第46話 東ローマの歴代皇帝を評価してみる その2

●ルール説明

 私が全ての皇帝を出すのではなく、有名・名君を中心にピックアップ。評価内容は内政・外交・軍事・実績・文化・性格・総合の7項目に、その皇帝についての簡単なコメントをつけるとうものです。

 私が東ローマを担当し、別の方がローマ皇帝初代から475年の西ローマの滅亡までを担当しました。


◆アレクシオス一世コムネノス(1081-1118)

■内政:B■外交:B■軍事:C

■実績:C■文化:D■性格:B

■総合:C

■コメント

 隠れた名君。彼の時代東ローマの周辺地域は敵ばかりで、東西からセルジューク朝・ノルマンの侵略を受け、イタリア地域はノルマンに占領されてしまった。

 セルジューク朝にはコンスタンチノープルまで進軍されていた。内部は内部で貴族の反乱が勃発・・・。さらに、ノルマン・クマン族はバルカンにまで攻め入ってきたが、これを撃退。

 内部の貴族反乱も無事治め、バシレイオス二世の死後から続いた混乱を収束させた。

 しかしながら、海上の防衛のためにヴェネチアと結んでしまったことにより、十字軍を招き、粗暴な十字軍兵士・ヴェネチアに内部をあらされてしまった。後にこれが決定的な帝国の衰退を招く。


◆ヨハネス一世コムネノス(1118-1143)

■内政:A■外交:B■軍事:C

■実績:B■文化:C■性格:SS

■総合:B

■コメント

 アンナ・コムネナという彼の姉が夫を帝位につけようと、簒奪事件を起こし、ヨハネスがこれを鎮圧した後に、彼は姉を殺さずに修道院に送った。処刑しなかったことによって、国民から厚い信頼を受け「カロ・ヨハネス(善良なるヨハネス)と呼ばれた。

 性格の良さ以外にもいろいろなところで才能を見せたヨハネスは、内政では国庫の再建のために倹約につとめ、軍隊を再建する。

 対外政策ではヴェネチアに敗れるという汚点を残すが、北方のペチェネグ人を完全に屈服させ、ルーム・セルジューク朝から小アジアの失地を回復した。ヴェネチアに敗れたのは重要度の違いからだろう。

 長男・次男に先立たれ、臨終のときには暗愚であった三男を廃し、四男に帝位を継がせた。ローマ帝国史上最も善良な皇帝と言われている。



◆マヌエル一世コムネノス(大帝 1118-1180)

■内政:E■外交:E■軍事:B

■実績:D■文化:B■性格:C

■総合:D

■コメント

 大帝と言われているが、父のほうがはるかに優れた君主であったと思われる。対外政策に力を注ぎ、自身が国際的な視野を持っていたこともあり、ハンガリー王と血縁を結んだり、西欧の騎士道精神を取り入れたりしたが、当時の西欧は野蛮で文化レベルも低かったためかえって反発を招いた。セルジュークやベネチアと争ったが、このことで国際的に対立国が増加してしまった。

 彼のはなやかな外征のため帝国財政は圧迫されてしまう。これが一時滅亡への原因とする学者も多い。事実、彼の統治以後、帝国は急速に衰退し、もうかつての栄光を取り戻すことはなかった。


◆ミカエル8世(1261-1281)

■内政:E■外交:E■軍事:E

■実績:D■文化:C■性格:D

■総合:E

■コメント

 ラテン帝国から、コンスタンチノープルを奪取し帝国を復活させた皇帝。しかし、内政・外交・軍事全てに失敗し、台無しにしてしまう。これ以後、帝国は滅亡までひっそりと暮らすことになる。



●歴史的に稀有な大国だった

 幾度となく滅亡寸前の状態、歴史的大国の状態を繰り返した歴史上ありえない国家が東ローマ(ビザンツ)帝国でした。

 一代の不世出の名君が出ると一気に国力は世界有数の大国にまで上り詰め、一代の愚帝が出ると、一気に滅亡寸前まで追い詰められました。

 これは、東ローマがあった土地が周辺諸国のちょうど真ん中に位置し、異民族の往来が激しかったからです。

 そのため、東ローマは常に3つ以上の国や部族との交戦を余儀なくされました。このことは一歩舵取りを誤ると一気に滅亡してしまう危うさを秘めていました。

逆に言えば、これだけ往来が激しい地域で1000年以上も存続したことは驚異的です。

 歴史上ビザンツより長く続いた国家はいくつかありますが、民族国家(一つの民族で一つの国家、代表的なのが日本)のような国家でない国としては唯一の存在ではないでしょうか?


