講義七 予期せぬ新任教士

あんたさっきからなんなのよ!

 白髪交じりの紳士がモノクルを光らせて、学園の長い廊下を向こうからトボトボと歩いてくる。まるで世界が終わったかのような、絶望一色の顔をしていた。


 なにも見なかったことにして無言ですれ違うと、紳士は俺を呼び止めた。


「挨拶も無しか? 本当に恩師の顔を忘れたというのかね?」


 かつて俺がこの学園で学んでいた頃、半日だけその門下に加わった白魔導教士のベテラン――マルクス・アルテベリ。


「人相が違いすぎて気づかなかった。それじゃあ、俺は忙しいんで」


「待ちたまえ。いや……君とはこれまで色々あったが……まさかこんな手を使おうとはね。いやいや驚いたよ。君の差し金かね?」


 無視して行きたいところだが、俺はしぶしぶ振り返った。先日の試験演習で買えるだけ恨みは買ったと思うのだが、どうも様子がおかしい。


「差し金と言われても俺にはさっぱり」


「無関係とは言わせないぞ。君が王立研に出向してすぐに、学園に臨時教士が来るなんてことが偶然にも起こりえると言えるのかね? 王立研からの出向だぞ!」


「はぁ? なんだって?」


 初耳だった。マルクスは両肩を子犬のようにプルプルと震わせる。


「その臨時教士のために席を譲らされたおかげで、私は閑職送りだ! あのルーファスとかいう若造め……なぜこの私が機材庫の管理などせねばならんのだ!」


 なんとなく、学園長のマルクスへの評価がどれくらいのものか理解できた。


 マルクスにとって生徒は体の良い道具でしかない。そんなに道具扱いが好きなら機材庫こそお似合いだろう。しかしマルクスに代わって入るのは同じ白魔導士か。


 俺と同じように王立研を追い出されたのだろうか?


 深い皺が刻まれた顔を真っ赤にしたマルクスに、俺はさらりと告げる。


「そいつはご愁傷様です。で、王立研から来た後任の白魔導士の名前はなんて言うですか?」


「君のそういう白々しい態度はどうかと思うがね!」


「抗議すればいいじゃないですか? エリート専門のマルクス教士を機材庫送りにするとはなんたることだ! って」


 自分で言っていて矛盾に気づいた。プライドだけは天にも届くマルクスが、ルーファスに言われたからといっておいそれと承諾するはずがない。


 たとえ相手が王立研出身者でも、マルクスなら抵抗するなり、一旦譲ってもすぐに追い出す算段を始めるはずだ。


 悔しそうに眉尻をピクつかせながら、マルクスはぼそりと呟いた。


「来るのは魔導医学の名門サリバン家の次期当主だ。抗議などしようものなら……」


 サリバン家の次期当主って……アオイ・サリバンだと!?


 自尊心の権化にして権威に弱いマルクスにとって、サリバンの名は重くのしかかったようだ。


 ステッキ型のマジックロッドで俺の顔を指すと、マルクスは言葉を吐き捨てた。


「全部君だ……君さえやってこなければ……こうなったのも試験演習で生徒(あいつ)らが不甲斐なかったばかりに……失態だ。あの戦績さえ無ければルーファスなんぞの言うことなど……他の教士が機材庫係になるべきだ! ううッ! この代償はいつか君にきっちり払ってもらうからな!」


 言い切ると不機嫌そうに肩で風を切って、マルクスは廊下の向こうに消えていった。ついさっきまで死にそうな顔をしていたのに、意外と元気じゃないか。


 しかしなんでアオイのやつが学園で臨時教士などしようというのか? 王立研でバスティアンとともに、研究を続けるのが望みなんじゃないのか?


