第19話『因縁の対決』視点:ジュノ




 自分自身の口で『強い』と言い切れる理由は、一つ。

 足りないとわかっていた魔力(もの)を十二分に補えているから。


「あんたから管理者コードを奪って、試しにあのシステムを起動させたあの日、おれは神になった気分を味わった。ン? いや、こんなふうに言うとなんか、この後すぐやられる悪党っぽいから訂正しとこ。――えーと、ずばり。おれは神になったんだ」


 だから無駄に自信が湧いてくる。

 後先考えずに行動することも、人様に嫌われるような憎まれ口を叩くことも、かつては最強に見えた王様気取りのクソジジイと敵対することも、何ら恐くない。むしろ大歓迎だ。


「よく実現させたよな、あんなもの。思いついても実際にやろうとは誰も思わないだろ。夜中に起きて廊下で息を殺して盗み聞いた時はびっくりしておれでさえオシッコ漏らしたんだぜ? 普通やるかー? 地球の奴ら全員からちょっとずつ魔力を吸い取るなんていかれた事」


 そう、ジュノが奪ったのは、そのシステムの唯一無二の管理者コード。


「ま、今は供給装置が一基故障しちまって(錐羽ウズハと再会し、共に車で移動していた時に見かけた蕾型のソーラーシステム)、現在進行形で修理中だから不完全な状態なんだけどな」


 とはいえ何も問題はない。吸収装置も供給装置も冥王星全域に広がっているから、一基やそこら潰れたところで魔力が枯渇するまでには至らないのだ。その事はジジイが一番知っているだろう。


「ジュノ、勘違いするなよ。お前が手に入れたその力は永遠に続くものではないし、そもそもお前のものじゃない。この、俺のモノだ」


「は? おいおい……。唯一無二のコードをおれが持ってる時点であれは一生おれのものだって分かれよ」


「ふざけるなッ!!」


 突如、ジジイの足下から凄まじい量の黒い飛沫が飛んだ。埋まっていた地雷の起爆によって土砂が一気に吹き飛んだようにも見える。

 反射的に片眼をつむって目の前に魔法陣を出現させ、『片眼のみで捉えた対象の魔法を代わりに受ける』という効力をもつ魔術を発動したジュノは、しかし無傷では済まなかった。


 代わりに犠牲となる魔力の盾がみるみる朽ちていく。当たれば銃弾を喰らうのと同じく体に穴が空き、一滴でも下手なところに受ければ致命傷になりかねない。と、やがて黒い銃弾は盾を跡形もなく消し去った。


 盾に守られていたジュノは間断なく襲いかかる弾を受け、顔、胴体、両脚、つまり体のあちこちに、ちょうど人差し指が入る大きさの穴が空いた。

 でも血は一滴も零れない。

 すると間もなく、穴だらけの体はまるで神が逆再生のボタンを押したように隙間が埋まっていき、あっという間に元通りになった。


「ふう。保険をかけて正解だったな」


 ただしその代償は計り知れない。ジュノが念には念をと密かに発動させていた魔術は、生命力を有さないものに対してならそれほど大した代償を払わなくても良いが、対象が生命力を有するものとなると話は別である。


 当の魔導書いわく『代償として対象物は身を焼かれる』らしい。


 しかしまだ何も影響が出ていないのでひとまずそれはさておき……。魔法の効力だけを見れば、ジジイは脳だけでなく魔導士としての力も何一つ衰えていない。もちろんそれでも負ける要素は今のところ皆無だが、向こうには人質がいる。


「生意気に小賢しい真似をしおって……。いいか。俺以外の奴から奪ったものなら好きにしろ。だがな、この俺から奪ったらタダじゃ済まない。よく見ろ、その上でよく考えろ。お前の大事な娘は今現在誰の手中にある?」


