第21話『エピローグ』視点:ジュノ




 ――冥王星 53番エリア 竜骨座(カリーナ)・アヴィオール


 パーティ会場は、厳重なセキュリティに守られたとある高級ホテルの最上階ラウンジで、入場するなり、ジュノはしつこい肉の脂で胸焼けした記憶が蘇った。反射的に「うぇ」と胸を押さえる。


 エレベーターを出た瞬間、あちこちから妖しい香水の匂いが絡みつき、あまつさえ目に飛び込んでくるのは無駄に華やかすぎる黄金、黄金、黄金の飾り付け。ここにいたらものの数分で病人が出てもおかしくはない。


 唯一の救いは、それらの異常さとは対照的に落ち着いた明かりを灯す、ここアヴィオール特有の多頭の竜内部における静かな夜景だ。


 仕方ないとはいえ自ら地獄に踏み込むとは……と、シルバーのタキシードを着たジュノは嘆きつつも、「それにしてもこいつはなかなかイケる」とさっそく出ていたビュフェに手をつけていく。


「それ、がっつく程おいしい?」


 横合いから女の子の手が伸びてきて、ジュノの皿から一つ奪っていく。


「あっ。おい」


「んー……」

 紺色のワンピースドレスを着たムゥラの頭がやや傾いた。つられてブロンドの髪もふわりと揺らめく。

「そうでもないわね」


「勝手についてきたくせに、人様の料理にケチをつけるのか? いいか料理ってのは必ずしも味がすべてってわけじゃない。時には雰囲気とか、その時の気分とかによって大きく左右されるんだよ」


「貴方それ、自分も貶してるって自覚ある?」


「当然だろ。大して旨くねーんだから」

 ノリだよノリ、と言ってからジュノは、次から自分の皿に取れよと付け足す。いや、正直なところ、そんなのはどうでも良くて。

「ちょっと待てお前……、その谷間は自然の産物か……!?」


「フフ。ええ、もちろん。見たいなら『見たい』って声に出して――って言うのはやっ! じょ、冗談だったのに……。それより、ねえ、ブラックがどこにいるか本当に見当つかないの?」


 許可を得たので最後までずっとムゥラの胸ばっか見てやろうと決意したジュノだったが、聞いて思わず、はあ、と溜め息が漏れた。


「散々言っただろ。あいつは裏にいるときは本の中だから、こっちから接触するのは今のところ難しいし、表に出てきてる時は当分おれから離れるだろうから分からねーって。それになー、あいつが裏に居るときは表にはお前の弟がいて自由に動けるんだ。それでも連絡を寄こさないって事は、つまりそういう事だろ」


