第15話『取引』視点:ジュノ
その後、姉ムゥラの勧めでジュノ達は彼らの家でゆっくり話をする事となった。
「見えてきたわ。あれが我が家よ」
姉ムゥラの目線の先には、展望台めいた白亜の建造物がある。それは草のみならず黄金色の木々がたくさん生い茂る林の中に堂々と浮かんでいた。そして木と木の隙間を埋めるように7方向へ枝分かれしている。見方によっては船に見えなくもない。
姉ムゥラが言うには彼らの家はヴィンセントレイズ女王の別荘らしいが、未だジュノは信じ切れていなかった。とはいえ嘘であるという証拠もないので、女王の別荘か否かは今のところは保留にしておく。
「地球じゃ家は浮かんでるのが当たり前なのか?」
ちゃっかり脱ぎ捨てた服を腰に巻き、片手には一冊の本を抱える幼いジュノは、誰よりも低い位置から白亜の家を見上げながら問いかけた。
「大体はそうね」
姉ムゥラが答える。
「海の上に浮かんでいる国家もあるくらいだから。貴方達は地球は初めて?」
気を失った状態で弟ルオルに担がれているクラマは当然反応せず、幼いジュノとシャムエルの二人が頷いた。
「そもそも地球じゃ魔法と魔術は使用禁止だろ? どうやって中に入るんだ?」
「見てて」
姉ムゥラがある場所へ移動を開始した。
傍からしたらただ家のほうへ向かっているようにしか見えない。
ところが、絶対大した仕掛けなんてないんだろと幼いジュノが欠伸をして間もなく、ふっとその姿が無数の光の糸となって吸い込まれるようにどこへともなく消え失せた。
「は……? ま……魔法じゃねーかっ! おい! 地球の奴らだってやっぱ使ってるぞ! こいつら嘘つきだ!」
ついつい幼いジュノは地球の真相を知ったと興奮する。
だがしかし、
「違うよ」
弟ルオルが即座に冷たい調子で否定する。
「え?」
「あれは携帯型のポータルを使って、対となるもう一方の装置へ瞬間移動しただけなんだ。そう驚く事でもないし、魔法と比べたら全然見劣りするものだよ」
「あ、あれ……? そうなの……?」
「それよりほら、こっちに降りてくるよ。基本的に部外者はポータルに登録しないようにしてるから、ああやって玄関を地上に降ろすんだ」
見ると、確かにこっちへ近づいてきていた。伸縮自在らしく家の一部分だけが首を伸ばすようにして降りてくる。
着地のぎりぎり手前で玄関は止まった。
壁が音もなく開くと、
「どうぞ入って」
中から姉ムゥラが姿を見せた。
家の中はまるで新築のように清潔さが保たれていた。
7方向へ枝分かれする家の中央はいくつか段差のある広いリビングになっていて、またその真ん中には円を描くように配置されたソファがあった。
「この人を治療するためのメディカルマシンは奥にある。ついてきて」
弟ルオルはクラマを担いで奥の部屋へと進んで行く。
促されるままついていくと、カプセル型のベッドを思わせる物体が2つ置いてあった。姉弟が一人一つ買ったのだろう。
手前のマシンにクラマを寝かせ、弟ルオルが慣れた手つきで操作する。
「そうだ。着てる物は脱いだほうが効率がいいから、全部脱がして」
「分かった」
と幼いジュノがマシンに近づいた時、ふっと茶色の手に手首を掴まれた。
「脱がない……仮面も取りたくない……」
「でもそれだと治療は遅くなるよ?」
クラマはそれでも構わないと何度も頷く。
それを認めて弟ルオルがこっちに最終確認の視線を寄こした。
「どうする? いいなら始めるけど」
「本人がそうしたいなら何も言うことはない」
「なら始めるよ」
程なく静かに稼動し始めたマシンはそっと自ら蓋を閉じた。
「後はマシンに任せておけば大丈夫。破損した箇所も元通りになるし、体内にアクティブケアボットがいるなら驚くほど早く完治するはずだよ」
「そうか。なら良い。さんきゅ」
ティッシュ2枚分くらいの軽い気持ちでそう礼を述べると、マシンの診断具合を見ていた弟ルオルが不意にこっちを振り向いた。
彼は明らかにその軽さに対して不満ありありな目で睨みつけてくる。
「あんた今、上から言っただろ。あんたは責任とれって言うけどさ、それはそっちの一方的な言い分であって何もこっちは律儀にこの人を治療してやる義理も義務もないんだ。ちゃんと礼が言えないなら今すぐ治療をやめるよ」
容赦ない弟ルオルの物言いに、思わずたじろいでしまった幼いジュノは参ったなと頭を掻く。
