世界中の誰からも忘れられちまった方がいい
俺は身も心も異形化しつつある男から、一瞬たりとも視線を外さない。そのままリリィに告げる。
「こいつは俺が足止めする。リリィはローザの拘束を解いて、安全圏まで脱出してくれ」
「わ、わかりましたわ」
悔しげに下唇を噛みながらリリィは頷いた。
こんな時、もしローザなら一緒に戦うとでも言うのだろうが、彼女は違う。悔しい気持ちをこらえて俺の指示に従った。
下手に手出しをすれば、俺の邪魔になると冷静に判断してのことだ。成績表をつける時に、リリィの状況判断の項目に加点しておかないとな。
リリィが床に座り込んだままのアオイに告げる。
「あなたの先生はとんだ食わせ者でしたわね。利用されていただけだと理解したなら、わたくしを手伝っていただけるかしら?」
「…………」
リリィの呼びかけにアオイは動かない。うつむいたまま両肩を細かく震えさせていた。
それならそれでいいと、リリィはマジックワンドを手にする。ローザを拘束するベルトの金具を、小型の光弾で吹き飛ばした。必要最低限の威力でローザを傷つけないよう、繊細に制御された優しささえ覚える攻撃魔法だ。
バスティアンが舌打ち混じりに言う。
「チッ……本当にイライラします。そうだアオイ。貴方だけは助けてあげます。だから今すぐその二人を殺しなさい。そうすれば私に忠実な犬として飼ってあげてもいいですよ?」
すでに種明かしをしたにも関わらず、バスティアンはアオイに古代魔法で語りかけた。アオイにならまだ効くとでも踏んだのだろう。
拘束からは解かれたものの、未だぐったりとしたままのローザに肩を貸して、リリィは引きずるように研究室のドアのそばまで連れていった。無防備な背中にアオイが立ち上がり、マジックロッドを構える。
「連れて行かないで! ボクの……ボクは……ああッ!
古代魔法の影響も手伝ってか、アオイはますます混乱している。念のため俺は輝盾をリリィの背面に展開した。
「バカですね! 死んでも治らないのでしょうけど!」
同時にバスティアンが魔槍を俺めがけて乱射する。
「やめてよ先生!」
アオイのマジックロッドが光を帯びた。少年の魔法公式はリリィではなく、俺に向けられる。
アオイの生み出した輝盾が俺を魔槍の雨から守る。バスティアンが忌々しげに呟いた。
「なん……ですか? 私に逆らうだなんて……あり得ないです」
アオイはバスティアンの魔槍を防ぎきってから、ゆっくりと顔を上げる。気まずそうな表情を浮かべる少年に俺は告げた。
「てっきり背後からリリィたちを攻撃するかと思ったんだが……」
「わかんないよ。もしかしたらそのつもりだったのかも……だけど構築してたのは攻撃系の魔法じゃなくて、輝盾だったんだ」
最後の最後でアオイの中の良心や善性が、バスティアンの呪縛を打ち破ったのかもしれない。
勇者アストレアに憧れ、彼女の孤独と苦しみを癒やすために研究を続けた。その気持ちは紛れもなくアオイ自身のものだったのだろう。俺は口元を緩ませる。
「まあ、お前に守ってもらわなくても、黒獣があればあの程度の攻撃は軽く無効化できたけどな」
アオイがぽっかり口を開けて愕然とするが、俺は続けた。
「けど……ありがとうな」
「うっ……うるさい……旧式の……くせに……ううっ……うわあああああああん!」
張り詰めていたものが振り切れて、アオイがボロボロと涙をこぼす。
「泣いているヒマがあったらリリィに手を貸してやってくれ」
リリィも声を上げた。
「そうですわよ! ほらシャキッとなさい。男の子でしょう!? ええと、このままでは困りますから、そこの布を持ってきてくださる?」
よろよろと倒れそうな足取りで、アオイは檻に掛けておくための布の束から一枚を手にして、リリィの元に向かう。リリィはローザを一旦降ろすと布をマントのように着せてから、再びローザに肩を貸して立ち上がった。挟むように反対側からアオイがローザを支えて歩き出す。
三人は肩を並べて研究室から通路に出た。そのままどうにか脱出してくれ。