「どういう事よ」


「察してやれよ。ブラコンの姉から逃げたいイヒイィ!」


 事もあろうにムゥラは尖ったヒールで足を踏んづけ、弟ラブでごめんなさいね、と睨みを利かせプイッと顔を背けた。彼女はそのまま暴飲暴食に向かう。


「なんて奴だ……、もし今ので骨が折れてたら一生養ってもらうからな! 覚悟しとけ! そん時は何を言われてもおれは働かねーぞ!!」


「ジュノさま、足の骨で大袈裟過ぎません?」


 振り返ると、すぐ後ろにシャムエルがいた。ドレープでロングスカートの一部が波打つワインレッドのドレスを纏っている。

 そういえばどこ行ってたんだこいつ、とよーく観察すると、口の周りに生クリームがたっぷり付いていた。


「いきなりデザートだと!? お前、せっかくオシャレしてきた女を問答無用で裸にするくらい無粋だぞ!」


「だってどうしようもないんですよ! あんな所にどっさり山盛りにケーキを置いておく大馬鹿者が悪いんです!」


 シャムエルが指さした方に目をやると、確かにケーキが読んで字のごとく山盛りに積まれていた。


「……まあ、どうしようもないなら、仕方ねーな」


「ですよねっ!」


「んでクラマはどこ行った?」

 と、ジュノは手近にあった紙ナプキンを取り、シャムエルの口を拭う。


「クラマさんは、蝿の大群みたいな状態で気配を消してそこらじゅう飛び回ってますよ。えっと……あっ、あの、足下にいますっ」


 シャムエルの追跡機能を備えた指を目で追った。

 確かに、着飾った少女らの足下を嗅ぎ回っている。

 しかも水を得た魚のごとく活き活きと。


「成るほどな……。あいつにしては良い戦法だ。あれなら覗き放題なうえ、バレてもすぐには捕まらない。クラマめ……害虫としてのレベルを着々とあげてやがる」


「ジュノさま、酷い言い草ですね」


「褒めてるんだから良いだろ。それともお前にはあれが益虫に見えるのか?」


 その時、全ての照明が落ちて真っ暗になり、ほどなく会場がどっと湧いた。

 正面の一部にスポットライトが当たっている。一同がそこに注目する中、スッと奥からいかにも気の強そうな面構えの少女が登場した。

 クセのついたロングの黒髪を揺らして、スポットライトを浴びて嬉しそうに堂々と正面に置かれたマイクまで歩いて行く。明るい海の青を染みこませたような、光沢のあるドレスはなるほど、確かに似合っている。


「ご来場の皆様、今宵、わたくしの為に――」


 唐突に明かりが点いて、いったん間を置いてからシャムエルの元友人はマイク越しに話し始めた。もはや目立つのが生きがいとでも言うように、良くも悪くも自分に酔ったその話し方はいけ好かない。

 ジュノはこんな女がシャムエルの友達をやってたのか……? と当然の疑問を抱いた。

 友達は選べよ、とつい口が滑りそうになる。


「それでは皆様! わたくしのフィアンセ、ロード・ホーパーをご紹介致しましょう!」


 会場内に、ワー、と拍手の嵐が巻き起こる。

 すると奥からまた新たに1人が登場した。

 そいつを見て、良し写真のやつと同一人物だな、とジュノは安心した。


「わたくしの王子様、ホーパー、来てくれてありがとう」


 チャラチャラ度マックスの顔に、てらてらと輝く茶髪を逆立てるフィアンセに今宵のヒロインが抱きつく。

 普段なら「ケッ」と唾の一つや二つ吐いてもおかしくない場面だが、今回に限ってはこのあと何が起こるかも知らないでプププ、とジュノは内心ウキウキが止まない。

 もちろん何も知らないフィアンセは自らマイクを引き寄せ、


「ハニー、こちらこそありがとう。僕のために生まれてきてくれて。君が誕生したこの日がもしこの世に存在しなかったら、僕の人生には絶望しかなかったと思う。だから僕はここに誓う。何があろうと、たとえ世界が僕たち2人を引き裂こうとも、絶対に君の手を放さない。君は僕だけの希望の光なのだから。そして、最後に一言、希望の光を授けてくれた我らの神にもありがとう」