「上からもなにも……礼は礼だし」
「あっそう、ならこの人には悪いけど治療はやめる」
弟ルオルは躊躇せずにマシンを操作しはじめ、途端それまで聞こえていた治療の音がまったく聞こえなくなった。
マジかよ!? とジュノは顔を青くして叫んだ。
「わ、分かったっ! ありがとう! 治療してくれてありがとう! な、これでいいだろ!? 足りねーなら何度でも言う! ありがとう!!」
「……言えばいいってものじゃないんだけど、まあいいよ。治療はする。ただし完治させるのは俺の魔法をあっさり解除した方法について正直に話してからね。悪いけど今ので気が変わったんだ」
聞いた瞬間、ジュノはぎょっとした。
(コイツ……自分のほうがだいぶ目線高いからって調子乗りやがって……。ていうかやっぱ姉弟だな。似てやがる)
とはいえ……。
話の持っていき方次第では有利な立場に立てるかもしれない。
何と言っても弟のほうはシスコン野郎だ。下手したら姉の一言でコロッと態度が豹変する可能性だってあり得る。
なら今ここで少しでもその可能性を摘み取っておいたほうが得策だ。
「良いだろう。でも種明かしするにはクラマの治療じゃあちょいと物足りない。そこでこっちもただしを付け足す。た・だ・し、お前の姉がなんと言おうと、お前が、おれ達に協力してもいいと思った時は姉の意見を無視してでもおれ達に協力すると誓え」
「いいよ、誓う」
弟ルオルの意に介さないレベルの即断に、肩透かしを喰らった幼いジュノは口を半開きにし、あれ今何て言いました? と固まった。
予想ではぜったい渋るはずで、予定ではそこをさらに押して後には引けない状態にまで持って行くつもりだったのに……。
「ヨ、ヨシ。そうか。良し、じゃあ約束の種明かしだ。――おれはある一定の範囲の時間を遅らせ、その中で自分だけが普段通り活動できる魔術を使った。あの魔術の一番のポイントは片手で触れたモノの時間をある程度自由に進ませることができるってところだ。ちなみに、血と汗と涙の努力と試行錯誤の結果、今のところ合計で12時間強進められる」
「成るほど……。俺は運がなかったって事か。一応教えておくと俺の魔法の効果も最大で12時間きっかりなんだ。唯一のデメリットは、一度使うと同じ人と融合するのに24時間空けなくちゃいけないってところ」
間もなく弟ルオルは答えに満足したのかマシンに目をやった。
「それにしても、何で時間を進めたら解除できるって分かったの? あの場で咄嗟に答えを思いつくなんて事はありえないだろうし、予め魔法の正体を知ってたならその情報収集能力に驚きだよ」
「いや、実は運任せが大部分を占めてた。他人に体を貸すとしたら何かしら保険があると踏んで、直感で時間制限だと思ったんだ。じゃなかったら安心して人に貸せないだろ?」
聞いた途端、弟ルオルの肩が息をのんだように持ち上がった。
「俺が人に貸すってあらかじめ知ってた……?」
「全然。そこはただの当てずっぽう。もしおれがお前をかくまう側の奴なら、その力をただ隔離しておくなんて馬鹿な真似はしない。……そうだな、たとえば危なくなった時に連絡を入れて融合して一時的に危機を逃れるとかな、そういうやり方を選ぶ」
あっけらかんと幼いジュノが言うと、弟ルオルはふっと微笑んだようで「概ね正解」と言った。彼はやがて溜め息をつき、再びマシンを操作し始めた。すると治療はすぐ再開された。
ふう。
やれやれと幼いジュノはホッと胸をなで下ろす。
何はともあれ、これで安心だ。
ようやく本来の目的である自己融合魔法の件に集中できる。
リビングへ戻ると、姉ムゥラと手伝いを申し出たらしいシャムエルが多少打ち解けた感じで共にキッチンに立っていた。どうやら飲み物なんかを用意しているようだ。
一方、男性陣はソファに腰掛ける。
――と、弟ルオルが唐突に切り出した。
「姉さんがあんな調子だから僕も一応話は聞くけど、その前に着るものどうにかしたほうが良い。そんな格好でこのまま家の中をうろつかれたら気が気じゃないし。うちのポート使っていいから調達しなよ。かかる費用はそっち持ちで」
ジュノが改めて腰巻き一丁のあられもない自身の姿を見る。
「いや……」
