第20話『決着、そして始まり』視点:ジュノ
見ると、自分の心臓辺りに黒々とした指がめり込んでいる。
それでもなお心臓が機能しているところをみると、部位としては心臓辺りだが実際にはもう少し違うところなのだろう。
めり込んだ指から、徐々に肉体が黒ずんでいっているジジイは、ゆっくりと重力ゼロから重力イチへ戻るようにしずかに階段へ着地した。
その間、ジジイの真っ黒な腕を掴んでジュノは力尽くで引き剥がそうと試みるが、びくともしない。
「くそっ! どうなって……」
徐々に手から足から力が抜けていき、体の自由がきかなくなっていく。いつしか真っ黒い腕からはニュルニュルと蠢く寄生虫のような黒い触手が生えてきていた。脱力の原因はそいつかもしれない。が、もう手遅れだ。
自己流とはいえ基本は何かしらの魔術を利用しているはず。だからそれを特定できれば……。
と辛うじて機能する頭で考えてみるが、思えばこれまで直接五本の指をめり込ませ相手の自由を奪う、言ってしまえばクセの強い使いづらい魔術など見向きもしてこなかった。そうやってえり好みしてきた結果がこれ。
「スピード勝負ならまだまだ俺のほうが上のようだな。安心しろ。呪いをお前にも少し分けてやるだけだ」
どうやら体の自由が奪われたのは副産物だったらしい。
呪いを分ける……?
ジュノは必死に思索していく。
正しくは呪いではなく呪われた魔力か? ジジイなら、自分と同じように死者を冒涜できないようにしてやろうと悪あがきしても不思議じゃない。
それとも自身にもたらされる魔法の効果を対象者と分かつという魔術か?
…………否。そんな事どうだっていい。と、ジュノは自ら思考を断ち切る。
無理なものは無理なんだ。今すぐどうこうするなんて神にしか成し得ない。神じゃない人間は自分にできる範囲でやれる事をやるしかない。
幸い、力は抜けきっていた。だからジュノは下手に力むことなく言える。何もかも開き直って。
「なあ……。何でおれを拾ったんだ?」
自分だけでなく相手も道連れに出来ると確信し、口角を上げて微かに笑っていたジジイが、いきなりどうしたと怪訝な表情を浮かべる。
「あんたは初めっからおれの面倒を見る気なんて無かったんだろ? じゃあ何で拾ったんだよ」
「……何を企んでいる?」
ジジイは警戒をさらに強めた。何かから気を逸らそうとしているとでも思っているのだろうか? そんなの全くの的外れだっていうのに。
「いや、もう二度と会わないかもしれないんだ。最後くらい話そうぜ。おれたち親子だろ?」
一段下にいるジジイの目線は一段上にいるジュノとほぼ同じところにあり、どちらも目を逸らそうとはしない。
とくにジジイは何故殺さないのか不思議なくらい冷たい目を向けている。
「……拾ったのは気まぐれだ。その時はたまたま神からの贈りものだと思った。こいつを拾えば何か良いことがあるだろうとな」
本当はわざわざ聞くまでもない。とうに知っていた事だ。
「んまあ、そんな事だろうとは思ってたけどよ、少しくらい情が移ったりとかしなかったのか?」
「いいや全くない。むしろ手放す機会をずっと待っていたくらいだ。拾ってからこれといってとくに神から褒美らしきものはもらえてなかったしな」
「あんた、とんだ偽善者だな」
「偽善? 勘違いするな。なにも俺は良い事をしたとか、良い事をしようとかこれっぽっちも思ってない。ただ自分を潤す為に利用してやろうと思ったまで。一体これのどこが偽善だ?」
ああ……なんて清々しいのだろう。普通の大人ならもう少し体裁を整えても良いはずだが、ジジイにはそういう部分がまるで感じられない。
自然と笑みがこぼれる。ジュノはどんな言葉を使おうか迷っていたのだが、ここまで率直な気持ちを聞かされると、迷いなんてものは吹き飛んでいく。
「あのさ、実は、一度でもいいから言ってみたい言葉があったんだ」
「言ってみろ。聞いてやる」
「……おれ、実は神なんだ」
思いの外、ジジイのリアクションは薄く、がっかりした。
それでもジュノは続ける。
「覚えてるだろ? おれがどんなふうに落ちていたか」
魔石のような何かに覆われていた。
「一目で人間じゃないって分かったんだろ? だからあんたは拾うことにした。正解だぜ。おれは神だ。厳密にいうとその一部だけど」
「……待て。なぜ分かる? なぜ自分でそうだと……」