 と、悪寒が走りすぎてどうにかなりそうな事を、ぺらぺらと恥ずかしげもなく流暢にしゃべったのでジュノは居ても立ってもいられなくなった。


 ついに火蓋を切る。

 足早に来場客の合間を抜け、無言でジュノは主役のそばに立ってマイクを奪った。まるで3人でひとつのユニットだぜと言わんばかりの何食わぬ顔で、


「いぇあ! おめでとぅぉー! あー……、ホッパーと……、お前だれ? ハニーって名前じゃないよな?」


 突然現れたジュノを、異常者を見るような目で今宵のヒロインは見、「シャーネイ……」と震える声で答える。


「おいおい~、怖がらなくてもいいんだぞ~? いいかおれは2人の結婚を心から祝福するお友達だ。だからほら、ゆ~っくり深呼吸して~」


 はい、イチ、ニ、サン、そうそのまま~とジュノは相手の呼吸を誘うように数え、それからタイミングを見計らい、


「じゃあ改めて。心の友よ、結婚おめでとぅぉー!」


「あの」


 何故本題に入る前に話の腰を折るのか、ジュノはフィアンセを、ああ? と睨む。


「今日はハニーの誕生日で……」


 あ……。


「良し。つかみは完璧だな。では改めて、ハニー誕生日おめでとぅぉー! さあ! 誕生日といえば、もちろん! 誕生日プレゼントぉー! ふぉぉー!!」


 ジュノは力いっぱいガッツポーズするが、誰1人ついてこない。


「さあて! ドッキドキのおれからの大っきなプレゼントはァァァァ!」


 懐からスッと取り出す。

 プリントアウトされた写真の束。


「はあ。少しくらいはおお! とか何ぃ! とか反応してくれたっていいだろー!? 冷たい奴らだな。まだ死んだ奴らのほうが可愛げがあるぞ」

 などとぼやきつつ、

「ハイこれ! 何か分かる人! はいそこのダイエット失敗オンナ!」


 指さされた最前列の小太りの女は、えっ、わたし? と周囲をチラチラ確認する。


「……しゃ、しゃしん?」


「正解! お見事! そう、これはホッパーと誰かさんの浮気の証拠写真だー!! いぇあァァァ!!」


 一瞬の間を置いて、えええええっ、と会場中に悲鳴じみた叫びが轟く。

 ジュノはその瞬間、恍惚の表情を浮かべた。

 そして主役を横目でちらり見てみる。


 フィアンセのホーパーはかちこちに固まっていて、黒目が小刻みに震えていた。

 しかし何より注目すべきは彼ではなく、今宵のヒロインことシャーネイ。彼女はゆっくり黙ったまま隣のフィアンセを見つめ、目を剥く。

 やがてシャーネイは瞬き一つせずにジュノのほうへ目を転じ、


「それ貸して!」


 凄い力で写真の束を奪った。そして数枚の中身を確認するなり、獣みたく眉間にしわを寄せ、おもむろに後ろを振り返った。人を殺しかねないその視線の先には身内がいた。

 当然ジュノは中身を知っている。そして当然撮った本人であるクラマも。


「いやあ、凄いよなー。許嫁の誕生日の何日か前にも浮気して、その次の日もまた浮気して、恐れ入った。つーかよ、お前よく許嫁の姉と浮気できるな」


 フィアンセのホーパーには、思いっきり嫌味の込められたジュノの言葉さえもう届かないらしい。彼は大慌てで今宵のヒロインのシャーネイに意味の無い手振り身振りでこれが偽りである事を必死にうったえる。

 だが、あいにく彼の顔が真実を物語っていた為、シャーネイはその場で気持ちのいい平手打ちを観衆と化した招待客らに披露した。おまけで股間へのひざ蹴りも忘れずに。


「冥王族の誇りにかけて……アンタを地獄にたたき落としてやる!!」


 言うと、シャーネイはドレスのスカートを踏まないよう手慣れた手つきで持ち上げ、泣きながら逃げるように駆け出していった。


 どっかで見たシーンだなとジュノは思う。次いで、これでようやくお前の気も晴れただろ、とシャムエルの方を見た。

 すると何故か、シャムエルは飛び出していき、何とシャーネイを追いかけていく。


「は……?」


 面食らって、思わずジュノは硬直してしまった。

 しかし程なくハッとして、シャムエルを追う。


 主役が通ってきたと思われる関係者専用通路には、かつて仲違いした2人が立っていて、二言三言ことばを交わした後ぎゅっと抱きしめ合った。まさに失恋した親友が親友を慰めているような光景である。


 ……は?


 またもや、ジュノはぽかんとした。


(いやいや、お前ら違うだろ。とくにシャムエル。間違ってるぞ。そこは、ざまぁあああみろおおお! だろ? 何甘やかしてんだよ。何優しく抱きしめてやってるんだよ)


 すると横からコツンと何かがぶつかってきた。

 ムゥラがいつの間にか横にいた。たぶん今のは肘で小突いたのだろう。


「良かったわね。やり方は全然褒められたものじゃないけど、念願の救済ができて」


「いや……違う。違うんだ。こういう事じゃないんだよ、おれが求めてたのは……」


「でも気は晴れたんでしょ?」


「おれはな。でもあいつは……」


「これはこれで一つの正解のカタチなんじゃない? もしこれ以上あの2人の間に踏み込んだら、それこそ全部ぶち壊しになるわ。だから今ここでこうして立ち止まってるのも私から見たら正解」


 ……はあ。

 本当にそうなのー?


 ジュノは苦虫を噛み潰したような表情のまま、いつまでも抱きしめ合う2人を眺めていた。

 抱きしめ合う女子2人の間に挟まれたらさぞかし幸せなんだろうなあ、なんて戯れ言は置いといて……。確かにここから先はシャムエル次第なのかもしれない。友達とどう向き合い、どう付き合っていくか。


 彼女らを見守りながらジュノは思う。

 これが友達、これが友情ってやつなのか……? と。

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