 さっぱりわからん。が、なんだか嫌な予感がしてきた。


               ※   ※   ※


 午後の基礎訓練を始めようとしたところに、アオイが白魔法専攻の生徒をぞろぞろと引き連れて、俺たちの元にやってきた。嫌な予感ばかりが良く当たる。


 連れて来られた生徒の多くはマルクスの元門下生だった。ウォームアップを始めるローザとリリィに、アオイがニンマリ口元を緩ませる。


「へー。走り込みだなんて、今時ずいぶんと原始的なことしてるね? あれ? もしかしてボクは学園じゃなくて戦士養成機関に着任しちゃったのかな?」


 途端にローザが殺気立った。


「なんで王立研の研究員がこんなところにいるわけ?」


 アオイはハンッ! と、ローザを一笑に付した。


「教士をするのさ。どこぞの旧式ポンコツに務まるなら、ボクには楽勝だよね」


 リリィが視線も合わせず冷淡に返す。


「王立研出身の有能教士でしたら、もう間に合っていますのわ」


 アオイはリリィに向き直った。


「それは誤解だよリリィさん。ここにいるのは前時代的な旧式のポンコツ無能教士で

しょ? 有能であるはずがない! だいたいリリィさんみたいな選ばれた人間が、どうしてこんな底辺門下に在籍しているの?」


 リリィは無言で黙々と準備運動にいそしむ。返す言葉も無いようだ。アオイは気にせず憂うように語り続けた。


「ああ……それにしても学園のレベルの低さには驚かされたよ。白魔導士のエリートばかりを集めた門下があるって聞いてたんだけど、これが本当にひどくてね。だから、今日からボクがみんなを再教育してあげることにしたんだ。まあしばらくの間だけどさ。ボクとしては今の王立研での研究の息抜き……ってところかな?」


 連れて来られた二十名ほどの生徒たちは一様に複雑そうな顔つきだ。マルクスの権威が失墜したとはいえ、それでもマルクス門下というだけで学園ではエリートを気取ってきた連中である。


 それが突然、自分よりも年下のクソガ……少年の門下生にされたわけだ。人間が出来ているならいざ知らず、内心ムカつきっぱなしだろう。


 とはいえ、アオイは王立研の現役主任研究員にして、サリバンの家名を背負っている。アオイにはマルクスなど比較にならない、権威の後光が射していた。


 まるで誘蛾灯と羽虫だな。身を焼かれるとわかっていても、近づかずにはいられないのが権力ってものだ。


 俺は溜息交じりに呟いた。


「息抜きか……まあ、そっちはそっちで好きにやってくれ」


 アオイは無邪気に笑う。


「うーん、なんでボクが来たのか理解できてないみたいだから……正直に言うね。ボクがここにやってきたのは……キミだよ。キミが目的なんだカイ・アッシュフォード」


 ビシッと俺の顔を指さしてアオイは続けた。


「王立研を追われて転がり込んだ学園……その居場所にすら居られなくしてあげるよ」


 ローザが「あんたさっきからなんなのよ!」と、くってかかろうとした。リリィがかろうじて止めているのだが、そのリリィの表情も俺が今まで見たことがないくらい冷たい。まるで氷の彫像だ。


 動じず気にも留めず、アオイはリリィに訊く。


「というわけで、これからボクは学園でカイ門下を潰すつもりなんだけど、リリィさんだけは特別に助けてあげようと思ってね。今なら序列一位でボクの門下生にしてあげるよ?」


 リリィはそっと冷たい息吹でも吐きかけるように告げた。


「お断りいたしますわ」


 アオイはやれやれと肩を上下に揺らす。


「そんなに旧式がいいの? 出向のボクと違って王立研から放逐された出来損ないだよ?」


「わたくしが師事するのは英雄レイ=ナイト様とカイ先生だけですわ。お引き取りを」


 まったく心動かされないリリィに、アオイは大きく息を吐いた。


「ハァ……しょうがないね。これまでは同じ名門のよしみで誘ってあげてたけど……どうなっても知らないからね? さあ、みんな行こうか。今からミーティングだよ。弱小門下の潰し方についてレクチャーするからね……って! 冗談冗談♪ 王立研仕込みの超カッコイイ魔法公式を教えてあげるから」


