第67話 ハンニバルは勝利できなかったのか?
第二次ポエニ戦争でハンニバルはローマに勝つことができなかったのでしょうか?
歴史にIFはないですが、こういうの好きですので書いてみます。
●カルタゴについて
カルタゴという国は経済大国として歴史の教科書に載っているが、実はこのカルタゴ、少々やっかいな国である。
古来から「カルタゴ」という言葉は、裏切りを意味する言葉として用いられる。そんな意味が生まれるほど、カルタゴとは、歴史的にみて人間性の極めて悪い国家であった。
例えば、敗北した軍司令官は処刑し、国民相互間の不信感も強い。その上、嫉妬心はどこの国民より高いととんでもない国家であったのだ。
カンネーの戦いに勝利したハンニバルは本国に、いまこそローマを滅ぼすチャンスと、弟のマゴをカルタゴに派遣し、数万の増援部隊を要請したが、カルタゴ政府はハンニバルがローマに勝利してしまうと、一大英雄を生むのではないのだろうかと危惧し、勝利を歓迎しない空気がうまれたため、ハンニバルに増援した部隊は、たった騎兵4000とゾウ40頭だったのだ・・・。
●ハンニバルについて
ハンニバルは、いうまでもなく歴史上に燦然と輝く偉大なる戦術家である。彼の騎兵を使った戦術と別働隊の戦術は、まさに画期的かつ、歴史を変えるほどの戦術であったといえよう。
では、彼の性格に問題はあったのだろうか?
人格としては覇王の素質が充分であったと言える。しかし、フィリッポスの不屈の精神を受け継ぎ、不退転にペルシアを滅ぼした息子アレクサンドロスと同様、ハンニバルもまた、父ハミルカルの意思を継ぎ、ローマを滅ぼすことにこだわった。もし、ローマと有利な条約を結んで戦争を終わらせるという意志で望んだのなら違う結果になっていたかもしれない。
●共和制ローマ
ローマの統治はこの時代強固に結ばれており、同盟都市間の結束はかたかった。それを如実に示す事実は、ハンニバルが、カンネーの戦いに勝利後、ローマ同盟都市に離反をするよう画策するが、それはかなわなかったことからわかる。また、ローマはその昔から軍事能力に優れていたと言われている。そのローマの軍事とはどのようなものだったのだろうか。
●ローマの軍隊制度
アレクサンドロスが世界を制したことで、マケドニア式のファランクスは、ローマにポプリテスとして取り入れられた。紀元前405年以降、将兵には給与が支給されるようになったが、武器や装備も自前でなく官給品が与えられるようになった。ここにおいて、ローマの部隊には統一性が生まれ、市民の貧富の差が、軍務においてはみられなくなった。
歩兵も当初資産によって、装備の差があったのだが、統一されより組織的な行軍が可能となった。
当時のローマは徴兵制度をとっており、第二次ポエニ戦争時の動員力は10万人は超えるといわれていた。これに対し、カルタゴ軍は、基本は全て傭兵によってできており、そのため軍を組織するには常に貨幣が必要だったのだ。幸いなことに、スペインで銀山が発見され、ハンニバルはこの銀を使って精強な傭兵を雇い入れたのだった。
組織された軍隊と寄せ集めの軍隊、どちらが有利なのかは明白なことであろう。
●ローマの軍組織
執政官と呼ばれる政治的な権力者が、軍司令官という制度であった。複数の執政官がいる場合は、当初一日ごとに指揮を交代するといった問題ある制度があったのだが、後に改められた。
カンネーの戦いに参加した執政官パウルスとワァロは、馬鹿げた一日交代の指揮をこの決戦の舞台で行っていたというから驚きだ。
また、執政官が軍司令官を兼ねる制度は、たびたび、軍事の専門家でない人物が指揮することもあり、問題の多い制度であった。
●第一次ポエニ戦争の戦争経過
ざっと箇条書きにすると
■紀元前265年、シュラクサイ(大航海時代のシラクサがある都市)の傭兵隊がアガトクレス王の死後、解雇されたが解散せず、北上してメシナを占領。
■その後も傭兵隊は周辺に害を及ぼしたので、シュラクサイ国王ヒエロン二世は、傭兵隊を討伐することを決意。
■シュラクサイ軍は見事マルメス傭兵隊を撃破、さらに追撃するためにメシナに向かう。
■敗北必死なマルメス隊は、ローマに援助を持ちかけ、ローマはそれに答え、これに対し、ヒエロン二世は、カルタゴに支援を受ける。
