第55話 テルシオの生みの親コルドバ
コルドバのことを語る前に、テルシオについて。
テルシオとは、簡単に言うと軍隊の集合の仕方の一つです。銃撃部隊が集中して集まることによって、これまでの戦術を変えるほどの火力を生み出しました。テルシオの元となる戦術を考案したのが今回の主役ゴルドバです。
●ゴンサロ・フェルナンデス・コルドバ(Gonzalo Fernández de Córdoba 1453-1515)
コルドバはその名前のとおり?コルドバ近郊の街で誕生した。彼の一家はのちにイスパニアとなるカスティリャ王国に使えるアラギール伯爵家であった。
こんな良家に生まれながら、幼少時代に父がなくなり、後ろ盾を失ったアラギール家はゴンサロとその兄を家臣たちが盛り立て、ゴンサロが成人するまで伯爵家を支えたのだった。
(とはいえ、一時的にゴンサロ自身教会に身を置くなど決して楽な幼少時代ではなかったようだ)
◆女王の騎士として
1474年カスティリャ王国にイザベル女王が即位すると、後継者争いがポルトガルのアフォンソ5世との間で勃発する。ポルトガル王は娘のフアナにこそ後継者としての血筋として主張したのだった。
そのため、カスティリャ内部はイザベル支持派とフアナ支持派に別れ抗争が表面化、内戦へと発展する。
この戦いの中で、イザベル女王に属するサンティアゴ騎士団の下でゴンサロは一兵卒として戦いに参加した。
ゴンサロは戦いの中で常に先頭に立ち、その勇猛果敢な戦いぶりで皆の賞賛を集めたらしい。
※サンティアゴ騎士団とは?
サンティアゴ騎士団はレオン王国とカスティリャ王国の二つにまたがって財産を持つスペインのウグレスに拠点を持つ騎士団。12世紀に誕生し、15世紀末まで存続した。当初、レオン王国とカスティリャ王国がどちらに起源を持つか争っていたが、両国が合併するとその争いもなくなった。
アウグスティヌス派を信仰し、後にイスパニア王国の騎士団となる。
そんな内乱も結局は、アラゴン王(シチリア王でもある)フェルディナントとイザベラが結婚し、アラゴンとカスティリャは合併し、強力な国家と変貌と遂げる。
そのためポルトガルは劣勢に立たされ、1479年にポルトガル王はイザベラの王位を承認し、内乱は終息したのだった。
こうして内乱を収束させ、強力な国家イスパニアに生まれ変わったので、イスパニアは、レコンキスタを再開する。(正確にはまだこの頃はイスパニアではない。あくまでもイザベラとフェルディナンドのそれぞれが持つ王国同士。つまりアラゴンとカスティリャ。名目上これ以後はイスパニアと表記する。)
レコンキスタの対象はいまだスペイン南部に根をはるナスル朝グラナダ王国の壊滅だった。
たいした軍事力も持たない小国だったグラナダ王国はゲリラ戦で対抗するも、最終的には首都グラナダは無血開城され、レコンキスタは完了することになる(1492年)。
グラナダ王国との戦いの中で、ゴンサロは騎士団長になっていた兄と連携しておおいに武勇をふるったという。
彼にとって特に幸運だったのが、グラナダ視察に訪れようとしていたイザベラ女王の目の前で敵守備隊を葬ったことだろう。そのおかげで、彼は以後イザベラ女王の護衛役となりお気に入りになることができた。
●ボディーガードから将軍へ
レコンキスタが完了(1498年)したイスパニアだったが、戦乱の世はまだまだ続く。イタリアに野心を見せるフランスに対抗するためイスパニアはフランスとの間でイタリア戦争(1496-1519 この後にさらに第一次イタリア戦争、第二次イタリア戦争と長くイタリア戦争は続く)に突入。
さらには、北アフリカのイスラム勢力とも戦争を開始する。
(ポルトガルもまた、セウタ攻略したりしている。)
この中でゴンサロが関わるのはイタリア戦争においてである。
彼は女王の騎士として、イザベラ女王のお気に入り効果で将軍に大抜擢されることになる!
