第66話 「名もなき名将」ピュロス

 時代はアレクサンドロス大王の遠征時代にさかのぼる。


 アレクサンドロスはイッソスの戦い(前333年)でついに、アケメネス朝ペルシャの王ダレイオス3世の主力軍を打ち破る。

 これによって、エジプト地方を制圧したアレクサンドロスはついにペルシアの本拠地に攻め込む。

 ガウガメラの決戦でアレクサンドロスが勝利(前330年)し、ペルセポリスは破壊され、ダレイオス3世は旧ペルシア領バクトリア州の長官ヘッソスに殺害され、アケメネス朝ペルシアは滅亡(前330年)。

 アレクサンドロスはその後、インドにまで攻め込むが、バビロンにて病死する(前323年)。

 アレクサンドロスの後継者が亡くなると(前310年)、アレクサンドロスの有力武将たちで、後継者(ディアドコイ)戦争が勃発。


 アンティゴノスがマケドニアを。

 セレウコスがシリアとオリエントを。

 プトレマイオスがエジプトを。

 後継者は全て、自分がアレクサンドロスの後継者にならんとして、それぞれつぶしあう。

 アンティゴノスがエジプト遠征をしたときに、プトレマイオスはアンティゴノスと組み、イプソスで迎え撃つ(前301年)。

 この戦いで、勇猛な将軍として名をはせたのが、ピュロスである。ピュロスはこの戦いで、プトレマイオスと接近し、彼の娘を娶(めと)り、エピロスの王の座を奪取する。


 ピュロスはエピロスの王子であったが、幼少のころ、国内の内乱のため国を追われていたのだった。


 エピロスの王の座を奪取したピュロスは、当時ローマが圧迫していたタレントゥムの援助の要請を受け、ローマと戦いに赴く。

 シーリス河畔の戦いでピュロスはローマを破った(前280年)。かなりの犠牲を払い、敗北をローマに味あわせる(当時のローマは勃興期で負け知らずの強さを誇りました)。

 しかし、ピュロスはローマ兵の精強さに舌を巻いたという。

 この戦いに敗れたローマはカルタゴと同盟し、ピュロスに備える。しかしピュロスはアスクルムの戦いでローマを再び破った。

 ただ、ピュロスがこの二つの戦いで得たものは少なく、多大な兵を失ったにすぎなかった。

 その後、ローマにルカニアで大敗北を喫しイタリアを撤退する(前275年)

 彼はエピロスに帰国後、スパルタとの戦いで戦死した(年不明)。


 ピュロスは歴史上有名な将軍ではないが、確かに名将であった。無敵のローマに勝利したのだから・・・。

 ただ、ローマのことわざで「ピュロスの勝利」という言葉があるが、この意味は、多大な労力を払ったにもかかわらず、実入りが少ないことである。


 ここでカルタゴはローマと同盟せずにピュロスについていたら……歴史は変わっていましたね。

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