■紀元前264年、ローマはメシナ近くに上陸し、シュラクサイ軍、カルタゴ両軍を撃破。そしてメシナを占領したローマ軍はシュラクサイ近郊へと迫る。そのため、ヒエロン二世はカルタゴと縁を切り、ローマと結ぶ。
■ヒエロンがついたことにより、アグリジェントを除く多くの都市国家はローマにつく。アグリジェントを支援するため、カルタゴは、5万の兵を率いて駆けつける。
■開戦から二年後、ローマ軍は、カルタゴ・アグリジェント連合軍を破る
■さらに軍を進めようとしたローマは、海軍力がなかったため、急遽海軍を増設し、カルタゴと決戦する。
■紀元前260年ミレ沖合いにて、カルタゴ・ローマ両軍が激突。接舷戦法を編み出したローマがカルタゴに完勝。
■この戦いの勝利によって、シチリア島の反ローマ勢力は一斉にローマに鞍替えする。
■制海権が生命線のカルタゴは、350隻の大艦隊を率い、シチリア島南部に派遣。これに対しローマは330隻の艦隊で迎え撃つ。そうして、アグリジェント沖で開戦した戦いは、ローマ側被害30隻、カルタゴ側被害100隻というローマの完勝に終った。
■海戦の勝利に勢いに乗るローマはカルタゴの本拠地近くに上陸すると、周辺の都市を襲撃・略奪し、多くの財貨を本国に届け、いよいよカルタゴの本拠地チュニスにまで軍を進める。
■窮地にたったカルタゴは、シキリア島から歴戦の勇将クサンティポス率いる傭兵隊16000人と戦象100頭を呼び戻し、15000人のローマ軍と激突する。このチュニスの戦いでは、クサンティポスが完勝し、12000人のローマ人が戦死した。
■この戦いのローマ側の生存者は2000人となり、ほうほうのていで本国の救援部隊の艦隊に収容されるも、シキリア島の南岸で台風に襲われほとんどの乗組員が溺死した。
■紀元前254年、ローマは、カルタゴの拠点パレルモを占領
■紀元前250年、ついにローマは、カルタゴの最後の要塞リュリュバイオンの港を120隻の艦隊で海上封鎖すが、カルタゴ軍の奇襲を受け90隻を失う(ローマ史上最大)。残りの艦隊もまたも台風に合い、2隻を残し沈没。
■紀元前247年、カルタゴでハミルカル・バルカス(ハンニバルの父)が、陸海軍の軍司令官に抜擢される。
■ハミルカルの型破りの作戦行動開始。その内容は、リュリュバイオンに固執するのではなく、地理的に有利なパノルムスに拠点を移す。
■カルタゴ軍、パノムルスを攻略
■ハミルカルがパノムルスに迫るローマ軍を全て撃破。さらに、エリチェスを占領。このため、ローマ・カルタゴが互角の状況になり、一進一退が続く。
■紀元前241年、エリチェスの西方海上で、ローマ海軍はカルタゴ海軍を攻撃し、120隻を撃沈。
■エリチェス沖の海戦で、カルタゴ首脳部は一気に講和の方向に傾き、ローマとの屈辱的な和約を結ぶ。
第一次ポエニ戦争を箇条書きで書いてみましたが、この第一次ポエニ戦争は、第二次に影響を与えた部分が多々あります。
●海戦ではローマの接舷に歯がたたない
カルタゴは第一次ポエニ戦争で、いくつかの大規模な海戦を行っていたが、まったくローマに歯が立たなかった。このことで、カルタゴはローマと戦争するには陸戦しか選べなくなった。
※諸説あります。最終戦に挑む前にカルタゴは海軍の増兵をやめなければ勝っていたとも言われてます。
●ハミルカルの戦術
ハミルカルの一見大胆だが、地理的・戦略的に有利な陣地を取得して、そこから作戦行動を行うという精神は、息子ハンニバルの一見無謀にも思えたアルプス越えにつながったのではないだろうか。
●カルタゴ本拠地上陸作戦への反対
ローマのスキピオは、ヒスパニア(スペイン)を占領した後、カルタゴの本拠地を叩こうと元老院(ローマ政府)に提案したところ、猛反対された。これは、第一次ポエニ戦争で、痛い目にあっていることに起因すると思われる。
海戦で勝利できないカルタゴにとって、ローマと戦うには、アルプスを越えて後ろから攻められないように、地理的に安定するためには、必須の戦略だったのかもしれない。
これを踏まえた上で、ハンニバルは勝利できなかったのか? を検証します。
●ハンニバルは勝利できない
