第10話『ミッション』視点:ジュノ

 本から外に出ると、植物だらけだったはずの部屋はもぬけの殻で、その部屋の借り主もいなくなっていた。

『部屋は好きに使ってくれていいから。家賃は私が負担する』

 どうやら腹黒ウズハの言葉は真実だったらしい。


「おい、大丈夫か?」

 ジュノが手の届くところに倒れていたシャムエルの元へにじり寄る。


 すると彼女の両目がカッと開いた。

「今の――、夢ではありませんよね?」


「だったら良かったかもしれないな」


「成る程。という事はあの人の情報がワタシの口から漏れたのも事実ですね……」


「あのなー、無理やりだぞ? お前に落ち度はない。あんな状況じゃあおれだってペラペラ喋るし、むしろ協力しましょうかぐらい言うぞ、簡単にな」


「あ、別にワタシはショック受けてるわけではありません。ワタシは最低限のことしか知らされてませんから。それよりあの黒い方が何故ルオル・レガさんの居場所を知りたかったのか、そこが気になるんです」


 深淵のごとくこちらを覗きこむ、冥王族の妖艶な眼。

 我ながら厄介な奴に目を付けたものだとジュノは思った。面倒な知りたがりがまた一人増えたと思うと気が滅入る。


「……理由はだな」


 かくかくしかじか。

 丁寧な説明を受けるとシャムエルは、さすがジュノさまの分身、目の付けどころが違いますね、と感心してこくこくと頷いた。

 見たところ薬を打たれた事は微塵も気にしていないようだ。


「確かにルオル・レガさんの魔法を魔術として保存してしまえれば、一時的ですがお二人は一つになれますし、もし今のところ元に戻る具体的で確実な魔法がないのであればそれを開発するきっかけにもなり得ます。頼ってみる価値は十分ありますね」


「だけど、そう易々と会える相手なのか? 今思い出したけど厳重に保護されてるって情報を何かで見たぜ」


「その通りです。一部の人しか接触はできないとワタシも聞かされてます」


「思いっきり絶望的じゃねーか……」


 するとそこへ、ガチャリと扉をあけてクラマが帰ってきた。

「うっーわっー! 何があったのこれ」

 驚くのも無理はない。

「喜べ! クラマ! 今日からここに住むぞー!」

「へえ!?」


 本棚のあった3階から1階を見下ろすと、どこで手に入れたのやらクラマは、高級そうなワインレッドのローブを着てフードを被り、その下に奇妙な仮面をつけていた。


「――って、何だよその格好」


 ジュノが聞くと、クラマはフードをぺろっと下ろしてしめしめと笑う。

 今までとは打って変わってそんなふうに感情が読み取れるのは、白い地に子どもがクレヨンで落書きしたような、それでいてなかなかの鋭さをもった両眼が案外うまく彼の感情を表現してくれるからに他ならない。


「いいでしょう! 実はこの仮面、ドゥーガルなんだよね。あ、ジュノ、ドゥーガルもらってもいい? なんか結構仲良くなっちゃってさあ」


「嘘だろー? ふざけるなよ。ドゥーガルはおれの4人目の女なんだぞー?」


「はああ!? ドゥーガル……って女の子だったのお!?」

 と本気で言っているらしいクラマに、ジュノは言葉を失う。

「……あー、いや冗談だ、悪かった(面白そうだから訂正するのはやめておこう、ププ)。ていうかドゥーガルについてはまた後でな。それより色々説明する事があるから全員一階の会議室に集合しろ」


「ほえ? 会議室ってどこです? ここはもう全部もぬけの殻になってしまってますが……」


「おいシャムエル……、お前なー、こういう時はただ適当に『いえっさー!』でいいんだよ。おれはただ会議室って言いたいだけなんだ」


「い、いえっさー!」


「よし。では一階会議室に集合!」


 そうして一階の家具も何もない部屋の中央に三人は座り、そこでジュノはクラマにも理解してもらうよう色々と説明した。

 魔法や魔術というものが存在するこの世の中で、ジュノとシャムエルが経験したことはさほど珍しくない。だから、黒ジュノに関しては本の中にいるなんて物好きな奴だなー程度に珍しいと思っても、起きた事自体は順を追って説明すれば、ほうそんな事が、で済んでしまうのである。


