第11話『中央図書館』視点:ジュノ

 空中をひょいひょい自由に駆けぬけるベクターは『喩えるなら空を鳥のごとく飛び回るお餅』だと言った人間がいるらしいが、半透明でかつ緊急搬送時などを除けば通常緑色をしているスライムのほうがむしろ人間をお餅だと思っているかもしれない。乗客が腹の中に収まっている様子を見るたびジュノはそんなことを思う。


 現在進行形で自分もベクターの体内に座って運ばれているジュノは、竜骨座・アヴィオール六番街の街並みをマンションの12階あたりの目線から見渡していた(最上はまだまだ上である)。

 ホログラム広告が至るところに浮遊しているのに加え、自動改修中の建物の欠片と連結したベクターが忙しなく往来する空中とは違い、地上は道路がうねりながらも遠くのほうまで延びていて、のんびりとした時間が流れているようだった。

 もちろん地上にもホログラム広告はあるが、市民にストレスが掛からないよう制限が掛けられているため空中に比べればかなり平和である。


 一方、外壁内の大部分を占める圧倒的な存在感をもつ建物群は、その多くが互いに枝――渡り廊下――で連結しており、俯瞰図をダウンロードして確認するとそれはさながらいつの世も人と人とを繋げてきたネットワークを体現しているような、蜘蛛の巣状の巨大市街地となっていた。


「お前ら、すげーぞ。1番街から13番街まで全部ドッツェネーラっていうイタリア系の魔導士が一人で考案したものなんだってよ。初めて知ったな。しかもそいつ本職は歌手で、都市のデザインは趣味だと。どーりで昔っからおれの苦手なアート臭さがあると思ってたんだよなー」


「ジュノさまを唸らせるとは、さすが歌が上手な人は人とはちがった感性を持ってますね。建物はシンプルでも、夜になれば建物ごとに違う輝き方をして昼間とはまったく異なった姿になるなんて発想は素晴らしいです」


「しかも年齢の割に肌が白くて美人なんだぜ」


「年齢の割にって、失礼ですよジュノさま」


「褒めちぎってるんだから別にいいだろ。そうだ、試しにこいつと契約して曲聴いてみるか。イタリア語ぜんぜん分かんねーけど」


「あ、契約したらワタシも聴かせてください」


「やだね。契約者はおれ。だから聴くのもおれだけー」


「…………」

 呆れて睨みつけるようにシャムエルは目を尖らせた。

「クラマさんには散々協力しろと言っておきながら、曲の一つや二つ聴かせるのもダメって、ケチ過ぎません? 聴いてみて素晴らしいと思ったらワタシも契約しますよ?」


「ばーか。お前はあめーんだよ」


「ふえ?」

 と冥王族特有のちょっぴり人間離れした顔が傾く。


「いいか、クラマの時におれがどれだけ一生懸命迫ったか見てただろ? 対して今回のお前はまるで鼻の穴をほじるような気軽さで『契約したら聴かせてください。ホジホジ』って言ったよな? つまりお前には足りない、情熱がな!」


「反論します。ぜーったいっ、ワタシはホジホジとは言ってません」


「とにかく本当に聴きたいならおれを圧倒するつもりで迫ってこい」


 ンー、とシャムエルは口を尖らせて悩む。

「でも……、一度聴いてみない事には何ともいえません。それこそジュノさまの言う情熱も、その曲の良さを知らなければ生まれてこない、とワタシは思うのですが……」


「…………」

 今度はジュノが悩む番だった。


 すると、二人の他愛ない会話をただ黙って聞いていたクラマが、ここで二人を覗きこむように前傾姿勢をとって口を挟んだ。

「適当にどっかから拾ってくるぼくと違ってシャムエルちゃんは公式のものを試しにフルで聴いてみたいんだよ、ジュノ。いいと思ったら契約するって言ってるんだし、ここは大人になって聴かせてあげたら? ついでにぼくにも」


 ややあって。

 ジュノは僅かながら頷く。


「……確かに。言われてみればそうだな。良しじゃあ契約したら2曲おれのおすすめを選んで聴かせてやるよ。ただしシャムエルだけにな」


「ありがとうございますっ」


 そうして幼い子供みたいに目をキラキラさせるシャムエルの傍ら、クラマはドゥーガル扮する仮面の上に不満ありげな表情を浮かべる。


「あれ、ちょっと? なんでぼくは駄目なのさ? ついでにの気軽さでぼくも良しとするところじゃないの?」


「駄目に決まってるだろ、自分をなんだと思ってる? クラマだぞ?」


「……いやだから何?」


「身の程を弁えろよ、この変態っ」


 クラマは、嘘でしょう!? それ言っちゃう!? と目を丸くした。

「何だか分からなくなってきたよ。君は友情を育みたいのか壊したいのか、どっちなんだい?」


「まあどっちでもないな。だっておれとお前は出会ってまだ間もないんだぜ? シャムエルみたく慣習がどーのこーので強制的に他人との関係が決まっちまうっていうならまだしも、お前にはないだろ?」


