第18話『育ての親』視点:ジュノ&クラマ&ジュノ
「そういうわけで、一つ試したい。キミは他人のトラウマを荒らしてきたんだろう? それって要は人の深層に潜り込んでるってことじゃないのか? もしそうならオレ達もそこに同行できたりしないかい?」
「い、いや……。正直なところ、僕もどういうふうにやってるのか分かってなくて……。使い方は分かるんだけどね、詳しい事はさっぱりなんだ……ごめん」
「分かった。じゃあ実際にやってみよう」
「えっ。今!?」
「いつも通りやるついでにオレ達も同行させるつもりでやってみてほしい。たとえいつも通りやってうまくいかなくても幾つか手は考えてあるからクラマは何も心配せず、ただ集中してやてくれればいい」
と黒ジュノが丁寧かつ、糖分で心臓がドロドロに溶けそうなくらい甘く優しい言い方をしているにもかかわらず、クラマは早くも不安げな顔を幼いジュノに向ける。
「お前な、たった今心配するなって言われたばっかだろ。夜な夜なトラウマをよみがえらせて女を泣かせてたあの勇気はどこにいったんだ」
大丈夫だ、指名手配までされたんだろ? 変態としての誇りをもてお前ならやれる。そう言って幼いジュノはソファの高さを利用してクラマの肩をぽんと叩いた。
「でも……、ぼく女の子を泣かせる以外に使ったことないし……」
この間、当然のことながら女性陣は冷たい視線を幼いジュノやクラマに向け、その傍らでは黒ジュノが「ほう。なかなかいい趣味してるな」と感心していた。
「女を泣かせる以外使った事がないのか。良し、じゃあ今回もそのつもりでやってみろ。ムゥを全力で泣かせるんだ!」
「オイ」
真っ直ぐムゥの手刀が非情にも幼いジュノの脳天を直撃した。
「ぐふっ!」
衝撃でたまりにたまった鼻水が飛び散る。
「うわ、きたなっ」
「うぉい! テメエがやったんだろ!」
「だって汚物を出すとは思わなかったし……」
ムゥラは、王女らしからぬ苦虫を噛み潰したような顔を浮かべつつ、まるでばい菌がそばにいると言わんばかりに体を仰け反らせていた。
「ひでえ奴だな」
と幼いジュノは呆れて、
「まあとにかく。さっさと始めるぞ。時間が惜しいと言いつつ何でか時間をロスしてばっかだ」
しかし、寝ようと意識してもムゥラはすぐには寝付けなかった。
すると見かねた黒ジュノが懐から小型の注射器を取り出し、周りが食い止めるよりも速く彼女にその針を首筋に突き立てた。
数秒後にはムゥラはぐったりとして眠りについたが、事の成り行きを見ていた周囲の者はただただその慣れた手つきに舌を巻くばかりで、言葉が出てこない。
「さて。始めようか」
手を掛けた当の本人は一切気にしていない様子でそう言う。アレルギー反応か何かで死んだらどうするんだろうか。
まるでギリギリの生活を強いられている老夫婦からも容赦なく金をだまし取る詐欺師のような、その鋼鉄の心臓が発揮する異常さを改めて認識したジュノは、もしかして一体化して元に戻ったら自分もそうなるのだろうかと背中に冷たいものを感じた。
罪悪感というものとは無縁で、後悔というものは一切寄せ付けない異常者に……。
幼いジュノは無意識のうちにムゥラのそばへ歩み寄っていた。口元に手をやってちゃんと呼吸しているか確かめる為だ。
「息はしてるな」
「当たり前だよ。打ったのは強めの睡眠薬だ、運が悪くない限りは死ぬことは――」
次の瞬間、気づくと黒ジュノを殴っていた。顔面に力いっぱい込めた拳をめりこませるくらいつもりで。
だが実際は相手の顔の向きがすこしずれた程度だった。いくら気持ちがこもっていても肉体面での差をどうこう出来るわけではない。
「何だい、この仕打ちは」
ずれた視線を戻しつつ、黒ジュノはゾッとするほど冷たい声を出す。
「今すぐ説明してくれ。理由によってはただじゃ置かない」
「悪い。お前の病的な容赦のなさに嫌悪感を抱いたんだ」
黒ジュノがじっと、口だけで本当は悪びれる気など全くない幼いジュノを見つめる。
「……なら仕方ないな。嫌悪感を抱かせたオレが悪い」
と言った直後、今度は黒ジュノの拳が飛んできて、幼いジュノは遠くまでぶっ飛ばされた。
肺が衝撃を受けたのか、数秒間は呼吸が思うように出来ず、ようやくそれが可能になると床に這いつくばった状態のまま何度も咳いて、立ち上がるまでにしばらく掛かった。
「悪いのはお前だって理解したくせに、何でおれを……しかも思いっきりやりやがって」