「ふぅん……、なるほど。それでジュノはハーレム目当てで前向きに協力する事にしたんだね」


「人聞き悪いぞクラマ。おれは自分の半身を取り返すために致し方なくアイツに協力する事にしたんだ。それと――、おれの事はこれから〝エージェントジュノ〟と呼べ」


「致し方なくどころか滅茶苦茶ノリ気じゃないか、君」


「とにかく、そういう事だ。いいな?」


「はいはい分かったよ。って……、いいな? ってどういう意味?」

 クラマは大きく首を傾げた。

「どういう意味も何も、お前らも手伝えよ」

 一瞬、え? とクラマは固まり、

「何で!? それに関しては君の個人的な問題でしょう!?」


「いやそこはほら、おれ達の友情が試されるっていうか、一蓮托生? みたいな?」


「適当なこと言うならせめてしっかりまとめてから言いなよっ! そんな事これっぽっちも思ってないのは君の目を見れば明らかだっ!!」


「うわめんどくせー。お前超めんどくせー」


「いやいやいや! ジュノ! 君ねえ!」


 一歩踏み出すように前のめりになるクラマを見て、まずいこのままだと喧嘩に発展するかもしれない、と耐えきれなくなったのかとうとうシャムエルが仲裁に入る。


「まあまあ、お二人とも。どうどう。とりわけクラマさん――。今ここにいるという事は、少なくともクラマさんだってここにいるのが心地良いと少しは感じているわけですから、ひとまず一度くらいジュノさまに付き合ってみるのもいいのではないでしょうか? ものは試しですよ」

 にこっと笑うシャムエルは、男なら誰でも落とせそうなくらい隙だらけだった。


「それにたとえ建前であっても、実際にジュノさまのお口から『友情』という言葉も発せられたわけですし、友達ゲットのチャンスです!」


「や……やめてよ……、その言い方、まるでぼくには友達がひとりもいやしないって言ってるように聞こえるんだけど……」


 シャムエルはハッとして口を自ら塞ぐ。

「す、すみません。つい……」


「ああ、いや、うん、ついなら仕方ないね」


「仕方ないもクソもお前、友達いねーだろ」


「君は黙ってて!」


「――でだ。諸君」

 唐突にジュノが話題を変える。

「たった今、エージェントウズハからメッセージが届いた。今すぐ中央図書館に迎えだと」


「……はあ」

 話を聞くなり、どうにか自制心をもって怒りを抑えたらしいクラマはふと上を見上げ、何か唸り始めた。

「うぅぅん。といっても今からはしんどくないかい? 正直なところ、ぼくもう眠たいよ。い・ま・の! やりとりで究極に疲れた」


「確かにそうですね。ジュノさま、出発は明日の朝にしません?」


 見るとそう言うシャムエルの目もだいぶ眠たそうにとろんとしている。


「ハア。まったく。これだからお子様は」

 やれやれとジュノは首を振って、

「分かった。お前らの為にあの腹黒むっつりスケベ女を説得しといてやるよ。――で、次は、誰がどのベッドで寝るか話し合わないとだな」


「え?」

「はい?」


「おぃー、気付けよー。有能なおれが既にベッドを用意してやったんだぞ? さあ左右好きなほうを選べ。いっとくけど、真ん中はおれが予約済みだから選んでも無効にしてやる」


 自ら会議室と呼んだ一階に、いつの間にかベッドをちゃっかり召還していたジュノに対して、他の二人が『いちばん寝る気まんまんなのは誰だろうね』と呆れている最中、当の本人は「どっちか電気消せよー」と言い置いていち早く真ん中のベッドに飛び込んでいった。




 翌朝。

 だらだらといつまで経っても起きないジュノをシャムエルが一生懸命起こし、結局6時半起きの8時半出発となった。

 しかし出発間際になって問題が起き、三人はドア前で揉め出した。


「だーかーらー、ぼくは嫌なの!」


「おーまーえーなー、三人分のベクター乗車賃とそれ以外に必要とする時間の浪費がどんだけ無駄か分かってねー様だな? 竜骨座のベクターといったら他と比べて高いって有名だろ?」