「君の言うシャムエルちゃんの慣習って、つまり下着を見せたらってアレ?」


「おい、デリカシーのないそこの馬鹿。シャムエルのーなんて言い方したら、まるでシャムエルが個人的に習慣でやってる変態だと声高らかに公言してるようなものだぞ?」


 聞いて当のシャムエルは、まさか自分がこのタイミングでそんなふうに言われるとは思っていなかったようで、「え? え? ちょっとまっ――」と慌てて会話を遮ろうとジュノの前に飛び出してくる。


 しかし、「お、やっと着いたか」と突然ジュノは、関心の向かう先を転じたふうを装い、視界に飛び込んできたシャムエルの顔面をむぎゅっと押し返した。

 もちろんわざとなので極力手加減はしたものの、楽に突き飛ばされたシャムエルは「はうっ」と声をこぼし、ベクターの体内に転がった。


「ったく、もう着くっていうのに何遊んでるんだよ」

 と言いながらジュノは楽しそうに笑う。


「あいたた……、あ、いやベクターの中なので痛みはぜんぜん無くて……って、そうじゃない! ジュノさま! どうして思いっきり突き飛ばすんですか!? ここが地面だったらワタシ、ぽっくり逝っちゃってたかもしれませんよ!?」


「お前は心臓を患うババアか」


「今、そういう冷静なツッコミはいりませんっ。ワタシは怒ってるんですっ」


「良し着いたな」


「ジュノさま!!」


「あー、うるさい。問題ねーって。もしお前がぽっくり逝っても、おれが満足いくまでお前の心臓を揉みしだいてやるから」


「結構ですっ。絶対やらしい意味なので!」


「馬鹿言え。お断りはナシだ。今ならサービスで左右平等だぞ?」

 ジュノはにっこり笑顔を浮かべた。


「その笑顔! やらしいです! ジュノさまの頭の中はいったいどうなってるんですか! どうしてそうやらしい事ばっかり……!!」


 ぎゃあぎゃあとわめき散らすシャムエルをよそに、ジュノはほくそ笑みながら四つん這いになってギリギリまで前へ移動する。そこから懐かしげに、ベクターの緑色をした皮膜越しに下界を覗き見た。


 六番街メインストリート最大の交差点。その十字路の真ん中には小さな花広場があり、さらにその中心には丸い池と見紛いかねない中央図書館の出入り口が見える。

 たった今、中央図書館の出入り口に二人の学生が足から飛び込んだ。


「見ろ、クラマ。お前初めてだろ? あれが入り口だ」


「地下にあるって事?」


「んまあ、詳しい事は入ってみれば分かる」

 何故か利用した回数もさほど多くないジュノがしたり顔をした。


 すると、びゅん、と連結した高速タイプのベクターが、ジュノ達を乗せたベクターを追い抜いて我先にと出入り口に飛び込んでいく。

 間もなくジュノ達を乗せたベクターも高速タイプに続くかたちで青白い池(でいりぐち)に飛び込んだ。




 ざっぶーん、と水しぶきを上げて出入り口から飛び出す。

 ベクターの辿り着いた先は、どこもかしこも書架だらけの六番街だった。

 そう、あの出入り口を通り抜けると、街は一瞬にして図書館へと姿を変えるのである。

 膨大な数の本を抱える巨大書架はまさに高層ビルだ。

 見るとその本に埋め尽くされたビルの外側を何人もの利用客が歩いていた。中には〝おかしな生き物〟の姿もあった。


「コンニチハ」


 貸出手続所を備えた書架にベクターがぺたっとくっつく形で止まり、ジュノ達が降り立つと、丁度そこへ〝おかしな生き物〟が現れた。

 見た目は中央図書館職員用の制服を纏う鈍くさそうな鳥だが、喋る間もつねに横を向いている。胸元のバッジには『司書補』とあった。


「お手洗いはアチラです」

 と反対方向を向いた際も、くるりと身を翻したがやはり横顔しか認められない。


 しかしそれもそのはずで、じつは彼らもまた人工妖精であり、誰が創造したのかは不明だが二次元の体しか持たないのだ。よって直進時には前方にいる相手に気づかれない事もざらで、横移動になったとき初めて「うお、いたのか」と気づかれるのである。