「だって暴力を振るったじゃないか。嫌悪感を抱いた、だから何も言わずいきなり殴った、でも殴り返された。ここまでやってフェアだろう? 殴り返されたくなかったのならまずは嫌悪感を抱いたってことをオレに直接声に出して言うべきだ。その上で、だからお前を殴る、って順序だったらオレも甘んじて受け入れたよ」
そう大真面目に語る黒ジュノのみならず、自分ルールは誰しも大なり小なり一つは持っているだろう。それが発揮された場合、よほどの事がない限りは自分ルールを破る結末にはならない。自分を否定する事になるからだ。
よって恐らくこいつにこれ以上噛みついても無駄で終わる。幼いジュノはソファに辿り着くなり、ぐったりと座った。
「……もう今の事は忘れよう。それよりクラマ、やってくれ」
「だ、だいじょうぶ? でも、やるったってどうやって?」
「おれ達の手を握ってやってみるとか、なんだって良い」
「み、みんなの手を……ってぼくの手は二本しかないけど? ジュノ……二人とシャムエルちゃんの3人分はさすがに握れないよ」
……はあ。
幼いジュノはクラマの肩に触れる。
「手を握るってのはたとえ話だ。おれ達はお前の体に触れてるから、おれ達を一緒に連れて行くつもりでやれ」
そうして戸惑いながらもクラマは3人に囲まれながら姉ムゥラの中へ潜り込んだ。そこに至るまでの行程はなんてことは無い、ただ対象者の胸元辺りに顔を埋めて瞑想するだけだった。
「やっぱり無理! ぼくには出来ないよ!」
ムゥラの中へ一人で先にいってしまったらしいクラマが戻ってきて早々にそう叫んだ。
「ただ触れてるだけじゃ無理か……。なら次の手だな」
と、黒ジュノは幼いジュノが服をオーダーした際と同様にソファの奥へと移動し、誰かと連絡を取っているのかしばらく立ったまま動かなかった。
やがて、何をしようとしているんだと凝視していたところに、小型の段ボールが天井辺りから落ちてきた。どうやらそれを注文していたらしい。
でもそれで終わりではなかった。
次いで白色の小包が届いた。
2つの荷物を黒ジュノが開け、中身を手に取る。
ひとつは一人分のガスマスク。
もうひとつはティッシュ箱より一回り小さいくらいの、真ん中に二本の小瓶がセットされた何かの装置めいた物体。ぱっと見、爆弾だ。
それから黒ジュノはクラマにガスマスクを手渡した。
「今からデスフルランを気化させる。オレ達が意識を失ったら、さっきみたいに手でも足でも構わないからとにかく全員が繋がった状態にしてもう一度トライしてみてほしい」
クラマにつべこべ言う隙さえ与えまいと、黒ジュノは強制的にドゥーガル扮する仮面からガスマスクへと替えさせ、あまつさえジュノとシャムエルにも見向きもせず装置を起動させる。
変な色の煙とかが出るのかと思いきや、ガスマスクを必要とするような噴出音なども一切聞こえてこない。
だが、間もなくクラマを除く全員がその場に倒れた。
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次こそ成功させないと……次こそ成功させないと……次こそ……。
クラマは繰り返しそう自分に言い聞かせ、ジュノ、シャムエル、黒ジュノの手をおのれへ引き寄せ、体に触れるようにセッティングする。
「これで大丈夫。次こそ上手くいく。大丈夫。上手くいく。……あれ、でも、もし次も失敗したら……ぼくどうすればいいの……?」
自分以外はみんな意識がないという可笑しな状況下に置かれてようやく気づいたのだった。
「駄目だよ、失敗した時の事は考えたら駄目。大丈夫。上手くいく」
そんな時、どこからともなく聞こえた――気がした。
「クラマさん」
その呼び声にハッとして振り向く。
治療を終え、ドゥーガルをジュノから受け取ったとき、「後でお話いいですか」と声が聞こえてきたのを思い出した。
振り向くとドゥーガルはすぐ近くにいて、人型になっていた。
「クラマさん。ボク、なんて言ったらいいか分からないんです。貴方のようにボクを守ってくれた人は居なかったので……」
そこでドゥーガルはぐったりとして倒れかかってきた。黒ジュノが用意した薬は効き目に差はあれど人工妖精にも効果があるようだ。
「ご、ごめん、ドゥーガル。このマスクはひとつしかないんだ」
「クラマさん。お願いです」
「な、何?」
「どうかボクを一生こき使って下さい。ボクの命が尽きる時まで貴方の……」
ドゥーガルの言葉はそこで途切れた。