「だからって何でぼくが残り2回の転送魔術をここで使わなくちゃいけないの!?」


「しょーがないだろ! おれは今月の頭ですでに使い切ってるし、シャムエルはあの湖に行く為に使ったので最後だったんだ。残るはお前のやつだけなんだよ」


「じゃあこの際だからいっておくけど! 月額9000クレジットも払ってるんだよ、ぼく! それでもぼくのを使うっていうの!?」


「……え」

 聞いてジュノとシャムエルの二人は固まった。


「お、おまえ、何、まさか、一ヶ月30回コース契約してんの?」

「うん」

「そ、それは確かに、最後の2回を往復に使ってしまうのは申し訳ないですね……」

「そっかー……、まあ……、『一人はみんなの為』だ、我慢しろ」

「あれ!? ちょっと! その続きはどこいっちゃったのさ!?」

「んなの知るか。黙れ」

「ひどいっ! ぼくのやつを使おうとしてるのに黙れってなに!?」

「よし分かった。そこまで頑なに拒むっていうなら、今回は契約違反して勝手に転送魔術を発動するか? おおん? 仲間に契約違反させてお前は心痛まないのか? おおん?」


 彼なら言い出しかねないとある程度予想はしていたのか、クラマはジュノの言葉を聞くと大きくため息をこぼした。


「やっぱりそう来る……」


「まあ既に指名手配犯のクラマには契約違反なんて屁でもないだろうけどな」

 と言った瞬間、ジュノの服をシャムエルが掴んだ。


「待って下さい! 違反はいけません! 必ず監視者に見つかって魔導公正局から何らかのペナルティを受けますよっ」


「だろうな。でもクラマが非協力的な態度を取るんだからしょうがねーだろ。嫌だったらコイツの顔を足で踏みつけるくらいの事をして説得してくれ」


 言われた本人――クラマの仮面上の目がつり上がった。


「勝手にぼくをマゾ扱いしないでよ。いい加減ぼくも怒るよ?」


「いいぜ、思う存分怒れよ。そのかわり協力はしてくれ」


 天井を仰いだクラマは、ジュノはもう意地でも折れない気だと察したようで、参ったよと大きく溜め息をついた。


「じゃあ協力する代わりに何か見返りが欲しい。それなら残り2回とも使ってもいいよ」


「……良し、なら」

 と言ったところでジュノはハッとした。

 ここでようやく自分が罠にかかった事を自覚した。

「クソっ! 意地汚いミミズめ! はじめっからドゥーガル目当てでおれを交渉の席に着かせたな!? おれがこの場でお前に提示できる交渉材料といえばそれしかねーもんな!?」


「いやいや、偶々だって。それにぼくは君が思ってるほど狡猾じゃないよ。えへへ」


「くー! なんてムカつく野郎だ!」


 歯を食いしばるジュノの傍らで、シャムエルがホッと胸をなで下ろす。

「話はどうやら付いたようですね。では出発しましょう。予定より2時間ほど遅れてますが……」


「ああそうだな! ベクターの中でお前にこの苛々をぶつけてやるから覚悟しとけ!」


「えええ!?」

 驚くシャムエルは、しかし直ぐさま冷静になり、

「……あれ? 今ベクターの中でって言いました? 移動は転送で済ませるんじゃ……?」


「確かにさっきまではそのつもりだったけど、たったいま気が変わった。旅行ってのはただ目的地に着けばいいってものでもない。そこまでに至る道のりも大事なんだよ(考えてみれば、早く着きすぎてその分こき使われるのは御免だ)」


「ナルホド……」


「ならジュノ、ぼくの転送魔術はいつ使うんだい?」


「さあなー」

 と、早くも興味が失せたように生返事をして、ジュノはドアを開けた。

「とにかく行くぞ。今(頭の中で)調べたらここから近いプラットホームにもうすぐベクターが来るらしい。ついでにプラットホームまでの移動手段も既に確保済みだから安心しろ」


 急いで建て増しによるデタラメ建築様式のマンションを出ると、朝の清々しい太陽が照らし出す目の前の道にカメラレンズ型の自動移動装置が待っていた。早々にジュノが手配したものだ。

 それに乗って多頭の竜の一つ――六番街――まで向かい、六番街外壁出入り口からぺろりと食べられるようなかたちで内部へと入っていく。


 言うなら一瞬で通り抜けられるトンネルを通った自動移動装置は、そのすぐ先の角を折れてぴたりと止まった。今回利用するプラットホームは宙に浮くものではなく、バス停のように地上に設置されたものである。


 見ると、竜の内部を休まず動き回るベクターの専用プラットホームには既に2つベンチが出来上がっていた。

 乗客用ベンチは、指定された箇所を足でコンコンコンと、三度叩けばベンチが地面からぼこっと現れる仕組みになっている。注意書きを見ると、アヴィオールでは一つのプラットホームにつき3つが最大らしい。

 一つ目のベンチには仲睦まじい親子が座っており、二つ目のベンチには一人で三人分は埋めているであろう巨体の持ち主が座っていた。


 巨体の持ち主は見るからに人ではなかった。

 なら何かというと、毛むくじゃらの巨体に年老いた執事を思わせる髭をもつ、姿は違えどドゥーガルと同じ人工妖精である。そして何故か彼は、高級そうなスーツにシルクハットを被っていた。


 ジュノ達は自動精算にて乗車賃を支払ったあと自動移動装置から降り、巨大な妖精の後ろにベンチを作る。

 案の定、座ると前方は巨体に隠れてまったく見えない。


「邪魔くさいなコイツ」


「シッー!」


 ぼそっと文句を垂れたジュノに対し、シャムエルとクラマが瞬時に口を慎むよう要求する。


「はいはい。分かった分かった」


 だがまた少しすると、

「ベクターおせーな。……てか、コイツ、ボディサイズ的にベクターに乗れるのか?」


「シッー!」


 分かったって言ったくせにまだ言うか! とシャムエルとクラマは必死の形相で訴えかけてくる。


「待ておれは疑問に思ったことを素直に言っただけ……」


「それでもダメです!」

 カッと両目を見張って迫ってくるシャムエルの迫力に、ジュノはこくこくと頷く他なかった。


 程なくして時間通りベクターはしたが、先に待っていた親子が一番に運ばれていく。そしてその次にやってきたベクターには三人ともが注目した。何だかんだ言いながらもシャムエルとクラマも巨体の乗せ方が気になっていたようだ。


 妖精が立ち上がって移動を開始する。

 次の瞬間、軽自動車ほどのベクターの丸いボディがぼこっと膨らみ、スライム状の運び屋は臨機応変な対処をさらりとやってのけた。相当慣れているのだろう。


 それから待つこと2分後、ようやく次のベクターが滑り込んできた。

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