あいにく俺はバスティアンの警戒に手一杯だ。どうやら急所を外してこいつを倒すことは不可能らしい。心臓と一体化した魔晶石からの魔力供給によって、バスティアンは治癒力を爆発的に高めていた。
先ほど撃ち抜いた肩が、もう元通りだ。
「痛みに驚いてしまいましたけど、案外たいしたことありませんね。どうやらこの肉体は意識せずとも回復するようです。どうします? 私を殺すつもりなら、この心臓に一撃を加えなければいけませんよ? それとも頭を吹き飛ばしますか? 今は私の制御下にありますが、それを失えばコレがどうなるでしょうね」
はだけた胸元を親指で指し示しながらバスティアンは嗤(わら)う。
「魔晶石が爆発すれば、お前もただじゃ済まないだろ」
「この力を失うくらいなら死んだ方がマシです」
覚悟の上の捨て身ほどやっかいなものはないな。
一瞬の沈黙が研究室を支配した。布を被された檻の中で、かすかにだがガサゴソと気配がするくらいだ。捕獲された異形種はまだ、数体残っているらしい。
潰しておこうかと思ったその時、バスティアンが口を開いた。
「こんな機会は二度と無いでしょうから、本心を語りましょう。私は貴方が憎い。それほどの力を持ちながら、なぜ学園教士などしているんですか? 力ある者の責任を放棄して……恵まれた才能を無駄にして……」
「強い力ほど疎まれる。平和な時代なら……そんなものは世界中の誰からも忘れられちまった方がいい」
「それは異形種を倒したあとの話でしょう? まあ……もういいんですけどね。私がいれば。私さえいれば。私だけがいれば世界は救われるのですから!」
宣誓じみた声と共に、バスティアンの手元から魔槍の束が散弾のように放射された。輝盾で弾くが……同時に壁際で気配が蠢く。檻の中に捕獲されていた数体の異形種が、その檻を食い破って開いたドアから通路に滑り込んだ。
まさか、避難したリリィたちを追っているのか!?
一瞬、俺は意識をバスティアンから外してしまった。
「甘いですカイさん。いや、カイ先生。教え子など使い捨てればいいのに」
バスティアンが腕を弓のように引き絞りながら突っ込んでくる。
ガゴンッ!
鉄拳の衝撃に、俺は為す術なく空になった檻の山めがけて弾き跳ばされた。
瞬時に白の第二界層――鉄壁で軽減したが、コンマ数秒遅れていれば致命傷だ。その拳に身体を貫かれていたかもしれない。
「チッ……反応速度が化け物じみていますね。流石、大戦の生き残りです」
すぐにバスティアンの魔槍が檻の残骸に埋まったままの俺に降り注いだ。
「そろそろ死んでください。アオイもセットにして教え子二人もあの世に送ってあげますから」
俺は黒獣と白夜をフル稼働させる。
研究室を脱したリリィたちが廊下を出口方面に進んだと仮定して、経った時間と三人の移動速度から現在地を大まかに割り出し――跳ぶ。
ブンッ! と、視界がぶれて、俺の身体は魔槍に焼き貫かれる寸前の所で、薄暗い通路に転移した。
ちょうどアオイがソルジャーアント型と対峙しているところだった。一匹目を光弾で倒したが、二匹目の追撃にアオイは組み付かれ、その首筋に刃のようなアリの顎が迫る。
「危なっかしいな。人のことは言えないが」
虚空に突然姿を現した俺は、黒獣に魔法力を込めてソルジャーアント型の頭部を殴り抜けた。頭部を失ってカタカタと手足をばたつかせながら、異形種の身体が崩れ去る。
「ハァ……ハァ……」
アオイは呼吸を荒らげる。遅れてリリィの光弾が通路の奥から追撃よろしく、後続の異形種に着弾した。俺はアオイの手を取り引っ張る。
「行くぞアオイ!」
「ば、バスティアン先生は?」
「奴は、まだ健在だ」
そのまま通路の角で待つリリィと、その脇でぐったり壁にもたれかかるローザと合流した。
「全員、俺に身を委ねてくれ。くれぐれも抵抗しないようにな」
俺は座標を適当に計算しながら、本日三度目の跳躍を行った。
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