耳をすますと、小さな口からスースーと細々とした呼吸音が聞こえてくる。
「…………」
クラマはソファに寝かせていた幼いジュノを床へ退かし、そこへドゥーガルを横たわらせる。
ドゥーガルは自分をこき使ってと言った。
魔法のランプに願うように。
間違いなく勘違いしている。
どうしてジュノから譲ってもらったのか。それは召使いが欲しかったからじゃない。気の合う仲間、いつも一緒にいる友達が欲しかったからだ。
だから身を挺して守った。
こき使うためなんかじゃない。
「ドゥーガル、違う。そうじゃない。ぼくと君は――パートナーだ。こき使うなんて御免だよ」
気がつけば不安は遠のいていた。
ドゥーガルへの言葉が心を鎮めてくれたに違いない。
次は必ず成功する。
根拠のない百パーセントの自信だけがどんどん体の奥から沸いてくる。
「見てて。ドゥーガル。これがぼくの力だ」
そう言ってクラマは躊躇うことなく、ムゥラの心臓部めがけて顔を埋めた。これで上手くいってもたぶん自分は一切手が出せない。ただ覗き見ることしか出来ない。
だから、どうか……何事もありませんように。
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死後の世界。
何も知らない人間はそう思うだろう。
遠くに見える空は宇宙テイストのまだら模様の滝がゆっくり、ゆっくり流れ落ちてくるばかりで、綺麗な群青色なんてものは存在しない。
「クラマの奴、マジで成功させやがって……」
そう独り言を呟く視線の先で、まだら模様が泥のように流れていく。そしてその中心では神の瞳がこちらを視ていた。
目を覚ますと、体は仰向けに横たわっていた。それゆえ、幼いジュノは遙か上空からじっと見下ろしてくる自分の何十倍もの存在感のある巨大な瞳と、目を合わせざるを得なかった。
万が一にも人間の力など及ぶわけもない全知全能の神を連想させる瞳。瞬きは一度もしない。心臓が血液を送り出すように、その神の瞳から魔力が流れ出ている。……いや、そう感じるだけで実際のところは的外れなのかもしれないが、ジュノは今自分のいるこの空間には魔力の壁があると感じていた。
「……あの瞳……あの瞳から魔力が出てるってことは……、ここは深淵か」
現在のところ推測の域は出ないが、しかしその推測が正しければこの場所こそ、魔力を供給している根っこだ。真理を究めたとされている文献いわく深淵は誰にでも存在するという。
するとあの瞳の奥はどこへ繋がっているのか。
宇宙に存在する万物はあの瞳を通して一つの何かと繋がっているのだろうか?
「ン……」
体を起こす。
がしかし、
「やけに重てーな」
時間をかけつつ何とか起き上がると、ややあって気づく。
体が元の大きさに戻っていた。
「なんでだ?」
あくまで仮説に過ぎないが、仮説ならすぐに立てられる。たとえばムゥラの深淵と接触したことで空気を含んだ風船のようにジュノの体も魔力を吸い込んで膨らんだ、とか。もしくは深淵という場所が外部よりも早く時が経過していくから、とか。
ともあれ、何が作用したにせよ、そんな事はほんの些細な出来事に過ぎない。
本当に重要視すべきは別のモノだ。
それは、目の前にある為どうしても目に付いてしまう、にわかには信じがたい我が目を疑うような光景。
神の瞳へ手をのばすように、一本の黒い巨木が地面とも床ともつかない足下から生えている。それはあたかも自身が樹木ではなく衣服であると思い込んでいるようだった。
その黒い巨木の服を纏っているのは、その大きさに見合うだけの巨躯を手に入れたムゥラで、下半身は埋もれてしまっているのか裸の上半身だけが床から出ている状態だ。恐らく意識はない。
「ようやく起きたか」
溜め息が聞こえてきそうな黒ジュノの声が巨木のほうから聞こえた。
目を凝らして見やると、ほんの一瞬思考が止まった。決して見たくはない、決して見てはいけないモノが視界に入り、頭の中が真っ白になってしまったのだ。
「全然成長してねえなあ。一体誰のせがれだ?」
「ジジイ……」
そいつは黒ジュノのそばで気怠そうに座っていて、シャムエルを抱き寄せるようにして何だか幸せそうに微笑んでいた。
懐かしい、酷く吐き気のする顔。シワシワの老人のくせに言葉遣いや雰囲気は以前より若返っている。また女を食い物にして脳を若返らせたのだろう。ただし脳以外は魔法の効果が及ばないから機械のパーツのように定期的に取り替えて生き長らえているのだ。
