第59話 「不屈の王」フィリッポス
古代史最大の王といえば、マケドニアのアレクサンドロスではないでしょうか?
彼は古代史上最大の帝国を築き上げ、先のアケメネス朝ペルシアのダレイオス一世の世界帝国をはるかに凌ぐ大帝国をつくりあげました。そのため、ダレイオス一世の実績がかすんでしまいます。
そんな彼の鉄の精神力は、彼の父フィリッポスの気概を受け継いだものと思われます。フィリッポスは、初志貫徹、不屈の精神でギリシア世界の統一を成し遂げました。
●フィリッポス雌伏する
ギリシアのポリスが衰退に向かっているころ、ギリシア北方ではドーリア人の一派であったマケドニアが勃興してくる。マケドニアは、ペルシア戦争のころからギリシャポリスと交流を持つようになっていた。
フィリッポスは前359年に即位したのだが、15歳のころから、テーベに3年間人質にとられ、エパミノンダスの斜線陣戦法を学び、帰国後、この戦法を主軸戦術とした。
この斜線陣戦法の採用が、マケドニアの大きな飛躍におおいに貢献したのであった。
フィリッポスは、ギリシアポリス間の抗争を巧みに利用することで、その勢力を拡大しようと画策する。
●フィリッポス勇躍す
前359年にマケドニア王として即位したフィリッポス。
まずは、エパミノンダスの斜線陣戦法を兵に叩き込み、前357年にはマケドニア沿岸地域を征服する。そして前356年にはトラキアのパンガイオン金脈を占領し、財を蓄えることに成功。
一方、そのころポリスの雄アテネでは、先のペロポンネソス戦争でギリシアの覇権を失っており、謀略や政治かけひきで覇権を取り戻そうとしていた。
前356年にはペルシアの反乱を助けたり、フォキスに対して戦争を始めたりと、大混乱状態であった。
それを尻目に、マケドニアは征服活動を行っていたのだ。
そして、ここから「不屈の王」たるゆえんをフィリッポスは見せ始める。
フィリッポスは、戦争状態になったフォキスのオノマルコスと戦い二度敗れる(前353)。しかし、翌年ついにオノマルコスを破りテッサリア地方を征服。前352年にはアテネとテルモピレーで戦い敗れる。
このころアテネでは、デモステネスが「フィリッポス弾劾演説」を行い、マケドニアを推すイソクラテスと対立する。
そうこうしているうちに、マケドニアはオリュントスに圧迫をかけはじめたので、アテネはオリュントスに軍隊を派遣。
しかし、前348年にはマケドニアはオリュントスを征服。
前346年にはアテネとマケドニアは和約を結び(フィロクラテスの和約)、いったん両国の対立が収まる。
その隙に、マケドニアはフォキスを滅ぼす。そして、フィリッポスは対ペルシア戦争のためには、ギリシアは統一されねばならないと演説したのだった。
●フィリッポス、アテネに食い下がる
前346年には和約を結んだものの、フィリッポスがギリシア統一の野望を持つ限り、アテネと対立するのは目に見えていた。
前340年にはアテネはマケドニアに宣戦布告。
それを受けたフィリッポスは、アテネの同盟ポリス「ビサンチオン(現イスタンブール)」に攻撃をしかける。
またたくまにビサンティオンを包囲したフィリッポスに対して、アテネは海軍を派遣し、マケドニアを撃退する。
何度敗れてもくじけないフィリッポスは、前338年にはアンデッサを攻略。そしてついに、アテネ・テーベとの決戦にもちこむのであった。
●カイロネイアの戦い(前338年)
いよいよアテネ・テーベとの決戦にもちこんだフィリッポスは、カイロネイアでアテネ・テーベ軍と決戦するのだった。
脇には18歳になった息子「アレクサンドロス」を従え、戦いが開始される。
マケドニア軍 32000(騎兵2000)
アテネ・テーベ連合軍 350000
兵はほぼ互角。しかし、前回のエパミノンダスのところで登場した、テーベの神聖隊はかなり強力な兵。
フィリッポスはアレクサンドロスに騎兵を率いさせ、神聖隊を孤立させることに成功し、神聖隊を破る。
さらに、両翼を制圧されたアテネ軍は大混乱に陥り、マケドニア軍は大勝利をおさめた。
このカイロネイアの戦いによって、ギリシアはマケドニアを盟主とすること(コリント・スパルタを除く)を決定し、フィリッポスの悲願は達成されたのであった。
何度敗れても、その不屈の精神でついにアテネを下したフィリッポスの精神は、息子アレクサンドロスに大きな影響を与えたことであろう。
と当時書きましたが、今考察してみると王としての実力はフィリッポスのほうが息子アレクサンドロスより優れていたのではと思ってます。国というのは次代へ繋ぐことが重要で、フィリッポスが成し遂げたギリシャ統一は無理のないもので、次代のアレクサンドロスがさらなる拡大を行うことが出来ました。アレクサンドロスの戦略・戦術能力は確かに優れていたのでしょう。
しかし、彼の死後マケドニアは無くなります。もし、フィリッポスがアレクサンドロスの立場なら、ペルシャと途中で講和し地盤を固めていたことでしょう。その後世代を繋ぎ、マケドニアはローマの伸長を抑え込んだかもしれません。
なんでこんなことを書いたのかというと、東ローマの列伝をこの記事から二年後くらいに書いたからです。カクヨムでは先に東ローマ列伝を書いてますので、ご参照ください。
何が言いたいのかというと、東ローマの皇帝がいい例として比較できるからなんです。
・ユスティニアヌス
名将ベリサリウスとナルセスを使い、かつてのローマの土地を取り返したが、無謀な拡大のため、次代で全て水の泡となる。
・バシレイオス二世
内乱であれる国内をまとめあげ、うるさい異民族を駆逐した。西暦1000年時地中海世界において、僅か一代で最強国家を現出する。領土も確かに拡大したが、帝国内にはうなるような資金が蓄えられ、帝国の最盛期と言われる時代を築いた。
前者がアレクサンドロス(戦術・戦略能力で拡大した)、後者がフィリッポス(政治能力が高く、戦巧者)。と見てみればどちらが優れているのかって皆さんはどう思われますか?
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