第65話 「熱い男」デメトリオス
デメトリオスは、アレクサンドロスが没した後、彼の後継者争いで戦争が続いていた時代の人です。
あの時代は入り組んでわかりにくいので、簡単に紹介いたします。
●ヘレニズム時代
デメトリオスの生きた時代は、世界史ではヘレニズム時代といわれています。
ヘレニズムとは、広義と狭義の二つに使われ、広義にはヨーロッパ文明の二大基調であるギリシア精神を意味する(もうひとつはヘブライズムと呼ばれるキリスト教につながるもの)。狭義の意味はこの時代に関係ないので割愛する・・。
ヘレニズム時代は、前334年から前30年の約300年間をさす。
◆解説
教科書的な意味は、いまいちわかりにくいですので、簡単にこの時代に起こったことを・・・・。
1、アテネポリスが衰退し、マケドニアが勢力を拡大。ギリシアを統一。
2、アレクサンドロスが大帝国を築き、ギリシア文化が世界各地へ広がる。
3、アレクサンドロスが没したあと、後継者争いで群雄割拠。
といったことが起こった時代です。
ヘレニズム時代とは、強引な解釈でいくと、ギリシア文化が世界各地の異文化と融合した時代と覚えておいて、問題ないと思います。
●デメトリオスが出る前の簡単な歴史
ギリシア北部のマケドニアが、フィリッポスのもとで勢力を拡大し、ついにはギリシアポリスの雄アテネとテーベとカイロネイアで決戦をし、これに勝利。こうして、マケドニアはギリシア世界を支配することになる。
フィリッポスが暗殺されると若干20歳で息子アレクサンドロスが王位につく。彼はアケメネス朝ペルシアを滅ぼし、ついにはインドまで遠征しこれを支配。こうして史上空前の大帝国を築き上げる。
しかし、帰路オリエント地域の都市バビロンで、前323年初頭、謎の熱病に犯され没する。
突然のアレクサンドロスの死によって、帝国内はおおいにみだれる。それは、彼の後継者が、フィリッポス2世が賤しい身分の女に生ませたフィリッポス3世とアレクサンドロスとソグディアナの豪族の娘との間に生まれた子供がいて、二人で共同統治したのだが、前310年までに王家は断絶してしまう。すぐに王家が断絶したことによって、アレクサンドロスの元部下たちがこぞって、
「我こそは後継者だ」と争うことになり、群雄割拠の時代に突入する。
アレクサンドロスの部下の一人であったカッサンドロスは、アレクサンドロスの異母弟のフィリッポス3世・母・子のアレクサンドロス 4世・妻を次々に殺し、大王にゆかりのあるものはこれでいなくなる。
こうしていよいよ本格的に、後継者争いはスタートしたのだった。
これら後継者争いした有力な武将の一人がアンティゴノスで、彼の息子が今回の主役デメトリオスである。
アレクサンドロスの元武将カッサンドロスによって、アレクサンドロスゆかりの者は駆逐されてしまいます。カッサンドロスはその後、マケドニア・ギリシアを制することになります。まずは、デメトリオスを中心にこの時代を見てみましょう。
●アンティゴノスとデメトリオス
小アジアのフリギアの太守だったアンティゴノスは、後継者争い(ディアドコイ)の中でも有力な武将の一人であった。彼は息子のデメトリオスと共に、小アジアを支配し勢力を拡大しようとシリアにその手を伸ばす。さらには、ギリシア・マケドニアにも侵入するが、結局はこの侵攻は失敗に終る。
攻勢に出ていたアンティゴノスたちであったが、シリア沿岸地域に後にエジプトで王朝を開くプトレマイオスの反抗がはじまる。
これに対し、アンティゴノスは、デメトリオスにプトレマイオス討伐に向かわせ、両者はカザで戦いに突入。この戦いは、二人の経験の差が出た戦いで、戦象を主力にしていたデメトリオスは、地形の厳しいカザで戦ったため、戦象が機能しなくなり、プトレマイオスに大敗してしまう。
この後、プトレマイオスは熱い行動にでる。なんと、デメトリオス軍の捕虜に贈り物を付けて、捕虜を帰してやったのだ。
アンティゴノス親子はこれに驚嘆するも、デメトリオスには屈辱だったろう・・・彼はいつかプトレマイオスに勝利し、同じことをしてやろうと心にかたく誓うのだった。
デメトリオスは、歴戦のつわものプトレマイオスに大敗を喫してしまいます。さらに、プトレマイオスは粋な計らいで、捕らえた捕虜に贈り物まで付けてデメトリオスに返します。復讐に燃えるデメトリオスはたして?
●今度は俺がつきかえしてやる!
敗れたデメトリオスは、ただちに軍を整え、勢力を立て直す。プトレマイオスに復讐したいデメトリオスであったが、父アンティゴノスとともに彼ら二人は名誉を重んじる性格のため、一旦プトレマイオスへの復讐はあきらめる。
というのは、カッサンドロスという武将がギリシアを隷属させていたからだった。
「ギリシアポリスはアレクサンドロスの時代から同盟関係を結んでいた我々と対等の立場にいる国家で、その彼らを隷属させるとは許せない」
これが、アンティゴノス父子の意見で(熱い!)、前307年にデメトリオスは250隻の船を率いて、ギリシアのカッサンドロスへ攻め入る。
実は、海戦でこそデメトリオスの才能は発揮されるのだ!
