あたしが……守るから

 が……敵の第十波が過ぎても、救助の手はまだ差し伸べられなかった。


 破綻が足音も立てず静かに忍び寄る。ローザもリリィも完全に息が上がっていた。

 リリィは諦めずに魔法力を練っているが、魔法公式は乱れて輝盾もまともに発動できなくなりつつある。


「ハァ……ハァ……どうやらわたくし、修行が足りませんわね。自分がこれほどまで戦えないなんて……情けないですわ」


 美しい顔を泥にまみれさせ、致命傷こそないものの、柔肌をひどく傷つけられながら、リリィは最後の魔法力をローザに託す。


 まずいな、潮時か。俺も絶え間ない連戦によって、すでに虚蝕を放つ魔法力は無い。


 空を見上げた。あれから一度も魔槍による攻撃はなく、異形種は接近戦を断続的にこちらに強いてくる。


 どうやら本当に、魔槍で味方を焼くようなことはしないのか。今までの異形種なら数に任せて味方の被害など無視してきたのに……まるで人間との戦いのようだ。


 人間? なんで俺はそんなことを思ったんだ。この窮地に……。

 ローザが出がらしの風刃を放つ。彼女も今ので限界だろう。


「ねえ……カイ。人間って結構あっさり終わっちゃうものなんだね」


 マンティス型の首を風の刃で刎ね飛ばして、ローザが力無く笑う。


「弱気だな。らしくないぞ?」


「あのね、リリィも聞いて欲しいんだけど……あたしが使える魔法は……多分次が最後なの」


「……わかった。後は俺に任せて休んでてくれ」


「カイだって限界なんでしょ? 普段は寝ぼけた目をしてるのに、今は全然そんなことないし……」


 敵の第十一波が崖の上に隊列を成す。七割で充分なんて思っていた自分の見通しの甘さを呪いたくなった。ローザのこんなにも悲しげな顔を見ることになったのだから。


 小さく震えながらローザは無理に笑う。


「ほら……上に出たら逃げる分の力は必要だし……決断できてよかったかも……だからね、リリィ……」


「な、なんですの? 急に……まさか自分の命を犠牲にしてでも、わたくしたちを救う手立てがあるとおっしゃいますの? 守ることに不向きな黒魔導士にそんな便利な魔法ありませんわ。……だいたい、出がらし寸前の今のあなたになにができまして?」


 痛みをこらえるような悲痛な表情で、リリィは声を震えさせる。


 次々と縦穴に降下して第十一波が迫る。こいつらを倒せば恐らく俺も、完全に魔法力切れだ。だからといって戦わないわけにはいかない。


 ローザの頬を涙が伝った。


「リリィ……あんたとはいっつもケンカしてたけど……それも……楽しかった。一緒にご飯食べたり、キャピタリアの宿舎で同じ部屋で寝起きしたり……友達と言える人なんていなかったから……楽しくて……嬉しくて……」


 俺はローザの正面に立つ。


「おい、なにを言い出すんだ! こんな時に冗談は……」


 ローザの髪は普段の威勢を失って、ぺたんとしていた。それでも俺をまっすぐ見つめて告げる。


「カイ……先生……ごめん……ね……限り無き灰色の魔法系統(アンリミテツド)……完成できなくて……でも、今……二人まで死ぬことは無いから……あたしが……守るから……あたしにしか……できないから」



 だって……思いついちゃったんだもの。思いついたら即実行。それが黒魔導士だから。



 ローザが最後の魔法力に火を灯す。彼女がどこか遠くに行ってしまうような気がした。


 リリィが目に涙を浮かべ、声にならない悲鳴を上げてローザに手を伸ばす。


 その背後には異形種の群が迫っていた。


 俺は目の前のローザに手を伸ばす。空気が重くまとわりつくように身体を押し返し、すぐ目の前だというのに、それ以上俺が近づくのを空気の重圧が拒んだ。


 かすかに風の匂いがした。

 ローザが呟く。


「……さよなら……カイ……リリィ……」


 最後に彼女はその魔法の名を口にする。

 それは俺が封印することを進めた、出来損ないの創作魔法だった。



 風が爆ぜてローザを中心に全てを空高く巻き上げる。



 ローザが足下で、俺とリリィを見上げて笑いかけた。その手に握られた彼女が酷使してきたマジックロッドが砕け散る。


「ロオオオオオオオオオオザアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア」


 獣のように吠える。あと一歩というところで届かない。


 風は壁となって俺たちとローザを分かつ。


 ローザの爆風は術者以外を吹き飛ばすのだ。それでも手を伸ばし、彼女を捕まえ無理矢理にでも引っ張ろうとしたが……触れる寸前で、ローザはその場に膝から崩れ落ちた。


 もうとっくの昔にローザも限界を超えていたんだ。


 俺とリリィは異形種ともども放り上げられた。


 すでに飛翔を使う余力もなく、落とし穴がみるまに視界の中で小さくなっていく。ローザの最後の魔法は俺とリリィを数百メートルほど吹き飛ばした。


 リリィはまるで魂が抜けきってしまったように、風に煽られている。空中で彼女の腕を掴んで抱き寄せると、俺は自分の身体に鉄壁をかけて、そのまま墜落した。


 落下の衝撃に全身が砕けそうになるのを鉄壁でこらえながら、抱き寄せたリリィがこれ以上傷つかないよう、身体を盾にして守る。


 地面を十数メートル転がり、ようやく運動エネルギーがなくなったところで停止した。


 リリィは意識を失っていた。完全に魔法力切れだ。寸前のところでなんとか持ちこたえていた、彼女の意識をつなぎ止めていたものが、ふっと消えてしまったようだった。


 倒れたまま視線を上げると、落とし穴めがけて異形種が……敵が殺到していた。

 意識が過去の自分に戻ったような感覚だ。頭に昇った血が急速冷凍されて、口からは“今、やらなければならない事”が自然と漏れる。


「敵戦力を確認……殲滅……及び要救助者の救援を……実行……する」


 立ち上がろうとしたが足が動かない。落下の際にリリィを庇ったことで、変な落ち方をしたようだ。鉄壁の効きも甘く、魔法力が底を突いて治癒すらもままならない。


 それでも這いつくばりながら……俺は少しでも落とし穴の……ローザの元に向かう。


 待ってろローザ……今……助けに……。


 そこで意識はブツッと途切れた。


              ※   ※   ※


 目を覚ますと窓の外は赤く燃えていた。


 起き上がって見回すと、そこは学園の医務室のベッドの上だった。


 隣の寝台にリリィの姿があった。どうやら救援は間に合ったようで、俺たちは救護班に回収されたのだろう。治療も施され、痛みはかすかに残っているが、足が動かないということもない。


 安堵もつかの間――


 医務室には俺とリリィしかいなかった。残りのベッドは空だ。

 夕焼けがまるで血のように、医務室を真っ赤に染めていた。

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