 ぞろぞろと白魔導士の羊たちを引き連れて、少年は学園の敷地内に戻っていく。


 白い一群に「全員、足の小指をクローゼットの角にぶつけて死ね!」とローザが呪いの言葉を吐き捨てた。


 これには俺もリリィも苦笑いだ。アオイがばらまいていった毒気が抜けてしまった。


「こらこら、どういう死因だそれは」


「うふふ。とってもローザらしいですわ」


 ローザは俺たちに向き直るとほっぺたを膨らませる。


「な、なによ! 悔しくないわけ二人とも!?」


 俺は頷いた。


「別に悔しいことなんてないぞ。こうしてリリィが残ってくれたんだから」


「当然ですわ。わたくしは真に尊敬できる方の元で学びたいですもの」


 敬意が重い……が、そんな考えは贅沢だ。

 俺にはローザとリリィ、二人がいてくれるだけで充分すぎる。門下生だって人数が多ければ良いってものでもない。


 それにしても、まさか俺を叩きのめすためだけに、アオイが学園に出向してくるなんて思わなかった。


 王立研の最年少主任研究員。俺がかつて持っていた称号も名誉も栄光も栄達への道も、今はアオイの手中にある。


 なんら妬まれるようなことも……と、思ったところでアストレアの笑顔が脳裏によぎった。


 まさか、あいつとの関係性がアオイの怒りに火を付けたのか? そういえばアオイは熱心な勇者信者だった。が、それにしたって俺を倒しても、俺とアストレアが築いた関係性までは奪えないだろうに。


 まあ、こっちとしてはできるだけ関わり合いにならないよう、気をつけるくらいしか自衛手段が無さそうだな。


               ※   ※   ※


 翌日――。


 アオイの提案で、今週末に特別野外講義をするというお達しが、ルーファス学園長経由で俺に届けられた。


 早朝のすがすがしい陽光が射し込む学園長室で、俺は眼鏡の優男を問い詰める。


「アオイの門下がなにをするかは自由だが、なんで俺たちまで参加なんだ?」


 革張りの椅子に深く腰掛けてルーファスは目を細めた。


「アオイ・サリバン先生のたっての希望でして。サリバン家から当学園に振り込まれる寄付金の額を考えると、無碍には出来ないんですよ」


 まったく――人類の命運を左右するかもしれない、未来の英雄候補たちを育む学園も経済活動の原則からは逃れられない。


 おそらくその特別野外講義で、俺をダシにしようというのだろう。俺一人で済めばマシだ。リリィは耐えてくれるかもしれないが、アオイがあまりにナメた態度を取るとローザの方が心配だ。


 俺はルーファスに訊ねる。


「それで、いったいなにをするんだ?」


 どことなく歯切れの悪い口振りでルーファスは説明した。


「なんでもフィールドワークで低級の異形種を捕獲する実習だそうです。捕獲する魔導技術が実用化していたとは驚きですね。ええと、その筋の研究では権威のバスティアン・ホープという方が考案したとかで、狙うのは防壁の近辺にある小さな巣のようです。ただ、まったく危険が無いとも言い切れないじゃありませんか?」


 俺はため息で返した。


「アオイは主任研究員だろ? 万が一、何かあっても生徒全員を守るくらいはできるんじゃないか?」


「こちらで調べたところ、アオイ先生は実戦経験が無いそうなんですよ。なにかあった時に頼りになる大人にそばにいて欲しいんですよね。それに勇者とともに戦った経験のある二人の生徒もいるとなお良いです」


 アオイは俺たちの帯同を求めたが、それとは別の理由でルーファスも俺たちの参加に賛成ということか。


「ガキのお守りはごめんだ」


「問題児……もとい、希少な原石であるローザさんやリリィさんを導き育て磨き上げているじゃありませんか? ここは一つ、お願いできませんか? もし、なにかあった時に貴方がアオイ先生を助けたりでもすれば、あの少年の貴方への評価も変わるかもしれませんし」


 ルーファスは笑顔だが、眼鏡のレンズの向こうにある目が笑っていない。


 アオイに評価されたいなんて思わないが、学園長への借りは減らせる時に減らしておかないと、利子が雪達磨式に重なりそうだ。


「わかった。トラブルなんて起こらないに越したことはないんだが」


「なんだかんだ言っても、子供が危険に巻き込まれるかもしれないと思うと、いてもたってもいられなくなるのはカイ先生の良いところですよ。転ばぬ先のなんとやらと言いますし、私は保険というのは“かけること自体”に意味があると思うんです」


 学園都市の近隣なら危険も少ないだろう。先日、俺が改良を加えた次元解析法リグ・ヴェーダシステムなら、これまで以上に“万が一”にも対応しやすくなっている。


 なにより、アオイがどうやって異形種を捕獲するのかも興味があった。


 ローザとリリィにも実戦を積ませる良い機会かもしれない。


 どうやら週末の予定は決まったな。

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