第45話 東ローマの歴代皇帝を評価してみる
ブログで最もマニアックな企画として名をはせたこの記事。他の方が古代ローマの評価を行いました。
●ルール説明
私が全ての皇帝を出すのではなく、有名・名君を中心にピックアップ。評価内容は内政・外交・軍事・実績・文化・性格・総合の7項目に、その皇帝についての簡単なコメントをつけるとうものです。
私が東ローマを担当し、別の方がローマ皇帝初代から475年の西ローマの滅亡までを担当しました。
●前置き・・・(注意!かなりマニアックです)
別の方が、475年までやるので、東ローマと西ローマに実質分けたテオドシウス一世の後のアルカディウスからレオ二世までは省きます・・といっても省くほどの愚帝ですんで問題なし。
●評価する皇帝一覧
ゼノン、アタナシウス一世、ユスティニアヌス大帝(一世)、ユスティヌス二世、マウリキウス、ヘラクレイオス、ユスティニアノス2世、レオ三世、エイレーネ、ニケフォロス一世、ミカエル三世、バシレイオス一世、レオ6世、ニケフォロス二世フォカス、ヨハネス1世ツィミスケス、バシレイオス二世、アレクシオス1世コムネノス、ヨハネス二世コムネノス、マヌエル一世コムネノス、ミカエル8世
・・・・・何人いるの?これ?20人か!これ全部知ってたらかなりやばいっすよ!
ではいってみましょう!後ろの年数は全て在位期間です。
◆ゼノン(474-491)
■内政:C■外交:B■軍事:D
■実績:C■文化:D■性格:D
■総合:C
■コメント
ローマをゲルマンやフン族から口先だけで守ったことは評価。だたし、内政は媚売りまくり。最後はオドアケルを討伐させたテオドリックが討伐達成前に死去したので、西ローマ帝位があやうくなった。あと、様々な謀略にかかっているんだが全てくぐりぬけたのがすごい!
◆アタナシウス一世(491-518)
■内政:A■外交:B■軍事:B
■実績:A■文化:C■性格:B
■総合:A
■コメント
彼は間違いなく名君。特にゲルマンの侵攻によって破綻・荒廃していた国庫・経済を完璧に修復したこと。外征でもブルガリア人を撃退・内乱を鎮圧などなかなかの実績を残した。ただ、彼が西方教会(ローマ・カトリック)と教義が違ったため宗教的にひともんちゃくした。
◆ユスティニアヌス大帝
■内政:E■外交:B■軍事:C
■実績:A■文化:B■性格:D
■総合:B
■コメント
日本では東ローマで最も有名な皇帝。帝国の最大領土を演出。しかしながら、国庫は破綻。この急速な拡大政策は、以後のあまりよろしくない皇帝の元おおいに帝国を圧迫する。アタナシウスのやったことが台無し。
ただし、この一時的にしろローマ帝国の旧領土を演出したことによって、東ローマ人の心が何百年にも渡って活力を保った。文化ではローマ法大全を編纂したことを評価。
■おまけ
◆ヴェリサリウス(彼については、こちら)
■軍事SS
◆ナルセス
■軍事S
この二人の将軍は、ローマ帝国の歴史の中でも最も優れた軍人の一人だろう。特にヴェリサリウスは彼の生きた時代の前後数世紀に渡って彼以上の軍人はいないんじゃないだろうか。
◆ユスティヌス二世(565-578)
■内政:E■外交:E■軍事:E
■実績:E■文化:D■性格:カワイソス
■総合:E
■コメント
ユスティニアヌス大帝の拡大領土を一代で全て失ったある意味すごい皇帝。ササン朝に敗れたあと発狂する!(気持ちはわからんでもないけど・・)発狂したあと、帝位を譲ったことだけは好評価。
◆マウリキウス(582-602)
■内政:E■外交:C■軍事:D
■実績:D■文化:D■性格:C
■総合:D
■コメント
ユスティニアヌス大帝以来の帝国財政の破綻を修復するためにがんばったが、それが軍部の反乱を招き、最後はフォカスの謀反で死刑。(子供の死刑を見物させられた後の死刑という残酷なものだった)
彼の時代に、ランコバルド族に対抗するためにカルタゴ総督が置かれた。また、ササン朝から亡命していたホスロー二世が復位するのを助け、それによって和議を結ぶことに成功。(ホスロー二世は後にヘラクレイオスと徹底抗戦することに・・助けなかったほうがよかったね・)
◆ヘラクレイオス(彼については、こちら)
■内政:B■外交:C■軍事:A
■実績:C■文化:C■性格:C
■総合:B
■コメント
滅亡寸前だった帝国を救い、ササン朝のホスローと雌雄を決した皇帝。最後は急成長したイスラムによって全てが水の泡に・・。国内ではテマ制を敷くなどなかなかだった。彼の死後イスラム勢力に滅亡寸前まで追いやられる。
◆ユスティニアノス2世(685-695、705-711)
■内政:D■外交:C■軍事:D
■実績:D■文化:D■性格:E
■総合:D
■コメント
周囲を敵に囲まれながらも、バルカン半島の奪回を狙うが失敗。その後ウマイヤ朝との関係も悪化し、小アジアも危機に・・・。長年の戦費調達のため重税を敷いたので、クーデターが起き、一時亡命するがブルガリア王の支援を受けて復位に成功。その後猜疑心が強烈になって、次々と粛清していった・・・。
◆レオ三世(717-741)
■内政:C■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:E■性格:C
■総合:C
■コメント
全てについて平均的。内政面では、陰謀の温床となっていた帝国艦隊の分割を実行したが、陸軍にまではおよべなかった。
外交では、イスラム軍にコンスタンチノープルを包囲されるが、これを突破し撃退に成功するが、イタリア方面ではランコバルトにラヴェンナを一時奪われたりした・・。厳しい時代を必死で駆け抜けた皇帝か。