「ある事がきっかけで蘇ったんだよ、記憶が。ただまあ驚いた事に、その記憶は人型のときじゃなくて、単なるエネルギーだったときの記憶で、さすがのおれも一時間くらいは悩まされたぜ。んで、言いたいのは、おれを拾ったのは本当に正解だったってこと。だけどその後がダメダメだった。だからおれはあんたを見捨てる。おれが神の一部ならいずれはそれに等しい力を得るかもしれない」
と、ジュノは本気で思っている。
「なら確かにあんたのいうとおり、拾ってくれた、育ててくれた恩をあんたに返せたかもしれない。たとえば一つだけ願い事を叶えてあげましょう、とかな。でも残念なことにおれはあんたにこれっぽっちも恩を感じてない」
その一方で、
「ただあんたが『もういいや要らない』って捨ててくれたおかげで、ある女に出会って、自分が何者か思い出させてもらえた。本人は何も知らないだろうけど、そいつがいなかったらおれはどうなっていたか分からない。だからおれはそいつに心から感謝して、そいつの願いを一つは叶えてやろうと誓った。だから悪いけどさ、そろそろ終わりにしていいよな? 後がつっかえてんだよ。この後、そいつの為におれは個人的な復讐ってやつをしに行かなくちゃならないんだ。意外と忙しいんだよ、神ってやつは」
その直後、突き刺さる。
まるでそれが筋書きであったかのように、台本通りであるかのように、プスッと素晴らしいタイミングで背後から死者たちの剣がジジイに突き立てられた。
ぐふっ、とだらしない声をあげ、ジジイは力を失って跪く。
丁度いい感じに見下ろせるところにジジイの目が落ちていったので、ジュノは笑顔を向けながら、
「おれの手であんたを葬った証に呪いはもらってやるよ。――じゃあな」
グイッと、多数の剣に串刺しにされた状態のまま、ジジイの体は持ち上げられる。そうして死者たちは神輿でも担いでいるかのように無言でまっすぐ前を見て階段を上っていく。
何か言おうとしたのか、ジジイは赤カーテンに消えていく最中、手をこっちに差し伸べたが呆気なくそのまま向こうへ連れて行かれてしまった。
「やあやあ。とうとうやったねえ。こうなる事を見越してキミをここに連れてきて正解だった。ジュノがあのクソジジイに勝つことで――」
黒ジュノが未だ気を失っているシャムエルを抱えて、そんな調子の良すぎるふざけた事を言うものだから、ジュノはさりげなくシャムエルを彼から剥ぎ取ったあと思いっきりグーで顔面を殴った。もちろん力が戻ってきている事は確認済みで。
大したダメージにはならないだろうと思ったが、ことのほか黒ジュノの体は大きく後方へ飛んでいった。そのまま地べたに転がる。
「痛ッ! ……お、おい! いきなり何するんだジュノ!! オレは味方なんだぞ!? その証拠に一切手出しはしなかっただろう!? それなのに……ッ!」
途中から声が裏返っても気にせず黒ジュノは訴えかけてくる。
でも同情の余地はない。
「お前は黙って、目覚めてここから出たらすぐおれ達の前から消えてくれ。お前がどんな腹づもりでジジイと組んだにせよ、シャムエルを巻き込んだ時点でおれを敵に回したも同然だ」
「…………」
地べたで顔をさする黒ジュノをよそに、ジュノはシャムエルの安否を確認する。
真っ先に奪われた両眼を確かめると、しっかり眼窩に収まっていたので安心した。スヤスヤ眠っている彼女の寝息は聞いているだけで心がやすらぐ。
「良し、問題はねーな」
次いで巨体ムゥラの方に目を向けた。
彼女の上半身を縛っていた黒い樹は跡形もなく消えていた。だがそのせいで――何たることか、巨体ムゥラのあられも無い格好の上半身が、おっぴろげ状態でさらけ出されていた。丸裸というと語弊があるだろう。しかし、そうとしか言いようがないのも事実だ。
そんな彼女本人なのか本人ではないのか分からない巨体ムゥラは、胸を強調するようにして頬杖をつき、ジュノを興味津々といった様子で見つめている。
「こっち見んなよ……」
さすがのジュノも目のやり場に困り、目を背けることにした。
そして改めて腕の中のシャムエルに目をやる。
「次はお前の番だぞ」
そう言うと、間もなく視界が隅っこから白く濁っていく。
目を覚まして外界に戻る時がやってきたのだろう。
「無実のお前を責め立てた女に目に物みせてやろうぜ」
やがてあっという間にシャムエルの寝顔が見えなくなった。
じき視界がすべて閉ざされる。
と、不意にある疑問が、脳裏を過ぎった。
外に戻ったら体のサイズは元に戻ったままなのか、それともまた小っこくなるのか……? 問題は小っこかった時だ。
もし自由になった事を知ったムゥラが感激のあまり、「今すぐキスちて!」なんて言い出したらどうしよう……?
