第63話 ローマとパルミラ

 ローマとパルミラのお話の前に少しローマの歴史を振り返ってみます。今回のお話はパルミラのゼノビアという人物がどんな人物なのか?というのをきっかけにローマとパルミラの歴史を切り取ってみましたが、断片的で分かりづらいかもしれません。


●五賢帝登場前

 尊厳者(アウグストス)と称されたオクタビアヌスが初代ローマ皇帝となり、元老院との調停につとめ、「ローマ内乱の一世紀」に終止符を打ち、ローマは安息につつまれる。

 彼の統治により、人口100万人を超えたローマ市は栄え、ヴェルキリウスをはじめとした文人が活躍した。

 また、対外的にはゲルマン人にトイトブルク森の戦いで破れ(9年)、ゲルマニアから撤退、以後ライン川・ドナウ川を北境とした。一方、東方はパルティアと講和し、ユーフラテス川をローマの東端とした。

 対外的に国境が決まり、以後200年に渡ってローマの平和が保たれたため、この200年をパックスロマーニャと呼ぶ。

 オクタビアヌスの死後、カリグラやネロといった暴君を出し、ネロの死後68-69年にかけて、4人の皇帝が入り乱れた内乱状態に陥る。

 ドミティアヌスという皇帝が暗殺されると、穏和で名門出身のネルヴァが元老院に推され、即位する。ここから五賢帝時代が始まるのだった。


●ネルヴァ(位96-98)

 68歳で病におかされていたが、元老院に推され皇帝となる。元老院との調停に努め、国内の混乱をおさめる。

 また、子供がおらず、軍の支持を得られなかったことから、当時軍に人気のあったゲルマニア総督のトラヤヌスを養子として、トラヤヌスに皇帝を譲る。


●トラヤヌス(位98-117)

 彼は寛容・質素な性格で軍・民ともに人気のあった人物で、ネルヴァの養子になると翌年即位する。また、元々軍人であったため、対外政策には守勢から攻勢に転じ、 ルーマニアを征服。また、一時的ではあったが、アルメニア・モロッコ・ブリテン島南部などを征服し、ローマ帝国の最大版図を築き上げた。


●ハドリアヌス(117-138)

 トラヤヌスの死後、元老院に推され即位。内政を重視し、ローマの平和に勤めるとともに、帝国全土を二度巡回し、防壁を築いた。


●アントニウス=ピウス(位138-161)

 ハドリアヌスの養子となり、ハドリアヌスの死後即位。彼は穏健で慈悲に富んだ人物とされている。ピウスという名が与えられたのだが、その意味は「敬虔な者」である。

 ハドリアヌスの意向に従って、養子を取り、マルクス=アウレリウス=アントニウスとヴェルスに帝位を譲る。


●マルクス=アウレニウス=アントニウス(位161-180)

 スペインの名門貴族の出身。11歳にしてストア派の哲学者になった天才。69年にヴェルスが死ぬと単独皇帝となる。

 彼は「哲人皇帝」と称され、寛仁な性格で善政を敷いたが、パルティアやゲルマン人の侵入に悩まされ、ウィーンの陣中で没する。

 彼が歴代の賢帝の戒めを破り、不肖の息子コンモドゥスを帝位につける。コンモドゥスはネロ以来の暴君といわれ、ローマは再び混乱に陥る。

 五賢帝は血で後継者を選ぶのでなく、優れた人物を養子にとり、帝位を譲ることによって成立した治世であった。


●軍人皇帝時代突入

 五賢帝の最後の皇帝マルクス=アウレリウス=アントニウスは、哲人皇帝と呼ばれるほど優れた人格と政治能力を兼ね備えた人物であったが、これまでの、「優れた者を皇帝にする」という慣習を破り、不肖の息子コンモドゥスを帝位につける。

 コンモドゥス(180-192)は第二のネロといわれるほどの暴君で、元老院を無視し、近衛軍の機嫌をとるために彼らの給料を増額したりしたうえ、自らは遊楽にふけたっため、財政・政治は乱れ、最後には、近衛軍が雇った奴隷に刺殺されてしまう。

 コンモドゥスの死後、近衛軍はますます力をつけ、近衛兵や属州の軍人に推挙された4人の皇帝が分立するが、セヴェルスが対抗皇帝を破り、単独皇帝となる。

 セヴェルス(位193~211)こそが、軍人に推挙されて皇帝となった、すなわち軍人皇帝の初代であった。

 彼は、従来イタリア人が独占していた近衛軍をすべての属州民に開放し、地方軍団の兵で新たな近衛軍を編成し、近衛軍長官の権限を強化した。その後、ブリタニア(イングランド)遠征の際に病没する。


●パルミラってどんな国?