 最近雇われたのか、初めて見る姿に興味を惹かれたジュノは指が勝手に動くような感覚で脳内検索をかけ、謎めいた職員に関する情報をかき集めた。

 そして集まった情報を開こうとした矢先、周囲の風景にすっかり目を奪われていたクラマがぶつかってきた。集中力がぷつりと途切れる。


「成る程ね。あの出入り口を通ると、街全体が図書館になるのか。でもそんなに生身の本って需要あるの? 脳で検索すれば一発だし、機械使えばそっくりの本がすぐ作れるのに」


「はあ……。あのなー、お前、考えてもみろ。機械で理想の女がつくれるとして、生身とデータ、どっちを選ぶよ?」


「えっ。そんなの聞かれなくても――」


「ハイハイ分かってるって」

 手で制したジュノは、続ける。

「ま、つまりそういう事だ。本にしたって生身の紙がいいし、なるべくなら原本がいいってやつが世の中には腐るほどいるんだよ。おれは本なんて読めればどっちでもいいけどな」


 こうして一足先にジュノとクラマは脱落したが、唯一最後まで案内を聞いていたシャムエルに対して、横向き鳥の職員がぺこりとお辞儀をしてから去って行く。


「お前、よくあんなつまんねー案内を黙って聞いてたな」


 未だ周囲の風景に興味津々であるクラマの事は無視し、ジュノはようやく解放されたシャムエルに話しかけた。


「ああいう話を聞くのは嫌いじゃありませんから」

 にっこりとシャムエルは笑う。


「げえ。何かお利口さんの回答って感じの言い方だな」


「いえいえ感じではなく、現にお利口なんですよっ」


「ゲンニ・オリコー? 誰だそのやべー奴。何星人だ?」


「何星人って……やべえのはジュノさまの頭では……」


 思いも寄らない返しに意表を突かれ、ジュノは仰天する。

 即座に反応できなかったため苦し紛れの偽透視を強行して誤魔化すことにした。

「くっ……、見える、見えるぞ! 将来、おれの肉奴隷となったシャムエルが日に日に太り、ついには家の事を何もかもおれに押しつけて自分は菓子をぼりぼり貪り食う堕落しきった未来の姿が! しかも肉奴隷の分際でソファに横たわった状態で『やべーのはおまえの頭だろ』と冷たくおれをあしらっている!」


 ぎょっとしたシャムエルは目を白黒させた。

「はっ、反論しますっ! まず第一に、ワタシはジュノさまをおまえ呼ばわりはしません! 第二に、ワタシは横になってお菓子を食べません!」


「食うには食うのかよ」


「ちょ……ちょびっと。えへへ」


 恥ずかしさをごまかす笑顔にイラッとして、ジュノは思わず冷静になる。

「良し、決めた。おれ今日は魔導士さがしやめてダイエット魔法探す」


「えええええ!?」

 シャムエルの叫び声が館内に響き渡った。

 身近にいたせいで耳がキーンとなる程の直撃を喰らい、反射的に耳を押さえていたジュノは今にも卒倒しそうな顔をして見せる。

「おい……シャムエル、おれの鼓膜に恨みでもあんのか?」


「今のは凄かったね」

 同じようにクラマも耳を押さえてはいたが、仮面上では目がぐるぐる回っている。


「すみませんちょっぴり大声出し過ぎちゃいました」

 かたやシャムエルは耳ではなく口を押さえていた。


「ったく……。まあ、きゃあきゃあ甲高い声で騒ぐ奴らよりはよっぽどいいけどな。でもシャムエルみたくうるせー奴がいると……」

 そこでジュノは何かを思い出したように、あ……、と目を丸くした。

「そういやこの図書館って無料で配ってなかったか? あの耳に貼るやつ」


 すると、遠くのほうから横向き鳥の職員が走ってきて、ジュノ達の前でキキッーと鋭いブレーキをかけて止まった。


「お客様、どうぞこれを」


「お、おう……」


 驚くべき対応のすばやさに困惑しつつ、横向き鳥の職員が手渡してきたものを見ると3枚のシールを持っていた。


「これはあぶみ骨辺りにぺたっと貼るだけで外部からの音をシャットアウトできる素晴らしいアイテムです。貼ったあと指で触れながら特定の音を認識させれば、その音だけを聞くことも可能なのでどうぞご利用下さい」