 安っぽい脅しだ。古い映画で見るありきたりなワンシーン。

 だけど効果は現実の世界でも抜群で、百パーセント取り戻せるという確信がない限りは大人しく従うほかない。

 さすがクソジジイというべきか、力技でやっても決して屈しないという事を心得ている。


 と、内心動揺する中で、ついに先ほど使った魔術の代償を払う時がやってきた。

 体中が熱い。体内に炎でドロドロに溶けた鉄が流れ込んできたと錯覚するほどだ。

 さりげなく袖をめくって確かめると、皮膚の下でマグマじみた赤い塊がドクドクと脈打っている。どうやら体の至るところでそれがあるらしい。ジュノは顔をひどく歪めながら「マジかよ、クソ」と小声で言い、続け様ジジイへわざわざ視線を送って、


「……んじゃまあ、しょうがねーから……とっとと決着つけるか」


「何ぃ?」

 ジジイは笑っているのか呆れているのか分からない複雑な顔を浮かべ、それからやれやれと静かに首を振る。

「全く。ここまで馬鹿だったとは――」


 聞いて、ジュノは思わず笑みがこぼれた。


「馬鹿かどうかはこれを見てから言えってーの!」


 今の今まで開かなかった片目がようやく開き、両の眼でしかとジジイを見据える。

 その傍ら頭の中で、ある文章を二つの古い言葉で同時に唱えていく。これは幼い頃、ジジイの機嫌が悪いときに必ず閉じ込められた暗い倉庫でたまたま見つけた、ジジイ所有の魔導書を毎日読み、たまたま身につけてしまった魔術。

 残念ながら当時は魔力がまったく足りなかった為に発動はせず、身につけたという事実も知らなかった。いつの間にか身につけていたと知ったのは、皮肉にもジジイから奪った魔力供給システムを起動させた後だった。


 やや距離を置いてジュノの背後に馬鹿でかい混沌を極めた魔法陣が出現する。

 まだまだ脳内における詠唱は続く。


「おい待て……」


 ある時を境にジュノの反応がぱたっと止んだ事にようやく気づいたようだ。


「待て! 何してる!?」


 いくら呼びかけられてももう遅い。

 魔法陣は完成した。


「まさかあれは……」


 どうやらジジイも見覚えがあるらしい。

 当然だ。なんてったって、自分を最も苦しめるであろう魔術を記した魔導書を可能なかぎり片っ端から抹消しまくって、一冊だけ物理的な記録媒体をわざわざ自分の意思で残して置いたのだから忘れるはずがない。

 そう、これから現れる魔法はジジイが恐れるものである。


「何時だ……何時おまえはあれを……。ありえない……。お前みたいな子どもが大人でも難しい魔術を身につけられるわけがない……!! ふざけるな……ふざけるなァアアアアアア!!」


 信じられない光景を見て気でも触れたのか、ジジイはやたら喧しく吠える。そして我を忘れて一人だけで飛び出し、今すぐ魔術発動の邪魔をしようと襲いかかってくる。


 ところがもう僅かで手が届くといった位置で突然なにかに足をとられ、地に這いつくばった。


「何だ……!?」


 足を掴んでいたのは手。死んだ女たちの真っ白な手。着々と近づきつつある恐怖が直ぐそこまで迫っている事を知らせる死者たちからのメッセージだ。


 ジジイは青ざめる。


「放せ……ッ! 放してくれ!!」


「今更手遅れだ。ジジイ」


 詠唱を終えたジュノが言い放った。

 見る。短い時間でだいぶ老けたジジイの両眼が、いつしかジュノの後方からジジイを半ば包囲するように扇状に広がっていた、劇場風のエレガントな赤カーテンを見つけた。その規模は数百人という演者を隠すのにもってこいだ。

 更に赤カーテンから一段ずつ階段が自動的におりてきて、地面と繋がった。


「やめろ……やめてくれ……」


 震える老人を見て、ジュノは笑顔になる。


「安心しろ。あんたがおれを地獄にたたき落としたのと同じように、おれもあんたを死者の世界へたたき落とすだけだ」


 やがて開演のブザーなのか耳鳴りのようなノイズが辺りに響き、赤カーテンから続々と死者が登場した。

 いずれも10代の女の子で、全員が血の通っていない死んだ肌に灰色のワンピースを一枚纏っている。そして不思議なことにみんな黒髪だった。まるで死者は白い肌に黒い髪でなければならないという規則でもあるかのように。