軍内では、彼の個人としての勇猛さや戦闘能力は先のレコンキスタで評価されていたが、指揮力は未知数だったので、少なからずの反発はあった。
そして、当時アラゴン王国領であったナポリ(ナポリ王国)へ、出向き、フランス軍とカラブリア南部のセミナラでついに交戦する。これがイタリア戦争で最初の戦闘であった。
●セミナラの戦い(Battle of Seminara)
◆両軍の戦力
・イスパニア 指揮官 コルドバ
歩兵1000、騎兵400
・フランス 指揮官 ベルナルド・スチュワート
騎兵300 重装騎兵300 槍兵600
セミナラの戦いを語る上でかかせないのが、両軍の主力兵であろう。
◆イスパニアのロデレロ
ロデレロは片手剣にバックラー、兜、鉄製のブレストプレートを装備したファンタジーファンにはおなじみの盾と片手剣スタイルの中世イベリアで活躍した歩兵。
レコンキスタの戦いではイスラム勢力のゲリラ戦相手に有効な歩兵として活躍した。
片手剣という特性上射程が短く乱戦に適している。
一方で、敵兵が隊列を乱さず整然とした隊列を組んで突入された時にはもろい。
後に乱戦用兵力として隊に組み入れられることになる。後の時代のコルテスが率いた兵も多くがこのロデレロだった。
◆フランス側のスイス傭兵
スイス傭兵は中世を通じて伝統的に最も頼りになる傭兵として、様々な国から恐れれていた。
傭兵らしく戦闘のプロフェッショナル集団で混乱に陥ることは少ないとされている。
少しスイス傭兵の歴史を見てみると・・・・、14世紀に今のスイス地域はハプスブルク家の支配を脱出し、独立勢力となる。
元々資源に乏しい山の中にあるスイスにおいて、一大産業となったのが傭兵家業だった。
国策として傭兵家業を続けたスイス傭兵の強力さは、すぐに有名となりブルゴーニュ公国とフランスの間で起こった戦争でフランスの勝利に多大な貢献をし、スイス傭兵の名声は確固たるものとなった。その後、肥沃な土地を求めて北イタリアに進出するが、1515年にフランスに破れ、傭兵家業に専念することになる。その後、フランスと和解しフランスの傭兵として参加したイタリア戦争でおおいに力を発揮することになる。
スイス槍兵はセミナラの戦いに参加し、その後ラヴェンナの戦いなどにも参戦する。
槍兵の強みは、剣の届かない位置からの攻撃である。弱点は隊列が乱れ混戦状態になったときに、射程の長さが仇となること。
では、両軍主力を見てみたところで実際の戦闘経過を見てみよう。
フランス軍は左翼に重装騎兵400と軽騎兵400を配置し、右翼にスイス槍兵600を配置した。イスパニア軍はこれに対し、騎兵800には騎兵400を当て、数的優位な自慢の歩兵(ロデレロ)1000をもってスイス槍兵600を壊滅させ、数で不利な騎兵の援護に回そうという戦術をとった。
戦いは、両翼の激突ではじまる。
まず、騎兵同士の戦場では当初一進一退の攻防が続く、しかしながら山間部でのゲリラ戦になれていたイスパニア騎兵は平地ならではの重装備の騎兵に時がたつにつれ序々に押されはじめる。
数的優位であった歩兵同士の戦場では、一方的な戦いとなった。
スイス槍兵先陣は5.5メートルほどあるパイクと呼ばれる長い槍をもって片手剣のロデレロに対して射程外からの攻撃を繰り返す。先のレコンキスタの山間部での戦いでは長い槍は邪魔になって使えたものではなかったが平地の戦いではさえぎるものは何もなく、スイス槍兵はその射程を最大限に生かすことができた。
結局、射程外からの攻撃により一方的に攻められたイスパニア歩兵は敗走。それを見た騎兵部隊も撤退を余儀なくされ、戦いはフランスの勝利に終わる。
セミナラの戦いで敗れたゴンサロは、軍の改革に乗り出すことを決心する。戦いに敗れた原因を分析した結果は、槍兵に対する歩兵の脆さであった。
このように、勝てる軍団を生み出すことを冷静に考えた、彼のセンスは軍人として優れた資質だったと言えよう。
こうして、ついにテルシオの元ともいえるコロネリアが誕生する。
セミナラの戦いで敗北したゴンサロは、ロデレオのみの歩兵では平地戦に適さないことを痛感しました。特に隊列の崩れない槍兵に対してどう戦うかが彼の悩みの種となります。
そんななか開発した陣がコロネリアです。
●コロネリア
まずフランス軍を見てみよう。
歩兵;槍兵による密集隊形
弓兵:歩兵の支援。(クロスボウとアルケブス銃)
騎兵:重装騎兵による防御力の高さと馬による機動力。敵の隊列を崩すのに適している。
砲兵:まだ初期の砲なので、重たい上に効力は低かった。ただ、城壁の破壊には必要。
これに対しスペイン兵は、
歩兵:軽装備・片手剣装備のため密集度は低い。
弓兵:歩兵の支援。(クロスボウとアルケブス銃)
騎兵:軽装備のため、機動力は高いが重装騎兵ほどのアタック力はない。
砲兵:機動力はないが、ゲリラ戦には適していたので質はフランスより高かった。
工兵:平地での戦いではないことが多かったので工作兵が割りにいた。