いざという時すぐ脱げるからこのままでいい。ジュノは冗談半分でそう言おうとしたが、ここは取りあえず弟の意見をこころよく受け入れるフリをするべきだという考えがふと頭を過ぎった。
「確かにその通りだな。よくぞ言ってくれた。何かは分かんねーけど、そのポートとやら遠慮なく使わせてもらおう」
「じゃあこっちへ」
ソファの後ろ、そのスペースだけ何もものが置かれていないところに弟ルオルは立つ。それから次のような事を説明し始めた。
ポートとは物品の瞬間移動を想定して作られたシステムで、地球上のありとあらゆる場所へ一瞬で物を送り届けることが出来る。ただし送り先にも出口となるポート装置がなくてはならない。
因みに人間はそれを使っての移動はできない。何故なら今の時点で人間の瞬間移動は物と比べたらほんのわずかな距離しかできない為。
「今のでポートがどんなものか理解できたなら、使い方教えるからこれから言うアプリケーション、インストールして」
未だジュノの素性を疑いながらも弟ルオルは懇切丁寧に必要な手順を教えてくれた。間違えても「そこはこうするんだよ」と相互リンクして手本を示してくれるという真人間っぷりまで発揮して。
それに対してジュノは、どーせ偽善者なんだろ? おれは騙されねーぜ。その化けの皮の下には姉の言うことなら何でも聞く、姉の目がある時だけ良い子ちゃんぶる超シスコン野郎が潜んでるんだろ? と心の中でけたけたと嘲笑う。
そうやってジュノは馬鹿にするが、しかしだからこそ弟ルオルの提案をこころよく受け入れる事に意味があるという側面も理解していた。
面白そうだからって、姉の前でいい格好をしたい幼気な少年の心を踏みにじる事はせず、あえてそれに乗っかる事で彼に彼自身さえ気づかない恩を売り、扱いやすい味方であるという認識を植え付ける。
そしていずれは、姉ムゥラと共に彼も色んな場面で賛同してくれるようになるだろう。
ジュノはまたまたこみ上げてくる笑いにやられそうになった。が、どうにか堪え、ポートを利用する手順の再確認をしてくる弟ルオルに優しく頷いた。
「覚えたら簡単でしょ?」
「だな。これで堂々と人前に立てる。ほんと助かるぜ」
「礼はいいからさっさと買いなよ」
教わった通りジュノは手順を踏んで買い物を済ませる。仮想の自分を使った試着もしたのでサイズなどは全く問題ないだろう。在庫もしっかり確認したからそっちも問題ない。支払いは所有しているクレジットで済ませた。
そうして注文しておよそ三分後、頼んだ品物は無事ジュノの元に届いた。
天井に備えつけられた一見スイッチにもみえる装置が、ちん、と音を立てたと思ったら無数の光の糸が雨のように降ってきて頼んだ品物を形成したのである。
「め……めちゃくちゃ便利だな……」
「便利といえば便利だけど、地球の人はこれが無かったらろくに買い物も出来なくてまともに生きていけないってみんな言ってるし、地球だとこんなのあって当たり前なんだよ。個人的には冥王星みたいな原始的な繋がり方のほうが好きだけどね」
弟ルオルの話し方を聞いていると、将来人を引っ張っていく為に欠かせない理知的な魅力を感じる。どこぞの黒い妖怪めいた奴のように。
「さっそく着たら?」
「おう」
ジュノは注文した服に、幼児用だからと侮れないモノを選んだ。
着てみるとそれは幼い体にみごとフィットした。正しくはフィットするよう素材が働いたのだが、IPP7というその素材で作られた服にはある特徴が備わっている。
説明にあった通りジュノは前もって見つけていた姿見の前に立った。
すると鏡に9つのメニューが縦一列に表示され、指で触れると瞬く間に服はその形状を変え、服全体がまったく別の服へと変化した。
そう、ジュノが購入したのは一着で10種類の服を楽しめるものだった。
「三日間の為だけにそれ買ったの?」
弟ルオルが問うてきた。
「安心しろ。支払いはおれの金じゃない」
「え、じゃあ誰のお金で?」
「おれを捨てた女の金だ。ああ、気にすんな。ちょっとした裏技で預金額みたら結構あったから、服の一つや二つ買ったってバレやしない」
「裏技って……。それ大丈夫?」
「へーきへーき。関係が崩れてもおれ達はなんつーか、困ってたら互いに助け合う兄妹みたいなもんだから。あいつならきっとこう言うぜ。『ジュノが困ってるなら喜んでお金出してあげるぅ』ってな」