勝てない!これが結論です。ハンニバルが第二次ポエニ戦争を軍事司令官として戦った場合、どのような作戦をとっても勝つことはできなかったと予想。この予想は、ハンニバルが、どの者にも追従を許さない戦術家だったとしても。
★理由その1★
どれだけ勝利を積み重ねようとも(カンネーまで続く戦いであれだけの勝利をおさめていた)、カルタゴ本国はハンニバルをサポートしない。
★理由その2★
ローマの結束は高く、内部崩壊しない。その上、ローマは、最後の一人になるまで兵を動員する。そのため、いくらハンニバルが勝利を重ねようともローマを崩すことができない。
以上の理由からカルタゴはどのような手段をとろうとも勝つことができないと予想。カルタゴは、傭兵で軍を編成していて、その元になったのはヒスパニアの銀であって、ハンニバルがイタリアにいて、カルタゴ本国がサポートしないなら兵の増強は厳しい。それに対し、ローマは徴兵なのでいくらでも兵が動員できる。
有限の兵が無限の兵に勝つことはかなわないだろう。
●そんな寂しいこというなよ
もっともです!ハンニバルの性格、カルタゴ政府の性格を考慮するとどう考えてもカルタゴは勝つことができません。では、ハンニバルかカルタゴどちらかが変われば勝利の道がみえてくる・・・・。では、それはどのようなケースになるんでしょうか。
■ハンニバルの性格をいじってみる その1
ハンニバルはローマを徹底的に叩き打ち滅ぼすという傾向があった。ここがローマに敗北した一つの原因と思われる。そうでなく、ローマに対し、有利な形で講和するという方向なら現実的でなかろうか・・。
カンネーの戦いの勝利後、すぐさまローマと講和できれば、有利な条件で講和できる。講和条件はこのような形ならローマも受け入れるかもしれない。
★ローマの同盟都市ザクントゥムに関し不問にする
ザクントゥムをハンニバルが攻めたことによって戦争の原因となった。
★第一次ポエニ戦争の屈辱的な賠償金の返還
★今後50年の間友好関係を約束する
かなり弱気な講和条件であるが、実質ローマのほうが軍事面ではかなり優位なので、受け入れるのが容易な条件を出してみた。
この講和にはもちろん、カルタゴ本国の方針が180度変わることも必須。
●動きを変えてみる
アルプスを越えて、ローマ本拠地を攻めるという方法は戦略的に見てこれしかとりようがないくらい優れているものと思われる。あえて、アルプスを越えなかった場合を予測してみる。
ザクントゥムを攻略したハンニバル。カルタゴ本国の増援が望めないため、マゴにハンニバルの本拠地カルタゴ・ノヴァを任せ、ハンニバルはザクントゥムに居座りヒスパニア・南フランスの足場固めに専念する。
すでに、ローマからカルタゴへザクントゥムに対する非難とともに、戦犯のハンニバルの引渡し要求がなされているが、これはカルタゴ本国は無視。
すると、ローマはハンニバルを叩くため、ザクントゥムに兵を派遣するだろう。これに対しては、戦術の天才ハンニバルの敵ではなく、ローマ兵を撃退するだろう。
ヒスパニア・南フランスで地盤を固めたハンニバルが向かう地の選択が難しい・・。 アルプスを越えないとするならば、海路イタリアに上陸するか、海戦でローマに勝利しなければならない・。
こうなってくると戦線は膠着するが、マルセイユまではハンニバルならば攻略できるだろう・・。南フランス一帯のローマの同盟都市を落とした時点で講和するというのが現実的だろう・・。
●カルタゴ本国が挙国一致体制をとったなら?
これは話はすごく早い。ハンニバルがカンネーの戦いに勝利後、ありあまる経済力を使って10万単位の傭兵を動員し、一気にローマを叩く。(これで戦線が膠着すればカルタゴは敗北する)戦いを短期間ですませれるかどうかが勝利への道だろう。
史実では、ハンニバルは首都ローマに到達できなかったが、動員した兵力全てをもって首都ローマを叩ければ勝利は見える。
とまあ・・かなり厳しいっすね・・。あらためてローマはすごい強国だなあと思い知らされました。。
※これは2005年に妄想した記事です。こういうIFの妄想が好きなので関連作品を改めて小説で起こすかもしれません。
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