まるで乙女心のように繊細で傷つきやすいんですわね

 パチ……パチ……パチ……パチ……。


 騒ぎを静めるように、ずっと沈黙を守ってきたバスティアンがゆっくりと手を叩く。


「いやあーそうでしたか。カイさんは大戦時に前線に……さすがです。私など臆病なもので、後方支援に回っておりましたから。あの戦いを生き残ったのであれば、アオイよりも早くこの研究の有用性に着眼するのも不思議ではありませんよ」


 アオイは俺を睨みっぱなしだ。むしろ先駆者の失敗談を聞いて、今後の研究に活かすチャンスだろうに。元から好かれてはいなかったが、すっかり嫌われてしまったな。


 バスティアンが俺にそっと手を差し出した。


「どうでしょう。私には権限はありませんが、王立研への復帰の手助けをさせてはいただけませんか? 上層部に貴方の復帰を掛け合ってみたいと思うのですよ。優秀な人材には相応しい居場所というものがあるでしょう?」


 つまり学園は俺に釣り合わない……と言いたいらしい。突然の申し出に驚いたのは、俺ではなくローザとリリィだった。捨て猫のように心細そうな視線が俺に注がれる。


 心配するなって。


「悪いな。自分の居場所は自分で選ぶつもりだ。不満も無いといえば嘘になるが、今の俺には学園の水が合うらしい」


 バスティアンは差し出した手をゆっくり下ろした。


「そうですか。あなたのような優秀な人材を放出してしまうなんて、王立研にとっては損害にも等しい判断だと確信しましたよ。ですが、無理強いもできませんしね」


 やけに持ち上げてくれるな。今のでアオイのイライラがさらに増したように見える。


「理解してもらえて助かるよバスティアン。ところで、この異形種を閉じ込めている檻なんだが、これってもしかしてアオイじゃなく、貴方が?」


 俺の質問に「共同研究ですから成果も結果も分かち合うものですが……この檻に関してはどちらかといえば、私の担当とでもいいましょうか……」と、アオイに気を遣うように言葉を濁すのだった。


             ※   ※   ※


 バスティアンによる檻の仕組みに関するレクチャーはこうだ。

 檻そのものはなんら特別な素材ではないらしい。ポイントは檻に施した特殊な封印なのだという。


「これはまだ仮説段階なのですが、異形種は他の個体と魔法力を使って通信しているようなのですよ」


 似たような事を俺も考えたことはあったが、どういった方式で通じ合っているのかまでは、さっぱりわからなかった。


 バスティアン曰く、異形種は俺たち人間が感知できない領域にまで周波数を高めた魔法力を飛ばし合っている。それが結界などに捕らわれると、通信が途絶して自壊を選択する……それがバスティアンの仮説だった。


 この檻には擬似的に高周波数の魔法力を結界内に再現している……しかも「待機」を命じる周波数を探り当てたらしい。


 もしそれが事実ならば、どれだけの異形種の大群も無力化できる。が、バスティアンは付け加えた。


「この周波数を発生させれば、全ての異形種を行動不能にできると思ったのですが……どうやら『待機』を含めた命令の周波数は定期的に書き換わっているようなんです。この個体も、一度外に出してしまうと書き換わってしまうでしょう。今回、こうして捕獲に成功したのは幸運でした」


 ローザにはちんぷんかんぷんなようで、話の途中から理解することを放棄していた。一方、リリィはなんとかついてきているようだ。さっと挙手する。


「では、もし、この檻から外に出してしまうと……もう、同じ檻では捕獲できないということかしら?」


「ええ、その通り。異形種は双方向的な通信をしていて、常に情報の書き換えを行っているようです。凡人の私なりに、精一杯やった成果なのですよ」


 謙虚なバスティアンの言葉にアオイが付け加えた。標的はローザだ。

「うちの先生のすごさがわかったかぺたんこ?」


 ローザはきょとんとした顔だった。フラットラインをいじられても気にする素振りがない。


「ええ。すごいわねバスティアンって」


 途中で理解を諦めたローザにも、バスティアンがどれだけのことを成したのかは理解できたようだ。


 予想外の素直すぎる反応に、アオイの方が黙り込んでしまった。俺は自分の顎を親指と人差し指で軽く挟むようにしながら頷いた。


「しかし……双方向的な通信か……そいつはやっかいだ」


 バスティアンが口元を緩ませる。


「安心してください。この檻の中にいる限りは、この個体から他の個体に情報が送られるということはありませんから。檻に呪符を組み込んで、この個体が発する信号を弱めていますから。この部屋の外まで信号が届くことはありません」


 呪符というのはかなり高度な魔導技術だ。魔法公式を符に込めるのだが、高度な魔法になるほど呪符の作成は難しくなる。バスティアンは呪符にも精通しているのか。


 俺はアオイとバスティアンを交互に見てから訊く。


「せっかく捕獲した個体なのに、生態の調査はしないのか?」


 アオイが不機嫌そうにそっぽを向いた。


「他の研究棟からも主任研究員が何人か来て調べようとしたけど、もう八匹もおじゃんになっちゃったからね。待機状態でむやみに傷つけると自壊するんだ。本当にやっかいだよコイツらって。だいたい虫けらの分際で、いったいなんのやりとりをしてるんだよ……まったく」


 それでアオイの研究も足踏み状態というわけか。

 リリィがニッコリ笑った。


「まるで乙女心のように繊細で傷つきやすいんですわね」


「異形種って強いのか弱いのか、正直よくわからないわ」


 ローザも腕組みして呟く。シンプルで素直な言葉だが、存外そういうものなのかもしれない。人類を苦しめる異形種という存在の、どれほどを俺たちは知っているんだろうか。


 檻の中でピクリとも動かない蟻型の異形種は、虚ろな瞳でじっとローザを見つめていた。もちろん眼球かどうか俺たちに調べる術はなく、眼球とおぼしき器官にすぎないのだが……この異形種がローザに注目するのは、いきなり魔法をぶっぱなされそうになって、本能的に警戒したからだろうか?


 いや、そもそも意志があるかも不明なのだ。

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