鼓動が制御不能に陥る。
落ち着けと言い聞かせる余裕などない。
今すぐ膝をつきたい衝動をどうにか抑えてジュノは、気まぐれで自分を拾ってあるところまで育て、手に負えなくなったらゴミと同様に捨てた無責任な大人(ジジイ)を睨みつけた。
「てめえかよ……。てめえがムゥを人質に取ってたんだな」
ジジイは、ハッ、と嗤う。
「まだまだひよっこだな。突っ込むところはそこかよ」
「は?」
「あのなあ、普通こいつ(黒ジユノ)がこっちに立ってる時点で大体の見当はつくだろう。それでもあえて気づかないフリしてんのか?」
そう。本当はその点について問いたださなければならない。しかし幾ら何でもそこまで自分の状況が悪いはずがないとジュノは目を背けていた。
万が一にも黒ジュノがジジイサイドだとしたら、一体いつからだ? ……言うまでも無い。はじめっからだ。
幼なじみだった錐羽ウズハと再会したあの時から。
「何を考えてる? まあ口に出すまでもないか。今お前が考えてることは正しい。こいつ(黒ジユノ)は始めから俺側についていて、お前がここへ来るよう仕向けた。正解だ。――じゃあ何故、そんな回りくどいことをしたのか」
分からない。
「教えてやろう。俺は頼まれてこの娘を内側から侵している。その目的はお前の読み通り、いや黒ジュノの誘導どおり、人質だ。だから俺はここから動けない。そんな俺を内側から見つけた奴がいた。それは知ってのとおり、お前の本体だ」
ジジイはまるで我が子を諭すように、ゆっくり丁寧に語りかけてくる。
「俺はこいつに訊いた。『お前の分身の居場所を知ってるか』ってな。するとこいつはただ黙って頷いた。そこで俺はこいつに全てを話して手を組むことにした。お前を俺の前に引きずり出して俺から奪ったものを取り返す為にな」
ジュノは歯を食いしばったまま瞬きもせずに相手を睨み続ける。
「……だったら、シャムエルは関係ねーだろ」
「関係ない?」
ははは、とジジイは嘲笑った。
「お前の人格は俺によく似ている。自分の欲しいものは何がなんでも手に入れたいタイプだ。そして手に入れたものは大事にする。逆にいえば、大事にしないものはそう大して欲しいものではなかったって事だな。――この娘はどっちだ? 大事にしているのか? それとも俺がお前を捨てたみたいに今ここで消えても何とも思わないか?」
答えは明白だ。
けれどそれよりも相手への対抗心が勝って、
「大事とは思ってない。欲しいならあんたの好きにしろ。ただ俺がやった事とは何も関係ねーから、傷つけるのはやめろ」
「嘘が下手だぞ、ジュノ。顔に思いっきりこの娘は大事です、手は出さないでって書いてある。やっぱり似てるなあ、血は繋がって無くても俺にそっくりだ」
次の瞬間、ジジイは手をシャムエルの顔へ運び、両の眼を塞ぐように被せた。
何をする気だ!? とジュノが身構えた直後、
「いないいない~、ばあ~」
赤ん坊をあやす爺さんを真似るおふざけで人をおちょくっているのだと思った。ところがそうではなかった。
ジジイは笑って、
「丁度足りなくてな、これでやっと落ち着く」
ひけらかすように向けられた手のひらにジュノは注目する。
そこにあったのは皮膚に埋まる眼球だった。
「残念だが、これでもうこの娘は俺の助けなしには何も見えない。どうする? 一大事だぞ? 目を覚ましても何も見えないっていうのはさぞかし辛いだろう。起きていても寝ていても真っ暗だからな」
今の今まで忘れていた……。そう、この男は人の目を奪って自分のもの――計6つまで目を増やす魔術を身につけているのだ。
「ジジイ……てめえ……」
一緒に暮らしていた時も何度か両眼を奪われた人間を、眼窩が真っ黒に染まって何も見えなくなった人間を見たが、ただ見ている事しか出来なかった。
だけど今はハッキリと言える。今までは機会があったらとどこか逃げ腰だったけど、今なら現実に出来る。
こいつは――生かしておけない。
「今すぐシャムエルに目を返せ。もし拒んだら……てめえの息の根を止めてやる」
「うーむ……。安っぽい台詞だが、まあ嫌いじゃない。古い映画好きの俺としては決まり文句ってやつは心が躍る。でもなあ、そういうのは強い主役が言ってこそ映える台詞であって、弱いお前が言って許されるものじゃない」
「なら問題ねーよ。今のおれは強えーから」
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