険な代物ということだ。


 胸の魔晶石から異形種の魔法力がバスティアンの四肢を巡り、男の全身にどす黒い筋のようなものが浮き立った。


「この魔法力……圧倒的すぎます。ああ……これで私も英雄と同等……いや、それ以上になったのです。ここまで長い道のりでした」


 本性を現したな。訊いてもいないことを饒舌に語りながら、バスティアンは両腕を翼のように広げた。


 歓喜の表情を浮かべて、一層目を細める。


「力こそ唯一にしてシンプルな問題解決の手段ですから。そうは思いませんかカイさん?」


 バスティアンの声が頭の中に響いて俺を頷かせようとする。先ほどまでよりも露骨な“なにか”を感じた。頭を振り払い拒絶の意志を込めて返す。


「俺に同意を求めるな」


「ああ、本当に言葉の力とは微々たるものです。しかもバレてしまうと途端に効き目が悪くなる。こうしていちいち言葉に魔法力を込めて、一人ずつ説得する方法というのは骨が折れましたからね。古代魔法というのはやはり不便ですよ」


 バスティアンの言葉に、俺は耳を疑った。


「お前、古代魔法を知っているのか?」


「ええ。私の家に祖父が残した本がありまして……蔵書印から、どこかの図書館のもののようですが、祖父の手記を手がかりに読み解いたその内容は、実に興味深いものでした。言葉に魔法力と暗示を込めて、相手の感情を操作するというんですよ。多少能力が足りなくとも、主任研究員に取り立ててもらうのなんて造作も無いことでした」


 そうして見つけた力を、バスティアンは自分のためだけに使って今に至るというわけか。


「この魔法を使って、様々な人に色々と無理なお願いをきいてもらうことができました。マジックロッドを手にしていない魔導士には、誰も彼も警戒を解くものですから……みんな私の話に耳を傾けてくれましたよ。議会議員も軍の人間も……おかげで十年前は安全な後方勤務に就くことができたんですけどね。私よりも優秀な人間が次々と死んでいくのは、とても痛快でした。しかし……貴方のような優秀すぎる人間が、戦い抜いて生き残ってしまったのは誤算でしたが……」


 ゲスめ。つい感情的になりそうになった自分を、俺は諫めるように心の中で深呼吸する。


 魔晶石を取り込んだことで、もはや隠し立てすることもないと、バスティアンの緩みきった口元が続けた。


 ネタばらしを終えて満足そうに笑いながら、バスティアンは足下で崩れたままのアオイに視線を落とす。


「アオイ……今までよくがんばってくれました。もう、貴方には私の助けは必要ないです。卒業です。お疲れ様でした」


 床に座り込み顔だけ上げたアオイの表情が、崩れるように歪む。


「……必要……ないって……先生はボクを……見捨てるの!?」


「もう用済みなんですよ。私は人を超えた力を得たのですから、サリバン家の権力なんて不要です。そのうち議会議員を皆殺しにして、私が人類の新たな導き手になりますから」


 バスティアンを中心に不穏な気配が生まれた。


「ではさっそくですが、この場の全員死んでもらいます……。これ以上抗体を作られて、私以外に“力”を持つ者が現れては混乱の元になりますし」


 金色の瞳が拘束されたままのローザを見据えた。

 同時に俺が手にした白夜が輝きを放つ。思考と同時に魔法公式は発動した。


「遅い……」


 輝盾がローザを包み込む。遅れてバスティアンの生み出した魔槍がローザの心臓を狙う。


 思った以上に俺の腕は鈍っていない。殺意を固めて研ぎ澄ませたような一撃を、漏らすことなく輝盾は完璧に防ぎきる。


 この数ヶ月のうちに、魔法力の総量こそ減ってはいるが、二人の教え子に接し、ふれ合い教えることが、自分自身の知識や技術の最適化を促したようだ。


 改めて俺はバスティアンを睨みつけた。金色に染まった瞳が動揺に揺らぐ。半歩下がってバスティアンは呟いた。


「そ、そんな……魔法公式を必要としない私の攻撃よりも先に、輝盾が張れるだなんてあり得ません。そのロッドは本物なのですか? 王立研の誰にも扱えませんでしたが……」


「扱えるもなにも、俺が作ったんだから使えて当然だろ」


 バスティアンの表情が苦虫をかみつぶしたように歪む。それからククッと笑い肩を小さく震えさせた。


「そうでしたか。まさかとは思っていましたが……王立研の幽霊主任研究員はカイさんだったんですね。恐れ入りました」


 俺は改めて黒獣を構える。


「今のがお前の最速なら、次は魔槍が放たれる前に……射貫く」


「できますか? 私は異形種抗体を持ったとはいえ人間ですよ? むしろ化け物と言えるのは、異形種に寄生されている彼女の方じゃないですかね?」


 バスティアンがローザに視線を落とした瞬間――俺の手にした黒獣が雷槍を放つ。凝縮された雷撃が男の右肩を貫通した。


「グハッ! な、なにをするんです!」


 右肩を左手で押さえるようにして、バスティアンがよろけ気味に一歩下がる。


「俺たちを殺すと断言した相手に、これだけ手加減してやったんだ。この程度で済んでむしろ感謝してもらいたいものだな」


 殺人者の汚名も甘んじて受けよう。それでローザを救えるなら、世界が敵になろうが構わない。ただし、こいつを殺すのはローザとリリィが安全な場所まで避難してからだ。

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