ジュノがシャムエルと初めて出会ったのは、およそ一ヶ月前。
縁起良く、快晴で夜には満天の星空が見られますとお天気お姉さんが笑顔で言っていたにもかかわらず、永久に昇級不可の烙印が押された日だった。
何もかも焼き尽くしてやろうか(出来ないけど)なんて事を思いながら、昇級試験の為だけに訪れた街をぶらぶらしていたところに偶々聞こえてきたのが、「アンタなんか目の前から消えていなくなれ!!」と怒鳴る女の声だった。
ン、なんだなんだ、喧嘩かー? と声のした方へだらだらと向かったが、カフェの前は人だかりが出来ていて中の様子を見ることは出来なかった。
そこでジュノは魔術を使う。こっそり自分だけ盗み見ようと。
発動させたのは他人の目を借りるという魔術で、選んだのはギリギリ射程距離圏内だった従業員の目。しかしいざ借りると既に怒鳴っている方の勢いは最高潮に達していた。
「貴女なんてはじめから友達なんかじゃなかった!! アナタの顔なんか二度と見たくないッ!!」
その直後、当時も大好物ツインテールの少女が席を立って、カフェを飛び出していった。言わずもがな、シャムエルである。
従業員の目を借りたまま視線でシャムエルを追おうとしたその矢先、突如として魔術が解け、ジュノが自分の目に戻ったときには時既に遅し。泣き叫びながら逃げるようにカフェから出てきたシャムエルと衝突したのだ。
不思議なのは、いくら向こうが走っていたとはいえ、何故か男のジュノが軽く吹き飛ばされた事。その衝撃たるや鉄球とぶつかったの!? と錯覚してしまうほどの凄まじさである。そうして何が何だか分からない内にジュノは路上に置かれたダストボックスに運悪く頭をぶつけて、結果病院送りとなったのだった。
その時、久しぶりに夢を見た。
何をするでもなくただあっち行ったりこっち行ったり、時には他のものと融合したり、時には衝突しあって新しいものを生み出したり。
未知なる声に導かれるまま、そうやってひたすら何かをしながら宇宙を泳ぐ夢だった。
……違う。
と、再び未知なる声を聞いた。
ああ、そうか、夢じゃない。
ジュノは気づかされた。
自分は人間じゃない、と。
気がつくと病院にいた。
病院送りなのだから当然ではあるものの、日付は10日以上もずれていた。
医者からは「きみは記憶喪失でね……」と専門用語を含む説明をされ、聞けば人工的に解決することも出来たが、保護者の同意が得られなかったと教えられた。その瞬間ジュノは、あいつか……と気づいて……。
しかし文句を垂れている場合ではなかった。流星群が集まってひとつの惑星になろうとするかのように、唐突に収束しようとする記憶の群れによってジュノの脳は翻弄されていたのだ。そこにぼんやりと夢のかけらも加わって、整理するのにだいぶ時間を要した。
整理してわかったのは、空白の期間を勝手に埋めていたのは自分ではない。ジュノ・ネペンテスの姿をした別の誰かということ。
別人の記憶を受け入れるというのはかなり妙な感覚で、慣れないうちはトイレで用を足す際も、今のおれっておれだよな……? と他人が聞いたら痛い奴と思われても仕方ないふうに疑心暗鬼になったりした。
ジュノの身に起きたことは悪い事ばかりのように聞こえるだろうが、これらを帳消しにしてしまえる良い事もあった。
記憶を消失している間どうやら保護者(ジジイ)に実験台にされていたようで、不幸中の幸いというやつか、完成間近の魔力供給システムの管理者コードを仮所有したままだったのである。
全身にわたって訳の分からない模様が刻まれているのは気持ち悪いが、姿見に映して観察しているうちにそれが魔力供給システムに欠かせない管理者コードだとジュノは思い出した。
その後、ちょうど目覚めたのが夜間というのもあって、こっそり病院を抜け出したのは言うまでもない。ジュノはこうしてその日のうちにジジイからシステムの奪取を成功させ、新たな目標まで手に入れた。
ただし、新たな目標を手に入れるのは、実は奪取から少し経ったあと。
やることをやってから念のため病院に戻ってみると、シャムエルが、1人でぽつんとベッドに座っていた(この時はシャムエルという名前も知らない)。
「そこで何してんだ?」
「え。あ……すみません!」
これが2人の初めて交わした言葉だった。
彼女の顔を見て少しずつ思い出し、ジュノは自分がぶっ飛ばされた事よりも、なぜああなったのかその経緯を尋ねた。
それが全ての始まり。
ジュノは、悲しそうに関係ない身の上話までするシャムエルに対して、しょうがねーな一肌脱いでやるか、要はその元友達にやり返したいんだろ、と珍しく優しいような気持ちを抱いた。だから自然と、強大な力を得るきっかけをくれた事への感謝の気持ちも入り交じって、次のような台詞も出てきたのだ。
「良し。じゃあおれがそいつの代わりにお前のそばにいてやるよ」
思い返せば、これを本気にしてシャムエルは元友人の誕生パーティの招待状をこっそり渡すため、ジュノのあとをつけたのだろう。
その結果、樹に吊され、スカートの中を見られるとも知らずに……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます