第57話 マルケルスとアルキメデス

●シキリア島のシュラクサイ

 第二次ポエニ戦争でハンニバルがローマと戦っていた最中、シュラクサイ(シラクサ)は、紀元前215年にハンニバルが戦争に勝利すると判断した。そこで、崩御したばかりの親ローマ派のヒエロン二世の政権を放棄し、カルタゴと結ぶ。

 ヒエロン二世の后であったフェリスティスと皇太子ヒエロニスムは、元から親カルタゴ派として知れれており、上の王子のゲロンは親ローマ派であったが、紀元前215年に暗殺されたと思われ、この年に没したことになっていた。

 ローマはこのシュラクサイの裏切りに憤怒するが、この時期はハンニバルの脅威のため、派兵するだけの余裕はなかった。しかし、紀元前213年に入ると、ついに懲罰の意味からローマは遠征を実施したのであった。


●ローマ軍上陸する

 夏の暑い日の午後、ローマ海軍はイオニア海に姿をみせ、シュラクサイの北と南にローマ軍が上陸し始める。

 シュラクサイは、内陸部とオルティージャ島に分かれ、堅固な要塞でしっかり囲まれていた。そこで、ローマ海軍は島の先端の細い部分に目をつけ、そこに接近し攻撃を開始する。

 ここで、ローマ軍は新兵器の洗礼を受けることになる。この地には、古代ギリシア史上名高い天才アルキメデスが兵器の開発をしていたのである。

 なんと、ローマ海軍の艦船に、正確な球体に仕上げられた石の砲弾が、うなりを生じて飛来し、艦船の側面におそいかかったのだった!

 その砲弾はたやすく艦船の側面をぶち抜くほどの威力であった。これは、投石機と呼ばれる兵器である。

 なんとか投石機の砲弾をかいくぐって、城壁に接近したローマ艦船。しかし、今度はアーム状のものが振られ鉤(かぎ)が舷側に突き刺さり、そのまま吊り上げられた船尾から海中に放り込まれた。

 この見たこともない新兵器にローマ海軍はたちまち恐慌状態に陥ってしまった。


 この新兵器に対し、艦隊の司令官が取れた行動は、投石機の射程外に出ることだけであった。こうして、アルキメデスの新兵器によって、緒戦は、ローマ海軍の大敗となり、オルティージャ島への接近が実質不可能になった。

 この後二日ばかり、ローマ艦船の攻撃が続くが、新兵器に足止めをくらい合計100隻近い船が沈められた。



 アルキメデスの開発した新兵器によって思わぬ大敗をくらったローマ海軍。ここで登場するのが、タイトルにもなっているマルケルスです。

 さて、彼はこのあとどのような作戦を取るのでしょう。


●アルキメデスの英知

 ローマ軍をひきいていたマルケルスは、北イタリアやカルタゴと戦って戦功をたてた歴戦の将軍として知られていた。彼は、海上でのローマ海軍の様子を見て、短期決戦をあきらめ長期にわたる攻城戦を早くから覚悟したのであった。このあたりは、長年の経験からくる名将軍の采配といったところだろうか。

 地上戦においても、アルキメデスの英知がおよぶところで、ローマ軍の攻勢はあっさりと撃退される。ここで活躍した新兵器はオナグロスと呼ばれるもので、握りこぶしくらいの石を200個ないし300個、同時に発射できる兵器であった。これは特に、ローマの密集隊形(ファランクス)に威力を発揮し、ローマ兵は防御柵にたどりつくまでにことごとくなぎ倒された。

 やっとのことで防御柵までたどり着いたローマ兵も、防御柵の隙間から矢を射掛けられたり、槍で衝かれたりしてまったく防御柵を破ることはかなわなかったのである。


●マルケルスの作戦

 マルケルスの判断ははやかった。この様子を見た彼は、無理攻めをやめさせ、ローマ軍は敵陣を囲うだけといった状態にとどまる。

 シュラクサイは100万都市といわれるほど人口の多い都市で、紀元前212年に入ると、食糧の備蓄問題が発生する。これこそがマルケルスの狙いだったのだ。

 ローマ軍は攻囲しながら、シュラクサイの食糧の危機に気がつき、静かに投降勧告を始める。命を保障する上に、こちらには食糧は充分ある。というわけである。

 そのうちに、一人二人と帰順者がでると、シュラクサイの内部情報は、マルケルスに筒抜けになってくる。

 帰順者の情報をかき集めたマルケルスは、シュラクサイで3月のアルテミスの祭礼が三日にわたり、その期間は誰もが酔いつぶれるほどに酒を飲むだろうと予測。名将は大概優れた予測家であり、マルケルスもまた例外ではなかった。

 マルケルスの予測どおり、祭礼は行われ、祭礼の一日目はシュラクサイはローマへの警戒をといていなかった。


 しかし、ローマがなんら動きをみせぬまま一日目がすぎると、二日目には、城内の誰もが警戒心を失くし、ほとんどの者は泥酔状態となっていた。

 機が熟したとみるやマルケルスは、その日の夜中に攻撃命令を出す。内陸部の城壁を登った兵士が、城門を開いたことによって、まず島の手前までを占領。ローマ軍がさらに進軍すると、なんと内通者が島の部分の城門を開けてしまい、あっけなくシュラクサイは陥落してしまった。

 また、マルケルスは、アルキメデスを生かしてつれて来いと命令していたにもかかわらず、ローマ兵に殺害されてしまい、マルケルスは大いに落胆したという。彼が一番アルキメデスの英知を評価していたからだった。


※マルケルスは「ローマの剣」と言われた名将です。

 カルタゴのハンニバルという人物は古代最高の戦術家と言われており、これにローマのスキピオが勝利したことが有名ですが、スキピオとマルケルスは同時代の人物ですので比較しやすいです。主観ですが、戦術能力はハンニバル>=マルケルス>>スキピオかなあと思います。

 というのは、ハンニバルのイタリア遠征時マルケルスは彼と引き分けているんですよ。一度ではないです。当時のハンニバルは優勢な状況下でしたんで。スキピオの勝利はすでに戦略レベルでハンニバルに相当勝っていた中での決着でしたので、戦術のみを比べるとなると、スキピオは落ちます。

 別のお話しですが、以前出て来たベリサリウス。これはローマ帝国衰亡史でスキピオと比較されてます。ローマ帝国衰亡史は分裂前ローマを至高とし、東ローマに対して非常に辛い評価をしてます。その衰亡史では、スキピオの評価は最高クラスの代名詞でした。そのスキピオと比肩してそん色ないと言わしめたのがベリサリウスです。

 個人主観ですが、古代・中世・近世と地中海世界最高の戦術家を選出するとすれば、古代はハンニバル、中世はベリサリウス、近世はナポレオンです。

 話は戻りますが、マルケルスはそんなハンニバルと引き分けた人材。相当の人物ですよ。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る