「おれはこの時をずっと待ってたんだ」


 ジュノは昔なじみの誰かと再会した時みたく心穏やかに語る。


「あんたは強力な、呪われた魔力を手に入れてから、死者を冒涜してはならないという決まりを守り続けてきた。冒涜すれば自分が呪われるからな。――驚くなって。そりゃあ、あんたを呪いたくなるほど恨みに恨みを重ねてきたんだからよー、弱点の一つでも見つけてやろうって思うに決まってるだろ?」


 振り返る。死者たちはもう間もなく、階段の上に綺麗に並び終えようとしていた。


「ジジイ。二つに一つだぜ。死者を冒涜して呪いを受けるか、無抵抗のまま死者の世界へ引きずりこまれるか」


 恐らく本気で振り払おうと思えば死者の手から逃れるくらいは可能だろう。だがその瞬間、ジジイは死者を冒涜した事になる。


 ジュノは再びジジイに視線を向けた。


「子どもだからどうせ大した抵抗はしない。何も出来やしないって舐めて掛かったからこうなったんだ。ざまぁみろ。子どもだろうが大人だろうが何もしねー奴は結局何歳だろうと何もしねーんだよ。まずはおれがそういう人間かどうか見極めるべきだったな、ばーか」


 当然、無理なことは無理。

 けれど無理かどうかは行動してみないと分からない。

 無理と分かるまではとにかく、もがいてもがいて、チャンスが訪れたら必死に食いつく。


 毎日毎日、こつこつと夜中に起きては密かに耳をそばだてて、暗い倉庫に閉じ込められたらこっそり明かりになるもので照らしていつか形勢逆転を狙えそうな何かを探しつつ、ほこりを被った魔導書を読みあさる。

 これの繰り返しで、ジュノは魔導士として彼なりの基礎を誰にも教わることなく、独学で身につけた。そうして手に入れた力を発揮する待ちに待った機会がやっと訪れた。思わずニコッと微笑んでしまう。


「さあて――」


 体中が未だ焼かれている中、何とかそっと手を挙げ、またそっと下ろしつつ標的を設定するように這いつくばる輩を指で指し示す。


「んじゃあ、このクソジジイをとっとと連れてってくれ。死者の世界へ」


「やめろおぉぉおおおおぉぉぉ」


 泣きそうな顔でジジイは叫ぶが、無駄である。既に生前の心を大半失ってしまった死者たちには一切響かない。


 しかしもう一方のジュノの願いは聞き届けられ、死者たちは軍隊さながら、一斉に細身の剣――十字架を連想させるレイピアを垂直に立てる。愛しい剣身に口づけをするかのように。


 ややあって、よーいドンと最前列から一斉に階段を駆け下りていき、ガタガタと震えている標的へ容赦なくレイピアを構えた。

 死因はひとりひとり違うのだろう。事故で死んだ者もいれば、病に倒れた者もいるに違いない。中には死ぬ間際も傷だらけだった者もいるはずだ。けれど今は、みんな傷一つなく、生気がないゆえにむしろ人形的で芸術的な美しさを感じさせる。


 駆けていく彼女たちの間をジュノは逆行し、階段をのぼって座った。

 よく見える。

 死者に包囲され、一瞬のうちに逃げ場を失った哀れなジジイの姿が。


 ジュノは両手を口元へもっていき、口周りの皮膚をパンの生地みたく伸ばすようにゆっくり、下へ下へ両手を滑らせていく。無意識でそうしながら逡巡する。

 本当にこの終わらせ方でいいのか……?