「へえ。仲が良いんだね」
「仲が良いっつーか、あいつは心の中じゃあ一方的におれを想ってるんだ。――いや、照れるからこんな話やめようぜ。……ン?」
不意にメッセージが届いた。
宛名はおかしな事に『不明』となっている。
好奇心からすぐに脳内で再生すると、
『殺されたいわけ?』
と何とも物騒な文が魔法のペンで書かれたように綴られた。
「どうかした?」
いささか不思議そうに弟ルオルが顔を覗きこんでくる。
「いんや、別に?」
ジュノは少し戯けて目をぱちぱちしてみせた。実際は何かあったけど頼むからそれ以上は聞かないでくれという合図である。
「んな事より、さっさとどのデザインにするか決めないとな」
鏡に映る変化後のすがたを参考にするため手早くデザインを変更していく。
結局、ジュノは袖に大中小3つのリングがついた灰白色の上着に、下は紺色のストライプを選んだ。半ば動揺する中での選択だったのでそれが最適解かは本人もよく分かっていない。
その後ほどなく飲み物が運ばれてきたので二人はソファへ戻った。
座るとちょうど姉ムゥラが配り始めたところだった。
「それでルオルの手を借りたいって話だけど――」
だが先ずはそれよりも。
「待てその前に……、それどーなってるんだ!?」
見ると、姉ムゥラの片手は手袋をはめているかのように真っ白で、指先はどれもゴールドを纏う成金バカさながらに金色に光っていた。
さらにはその指で操作する素振りをすると、シャムエルの持っていたトレイから飲み物が入ったコップが自らすすんでテーブルへと移動した。まるで羽でも生えたような滑らかな動きで。
「貴方、ほんと地球のこと何も知らないのね」
呆れた感じに姉ムゥラは言う。
「これはね指を動かすと物をこうやって簡単に移動できるの。ステラって聞いたことない?」
「ス……テラ……?」
聞いた事もない単語が頭の上をぐるぐる回る。自分が異世界に迷い込んだような錯覚に陥り、ジュノはとうとう放心状態になってしまった。
「それも知らないのね。えっと、ステラっていうのは地球の人々を管理している人工知能が提供しているシステムのことで、地球での生活には欠かせないの。筋肉量の調整から重い病気の兆候を見つけて最善の対処方法の提案まで完璧に健康管理もしてくれるし、圏外じゃなければ入浴中でも、木登りの最中でも、隠れんぼで自分だけ忘れ去られた時でも映画やドラマが見られるし、運動がしたい時はホログラムを使ったスポーツやゲームで屋内だろうと屋外だろうと時間を忘れて熱中できるし、ほんと言うことなし」
「うげえ」
ジュノは嫌悪感たっぷりの表情を浮かべる。
「何だそれ。まるで飼育されてる動物じゃねーか」
「飼育? なんて失礼な。便利には違いないのにそれを使うのは悪い事みたいな口ぶりね」
「悪くはねーよ。いやマジで悪くは無い。でもおれは御免だな、そんな檻に閉じ込められるような生き方は。だってよ? 聞いた感じ、使ってるっていうより使うように飼育されてるって印象だぜ?」
やや軽蔑気味にそう言うと、聞いていた姉ムゥラはムッとするかと思ったが……実際は違った。彼女はただ、そう、と大人びた微笑みを浮かべたのである。
「受け取り方は人それぞれだからどう思おうと勝手だものね。ちなみに、貴方が言うところの飼育されてる私は一度くらい同じ生活を体験してみる事をおすすめするわ。――けどまあ、私が受けた印象だと貴方は体験する事にさえ怖じ気づいてしまう臆病者でしょうから、何を言っても無駄ね」
姉ムゥラはけろりと嫌みったらしい言い草で言った。
その軽やかで鮮やかな高飛車っぷりに、ジュノはたまたま寄った絵画展で運命の相手と出会ったように胸を打たれた。
なのですかさず自分に言い聞かせる。
(落ち着け。こいつはツインテールじゃない。可愛い顔しておれに高圧的な態度を取るからって、たった一言で自分の信念を曲げてもいいのか……? いいや良くない。おれともあろう者がたった一言に惑わされてどうする? ……良し。あとで連絡先を聞いて時々メッセージで嫌味を言われる程度の関係で留めるように努めよう。その程度のやり取りならツインテールを守る会の席を剥奪される事はないはずだ……)
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