デメトリオスはあっさりとギリシアを開放し、ギリシアポリスは歓呼の元デメトリオスをむかいいれる。続いて、プトレマイオスがキプロスの支配に成功したと聞くと、きびすを帰し、いよいよプトレマイオスとキプロスで対決したのだっだ。
海戦でデメトリオスの敵はいない!いかな歴戦のつわものプトレマイオスといえども、デメトリオスにはかなわず敗走する。
ようやく待っていた時がデメトリオスに訪れる。彼は憎きプトレマイオスの捕虜を虐殺するのではなく、プトレマイオスと同じように捕虜に贈り物を付けてプトレマイオスに送り返したのだった。
このようにして、プトレマイオスにリベンジしたデメトリオスは以後20年に渡って、東地中海を支配することになる。
東地中海を支配したアンティゴノス父子が目を向けたのは、東地中海に面しているエジプトである。ここは、宿敵プトレマイオスが支配する地域・・・・・・。
しかしエジプトは、難攻不落(攻めるに難し、守るに易し)な土地で、結局はプトレマイオスに追い返されてしまう。
エジプトをあきらめたデメトリオスは、ロードス島を一年かけて攻め、最終的には同盟関係を結ぶことで決着。
ここまでは順調だった・・・・・・・・・・。
東地中海を支配下に加えたアンティゴノス父子。しかし、巨大化しすぎたため、他の武将たちは協力してアンティゴノス父子を打倒しようという動きにでます。
●イプソスの戦い
いまや、東地中海に基盤を築き一躍後継者争いの中で巨大化した、アンティゴノス父子を抑えようと、各地の武将が結束し彼らを打倒しようと立ち上がる。
最終的に、リュシマコスとセレウコス軍が、アンティゴノス父子の部隊とイプソスで衝突、交戦。
この戦いは、75頭の戦象しかもたないアンティゴノスに対し、連合軍は400頭もの戦象で圧倒し、戦いは連合軍の完勝で終る。
この戦いで、アンティゴノスは戦死し、デメトリオスはギリシアのアテネへと逃げ延びる。
また、イプソスの戦いによって、アンティゴノスの大半の領土はリュシマコスとセレウコスのものとなった。
落ち延びたデメトリオスは、父の死を悲しんでいる暇はなかった・・。というのは、あれほどの歓呼で迎えてくれたアテネは、デメトリオスの入国を拒否・・・。これに対し、デメトリオスはいったん態勢を整え、まずはリュシマコスの支配したギリシア諸都市を制圧。続いてギリシア全土を制圧し、完全にギリシャを屈服させることに成功する。
続いて、セレウコスと単独和睦したあと、マケドニアを支配していたカッサンドロスが亡くなったため起こっていた後継者争いに参加し、まんまとマケドニアの王となる。
デメトリオスが再び力を取り戻してくると、気が気でなかったのがそのほかの武将たちであった。
出る杭はいまのうちに叩いておかねば・・・、そう考えたプトレマイオス、セレウコス、リュシマコスは、再びデメトリオスを叩く準備を進める。
しかし、いまやデメトリオスも成熟し、歴戦の軍人として成長している。下手に叩くとこちらがやられかねない・・・。そう考えた武将たちは、エピロスのピュロスを仲間に引き入れるようと画策。
ピュロスは当時、比類なき名将として世に名をはせていたが、デメトリオスとの繋がりも深く、プトレマイオスらの悩みの種でもあった。
結果的に、ピュロスの引き込みに成功したプトレマイオスらは、デメトリオスを叩くため、マケドニアに兵を送る。
この決戦では、ピュロスが予想どおりの強さを見せ、デメトリオスは完全に敗北・・・・。
この戦いで捕虜となったデメトリオスは、3年間の幽閉のあと・・この世にわかれをつげた・・・・。
※ピュロスはあのハンニバルがアレクサンドロスに次ぐ戦術家と認めたほどの人物でした。
●稀有な存在だったアンティゴノスとデメトリオス
先にややこしいので、彼らの関係を書いときます。
◆父
アンティゴノス
◆本人
デメトリオス
◆息子
アンティゴノス
デメトリオスの父と息子がアンティゴノスなので話しがややこしくなっているんですね・・。彼らはこの時代には珍しく、実に親子の信頼が厚い間柄でした。
デメトリオスが息子にアンティゴノスと名前をつけるほど、彼は父を尊敬していましたし、父アンティゴノスも息子デメトリオスを信頼しており、どんなときでも彼らは信頼しあい乱世を生き抜いてきました。
まわりを見渡してみると、血族同士信頼できず殺しあう世の中ということを考慮すると、この親子はまさに稀有な存在であったと言えます。
また、デメトリオスの息子アンティゴノスも父が捕らえられたときには、なんとかして父を助け出そうと奔走したそうです。結果的にデメトリオスは息子の努力もむなしく、捕らえられたまま亡くなってしまいますが、結果はどうあれ、彼らの親子関係もまた素晴らしいものであったのでしょう。
●イプソスの戦いがもたらしたもの
巨大化し、旧アレクサンドロス帝国を統一するかの勢いであったアンティゴノス父子。
しかし、リュシマルコスらは結託して彼らを討つことに成功したため、群雄割拠が決定的になり、アレクサンドロス帝国の統一は不可能となりました。
アレクサンドロスの武将たちによって築かれた国々は、エジプトのプトレマイオス王朝が一番繁栄するが、最後は巨大化したローマによって滅ぼされ、オリエント時代は終焉を迎えます。
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