かわったこととしては、正教会にとっての崇拝対象であるイコンを異端として破壊したことなどがある。なので、文化はEにした。
◆エイレーネ(797-802)
■内政:D■外交:E■軍事:D
■実績:D■文化:B■性格:E
■総合:D
■コメント
ローマ帝国史上初の女性の皇帝。正教会では聖人扱い。残酷な方法で帝位を簒奪したにもかかわらず、聖像破壊運動をやめさせ、聖像崇拝を復活させたことで聖人と扱われている。
このため、イコン破壊派を徹底的に弾圧した。そのため、帝国の国力は激しく衰退し、さらにこの帝位簒奪のために人望がなかった彼女は、減税を実施。このため財政を圧迫した。追い討ちをかけるように、800年カールの戴冠(カール大帝がローマ帝国の帝位を受けた事件)によって、唯一のローマ皇帝という地位までも地に落ちた。
◆ニケフォロス一世(802-811)
■内政:B■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:C■性格:C
■総合:C
■コメント
元帝国の財政長官。クーデターに成功しエイレーネを下ろすと、彼女の時代に極限まで悪化した帝国財政を再建。国内防備も強化した。
カール大帝とはローマ帝国の地位をめぐって交渉するが決着がつかず。
彼の時代は、その他の国が名君だらけで苦労したようだ。
東には、アッバーズ朝の歴代カリフの中でも最高と言われているハールーン・アッラーシード。(彼との戦争では貢納金を払うことで決着)
ブルガリアのクルム王(これによってブルガリアは強国になる)
そして、フランクのカール大帝である。
そんな歴史的名君の中でよくがんばったと思う。
◆ミカエル三世(842-867)
■内政:D■外交:C■軍事:C
■実績:C■文化:B■性格:C
■総合:D
■コメント
メテュソス(酔っ払い)という名前を後からつけられた皇帝だが、いわれるほど暗愚ではないと思われる。
小アジアではイスラムに対して攻勢に転じ、イコン崇拝を復活させ、文化を奨励し後の、マケドニアルネッサンスのきっかけを作った。
一方では、シチリア島で完全に敗北し、撤退。最後には、次のバシレイオスに帝位を簒奪されて終了している。
◆バシレイオス一世(867-886)
■内政:C■外交:C■軍事:B
■実績:B■文化:D■性格:D
■総合:C
■コメント
農民から皇帝にまで成り上がった。国内の宗教問題については解決しようといろいろするが、結局は成果があがらず。
一方外征では、小アジアのパウロ派を駆逐。ダルマチア地方の宗主権を獲得。イスラムからキプロスを7年間支配することに成功。
しかし、シチリア島のアグラブ朝との戦いでは上手くいかずに、シラクサが陥落した。
◆レオ6世フィロソフォス(886-912)
■内政:C■外交:D■軍事:E
■実績:D■文化:A■性格:C
■総合:D
■コメント
フィロソフォスとは賢者・哲学者の意味。その名のとおりバシリカ法典という法律書を残し、自身の多方面にわたる知識から様々な書物を残している。しかし、頭でっかちなのか外征ではいいところなし。
◆ニケフォロス二世フォカス(963-969)
■内政:D■外交:C■軍事:S
■実績:B■文化:E■性格:C
■総合:B
■コメント
ベリサリウス以来の偉大なる軍人。即位前から名将として様々な戦役で活躍。その後、300年ぶりにアンティオキアをイスラムから奪回するなど多大な功績を残すが、 最後は自分を皇帝に押し上げた妻テオファノの浮気で暗殺される。
内政面では、悪貨をつくったりと財政を圧迫した。
◆ヨハネス一世(969-976)
■内政:D■外交:C■軍事:A
■実績:C■文化:E■性格:C
■総合:C
■コメント
ニケフォロスの拡大路線を受け継ぎ、キエフ公をバルカンで破り、イスラム相手にはメソポタミア・パレスチナ地方を征圧。これによってエルサレムが見えてきた。いったん帝都に戻り体勢を整えてる最中に病死してしまう。
◆バシレイオス二世(976-1025)
■内政:A■外交:A■軍事:A
■実績:S■文化:D■性格:B
■総合:S
■コメント
先代二帝の路線を受け継ぎ、周辺諸国の平定にあたる。特に第一次ブルガリア帝国に対しては長年のうらみでもはらすかのように苛烈にあたった。彼が即位した当時は、国庫は破綻寸前・軍事貴族は反乱を起こし・・と悲惨な状況だった。
彼はキエフ公国の支援を受け、一時絶体絶命にまで陥るが、なんとか貴族の反乱を平定。北部に侵入を繰り返していたブルガリアを長い戦いの末に打ち滅ぼす。
一方イタリア南部でもランコバルド族との戦いにも勝利。
これをもって、北はドナウ川・南はクレタ島・東はアルメニア・西は南イタリアにおよぶこの世界一の強国になった。
しかしながら、彼はユスティニアヌスのような無理な遠征を繰り返して領土を広げたわけではなく、帝国の国力はかつてないほどに強化されていたという。
内政では、徹底的に大貴族を叩き、彼らが農民から不正に取得した土地・財産を全て返還させた。さらに皇帝自身が贅沢を慎み、質素を心がけたため、あれだけ大規模な遠征にもかかわらず、国庫はあふれんばかりになった。
そんな完璧に見える皇帝も・・一つの汚点がある。それは結婚しなかったこと!それによって、無能な弟が帝位につき、またしても帝国は一気に衰退するのだ。
長すぎるのでその2へ。
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