 それでは――、と再びお辞儀をして横向き鳥の職員はびゅーんと走り去る。


「ん? そういや……館内は走るの禁止じゃなかったか……?」

 と気になって辺りを見回し、ホログラムで表示された館内における注意事項を確かめると、確かに走る行為は禁止になっていたがその下の注釈には『職員は例外』とだけ書かれていた。どうやらジュノの知らない間に中央図書館には新たな秩序がもたらされたらしい。




 程なくして、各自シールに互いの音声を認識させたジュノ達は、旧冥王族について書かれた歴史書などが置かれている書架を訪れた。

 自分たちより数倍も高さのある本の壁を目の前にし、ジュノは思わず「うわー……」と絶望してしまう。

 そこに、何気なく目の高さにある本を手にしようとしているクラマが話しかけてくる。


「わざわざここを調べさせるって事は、いくら検索かけても見つからないって事だよね? そこちゃんと確認した? 散々調べたあとで検索かけたら一発でヒットしたとか言ったら、ぼくキレて趣味に走るよ?」


「ああ、安心しろ。そこはウズハに確認済みだ。今朝、メッセージでやりとりした時に聞いた」


「じゃあやっぱり直接探すしかないって事だね。そういえば、シャムエルちゃんは本当に『天使の庭』にその人がいるって情報しか知らないの?」


「はい……。力になれなくてすみません……」


「何もシャムエルちゃんが凹むことはないよ。別に見つからなくてもぼくらは困らないし」


「おいっ! それでもお前はおれの友達か!?」


 クラマは手にした本をぺらぺらめくりつつ、

「よく言うよ。思うんだけどさ、ジュノの『友達』って言葉ほど安いものはないよね」


「……言えてる」


「いや、そこでいきなり優しく微笑んで媚びても価値は上がらないよ?」


 呆れ返った様子のクラマは、さりげなく本棚の間に配置された読書スペースへと向かい、そこにある椅子に腰掛けた。このまま下らない話を続ける気はないという意思表示だろう。

 その姿を見てジュノも、だったらおれも座るしかないな、と席につく。

 続いてシャムエルも二人にならう。


「…………いやキミ達やる気ぜんぜんない!?」

 真っ先にツッコんだのはクラマである。


「お前がいの一番に座ったんだろ」


「いやそうだけどさ……、ぼくはほら一応本持ってきてるし! 二人も本持ってきて調べてよ! まさか、ぼくだけにやらせようとか思ってないよね!?」


「お前それ……名案だな。よく気づいたぞ、虫けら」


「いや真面目な顔で言われても嬉しくもなんともないけどね! とにかく真面目にやって……虫けら!? 言うに事欠いてぼくを虫けら呼ばわりするなんてキミ、ぜったい後で後悔するよ!?」


「――ったく、しょうがねーな」

 文句を垂れつつジュノは重い腰をあげる。

「本気で怒るなよ。何だかんだ言いながらもちゃんと手伝ってやるから」


「そうだよ。そうやって始めから協力的に……って、手伝ってるのは、ぼ・く!!」


 あえて背を向けてバイバイと手を振った。ガミガミうるさいミミズ野郎を尻目に、ジュノはシャムエルを連れて退散するように本棚へ。


 街中と同様、ベクターが往来するメイン通路にほど近い一角を目指す。

 辿り着くなり、ちょこんと屈んで下のほうにある本を覗き見るシャムエルの傍らに立ち、ジュノは目線よりすこし高いところの本を適当に取って開いた。


 ここ中央図書館に貯蔵されている本の多くは経年劣化を知らない紙で出来ており、力ずくで破ろうとしても1ミリたりとも裂けることのない強度をもっていた。それなのに質感はとてもそうとは思えないほど柔らかい。

 ただ、だからといって本をじっくり読みたくなるわけではない。文字の容赦ない集団攻撃をあと70パーセントくらい和らげてくれれば今よりは興味を持てるようになるだろう。

 中にはめくるたび頭の中にふっと映像が飛び込んでくるモノもあるが、それはそれで無理やり他人の人生や思想を押しつけられているようで、ジュノとしては不愉快でしかなかった。

 久しぶりに本に触れたジュノはふと昔のことを思い出した。


(そういや、あのクソジジイも何冊か本を持ってたな……。ああ、あのツインテールのモデル可愛かったなー……)

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