※工兵は聞きなれないが、近代以降の戦いではかなり重要な任務を負う。古代では橋や兵が進むための道を作ったりしていた。近代以降においては地雷原の突破、塹壕の建築など重要な役目を担う。
ゴンサロは、まず剣主体だった歩兵に槍を持たせ、フランスと同様の槍兵による密集隊形を作った。
ただ、騎兵を重装備にするには手間だったのですばらしい戦術を彼は思いつく。
それは、工兵に塹壕を掘らせ(もしくは土嚢をつくり)騎兵の突進を止め、歩兵の隊列が崩されるのを防ぐという作戦であった。
この戦術は、野戦築城といわれる新しい戦術でイタリア戦において絶大な威力を発揮する。
※野戦築城の作戦は、日本の安土桃山時代には日本においても実現している。陣城というのが野戦築城にあたる。
●チェリニョーラの戦い前夜
新しい軍隊を作り上げたゴンサロは、対オスマン帝国との戦いでギリシャに遠征し、ケファロニアを獲得。その後、ムーア(ベルベル)人の反乱を鎮める。
(ムーア人はイスラム王朝として南スペインを支配していた人種です。スペインがレコンキスタを完了して以来、不穏な動きを見せるのは当然で、それを鎮圧した)
新しい軍隊(コロネリア)はこの二つの戦いでその威力が証明されていたが、ゴンサロにとって痛い敗戦だったセミナラの戦いでの復讐を果たす時がついにやってくる。
フランス王は先の戦いでの敗戦にもめげず、再びイタリアへ侵攻する。スペインとフランスはナポリの分割で合意し、ナポリは二カ国によって分割された。
しかしながら、スペインはこの機会にナポリ全土を手中に収めようと企てており、ゴンサロをイタリアに派遣したのだった。
ゴンサロは、戦力優位なフランス軍に対して、正面衝突を避け、補給線を断つことでフランス軍を誘導することに成功。
絶好の機会を得たゴンサロ率いるスペイン軍は、フランス軍の補給拠点であるチェリニョーラを襲い、陣地を築く。これに対しフランス軍も黙ってはおらず、チェリニョーラの奪還へ向かい、両者の戦闘が始まる。
●チェリニョーラの戦い(Battle of Cerignola 1503年)
・イスパニア
8000人
アルケブス銃1000
カノン砲20
指揮官:ゴンサロ・フェルナンデス・コルドバ
・フランス
32000人
重装騎兵、スイス槍兵
カノン砲30
指揮官:ルイス・ド・アルマニャック
チェリニョーラの丘の上に陣どったゴンサロ率いるイスパニア兵8000に対し、フランスはチェリニョーラを奪い返すべく4倍の32000で集結する。
兵力に関してはフランス、これに対してイスパニアはチェリニョーラの丘の上に陣取ることができ地形上は有利な展開だった。
フランス軍は充分な偵察ができておらず、イスパニアの掘った塹壕の存在を感知していたものの、数にまかせて押し切ることを決め、騎兵を突撃させた。
しかしながら、騎兵は塹壕のためにいつものような突進ができず、丘の上からイスパニア兵によるアルケブス銃の一斉射撃を受けて後退。
騎兵では塹壕と銃では分が悪いとみたフランス軍は、今度はスイス槍兵で塹壕を越えようとするが、槍兵も騎兵と同じくアルケブス銃によって打ち倒される。
再びフランス軍は突撃するものの、銃と塹壕によってはじき返され、被害が甚大と見たフランス軍は撤退しはじめる。
ここではじめてイスパニアは騎兵を出撃させ、フランス軍を追撃させる。
この追撃によってアルマニャックは死亡し、イスパニア軍の圧勝に終わった。
この戦いでは、フランス軍の死亡者4000に対し、イスパニアの被害はわずが100人ほどであった。
銃と塹壕を利用した先進的な戦術を採用したゴンサロによってもたらされた勝利は、単純な圧勝劇だけではなく、今後の軍編成に重要な意味をもつものでした。
それは、銃による騎兵の圧倒。戦史上もたらされた銃の勝利は今後の戦争に大きく関わってくる。
兵数を集めたこの戦いでのフランス軍の被害は甚大で、イスパニアはナポリを獲得。こうして大航海時代にはナポリはイスパニアになるのです。
また塹壕戦術はこの時代以降、西欧では一般的な戦術となりゴンサロの戦術がいかに優れたものだったのかが分かります。
また、塹壕戦術は17世紀になるまで行われることになります。
●主観的評価
ゴンサロ・フェルナンデス・コルドバ
戦術 A
戦略 B
軍事総合 A
政治 E
魅力 B
特殊スキル:軍政改革
◆総評
エル・グラン・カピタンと呼ばれるにふさわしい実績と戦術眼を持っている将軍。騎兵に対する不利を克服するために塹壕戦術を開発した手腕は戦術Aにふさわしい。
この時代になってくるとどうしても一国そのものを占領するという大規模な戦略眼を発揮する機会はないため、戦略評価はAを与えれないが、ナポリ・ケファロニアを占領した実績はBに値する。
魅力に関しては後の時代に銅像がたつくらいなので慕われているのだろう・・・。
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