「いいや、これ以外ねーよ」

 首を振って否定する。

「殺すわけじゃない。生かしたまま閉じ込めるんだ。おれにしたように……」


 ジュノが自分に言い聞かせるように独りごちる一方、包囲を完了した死者たちの最前列がついに手を下した。


 がしかし、剣の切っ先が標的に突き刺さる直前、ジジイに近い位置にいた数十人が何らかの衝撃をうけて上空へ吹き飛ばされてしまった。一瞬あいつが助けに入ったかとジュノは思ったが、確かめると黒ジュノはのんびりジジイの代わりにシャムエルを抱き寄せてくつろいでいる。そう、すなわちこれは、二つに一つの天秤が『呪い』のほうへ、つまり呪われてでも抵抗するほうへ傾いたことを意味していたのだ。


「育ててやった恩を忘れおって……。子どもの分際で親に刃向かっていいと思ってるのか!? クソガキィイイイイイ!!」


 見ると、天を仰ぐようにして咆哮するジジイの身体からは、黒い瘴気が立ち上っていた。そして再び吠える。


「ハリアァアアアア!」


 次の瞬間、空気中に黒い電気がバチバチと走ったかと思えば、死者たちの頭上から凄まじい量のエネルギーが降り注いだ。

 嵐や豪雨というレベルではない。まるで空に浮かんでいた海があることをきっかけに突然すべて地上に落ちてきたかのようだった。

 直撃を食らった死者たちは一人残らず塵と化した。


「ホォオオ……」


 相変わらずジジイは戦闘となると、古い映画の主人公を真似して拳法か何かの呼吸法を操ろうとする(でも実際はただ影響を受けて操られているだけに過ぎない)。


「恐らく、お前が呼び寄せた奴らには何をしても無駄なのだろう? ならばお前を道連れにして、向こうで改めて教育し直してやるわ! フォィイイイイ!」


 昔よく耳にした呼吸法を聞いてジュノは思い出す。


 確かジジイは、独自に開発した呪われた魔力による魔法の拳法、『呪術拳(じゆじゆつけん)』なるものを使っていた。独自に開発したものだからどの文献にも書かれていないし、ネットで検索しても出てこないだろう。そもそもこの場所ではネットは繋がらないようだ(主の考えを読んで脳が自ら『呪術拳』で検索しようとしたらまず検索そのものが出来なかったらしい)。


 フォイイイイと吠えた直後、片方の肩を後ろへ引いて身体を大きく構えたジジイは、地面を蹴り上げたのと同時にぐるぐる高速回転するトルネードにしか見えない姿となって一気に距離を詰めてきた。

 一回瞬きする間に、もともとあった距離の3分の1以上縮めてきている。階段を無視して真っ直ぐ飛んできているから余計速く感じるのかもしれない。


(だったら、真っ向勝負してやるよ)


 ジュノは素早く陰陽師よろしく五芒星を上下逆さまに指で描く。


 日本の魔導士が公開しているその魔術は、逆さまに描いた五芒星を両手でくるりと正しい向きにすれば発動するもので、初心者向けだ。しかしそれでも効果はなかなか侮れない。


 描ききったのち瞬時に、ジュノは五芒星を正しい向きに変える。


 すると術者の周りを隙間なく覆うようにして、幾重にも連なる五芒星がシールドを形成した。 その直後そこに相手の高速回転する身体がぶつかり、黒い火花がいくつも飛び散る。


「イイイイイイ!」


 きっと歯を食いしばりながら言ってるに違いない。少なくともジュノにはジジイの声がそういう風に聞こえる。


「イーイーうるせーよ!」


「イイイイイイ!」


 ここまで来るともはや単なる嫌がらせだ。


「黙れ! クソジジイ!」


 苛立ってそう叫んだ次の瞬間、


「なら無駄な抵抗はよせ」


 突如として回転するのをやめたジジイは、五芒星のシールドに片手をぴったりくっつけた状態で、発射間近のミサイルさながら斜めに直立する。

 斜め上から見下ろしてくるジジイの顔は気色悪い。


「俺はお前みたいな、生まれた時から特別って感じのガキが心底嫌いなんだよ」


 ジジイは五芒星のシールドを片手で握り潰そうとしてくる。

 幾らなんでも無理だろ、と思わずジュノが口に出しかけたとき、なんとミシッと音を立ててヒビが入った。


 ――見くびるなよ?


 ジジイは目を見開いて笑みを浮かべる。

 やがて五芒星のシールドは硝子のように粉々に割れて散り、魔の手がジュノに襲いかかった。

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