●識字率の高さ

 東ローマ帝国は、西欧諸国に比べ識字率が5倍以上も高いものでした。教育が行き届き、みんな聖書が読めたそうです。

 このことは、国家としての文化レベルを向上させるのには貢献しましたが、知識を共有するということは果てしなく論争が起きることと表裏一体でした。そのため特に宗教問題については激しく論争が起きました。

 西欧諸国では、教皇や国家が適当なことを言っていても、聖書を読めませんので「こういうものか」と上手く言いくるめれたことであっても、東ローマではそうはいかなかったということです。


●文化レベルの高さ

 識字率の高さと同じことですが、東ローマの文化レベルは周辺諸国に比べて少なくとも100年以上は成熟した文化を誇っていました。

 これは、後に西欧でのルネッサンスにつながっていきます。


●敵も強かった

 特にササン朝と後に勃興したイスラム諸国は強敵でした。これらの国がもし西欧諸国と本格的に争っていたらひとたまりもなかったでしょう。


まとめてみると・・


●総合S

バシレイオス二世

●総合A

アタナシウス一世

●総合B

ユスティニアヌス大帝、ヘラクレイオス、ニケフォロス二世フォカス

ヨハネス一世コムネノス


 という結果になりました。B以上は屈指の名君のつもりですが、ヘラクレイオスとフォカスについては若干評価が甘かったかもしれません。逆にユスティニアヌスについては若干厳し目です。(これは私自身の主観がかなり入っています。ユスティニアヌスは部下に恵まれていたため。本人の能力は低くしました。)


●歴代皇帝が見た幻

 初代アウグストスが途方もない偉人と思えた後世のローマ皇帝たちでしたが、皇帝自身たちの中には、彼に並ぼうもしくは凌ぐ皇帝になろうと思って即位した皇帝もいたでしょう。

 実際、アウグストスに並ぶほどの実績を残した皇帝は、古代ではトラヤヌス帝であったり、東ローマではバシレイオスあたりが匹敵するかもしれません。

 しかし、ローマ皇帝の歴史が終るまでの間に彼らはついにある人物を凌ぐことはできませんでした。


 この幻影とも言える偉大なる人物こそ、


 ガイウス=ユリウス=カエサル


 でした。


 力任せの理論展開をするなら、ローマ皇帝の限界はカエサルを目指し、彼の幻影を追い続けたため、それがリミッターになったのかもしれません。

 ちなみに、カエサルの評価は・・・。

■内政:S■外交:SS■軍事:SS

■実績:SS■文化:A■性格:S

■総合:SS

■コメント

 天才肌のローマの政治家。天才にしかなしえない手法で三頭政治やガリア遠征に活躍。

 内政面では、三頭政治によって新たな政治基盤を築いたこと。

 外交面では、巧みなガリア遠征によって、征服しながら属州に完璧に変えてしまった手法。(これは天才にしかなしえない、エジプト遠征でもそのような傾向が見える。)

 軍事はいわずもがな。彼のライバルポンペイウスもかなりの才能を持っていたと思われる。

 文化では、ガリア戦記を評価。しかし、マルクス=アウレリアヌス帝のほうが、書物を書く力は優れていたかもしれない。

 性格では、自らの人気を取るために私財をなげうって民衆の支持を得たこと。ものすごいカリスマを持っていたこと。

 まさに完璧な人物です。唯一の汚点は、エジプトの古代最大の博物館・研究機関であったムセイオンを壊してしまったことくらいです。

 これだけの人物でしたので、後の皇帝の幻影になりえたのでしょう・・。


 最後にリクエストいただいたローマ最後の皇帝

◆コンスタンティノス11世パレオロゴス・ドラガセス(1449-1453)

■内政:D■外交:D■軍事:C

■実績:E■文化:A■性格:C

■総合:E

■コメント

 最終的に彼の代で滅亡してしまったのだが、彼の代でなくとも、オスマンに滅ぼされずとも、ビザンツはすでに内部崩壊し、活力を失っていた。しかしながら、文化だけはパレオロゴスルネッサンスともいわれるほどに栄えた・・。

 彼は帝国を滅亡から救うために様々な策をうつが、結局一つもうまくいかなかった。

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