 ダマスカスといえば、耳なじみがするが、パルミラと聞いても・・・なに?って感じであるが、パルミラとは、シリアのダマスカスの北東200キロにある都市で、シルクロードの中継地点として栄えた都市国家であった。

 パルミラの歴史は古く(メソポタミアの都市は全て古いのだが・・)、

 古代メソポタミア文明期から交通の要所として発展したが、ペトラという都市国家が106年ローマ帝国に併合されると、ペトラの衰退を尻目にパルミラはシルクロードの要所として、絶頂期を迎える。267年ゼノビア女王が即位するころには、遠くはエジプトまで勢力を及ぼす一大勢力となっていた。


■ペトラってなに?

 紀元前2世紀から2世紀にかけてナバタイ王国の元、東西交易の要所として栄える。現在にも残るペドラ遺跡は、岩山をくりぬいた住居の跡が残る神秘的な遺跡である。

■ダマスカスって?

 古代からメソポタミアの中心都市として栄える。紀元前10世紀ごろに活躍したアラム王国の首都。ローマ帝国の属州となるが、古くから栄える洗練された文明は、ローマ文化にとっても重要な都市であり、自由都市連合の名誉都市となるほどだった。

 その後、メソポタミアがイスラム勢力の手に落ちると、今度はウマイヤ朝の首都として栄える。ゲーム内では、ベイルートがダマスカス近郊都市の扱いになっているようだ。

 また、ダマスカスとは鋼の意味で、この地の鋼は通常の合金と違って、美しい木目模様を出す至高の一品であったという。


●ゼノビアとアウレリアヌス

 パルミラは、ペトラの衰退を尻目に、東西貿易の中心地として栄え、小アジアの中心都市となるまで巨大化していた。

 ローマから諸王の王の位を授けられていた(簡単にいうと、ローマ帝国内の自治権を持つ地域の君主。)オデナトスが甥に暗殺されると、その妻であったゼノビアと息子のワラバトスと共同統治することになる。

 そして、パルミラはローマ帝国の軍人皇帝時代という混乱期に乗じて、シリア、エジプトの一部にまで勢力を拡大する。その結果、ローマ東部の州はパルミラの支配下におかれることになり、パルミラはローマに挑戦する姿勢を見せた。

 一方、このころのローマ帝国は、東部地域(パルミラ)、ガリア地域、西部とイタリア方面(ローマ本体地域)に三分割された大混乱時代であった。パルミラだけではなく、ガリアにも皇帝が立ち、ローマ皇帝と対立の様子をみせていた。

 ローマ内部も次から次から皇帝が乱立する軍人皇帝時代をむかえており、そんな中帝位についたのが、城壁で有名なアウレリアヌスであった。

 アウレリアヌス(位270-275)は270年に即位すると、まずは北方のゲルマン民族(ゴート族など)との決着をつけるため、ドナウ川国境に進軍し、激戦の末ゲルマンを打ち破る。

 この戦いをきっかけにして、アウレリアヌスは無防備なローマを将来予想されるゲルマン民族の侵略から守るためには城壁が必要だと考え、有名なアウレリアヌスの城壁の建築を開始する。

 272年には、対抗の姿勢を見せていたパルミラに進軍し、ゼノビアと対決する。

このころのパルミラは最盛期と呼べるほど繁栄していたのだが、ゲルマン民族との激戦を勝ち抜いた優れた軍事的才能をもったアウレリアヌスにあっさりと破れ、翌年パルミラは反乱を起こすが、鎮圧され廃墟と化した。

 その後、アウレリアヌスは、274年にガリア皇帝を降伏させ、ローマ帝国を再統一する。275年にはペルシアとの戦いに備えるため、ビサンチオン付近のボスフェラス海峡を渡る準備をしている最中、近衛兵に殺害される。


■アウレリアヌス帝について

 彼は有能な司令官であったが、厳格すぎて慈悲心にかけると批判された。そのせいで、彼は名君という地位ではなく、必要な君主と呼ばれた。また、彼の治めた期間は5年間と短いものであったが、その功績は多大なものであった。

■ゼノビアについて

 ゼノビアはクレオパトラの末裔と自称していたが、実際の容姿も素晴らしい美人であったらしい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る